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商品説明
あまりに若すぎる「生きる伝説」となった男・孫正義。彼のマネーゲームは今、儚い蜃気楼のように終焉を迎えようとしている…。気鋭のジャーナリストが迫る孫正義とソフトバンクの真実。『日経ビジネス』連載に加筆し単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
児玉 博
- 略歴
- 〈児玉博〉1959年大分県生まれ。早稲田大学卒業。フリージャーナリストとして『日経ビジネス』をはじめとするビジネス誌、総合誌で活躍。共著書に「真説バブル」など。
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ほんとは幻想曲じゃなくて「蜃気楼」という題名にしたかったんだけど、孫正義が強硬に反対したんで幻想曲に落ち着いたんだって。きっとよっぽど痛いところつかれたんだろうねえ。でも孫君、電話屋のオヤジになれただけでもよかったじゃないか。
2009/06/29 21:33
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本のITブームと米国のITブームの根本的な違いは、米国のITブームはネットスケープを開発したジム・クラークにしろアップルコンピューターを開発したウォズニャック・ジョブスのコンビにしろ、みんな理科系の技術者で、彼らが開発した技術の将来性を信じ、果敢に己の人生をその技術の将来性に賭けた、文字通りの「開拓者」だった点であろう(例外がマイクロソフトのビル・ゲーツで、彼は確かに目端の利いたオタク少年ではあったが、基本的に彼は常に他人の褌で勝負してきた)。そして米国のIT革命のベースには毎年1兆円を超える規模で支出される米国国防総省の技術開発予算があった。インターネットとは、核戦争に備え、基幹となる電話局が核ミサイルで粉砕されても全米で通信を行うことが出来るように開発された分散型通信システムの構想が元となっていたのである。日本のITブームに踊った連中には、こうした米国の「革命児」達のような技術者はほとんど一人もいなかった。いたのは金の亡者たちばかりで、しかも彼らの多くは、いわゆる進学校から超一流大学へと進み一流官庁や一流企業で一流の処遇を得られなかった「落ちこぼれ」だった。落ちこぼれにもかかわらず、金が欲しい、女にもてたい、良いクルマに乗りたいという拝金主義の権化みたいな低俗で志の低い野卑な連中ばかりだった。その彼らを良いように操り、彼らの上に君臨した「スター」こそが本書の主人公、孫正義なのである。2000年2月、六本木のディスコ・ベルファーレに集まった金の亡者たちに向かって孫正義は高らかに言い放つ。「アメリカでは99%以上がベンチャーキャピタルの投資を受けている。それは万が一失敗しても返す必要のない金だ」「若い経営者が500億円、1000億円の大金を手にする。ジャパニーズドリームを体現するヤングリッチが100人単位で続々と誕生することになるだろう」。その模様は、正に地獄の亡者たちを炊きつける悪魔そのものであった。
孫正義は日本で「差別」され「虐げられた」在日朝鮮人の子孫である。元々彼は教師志望だったが、非日本国籍のままでは公務員になれないと知って幼少期に抱いた夢を断念し、「自由の国アメリカ」に渡って閉鎖的な日本社会に風穴を開けることを誓う。幼少期に親しんだ祖母は市内の各方面から残飯を貰い受けては自宅で飼っていた豚の餌にしていたという。父は「金儲けのためなら何でもやる」在日で、パチンコからサラ金まで幅広く事業を行い町内でも目立つ豪邸の主となった人だったが、こうした強烈な上昇志向は息子の孫正義にも強く受け継がれていた。孫が描いた夢は「金持ちになること」「成功者になること」であって、己の頭脳が生み出した新技術を世に広めたり、それで社会を良くしたりと、そういう利他的な夢はほとんど微塵もなかった。彼は、ただただ金儲けがしたく、ビッグになって偉くなりたかったのだという。
彼が技術開発にほとんど興味を持っていなかったことは、彼の初期のモットー「タイムマシン経営」に端的に示されている。彼は「日本はアメリカより2年遅れている」と決め付け、今アメリカで流行っていることをすばやく取り入れて日本に持ち込めば2年後にはヒットするので、難なく利ざやを稼げると嘯いた。じゃあ、それで孫さん大儲けしたんですかと問えば、世の中そんなに甘くないのは本書に示された通りで、彼が行った数々の莫大な投資のほとんど全ては失敗に終わり、唯一成功したのがサーチエンジン「ヤフー」への投資だった。ただ、この投資の成功が非常に大きく、孫正義が次から次に失敗した惨めな投資の七難を隠したのである。
しかし、彼の「夢」も長くは続かない。彼の資金の源泉だった米国ヤフーの価値が暴落し、彼の含み資産経営、時価総額経営を支えた歯車が逆回転を始めたからだ。彼を救ったのは、同じ時期、日本のITバブル崩壊が本格化し、投売りされていた日本テレコム、ボーダフォンを拾って「電話会社」の親父に納まることが出来たことだろう。もはや孫正義の口から時価総額経営も10兆円企業も語られることはなくなった。
結局、孫は何がしたかったのか。ただ金儲けがしたかった。偉くなりたかった。でかい家に住みたかった。ただそれだけのことだったのではないか。彼が今も住む麻布永坂の豪邸の地下室には世界の気象とゴルフコースを再現できるゴルフ練習場が備えられているという。それが彼の夢だったのだろう。
残念なのは、著者が孫正義を冷ややかな視線で見、批判的筆致で描くのは良いとして、孫が早晩没落し、替わって登場し次世代を担うのが香具師の堀江貴文だと頓珍漢な未来予測を行っているところだろう。幾ら孫が上昇志向の強烈な夢想家だったとしても、彼は犯罪者ではなかった。堀江のデブが行ったのは純粋なる粉飾決算で、彼は投資家を騙し、騙した金で自分だけの懐を肥やそうとし、それがばれて彼が築いたライブドアは空中分解したのである。塀の向こう側に落ちたデブと、辛うじてこちら側に踏みとどまった事業家を同列に論じるのは孫正義に失礼であろう。
面白かったのは、かつて全学生垂涎の就職先としてもてはやされた日本興業銀行なる長期信用銀行が、実はその歴史的使命を1990年前後には終えていて、市場を通じた日本企業の資金調達を己の既得権維持のために妨害し続けたお邪魔虫と化していたという指摘だ。戦後、資本不足に陥っていた日本は零細なる庶民の金を集めて企業に流し込む間接金融中心のシステムを作り上げた。これは社債発行を主体とする直接金融システムを抑圧することと表裏一体の仕組でもあったわけだが、これが成功しジャパンアズナンバーワンと日本がなるにつれて、次第に企業にとっては足かせとなってくる。しかし既得権に胡坐をかき、行員の給与水準を日本最高のレベルまで引き上げた興銀にとって、今更「既得権は、もう要りません。ゼロからスタートします」とは口が裂けてもいえない。それで、それが日本企業の資金調達を阻害し、法外な調達コストを日本企業に課すことがわかっていても興銀は興銀を頂点とする銀行中心の金融システムを死守しようとしたのである。それが最終的に大蔵省の英断で葬り去られるわけだが、使命を終えた企業の末路は常に醜く哀れなものだ。ついでながら帝国日本の植民地銀行朝鮮銀行の失業者対策のために作られた「要らない長期信用銀行」日本債権信用銀行の経営内容が、こんなに腐りきっていたとは知らなかった。日銀から三顧の礼をもって迎えられたあおぞら銀行初代頭取本間忠世氏が、なぜ出張先の大阪で自殺しなければならなかったのか。このあたりもう少し掘り下げてもらいたかった。