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商品説明
いまも生きているサンカたち。彼らの綿密な聞き取りから、サンカへの幻影が解き放される。ある家族の風景、武蔵サンカの生態と民俗、移動箕作りたちのたそがれなど全7章で構成。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
筒井 功
- 略歴
- 〈筒井功〉昭和19年高知市生まれ。共同通信社記者を経て、現在、「日本竹細工研究所」を主宰。主に非定住民の生態・民俗、白山信仰の伝播過程の取材をつづけている。著書に「韓国を食べ歩く」など。
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紙の本
サンカ研究のおけるパラダイムシフト
2010/01/17 19:28
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はく - この投稿者のレビュー一覧を見る
1922年、『西太平洋の遠洋航海者』なる一冊の民族誌が発表された。書いたはマリノフスキーという文化人類学者。
黎明期の人類学といえば、「未開社会」に入った入植者や探検家、宣教師などからの報告を頼りに、壮大な人類史を構想するといったような内容の机上の学問であり、正確性という上ではいささか怪しげなものだった。
しかし、マリノフスキーは自ら現地に赴き、約2年に渡るフィールドワークの末、この民族誌を発表。これ以降、実地調査にもとづく実証的な研究こそが文化人類学を支える基幹的な方法論となったのである。
マリノフスキーを例に出したのは他でもない、サンカの研究においても同様のインパクトを持つのが、すなわち本書だからだ。
サンカについて簡単に説明しておこう(当て字で「山窩」とも書く)。山窩作家ともいわれた三角寛によって人々の知るところなった流浪の民で、川縁りや野山を転々と移動しながら、主に箕(み)という農具の製作・修繕を生業とした集団である。キャッチコピー的には「日本のジプシー」ともいわれた。
日本人=農耕定住民といった自認や思い込みが支配的な中、それにまつわる束縛から自由な生活を送るサンカは、ある種のロマンティシズムをもって語られ、民俗学・文化人類学・歴史学などに興味を持つ者の間で一世を風靡した。筆者も三角の『山窩物語』を読んだときは、日本社会における裏の歴史、オルタナティブな可能性のようなものが感じられ、どこか体が軽くなったような気持ちになったものだ。
しかし、三角の「研究」は、発表当初からどこか眉唾的に受け取られていて、いわゆる正統な学者からは無視されていた。たしかに、三角の著作には、神代文字に似た山窩文字や、サンカの人口について一桁単位で記載された統計データが載っていたりと、普通の学者の感覚からいって「怪しげ」と感じられる記述が随分と多い。
よって、サンカ研究は正統派アカデミズムの人間ではなく、どちらかというと在野の研究者によって進められてきた。著者の筒井氏も元記者であり、アカデミズムの人間ではない。もっとも、在野の研究者でも、三角の研究をそのまま下敷きにして論を展開するという人はかなりの少数派であり、著者も三角に批判的な立場で陳述を行っている。
三角に批判的な研究者が大半を占め、著者もそのひとりであるにも関わらず、他の研究者と決定的に違っているのが、その方法論だ。筒井氏は今までの研究ではありえなかったほどの極めて綿密なフィールドワークを行っているのである。
これまでのサンカ研究はほとんど机上の学問といってよいものだった。しかし、急いで付け加えれば、それにはそれなりの理由があったと思う。サンカは「トケコミ」(三角の造語)によって、市井に紛れてしまっていて、実際に聞き書きしたくとも会うことが難しい、と研究者に思われてきたからだろうと想像する。たしかに、今時(というかもうおそらく三、四十年前でさえ)、川縁りや野山で暮らしている一団など見かけることはなくなっていただろうし、「トケコ」んでしまったサンカにどのようなツテで探せばよいのか、皆目検討がつかない、と研究者が考えてしまったのは自然なことだったと思える。
ところが、筒井氏は実際にサンカに会い、聞き書きを行った。しかも、ここが凄いところなのだが、三角自身が聞き書きを行ったとされるサンカその人たちへの取材を行っているのである! ホンモノのサンカの話が聞ける、というだけでも凄いと思うのに、それが、三角が紹介したサンカ当人である、というのだ! 筆者が本作を読みたいと思った理由である。
ここで描かれたサンカ像は、三角的なロマンティシズムの一片もなく、籍を持たずに回遊生活を送り、「社会の底辺」に生きた人々のリアルである。
乳がんを患い、膨らんだ乳房に小刀を突き刺して膿を出す。そこへ口に含んだ焼酎を吹きかけ「治療」した女性。
箕が売れなかったり、修繕のないときには、おもらいで糊口をしのぐ。
仲間が死ねば、牛馬の屍骸置き場に放置する「風葬」。
自殺が多い、という暗い事実。等々・・・
無籍のまま、定住しない生活というのがどれだけ厳しいものか、鉛のように胸に響く。三角の著作から受けたあの開放感はいったいなんだったのか? そう思わざるを得なかった。
また、著者は箕作り村へのフィールドワークというアプローチも行っている。箕作り村とは、定住して箕の製作を主たる生業としている集落のことだ(日本各地にまだいくつも存在する)。サンカも箕作り・修繕を生業としている。考えてみれば、箕という道具に焦点を当て、こうした村を訪ねてみるという方法は極めて自然な発想だ。なぜ、今までそのようなやり方が取られてこなかったのか、考えてみれば不思議なことである。やはり非定住の回遊民という観念が思考を縛っていたのかもしれない。
この箕作り村で、著者は思いがけない事態に遭遇する。ある村を訪ねたとき、ウメアイを目撃する。ウメアイとはサンカも使用する槍の穂先のような両刃の小刀で、箕作りのときに使う。しかし、単なる道具を越えて、何らかの儀式めいたことを行うときにも使用し、サンカであることを象徴する、ある種の呪具性も兼ね備えた道具である。
あっさりこのウメアイが箕作り村で目撃でき、著者は、箕を作るものであれば、誰でも普通に所持しているものだと思い込む。しかし他の村では見かけることがなかった。しっかり観察したいと思い、再度、件の村を訪ね、ウメアイを見せてくれるように頼む。しかし村人は、そんなものは知らない、と、ウメアイの存在を否定してしまった。著者はその形状を説明するなどして食い下がるが、村人はやはり、ない、という。とても親切で人懐こい対応を見せてくれた村人だが、ことウメアイに関しては、知らぬの一点張り。
著者はここで初めて、ウメアイが誰でも持っているというわけではないこと、そしてそこには部外者に口外してはならない何らかのタブーがあること、を察知する。平成の世、今だにそのようなタブーを守って生きている人々が存在する! そこにはまだ未解の、古代につながる秘史のようなものが予見される。箕作りの集落はどのようにしてできたのか? サンカとはどのようにつながっているのか? 著者の今後の調査に期待したいところである。
この著書は、著者が元記者という来歴が極めて有効に生きた作品である。アカデミズムに身をおく人間では決して成し得なかったであろう。サンカに関する著作を読もうと考えているならば、まず三角のもの、そして本書を機軸として読まれることをお勧めしたい。