紙の本
命への慈しみ
2006/05/14 17:35
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者である佐藤初女さんは30年も前から自宅を開放し、心を病んだ人、苦しみを抱えた人たちを受け入れて来ました。その季節に採れる新鮮な素材の手料理とおむすび、そして、黙って傍らに座る著者によって多くの人が癒され、励まされました。
そんな著者を慕う人たちの奉仕や寄付によって、霊峰岩木山の麓に「森のイスキア」という憩いと安らぎの場が開設されました。
第一章 冬 いのちへの気づき
第二章 春 人生の種蒔き
第三章 夏 心で生きる
第四章 秋 希望の鐘
著者の生い立ちから「森のイスキア」開設に至るまでの日々や「森のイスキア」の四季を巡る「食」「信仰」「出会い」が美しい写真とともに紹介されています。各章に<佐藤初女さんへの手紙>が一通ずつ引用されています。
「耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
許しがたきを許し
あたたかい太陽を思わせるやさしい言葉
冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言
慈しみの雨のように涙を流しては共感する
なごやかな風を思わせる雰囲気
それが母の心
佐藤 初女」
巻頭の言葉に著者の生き方が集約されていますが、一冊を読み終えた時、一人一人のいのちを、また、どの食材のいのちをも限りなく慈しむ著者の姿が浮き彫りにされ、著者の命への慈しみにあたたかく包まれ、命への気づきを促されます。
食という日常の営みを通して人生を深く見つめなおすことができる一冊です。
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正直、キリスト教のことはよくわからない。でも、日々の糧に感謝しながら日常を祈りとする初女さんが信じているものならば、信じてもいいかなと思った。
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出会いとか偶然とか奇跡とか、そういうものは人との結びつきがあればあるほど、意外とそこらへんに転がってるものなのかも。
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かつて複数のマイミクさんが
「この本いいよ〜」と言っていたため、
影響されて読み始めました。
たしかに、、、、すごくいい☆
最初の最初、
『私、“面倒くさい”っていうのがいちばんいやなんです。
ある線までは誰でもやること。
そこを一歩越えるか越えないかで、
人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、
このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。』
この部分がズキンときました。
(面倒くさがり屋なので・・・・・・(大汗))
人に感動を呼び起こすことって、
こういうことなんだな、と思います。
一歩、ここまででいいと思ったところから、
あと一歩。
そういう心がけを胸に刻んでいこうと思います。
毎日の食事のこと、命のこと、
小さなことが大きなことにつながること、
手のひらのおわんの中の米粒ひとつが
宇宙につながるんだなぁ、なんて思いました。
心の栄養補給になる一冊です。
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料理教室の先生から佐藤初女の話を聞いた後に、たまたま本屋で発見。 不思議だったのは、各章の最後にこの方を敬愛する人達からの文章があるのですが、それを読んでいると“森のイスキア”へ行って、佐藤さんの作るお料理を食べてみたくなるのに、佐藤さん自身が書いたエッセイを読んでいると、何故か捻くれた気持ちになる事。 自分で自分の事(善行)を語る難しさを感じました。 でも、佐藤さんは信仰の元、それらの事を自然に行っているわけで「善行をしている」という奢った気持ちは無いんですよね。 自分には逆立ちしても出来ない生き方だから、捻くれた気持ちで読んじゃうんだな、きっと。
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わたしは何にも傷ついていないし、この世を生きるのに苦しくもないのだけど、こういう本はたまに読んでみてもいいと思う。
特に慈悲深い何かを判ったように書く人でなくて、もし良かったら手伝いたいという謙虚でシャイな人が書いたものならさらに良い。
そして何より良かったのはこの人が怒ることを大事にしているということだ。
ダライ・ラマもそうなのだけど、同じ時代に生きているだけで大変不思議なように思う人が同じ時代に生きているということだけで後はやっていける気がする。
宗教者、と言うだけではなくて。
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森のイスキア創設者、佐藤初女さんによるエッセイ。
本当の愛に包まれた方です。
先日、ご本人にお会いした時は心がいっぱいになるほど感動しました。
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紹介:藤井 真由美
先日、NHKで佐藤初女さんが運営されている『森のイスキア』について放送されていて、とても感動したので、この本を買いました。
『森のイスキア』とは、青森県弘前市に住む佐藤初女さんの元には、もう30年も前から、心を病んだ人、苦しみを抱えた人たちが自然に集まってきます。
そんなとき、初女さんは、その季節に土地で採れた新鮮な材料を使って、美味しいものを作り、食べさせてあげ、黙って傍らに座っています。大勢の方が初女さんに癒されて、社会に帰っていき、その人たちの奉仕や寄付によって、岩木山の麓に『森のイスキア』という憩いと安らぎの家が出来ました。
初女さんは訪れた方に、カウンセリングを行うわけでもなく、何か諭すようなことを言ったりもしません。
静かに人を受け入れ、ただ暖かく、心のこもったおむすびや手料理でもてなしています。
たとえば、野菜を乱切りするときも、ただバラバラにするのではなく、ひとつひとつの形を大切にして、切るようにする。とか、何でもないようなことですが、このひと手間で味がまったく変わってくるそうです。
お米を炊くときは、米を洗い、おおよその水の量につけて、白い所が多ければ水を減らし、少なければ足して・・というふうに食材と対話するのです。お米の気持の沿うように接するそうです。そうやって炊いたお米で、一つ一つおむすびに心を伝えるように大切に握り、訪れた方が帰るときに、そのおむすびを持たせて送り出します。
心のこもったおむすびによって、たくさんの人が癒され、生きるエネルギーを取り戻していきます。ただの癒しではない、特別な空気が『森のイスキア』にはあるのだと思います。
人生においては、自分らしく生きることや、『切り替え』ではなく、『展開』しつづけていくということ・・など、とてもたくさんの気づきがある本でした。
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ガイア2番で知った佐藤初女さんのこれまでの人生、生き方、考え方が語られた本。
自然で、目の前のものにしっかりと向き合う生き方は見習いたいです。
09-74
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もうすぐ逢いに行きます
「食べる」とは、生きもののいのちをいただくこと。
ことばにすると、こんな当たりまえなことはないのに、
それを行動に移すのは、とてもむずかしいことです。
この世のなかにあるすべてを慈しむ初女さんの生きかたは、
わたしたちに多くのことを投げかけます。
ていねいに生きていきたい方に読んで頂きたいです。
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「本物を探し求めてもすぐには結果は出てこないので、今は模索している途中なのかもしれません。ですが、その波動の動きは、ひとりひとりの個人の力を超えて、何かもっと大きなものを、少しずつよい方向に変えています。」
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新聞で初女さんの紹介をみて、探してよみました。
信仰・信念と人に喜んでもらいたい、という思いをもって
困難に屈せず、まっすぐに行動にしてきた方だと知りました。
弱っている人に素材のいのちを生かした食事を提供する活動、
中でもおむすびのエピソードなどが映画で紹介されて
知られているようです。
カトリックとの出会いや活動をつづった自伝と、
周囲の人からの手紙が載っていて
たまに、その両方から、「もしかしてこんな人なのでは」と
人となりも想像できる部分が楽しいです。
一番最後にのっていた司祭の方の手紙からもとてもよくわかりますが
とてもまっすぐに思いやりを表現される、またそのパワーを持っている方なのではと思いました。
この感じ・・、何かに似てると思ったらやっぱり「お母さん」です
お母さんの愛情で、家族に限らない周囲の人やものに接することで
多くの人に影響を与える素敵な、幸せな生き方だと思いました
映画もみてみたいです。
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食べ物に命を吹き込む というのではなく 食材の命を 生きていた時のまま 大事に扱っている様子で、
心の傷ついた人たちが、彼女の料理やおむすびを食べているうちに、癒されていく というのが なるほどと腑に落ちました。
当たり前なことを いろいろなことをハッ と気づかされ 胸を衝かれた本ででもありました。
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森のイスキアの話は知っていたけれど、初女さんの本を初めて読みました。
こんなに温かく、人に寄り添うことのできる人がこの世に存在しているって奇跡だなと思います。電車の中で読んでいて、涙が溢れてきて困りました。嬉しいときでも、悲しいときでも、怒っているときでも、心穏やかになる本だと思います。初女さんのようには、きっとなれないけど、その心を少しでも持つように心がけたいなと思いました。
読んでよかった。
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ふきのとうの掘り方のエピソードが印象的。
見えない力を食べる。
工場で生産された食べものより、作り手の人が労を惜しまず作ってくれたもののの方が力をくれるのも、同じことなのかも。
あと、穀力って言葉。いいですね。