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紙の本
本が崩れる 随筆 (文春新書)
著者 草森 紳一 (著)
とつぜん、崩れる。地震で崩れる。何万冊もの蔵書が、凶器となって、ふりかかる。これは読書の快楽への罪なのか。崩れた瞬間からはじまる抱腹、超絶、悪夢の本との格闘技。『ユリイカ...
本が崩れる 随筆 (文春新書)
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商品説明
とつぜん、崩れる。地震で崩れる。何万冊もの蔵書が、凶器となって、ふりかかる。これは読書の快楽への罪なのか。崩れた瞬間からはじまる抱腹、超絶、悪夢の本との格闘技。『ユリイカ』などに収録したものを一冊にまとめる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
草森 紳一
- 略歴
- 〈草森紳一〉1938年北海道生まれ。慶応義塾大学中国文学科卒業。雑誌編集者をへて、物書きに。著書に「荷風の永代橋」「歳三の写真」など。
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紙の本
草森紳一ファン限定の本。一般の方には、ちょっと勧めにくいなあ、この本は。
2008/05/26 21:43
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
こういう本を本来の随筆というのだろう。のっけから圧倒されるのは、草森紳一という男が集めた膨大な蔵書の数である。普通、本と言うものは本棚に納めるものである。だから本は部屋の壁面に沿って並べられるのが通常である。ところが草森の部屋はそうはなっていない。部屋の中央部に膨大な数の本が草森の身長とほぼ同じ174センチに積み上げられ、部屋のほぼ全体を本が占領している。人間(=草森)本と本の間に辛うじて設けられた隙間を這うように移動してはトイレにいき、風呂に入り、外出し、食事する。しかし、この膨大な蔵書の間を縫うように移動するのは高等技術が要るそうで、うっかりすると体のあちこちが本のかどにひっかかりぶつかって、文字通り「本が崩れる」のだそうだ。その数、およそ4万冊。これだけの本が、永代橋付近の2DKのマンションに収まっていること自体、奇跡に近い。
草森の蔵書はこれだけに留まらない。別に、緊急に必要の無い本は北海道の実家に送り、そこに立てた高さ9メートルの塔のような書庫に収めてある。私が最初に草森紳一の名を知ったのは月刊「太陽」の特集「書斎の愉しみ」(1981年11月号)で新築なったこの書庫に鎮座している彼の写真を見たときである。
どうしてこんなに本が増えるのか。「それは本を買うからである」とは草森の弁。その買い方が尋常ではない。月に少なくとも150冊は買うから1年間で2000冊。それが20年で40000冊というのが草森氏の計算だ。こんなお客がBk1についたらBk1の経営は安泰だろうが、氏はなんと収入の7割を図書購入費に当てていたんだそうだ。
どうしてそんなに本を買うのか。それは「資料もの」と呼ばれる執筆作業を職業としたからで、歴史の迷宮に足を踏み入れ、それを解き明かそうと資料として本を集めるようになったからだそうだ。資料としての読書は趣味としての読書とは決定的に異なるのだそうで、年がら年中のべつ幕なしに読書しているのは同じだが、その読者は必ず「次に何を書くか」をイメージしながらの読書で、趣味としての読書人生活はとうの昔に破綻したんだそうな。
こうして出来上がったのが世に誉れ高い「ナチス・プロパガンダ絶対の宣伝」という全四巻の著作で、ナチスドイツの活動を「広告」という視点から捉えたこの浩瀚な大作は、広告批評の編集長だった天野祐吉氏が繰り返し繰り返しほうぼうで絶賛している。同様の手法でなった「中国文化大革命」についての本は、いまだ未刊のままであるが、出版の暁にはただちに購入したいものである。
本書は、出だしこそ「本が崩れる」という書名にある通り、膨大な蔵書に占領された異様な空間に住む草森紳一という「けったいな男」の崩壊する蔵書との抱腹絶倒な悪戦苦闘記なのだが、途中から「本が崩れる話」からテーマはどんどん離れていって、秋田に旅行した話、野球少年時代だった頃の思い出、両切りのショートピースをこよなく愛する愛煙家の立場から最近隆盛を極める「嫌煙権」への怨みつらみを、それこそ筆の運ぶまま(だらだらと)と書き連ねたものである(でしかない)。通常、「随筆」といっても、そこにはある種の予定調和がある。筆者はポーズとしては「筆の運ぶまま気の向くまま」随筆を書いているようなふりをしているものの、その根本には「いかに読者の共感を呼ぶか」という魂胆がまずあって、次にどのように筆を起こしどのように着地するかという一連の流れというものがあるものなのだ。だからこそ読者も安心して随筆を読むことが出来るというものなのである。ところが本書には、こうした予定調和は一切無い。本書は徹頭徹尾「草森紳一」の随筆なのであって、ここに書いてあることかは文字通り草森紳一の脳内を「ふとよぎった」随想なのである。著者は読者の「予見」を許さない。読者の共感を得ようなどと言う「下心」など微塵も無い。ただただ己の脳内によぎったことをそのまま書くことのみが目的であって、話のマクラもなければオチもないのが本書なのだ。だから読者のなかには「私は一体どこに連れて行かれるのか」と不安を覚える者も出てこよう。途中で嫌になって投げ出す人も大勢出てこよう。最後まで読破し付き合うのは、「それでも草森紳一の脳内が知りたい」という熱烈な草森信者かよほどの暇人ということとなろう。
私も日々膨れ上がる蔵書の置き場に悩んでいる。妻は不満たらたらである。本書を見せ、「な、この人に比べれば、うちはずっとマシだろ」と説得を試みたが妻は「私は、そんなことで騙されないわよ」とすげなかった。
紙の本
2LDKの無限大。
2008/05/05 11:33
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
評論家・草森紳一氏の本は読んだことがありませんでした。
週刊新潮2008年4月17日号のp143に「本の山で発見が遅れた『草森紳一氏』」という見出しの記事が掲載されておりました。推定死亡日は3月20日。心不全。享年70歳。
では、記事から引用。
雑誌『エンタクシー』編集長の壹岐真也氏によれば、『19日に原稿を受け取る約束だったのですが、連絡がつかず20日朝、マンションに伺いました。玄関は開いていましたが返事はなく、本が崩れるため中には入って欲しくないと聞いていたので、そのまま帰りました』28日夜、各社の担当編集者4人が訪ねたが、本が邪魔になって所在を確認できなかったという。翌朝、芸術新聞社の編集者2人が、2LDKの手前の部屋で倒れていた草森さんを発見した。『一人暮らしでしたから、連絡がなければこういうこともあるかもしれないとは思っていました』・・・
そういえば、2005年に文春新書で草森紳一著「随筆 本が崩れる」が出ておりました。たしか買ってすこし読んで放り投げてしまったのですが、どこかにあったなあと思っておりました。その新書、何げなくも見つかりました。死亡記事で読み返したくなる新書。しかも、それが何やら死亡予告というか、虫の知らせめいております。あらためて半分ほど読み直し内容が、私にもすこしわかりかけてきました。
2LDKの本の山の説明は、まあ、やめときましょう。
興味深かったのは、「資料もの」について草森さんが書かれている箇所でした。
すこしながくなりますが、ぜひ引用。
「いわゆる『資料もの』といわれる仕事をするようになってからは、ねずみ算式に増殖していく。『資料もの』というのは、私の場合、過去の歴史にかかわるもので、たとえば『中国の食客』とか『フランク・ロイド・ライト』とかいう『テーマ』が自分の中で発生すると、ぽつりぽつりと関連の本をあてもなく買いつづける。十年二十年たっても、集中して資料集めしているわけでないので、二百冊にもならないが、これくらい読むとそれなりに考えがまとまってきて、まず仕事としての機が熟してくる。見切り発車してもよい汐時である。ところが、いざ仕事を開始するの段になると、一面、まったくそれらの資料は役に立たない。役立てては、その仕事がお粗末な結果になると、経験から知っている。自分の世界にテーマを引き込むためには、それらは切り棄て資料となる。それまでに手にはいらなかった基礎資料の問題もいらだたせるが、もっと重要になってくるのは、むしろ関連資料である。こうなると無限大の増殖世界である。基礎資料、重要資料を生かすのは、むしろこれらの関連資料、こそなのである。この世の中は、有機構造であるから、すべてが資料となってくる。・・・」(p30~31)
「資料調べは、それ自体が、書くこと以上に楽しい。が、しばしば役に立つかどうかもわからぬ資料の入手のため、たえず破産寸前に追いこまれる。」(p34)
この新書で印象深かいは草森紳一氏が写っている写真。
その年代による推移が何か如実なのでした。
草森氏は昭和13(1938)年生まれ。
1971年の写真は雪駄に裸足。レインコートで坪内祐三ばりのカッコイイ若者という感じ(p264)
1981年の写真はだいぶ髪がもじゃもじゃとなり長髪。
2005年の写真は帽子をかぶりその脇から白髪がのぞいている立ち姿(p278)。
そして死亡記事が載った週刊誌の写真は講演会でのすわって語る姿。こちらは、帽子をかぶってはおりませんでした。