サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

  1. hontoトップ
  2. 本の通販
  3. 小説・文学の通販
  4. 日本の小説・文学の通販
  5. 実業之日本社の通販
  6. 三島由紀夫が死んだ日 続 あの日は、どうしていまも生々しいのかの通販

「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。

電子書籍化お知らせメール

商品が電子書籍化すると、メールでお知らせする機能です。
「メールを登録する」ボタンを押して登録完了です。
キャンセルをご希望の場合は、同じ場所から「メール登録を解除する」を押してください。

電子書籍化したら知らせてほしい

  • みんなの評価 5つ星のうち 4 2件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2005.11
  • 出版社: 実業之日本社
  • サイズ:20cm/333p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-408-53482-X

紙の本

三島由紀夫が死んだ日 続 あの日は、どうしていまも生々しいのか

著者 中条 省平 (編・監修)

あの日は、どうしていまも生々しいのか。35年経ってもいささかも色あせぬ三島事件の衝撃と意味…。辻井喬、細江英公、蜷川幸雄、高橋睦郎、四方田犬彦、島田雅彦、行定勲らが「あの...

もっと見る

三島由紀夫が死んだ日 続 あの日は、どうしていまも生々しいのか

税込 2,090 19pt

予約購入とは

まだ販売されていない電子書籍の予約ができます。予約すると、販売開始日に自動的に決済されて本が読めます。

  • 商品は販売開始日にダウンロード可能となります。
  • 価格と販売開始日は変更となる可能性があります。
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて予約購入しても、予約一覧から簡単にキャンセルができます。
  • honto会員とクレジットカードの登録が必要です。未登録でも、ボタンを押せばスムーズにご案内します。

予約購入について詳しく見る

ワンステップ購入とは

ワンステップ購入とは、ボタンを1回押すだけでカートを通らずに電子書籍を購入できる機能です。

こんな方にオススメ

  • とにかくすぐ読みたい
  • 購入までの手間を省きたい
  • ポイント・クーポンはご利用いただけません。
  • 間違えて購入しても、完了ページもしくは購入履歴詳細から簡単にキャンセルができます。
  • 初めてのご利用でボタンを押すと会員登録(無料)をご案内します。購入する場合はクレジットカード登録までご案内します。

キャンセルについて詳しく見る

このセットに含まれる商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

商品説明

あの日は、どうしていまも生々しいのか。35年経ってもいささかも色あせぬ三島事件の衝撃と意味…。辻井喬、細江英公、蜷川幸雄、高橋睦郎、四方田犬彦、島田雅彦、行定勲らが「あの日」を語る。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

新資料から推理する自決に至る精神の軌跡 井上隆史 著 18-54
辛すぎた四十五年の生涯 辻井喬 述 55-101
誠実なる警告 細江英公 著 103-124

関連キーワード

あわせて読みたい本

この商品に興味のある人は、こんな商品にも興味があります。

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

この著者・アーティストの他の商品

前へ戻る

  • 対象はありません

次に進む

みんなのレビュー2件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (0件)
  • 星 4 (2件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

正編より続編の方が優れている、という珍しい本である。

2006/01/23 16:23

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ジャンルを問わず、続編が正編より優れているというケースは珍しい。しかしこの書物に関してはその珍しいケースであると断言できる。実は正編は出たときにすぐに買って読んだのだけれど、所詮は三流どころの文化人が三島という超一流をダシに使って本を出版しただけ、という印象を禁じ得なかった。だから続編は買うのをためらっていたのだが、やはり三島本ということで気になる気持ちを抑えきれず、出て2カ月ほどたってから入手して一読してみたところ、これがなかなかのものだったのである。
 沢山の人間が三島へのオマージュを披露しているのだから、むろん出来にはむらがある。今回、私が特に面白いと思ったのは、高橋睦郎と島田雅彦の文章である。詩人と小説家。いずれも実作者であるところが共通している。これは偶然ではあるまい。
 たしかに正編にも実作者は一応入っていた。瀬戸内寂聴である。しかし彼女の書く文章は人畜無害をもって特徴としているので——瀬戸内は新聞や雑誌によく寄稿しているけれど、私は内容に感心したことは一度もない——当然ながら三島の持っていた毒と多面性には肉薄し得ていなかった。単に昔三島と多少の付き合いがあったおばさんの文章というに過ぎないのである。
 実は続編でもそうした側面はないでもないので、辻井喬の文章は瀬戸内に類したものである。つまり、昔三島と付き合いがあった物書きというだけでは三島の本質に迫ることはできないのであって、まさにこの点こそが人選をした編者の見識が問われるところなのである。
 三島を論じるには、では何が必要なのか。学識ある実作者たること、である。三島自身、東大法学部を出て大蔵省に勤務した人間であったことを忘れてはならない。彼の評論をある程度読んでいれば、その博識と論理性には十分気づくはずなのだ。つまり三島を十全に理解するには、単なる本人との交際経験だとか、美意識やイデオロギー上の親近感だけでは駄目なのであって、感性と幅広い知識との融合こそが欠かせないのである。
 高橋睦郎は、生前の三島との交友にも多少は触れているが、三島作品に描かれている華族の寄食根性に言及したり、両性愛的な資質がないと作家として大成しないと指摘するなど、実作者としての勘と多方面への目配りから来る慧眼はさすがと言うしかない。
 島田雅彦は、三島が単なる純文学作家ではなく、エンターテインメント小説を書いたり評論をものしたり、また映画・演劇・写真集にと幅広く活躍していた事実に注目する。また外国人の日本文学観も三島の活躍に多くを負っているので、今日の日本作家たちはいわば三島の築いた礎の上にいるからこそ容易に海外で理解を得られるのだという指摘を行っている。これに比べると韓国には三島に当たる存在がいないので、韓国文学はなかなか外国人に受容されないというのだ。いずれも三島をよく読みなおかつ調べた上での発言であり、教えられるところが多い。
 このほか、最近『春の雪』を映像化した映画監督・行定勲の文章も面白い。私もこの映画を観てなかなか良くできているのに感心した口だが——ただし聡子役の竹内結子だけはミスキャストだと思ったけれど——、三島作品を映画にする場合の留意点や工夫が書かれていて、なるほどと思うことしきりであった。三島の政治性を無視しようとするところが多少気になるが、三島が自決したときにはまだ2歳だったという若い世代の三島受容として心に留めておきたい一文である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

三島由紀夫は何故あのような壮絶な最期を遂げたのか?11名の論者が多角的に解明

2005/11/26 17:38

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る

今年も11月25日が巡ってきた。そう、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺した日である。あの衝撃的な死から今年で三十五年経つが、今なお生々しい出来事として立ち上がって来て、私たちの心を激しく揺さぶる。
本書は、三島と生前親交のあった作家・芸術家や三島の作品に関心を抱く比較的若い世代の文化人11名が、没後三十五年を機にそれぞれの立場からこの作家について論じた寄稿文を収録している。
本書を読むと、三島が自決した11月25日のことを未だに鮮明に憶えている人が多いことに驚く。多くの人に当日のことをこれほど鮮明に憶えさせているのは、やはり三島の異様な死と、この時期1970年を境に日本が大きく様変わりする分水嶺にあたっていたからであろう。
事実、三島自身、亡くなる少し前にこれからの日本のことを『無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国』にしかならないと予言している。三島の死後、日本がこの通りの道を辿ったことを思うと、三島の鋭敏な洞察力には今更ながら驚きを禁じ得ない。
先にも触れたように、寄稿者たちは、本書の中で様々に三島の死について語っているが、有力な見解は概ね次ぎの三つに分けられるようである。
第一は、三島の作品に登場する主人公は存在感が希薄なことに悩んでおり、それはそのまま三島にも通じ、あの切腹という異様な死は存在回復の究極的な試みであったとする見方である。
第二は、三島の生涯の課題は「日本の美しい伝統」を復興させることにあり、それが「悪しき現代化」へ邁進する日本ではもはや無理と悟り人々に「覚醒」を促すために敢えて反時代的な最期を遂げたという見方である。
第三は、三島文学の中には暗い底流があって、日本文化のもう一つの側面である「死と血」の美学に深く影響されており、それが生来のサドマゾへの嗜好と相俟って、切腹という極度の苦痛に満ち血塗れの死を選ばせたという見方である。
いずれも、興味深いものがあるが、このような見方はこれまでにも指摘されてきたことであり、特に目新しいものではない。
そうした中で、比較的若い世代の論者たちの中に、その死を含めてもっと多面的に三島について迫ろうとする新鮮な見方があるように思われる。
紙面の関係で、詳しくは触れることは出来ないが、三島の死は昭和40年代という弛緩した時間に楔を打ち込む演劇的な儀式であったとする四方田犬彦氏、『春の雪』を映画化する中で三島と向き合った日々を語る映画監督行定勲氏、同じく三島文学について各界の著名人が語るインタビュー映画『みやび 三島由紀夫』を演出する中で自己と作家との関わりを辿っている田中千世子氏、などの文章が印象に残る。
三島について論じられた本は無数といって良いほどあるが、本書はそうした中で、三島を神格化しようとする見方から解き放つ試みとして一定の評価はできる。これを嚆矢として、三島の作品及びその生と死についてもっと多角的な観点から解明が進むことを期待したい。
なお、本書の冒頭には三島由紀夫が被写体となった伝説的な写真集『薔薇刑』(撮影 細江英光)の一部が載せられているが、これは今見てもかなりインパクトのある写真である。この写真を見ても三島は、一筋縄で捉え切れない作家ということが窺える。やはり三島は、時代を経ても特異なオーラを発する作家であり続けるようである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。