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『日本人の自我』というものを研究テーマに据えたとき、『恥』という感覚・概念は外せないファクタだと考えました。
もう論文としては書き上げてしまいましたけど、本書を読んで強くその考えを確信しました。
羞恥心、うーん、とっても需要!
羞恥心から解放されて、個人の自立が叶って素敵な現代!とはいかないですね。
やっぱり世間・社会の細分化、それに伴う共感性の落差・欠如というやつが気になります。
うーん。
光文社新書はタイトルがうまい!
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発想がなかなか面白いと思いました。
地べたに座る、人前でキスをする、電車で化粧するetc、
そんなことをしてなぜ恥ずかしいと思わないのかを考察した本。
ま、要するに羞恥心自体は残ってるんだけど
自分にとって重要な「世間」が変化しているって結論かな。
彼氏に化粧してるトコを見られたら恥ずかしくても
車内の見知らぬ人相手なら別に恥ずかしさなんて感じない。
そんなに難しい本でもないし、気が向いたら読んでみてもいいかも。
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これぞ待ってたという感じの本だった。簡単な社会心理学入門チックで。とてもよく分かる。随所に見られるデータが丁寧で、よく研究してるし、自分が何やってるかよく分かってる人なんだろうなーって思ってとっても楽しく読めた♪
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羞恥心は消えたというよりも、その形を変えて存在しているのだと解釈した。
私は18歳であるから、「若者は同世代と違う行動をとったりすることに羞恥心を覚える」という見方に共感を覚えた。
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たとえば公共の場での大声の会話とか、電車の中で食べ物を食べるとか、コンビニの前にたむろするとか、若者のそのような行動には羞恥心が感じられないということを、「羞恥心を感じる行動が変わってしまった」という方向から論じています。
しかしながら「羞恥心を感じる行動が変わってしまった」という論点から始まった話が「羞恥心は正常に機能していない」で結ばれてしまい、最終的にわかりやすいぐらい論点がずれています。
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「恥じらい」という営みから社会に切り込んでいく本書。
恥じらいは、言語や文化を超えたものだと思っていましたが、言語や文化に大なり小なり影響を受けていることは新たな発見でした。特に、「裸を見られたらどこを隠すか」という箇所は、その国の文化を色濃く反映している面白い事例ではないかと思います。
また、恥じらう際の笑いについての言及は、普段何気なく微笑んでしまう自分のその行為がいったい何を意味するのか、解説してくれることと思います。
題名にひけずおとらずのインパクトのある内容でした。
本書が、恥じらうことについての入門書になるのではないかと思います。
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[ 内容 ]
近年、駅や車内などで地べたに座り込む「ジベタリアン」、所構わず濃厚なラブシーンを演じる「人前キス」、電車の中で平気で化粧をする「車内化粧」など、街中での“迷惑行動”が目につくようになった。
かつて、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは日本を「恥の文化」であると規定した。
しかし、今、この図式は成り立つのだろうか。
普段、私たちは「恥ずかしい」という感情を毎日のように体験するが、羞恥心の性質についてはあまり知られていない。
人間はなぜ「恥じらう」のだろうか。
「羞恥心」は何の役に立っているのだろうか。
そして現代社会で何が起こっているのだろうか。
「恥」から見えてきたニッポンの今。
[ 目次 ]
序章 ジベタリアン現象―蔓延しつつある迷惑行動(「日本人の美徳」が崩れ始めた? 見過ごせない事態 ほか)
第1章 恥にまみれた人生―日常生活は常に「警告」されている(「警告」される理由 「恥ずかしい体験例」を集めてみたが… ほか)
第2章 生きていくための必要なもの―人類の歴史的産物(なぜ他者の機嫌をとらなければならないのか サバイバルに有利に働く能力 ほか)
第3章 もし誰かに裸を見られたら―恥の基準と多様性(坊っちゃんと天麩羅 女子大生たちのイメージギャップ ほか)
第4章 玄関を出ればタニンの世界―ジベタリアン的心性の拡大(誰の目が気になるのかほどほどに関係が重要な相手 ほか)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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日本は恥の文化と考えられるくらい「人様に対して恥ずかしくないよう振舞う」ことが日本人の美徳と言われていた。
だがそれが近年崩れ始めた? という恥についての学者の研究書。
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セケンという概念がなくなり、身内と他人しかいなくなった。
地域的つながりを超えた価値観いよる新たな連携ウェブの世界は現代のセケンに縮図である。
でもさ、羞恥心関係なしにジベタリアンになるときもあるよね??
羞恥心がどのような基準で、またどのような理由で警鐘を鳴らすように出来ているか、つまり羞恥心という装置の性質について私たちは無知なのである。
羞恥心は警戒範囲が広く、またとても複雑なルートで作動していることを意味しているのだ。
羞恥心=f相手との関係の重要度×じこの評価への不安定度
つまり、中途半端な関係でいるのが一番羞恥心が働く。
これらのメッセージ社会の中に自分の居場所を定め、社会の恩恵に浴す上で重要な意味を持っている。そのために多様な恥ずかしい表情は必要なのである。
そんな構造化され分節化あれた社会生活に適応するため、羞恥心はその時々に演じている役柄に応じて恥ずかしさの基準を定め私たちの行動をナビゲートしているのである。
例 バイト先で知り合いに合うといった、複合的に役柄を演じる必要がある場合など
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タイトルが興味深かったので。
着眼点はおもしろいけど,あまり研究されていない分野だからか,事例が少ないのと,どこか説得力にかけるのが気になったかな。
新たなことを知ったというよりは,自分が日頃感じていたことの確認って感じ。
印象に残ったフレーズは「ほどほどに関係が重要な相手 」。たしかにそんなひと相手にミスしたらはずかしいかも。
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社会心理学的に「日本の恥の文化」の現状をまとめた内容となっている。
地べたにすわるベジタリアン、社内で化粧する女性など、若い世代の行動に着目し、「恥」というものがどういうメカニズムを持っているのか、現状はどのように変化しているのかを簡潔にわかりやすくまとめている。
結論的には、落ち着くところの落ち着いていてサプライズが無いのが少し物足りないが、楽しく気軽に読める一冊。
ジブン本位の基準が強くなってきていると書かれているが、これこそが現代の日本の教育における課題ではないかと感じる。
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読み口が軽く、スムーズに読めた。
個人的には社会心理学者のバウマイスターらがいうところの、個人が集団から排斥される三つの要因
・集団の存続や福祉に貢献できない
・協調性や道徳性の欠如
・対人魅力の欠如
に、個人が認識する「ミウチ・タニン・セケン」の範囲を掛け合わせると、羞恥心の存在が明らかになるのかな。
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「恥ずかしい」という気持ちがどこから生じるのか、自分と周りの人との人間関係に注目し、分析した本。
筆者によると「ほどほどに関係が重要な相手」「中間的な親密さの他者」に対して、羞恥の程度が高くなるという。
確かに、自分が恥ずかしいと感じるときを想像したら納得できる。”ほどよいタニン”の目があるから、我々は自分の行動を律することができるのかもしれない。
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p94
社会心理学者のバウイマイスターらは、個人が集団から排斥される3つの要因を挙げている。
1つは「集団の存続や福祉に貢献できない」ことであり、(中略)
2つ目は[協調性や道徳性の欠如」である。(中略)
最後が「対人魅力の欠如」である。