紙の本
当たり前の視線とは
2016/11/20 23:28
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投稿者:こけさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
無情なるものという一編が心に残っているので、それについて書く。景観についての話なのだが、歴史的な景観が破壊されると主張している人々の考えの底の浅さを歴史的な視点で指摘したものだった。筆者も生活者としての視点があるはずの人なのだが、まったくそのような湿った視点はなく、しごく全うな視点を提示したということに感動した。
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最新の技術や社会問題、著者のこれまでの経験などを
私のような凡人にもわかりやすく、的確に表現されています。
現在の世界に対して持つ、「ちょっと変じゃない?」という感情をしっかりと理論立てて説明してくれている、という感じです。
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平野啓一郎は、文体が好き。スコーンと頭に入ってくる。エッセイとなるとなおさら。所謂「文明論」ではないけれど、現代社会への平野氏なりの切り口が面白い。
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2006年2月 平野氏のエッセイは優しい内容をここまで難しく書くか?と思うほど理論化してくれるところが面白い
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平野啓一郎氏初のエッセイ集。抽象的な文明論ではなく、日々の生活における具体に潜む文明の憂鬱を、作者独特の鋭い感性によって掬い上げている。
どれも興味深く、考えさせられる作品であった。中でも、「愛「国」心と愛「国家」心」、「「犯罪件数」と「報道件数」」、「マイケル・ジャクソン騒動」などは、特に私が関心を持っているマス・メディアの脅威に関する論考で、示唆に富んでいた。また、「近景と遠景」の話はどんな話にでも応用が可能であり、極めて有用な考え方であると思った。
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08015
★再読_____________________________
ビートルズを笑え!/中山康樹
本 / 廣済堂出版 / 1998年08月 発売
08016
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好きな作家平野啓一郎さん。梅田望夫さんとの対談本もあったり、はてなでブログ書いていたり、小説はガチな純文学系ですけどけっこうメディア・テクノロジー系も強いのだと思っています。
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まず感じたこと。日本語の使い方への心配り。彼の漢字表記やカタカナ表記には思わず襟を正したくなる。言葉を遣うことへの高い誇りと揺ぎ無き姿勢が伝わってくるよう。
文明とは何か。それらに見え隠れする矛盾や欺瞞を、横軸縦軸を自在に使い、理論的に暴いてゆく。思い入れの深さに、見方への中庸をやや欠いている感を抱く項もあったけれど、その根底には、人間というものに対する深く強い思いがあるように感じられ、好もしかった。
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この人は特異な人なんだろうか。視点が面白い。あえて書いているようだが平易なほうがこの人の魅力は上がるように感じる。
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平野啓一郎のエッセイ「文明の憂鬱」読了。もう少し深みにはいってもらってもいいのでは、と読みながら思いましたが、掲載誌や字数制限もあるので、仕方ないかもしれません。平野啓一郎本は小説のほうがいまはよい印象です。
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文明という巨大な対象を、日常レベルの細かな観点から考察し抜いている。
著者は日々こんなことを考えて生きているのだろうか。
生きているうちに経験するあらゆる事象が、興味深さを備え始める。
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芥川賞作家・平野啓一郎氏による時事に関するエッセイです。この本を読んでいてとき、狂牛病の話が九州であって、 平野氏はそれより先にこの話題を書いていた箇所を読んで 平野氏の先見の鋭さに驚いたことがあります。
実のところを申し上げますと、僕が平野啓一郎氏の一連の作品を読もうと思ったのは、ツイッターで平野氏に送ったメッセージになんと、平野氏ご本人から返事を貰ったからという実に単純な理由からでした。でも、高校時代に『日蝕』で挫折して以来、彼が文句なしの天才なことは分かっているのですが、正直言ってどうもとっつきにくかったので、小説はともかくとしてエッセイからまずは始めてみようと思って手にとって読んでみたのがこの本でありました。
ここで取り上げられている主な事象は、狂牛病や9・11や荒れる成人式やロボット犬のアイボなどのことを『あぁ、こんなことあったなぁ』と思いながら読んでいると、衝撃的な写真が目に飛び込んできました。それは、2000年にイギリスで発生した口蹄疫についての写真で、殺処分された牛がクレーンで吊り上げられているものでありました。
その傍には蹄を上に向けて並べられている牛の屍骸がありました。おそらく、これから埋設されるのだろう。うろ覚えで申し訳ないのですが、こういう結びだったと思います。『飛行機や船が行きかっているのだから、こういうものだって「輸入」されることは十分にありうる。だから決してこの問題は「対岸の火事」ではないんだ』と。
僕はここを読んでびっくりしました。平野氏がこういうことを既に予期していたのだということに。その後、宮崎県では口蹄疫が蔓延していたころに他の県にまで飛び火するかもしれない、といわれていたことが発生し、いまさらながらのようにこれを書いていて思い出されてきました。僕は平野氏のような透徹したまなざしを持つことはできないのだと痛感しつつ、平野氏のつむぐ『言葉』には謙虚な気持ちでこれからも耳を傾けていきたい、と思っているのです。
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10年以上前の随筆集。日常的な生活の変化(進歩)が人間の思想、人間関係、感情に与える微妙な影響を考察し、それがやがて文明社会の在り方に変化をもたらしていく考察を丹念に行っている。そのため、全然古びていない。難解な文体を操る小説家は、自らの思考過程をこんなにもストレートに、かつ深く、それでいて簡潔に書き記すことが出来るのだと感服した。
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芥川賞作家・平野啓一郎のエッセイ集。
月刊誌「Voice」連載当時は、毎月、編集部からトピックス的な写真が
20~30枚送られてきて、平野氏が気になったものを直感的に選び、
思うままに書くというスタイルをとっていたらしい。
印象的だったのは「錠と鍵とを巡るイメージ」の章。
中国からのピッキング集団が大きな社会問題化していることを受け
日本人のセキュリティ意識を論考してくかと思いきや、
論旨は思わぬ方向に進む。
同氏が以前、ノルマンディのベネディクト会博物館を訪れた際、
膨大な数の「鍵」のコレクションに仰天した話を持ち出す。
これらの鍵は当時の修道士達の労働の産物で、
いずれも「複雑な細工たるや、殆ど呪文の如き印象を与えるものばかりであり、
しかも、どれもが競い合うかのようにしてその厳めしいほどの
頑強さを誇示し合っている」。
これを同氏は日々の労働に勤勉だった修道士達の
「抑圧された欲望の恐るべき化身」のように見受けた。
少し長いが引用すると。
「彼らの作り上げた鍵の迫力は、まさしく彼らのファロスそのもののような
魁偉な軸と、そこに膨らんだ不在の対象への屈折した夢想の表現であり
且つ混乱に満ちた複雑な禁止の印でもある歯との、強引な統一にこそあり、
その沈静化された火照りの暗く重々しい佇まいは、彼らの敬虔さの
苦悶そのもののようであった」
時に、衒学的と非難の対象となる同氏の深い教養と
小説家ならではの視座が融合された随筆は興味深く、
しかも、このエッセイが書かれたのがどうやら26~28歳くらいで、
更に実は自分と同い年であることを考量に入れた時の、
同氏への驚愕に似た敬意と自分への嘆息が入り混じって実に味わい深い(笑)。
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毎度この方の文章を読むたびに、文学、歴史、音楽等の広範な知識とそれに基づく深遠な視点と思想に驚かされる。ややニヒリスティックに感じることもあるけれど。ともあれ、圧倒的な知識をとっても、それを反映させる筆力をとっても、この方は本当に天才だと思う。同じ時代に生きていることを感謝するくらい。
本書が書かれたのは同時多発テロが起こった2000年頃。BSEやライフスペース、そんなこともあったなとなつかしく思う一方で、その視点や発想は今読んでも全く色褪せることがない。むしろ今こそ議論してもよいのではとさえ思う。特にパトリオティズムやナショナリズムのくだりは今こそ日本人が考えるべき内容だと思った。