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日本を滅ぼす教育論議(講談社現代新書)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4 21件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2006.1
  • 出版社: 講談社
  • レーベル: 講談社現代新書
  • サイズ:18cm/237p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-06-149826-6
  • 国内送料無料
新書

紙の本

日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)

著者 岡本 薫 (著)

「ゆとり教育」をめぐり混乱した教育の現場。日本の各界における教育論議の多くは、抜本的な改革・改善を実現できておらず、「すれ違い」や「カラ回り」を続けている。文部科学省課長...

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日本を滅ぼす教育論議 (講談社現代新書)

821(税込)

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商品説明

「ゆとり教育」をめぐり混乱した教育の現場。日本の各界における教育論議の多くは、抜本的な改革・改善を実現できておらず、「すれ違い」や「カラ回り」を続けている。文部科学省課長が「失敗の本質」を明かす。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

岡本 薫

略歴
〈岡本薫〉1955年東京都生まれ。東京大学理学部卒業。OECD研究員、文化庁課長、文部科学省課長などを経て、政策研究大学院大学教授。専門はコロロジー。著書に「入門・生涯学習政策」など。

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みんなのレビュー21件

みんなの評価4.0

評価内訳

紙の本

アメリカに追いつけ追い越せを国是にしていた日本が、いったいいつからフィンランドを目にすることになったんだあ?(爆笑

2008/08/02 19:29

15人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

まあ、日本ほど教育論議が変な形で盛り上がっている国も珍しいのではないか。はっきりしているのは、日本の教育で一番病んでいて、かつ競争力も無く、魅力もないのは大学で、逆に最も競争力があるのが初等中等教育であるにもかかわらず、日本の教育論議は常に小学校、中学校のカリキュラムをどう変えるかに集中し、ついで高校に議論が向かい、なぜか大学にはほとんど議論が及ばないのである。先日、この疑問を東京大学の苅谷剛彦教授に直接ぶつけてみたところ、「それは変えやすいところを変えるということ0ですよ。日本の大学が病んでいるのはご指摘の通りですが、大学を変えることは皆さん諦めてますから。。。」と肩を落としていた。
んで、本書である。本書は議論を整理してみるという点ではなかなか良い構成となっている。そもそも日本では教育論議といっても百花斉放で、議論が拡散しすぎ瞑想しやすい。岡本さんは、この点を鋭く突く。「まず、何をしたいのか。目標は何なのかをはっきりさせよ」と。一体全体、科学分野で国際的に貢献できるノーベル賞をとれるような高度な研究業績をあげられる人材を育成したいのか。それとも機会平等の底上げを行いたいのか。まず、このあたりをはっきりさせねば議論は前に進まない。
次に、「機会均等」といっても、「何を持って機会均等というのか、教育の中身を明確にせよ」と岡本さんはたたみかける。そうだ、そうなのだ。日本の教育論議でかけていたのはこの点なのだ。要するに「日本国民として最低限、身につけておかねばならないシビルミニマムな教育内容については「機会均等」といいつつ、限りなく「結果の平等」を追求しなければならない一方「シビルミニマム以上」については「機会の平等」さえ保障されていれば、あとは日本国民の自由にまかせよと岡本さんはいうのである。
日本国憲法は「自由主義」を基本としている。国民に「健康で文化的な最低限の生活」を送れるようにすること(シビルミニマム)をうたう一方、国民の生活格差財産格差を一切認めない「共産主義」とは相いれない内容となている。ところが、日本の教育論議では、なぜか搦め手から実質的な共産主義社会の樹立を狙うような議論が横行しているのである。これが行き着くところまで行くと「ノーベル賞受賞者を増やすため、(すべての子供たちを対象に)小学校段階からもっと思考力を要請すべきだ」などという陳説を国際社会で堂々と開陳し、万座の失笑を買う教育論者が出てきてしまうのである。
「親の熱意」「親の地位」「親の資金力」などいろいろな外部要素もあって「格差」はつくだろうが、それについては「目をつぶれ」と岡本さんは議論するのである。欧米では今でも高等教育は支配階級のものであり、支配階級が支配階級であり続けるための大衆支配の道具といった色彩が強い。平等を建前とするアメリカでさえ、名門校は年間300万円前後の費用がかかるようになっていて、事実上貧乏人は排除されるようになっている。英国はもっとひどい。フランスも似たようなものである。平等を強調したパリ大学は誰でも入れるようになったコストとして「卒業しても就職できない大学」になりさがり、金持ちのパリ近郊在住者が多く通うグランゼコールを出ないと、ろくな就職ができない国になってしまった。
マーケットやニーズといった経済用語に拒絶反応を示す教育関係者が多いことも、日本の教育をゆがめていると岡本さんは鋭く指摘している。「豊かな心をもつ教員」などという外部的に計測不能な基準が日本では跋扈している。「心は豊かだが、患者の病気を治せない医者」がプロとしてはクズ同然であるように「授業ができない教師」「生徒指導ができない教師」がプロ失格であるのは理の当然であるのに、なぜか日本では、この道理が通らないのである。不思議だ。
あと、日本の大学生が勉強しないのは「大学で勉強しても就職に有利にならないから」という指摘もうなずける。アメリカの大学生や大学院生が死にものぐるいで勉強するのは大学の成績が収入に直結する労働市場の反映であり、アメリカの学生の意識が必ずしも日本に比べ高いからではないというのも「その通り」という気がする。日本の大学は、もっと専門学校等との連携を深め、学生の就職にダイレクトにつながる講座開設に心を砕くべき時に来ていると思うがどうか?(すでに一部でそうなりはじめているが)早稲田や慶応のみならず、最近では東大や一橋の学生までダブルスクールが当たり前となりつつあるのは、要するに大学の授業が学生・社会のニーズに応えていないからである。
「いじめ」の問題も日本よりもスウェーデン、ノルウェーといった北欧諸国のほうが遥かに深刻なんだそうだ。しかし「いじめの本場」を自称するノルウェーの専門家が「日本の状況は大したものではない」と言下に言い切るのには、やや鼻白む思いではあるが。
昨今「PISA」なる国際テストの結果を錦の御旗の如く振り回して「教育予算の増大運動」を叫ぶ半可通がいるので一言警告しておく。
まず、我が国が、さも教育予算に金をかけていないがごとき嘘を無責任に垂れ流すのはやめにしてもらいたい。一国が教育を予算上重視しているかいなか(金をかけているかいないか)は、GDP比ではなくて一般歳出中のシェアで計らないと不公平である。なぜならGDP比で教育予算を比べれば消費税を高く設定している国はそもそもの財政規模が大きいので軒並み上位に位置するようになるからだ。日本は消費税5%の国で、ほぼすべての項目においてGDP比で見ればフィンランドやスウェーデン、フランス、ドイツ、英国に見劣りするのである。逆に一般歳出中のシェアで見れば、我が国は世界で米国についで第2位である。
次にPISAのテスト結果を過大評価するのもやめろ。あのテスト問題をみればわかるが、あれは日本ではやらないし教えない内容の設問である。そもそも「環境問題」などのような雲をつかむような話を持ち出して議論を展開するような授業は日本では大学でもやらない。大学院ではやっているのかなあ。蓮実重彦は「PISAのテストの順位が下がった?そんなのアメリカもフランスも英国もドイツも軒並み下位じゃないですか。日本もようやく先進国に仲間入りしたことですな」と笑っていた。こういうのを「大人の態度」というのである。
すでに日本全国でPISAテスト対応の授業が始まっているという。岡本さんは「数年でまた日本はPISAテストのトップになるんじゃないか」と昨今のから騒ぎを笑っている。それよりも、一度フィンランドの学生に灘中学の問題や筑波大付属駒場高校の入試問題を解かせてみてはどうか。われわれの学力を国際社会が測るのではなくて、われわれが世界各国の教育レベルをわれわれの基準で測り直してみるのである。
日本はこれから人口減少時代に入る。ということは生徒の数は急速に減り、教員も学校も大学も淘汰整理の時代に入ることを意味する。教育予算なんか現状維持ですら「無駄」となろうこのご時世に、教育予算の増大を求めることはゾンビ企業に追い貸しをするようなものである。

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紙の本

オレオレ教育論議の正体。

2006/05/19 09:11

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

河合隼雄さんの話を思い浮べました。
「『スピーチをするときにアメリカ人はジョークで始めて、日本人は弁解で始める』。これはものすごく言われています。・・日本人はスピーチというと『いや、私のようなものは、このような場所に出るものじゃございません』と言って始めるんです。・・弁解して始めなければならんわけです」(「笑いの力」岩波書店・p112)
たとえば、こういう始まりが、どのように議論へと反映してくるか。
その背景を語りながら「教育論議」の不思議な迷路を俯瞰し全体を解明してくれる、貴重で、ありがたい一冊。
せめてすこしだけでも、引用してみましょう。
第二章「『原因』の究明に関する論議の失敗」に
こんな箇所があります。
「西欧出身のOECD職員たちは、『日本から来る国際関係の文書の多くが、【資源の少ない小国である日本にとって、国際関係は極めて重要であり、したがって・・・】という同じフレーズで始まっている』と言っていた。・・西欧の人々がこうした自虐的フレーズに驚くのは、彼らは一般に、日本を『小国』とは思っていないからだ。ヨーロッパには45ほどの国があるが、日本より面積が大きい国は数ヵ国にすぎず、・・天然資源についても、西欧各国の資源が日本のそれを大きく上回っているわけではない・・しかし、『日本は脆弱な小国』という『自虐的な動機付け』・・このような意識を多くの国民が共有しているために、日本人の多くは、国の将来について漠然とした不安と危機感を感じ続け・・人々が協力し合い、勤勉に働き、新しいテクノロジーを一層発展させ、それらを積極的に応用・活用していかなければならないと自然に感じてきたのである」(p76)
この「自然に感じてきた」ことが
議論に反映されないと、どうしたことが起こるか?
自然災害として、1995年の阪神・淡路大震災を
とりあげた箇所が印象深いのでした。
「被災者たちが、地震発生以前は近所づきあいもあまりなかったのに、被災後の厳しい状況では、負傷者の救援や援助物資の配分などについて驚異的な協調性と集団マネジメント能力を発揮したことは、海外で広く報道せれた。・・・このとき、外国の専門家たちからは、『日本の小学校教育の成果が発揮されましたね』という賛辞を多く頂戴した。しかし、日本国内では残念ながら、被災者のチームワークの良さと小学校時代の掃除当番・班別活動などを結びつけて考えた人は、ほどんどいなかったようだ。さらに、『各教科の授業時数を減らさないために、運動会や学芸会の準備時間などの『特別活動』を大幅に減らすとは、日本人は何を考えているのか。自分たちの教育の利点が全く分かっていない。自殺行為だ』と言う外国の専門家もいたのである」(p70)
自国の「自然さ」に考えが及ばないと、
どれだけのオレオレ教育議論がはびこるか。
それらを,外国の重要な例をふまえながら、細部から指摘して読み甲斐があります。
これからは、これからの教育論議のためには、読まずに避けて通れない価値ある一冊になっております。
なお、最初に著者の紹介があり
「もともとコロロジー(地域地理学)や比較文化などを専門としていたが、・・二回にわたり、フランスに本部を置く国際機関であるOECD(経済協力開発機構)の国際公務員として、先進諸国の教育政策・科学技術政策の比較研究に携わった。この時期を含め、これまで八十を越える国々を訪問し・・教育論議の状況・方向や、教育政策・教育実践の内容・変化を見てきた」
とあります。
そういえば新書の帯に、文化庁長官・河合隼雄の言葉が載っておりました。

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2006/09/30 01:06

投稿元:ブクログ

分類=教育論・教育政策。06年1月。真に子どもや社会全体のために行われている議論や主張は、どのくらいあるのだろう。

2007/09/07 12:24

投稿元:ブクログ

日本においては教育に必要以上に価値が置かれ、そのためにロジカルな議論がほとんどなされていないと著者は指摘する。客観的に見てなるほどと思わされることが多々あり、これからの教育を議論する上でこのような視点が必要であることを実感した。

2008/05/10 05:18

投稿元:ブクログ

海外との比較がおもしろい。
そして、日本よもっとしっかりしてくれと思ってしまう。

実にもっともなことが書かれている本。
特に、教師はプロだという部分、ルールと契約の部分は大賛成。
内容盛りだくさんで頭がパンクしそう。

「現状」「原因」「目標」「手段」…やっぱ問題解決の基本はそこから。

2008年03月29日読了。

2008/12/02 23:40

投稿元:ブクログ

日本人同士の議論には大きな欠点がある。それは議論をしても本質からずれてしまうということだ。抽象的な議論が続き、いつまでたっても具体的な解決策が出てこない。それは精神という抽象的な物があらゆることを解決できると考えている国民性によるものでもある。気持ちを入れ替えれば問題が解決するのだと考えるのはもうやめ、そろそろ現実的に考えていかなければ、日本が抱える諸問題はいつまでたっても解決することは無いだろう。

2009/07/05 13:49

投稿元:ブクログ

一読の価値あり。
賛否にかかわらず教育を他人に語る前に読んでおくと恥かきませんよー★
感情論・感覚論で教育を語るなんて‥!!×
はずかしいです。
自分も反省させられたところ、考えなおし、新たな取り入れる視点を増やしました。

みんな、冷静に考えるべき。

(ちなみにこの本が指摘してることは、右とか左とか関係ないですよ!!)

2009/05/25 23:50

投稿元:ブクログ

父の書斎にあった。日本の教育はこのままでは崩壊するのではないか、と思う。それにしても文科省は不毛なことをずっとやっている。近いうちに国家がなくなるのではないかな。それならそれで結構なことです、そうなって初めて日本人は焦るのでしょう。日本人は「資源がない小国だから国際社会で生き残るためには、、」と言う自虐的なことが好き。もっと勉強しなくてはね。

2010/05/27 00:19

投稿元:ブクログ

論理的思考の題材として教育を取り上げたんじゃないかってくらい
ロジカルシンキングを推している。

言ってることはその通り,
そういう話,見方もあるのかと新しい発見は多かった。

しかし,日本の文化的側面を考慮すれば
別に建設的議論が行われなくてもうまく機能するんじゃないかな?
まぁ,今の問題をどこまで問題とするかだけど。
そもそもそんなに論理的に話せる人間が多かったら
日本の特殊さって成立しないような気もする。

2010/12/24 16:44

投稿元:ブクログ

 今,非常に複雑な思いである。
 この本に書かれていることはきわめて示唆的である。教育論議が陥りやすい陥穽について的確に記載されており,大変啓発的であると思う。その点では,有意義な本であると強く推奨したい。
 が,「しかし」である。
 読んでいて終始頭を離れなかったことがひとつある。
 それは,この著者がまさに教育政策の中枢にいたということである。行政サイドにいた人間が,こうした問題点に気づきながら,今日のこの状態を招来しているということが,わたしにはどうしても感覚的に許せないのである。
 もちろん,官庁という巨大組織の中で,職員一人の力は微力だろう。しかし,一人が微力だからという理由を,追認し,「だから仕方ない」といってしまえば,そもそも役人の存在意義は何なのだろうか。むしろ気がついたものが声を上げずして,一生の職場としての何の意味があるのだろうか。国政に携わる者としての何の意義があるのだろうか。
 実は最近似たような体験を繰り返している。たとえば一つは某大手企業グループの総帥秘書だったというビジネスマンがここへ来て,戦後の日本の来し方を総括し鋭く問題提起するというもの,また,原爆被害者が世間の偏見を恐れて沈黙を守っていたが,子供たちも十分な年齢となり,その実態を語り始めたというものもあった。なかにはひどいのになると,某元司法関係者のトップが,一部の関係者を慰撫しようとあえて傍論で述べたよけいな憲法解釈が今一部の利権団体で拡大解釈されて国権が侵害されようとしていることについて,本人が「あれは間違いであった」などといけしゃあしゃあと言っていたにするのを見ると,国賊ものではないかとすら思ってしまうのである。
 もっとも,そうしたものへの感情も含めてこの著作・著者にぶつけるのは乱暴だとは承知している。
 しかし彼らが(一緒くたに話をするのをご容赦いただきたい)もっと早くにこうした言論行動を起こして欲しかったと強く思うのである。それぞれの家庭の事情などはあったのであろう。しかし,年寄りが「今思えば・・・・」と思い出語りに語っても,現役や一線の官僚やビジネスマンが語るよりも影響力は格段に乏しい。むしろ役時代に思い切りいえなかったことの言い訳作りをされているのではないかと穿った思いすらしてしまうのである。
 そして,こうした戦後世代の方々が戦後一貫して国家に貢献することを逃げ続け,その延長として,だれも国家に対する貢献など考えない今のこの体質につながっているのではないかと思わずにはいられない。
 もっとも,この著者に関しては,たまたま目にしたインターネットサイトで,著者が官庁ではだめだと思って指導者を育てるために大学に移籍したという趣旨の記載を見つけた。しかしまた別のサイトには,著者の所属する大学は官庁の天下り受入れ大学として有名とも記載されている。たまたまこうした両論を目にしたが,もしも前者のコメントを眼にしなければ,この著者に対しても同様に厳しい目を向けていたに違いない。
 自分がこの有益な著作を素直にありがたく受け止め,感じられるためにも是非前者が真に事実であることを個人的に望んでいる。
 さて,先日海保職員が中国人船長逮捕時の映像を流出されたとして懲戒を受け,その後自主退職となった。組織の内規を破った以上,ペナルティを課されるのはやむを得ないことである。
 しかし,この海保職員は職場のルールと,自分の考える正義とを比較考量し,悩み,社会の利益と思われるものを優先した。
 その正邪は分からない。国民が大反対したポーツマス条約が歴史の正解であり,国民が激賛した松岡洋祐の国際連盟脱退は愚挙であった野を見れば,最終的な正邪の結論はまたまだ先の人たちが出するのであろう。そうではなくて,ここで大切なのは,個人が個人を越える理想のために,個人の利益を犠牲にする行動をとったということだ。
 安全地帯に移ってから語り始める人たちに言いようのないわだかまりを感じていたわたしは,彼の行動に痛快感は感じたものの,しかし同時にまた,義憤というものが確かに個人を犠牲にしているさまをまざまざと見せ付けられ,それはそれでいいようのない憤りも感じてしまうのであった。
 後半,この本の感想からは大きく離れてしまって申し訳ない。
 内容はきわめてオーソドックスで読みやすく,実際の検討の上で有意義な示唆に富んでいる。是非教育について考える方々にはその最初の段階で読んでおいていただいて損はない一冊である。
 (内容には本当によいのだが,どうもそのわだかまりを書きすぎたためどう読んでも褒めた書評に見えないかもしれない。申し訳ない。)

2012/08/31 19:37

投稿元:ブクログ

線を引きながら、夢中で読みました。

今、tossでやっていることの全てとつながっているのですね。

いじめ
親学
教員の質の向上
など

まず、何と浅く狭いレベルで思考していたんだろうって思って、
衝撃を受けています。

また、
日本の教育の全てが間違っているのではないのに、
日本人が自分たちで自分たちの教育のよさを把握していないというのも、驚きました。

測定可能な目標のこと
ここに書いてあったのかあ。

心の問題として誤魔化すことが、これほどまでに蔓延していること
全く意識していませんでした。

全員が身につけるべきこと

それ以外
を区別すること

教師の仕事を医師に置き換えて説明するところ
明快でした。


一回読んで、
全ての箇所に驚いているだけです。

二回目、すぐに読み始めます。

線を引くマーカーの色を変えて、読みます。
木曜日までに、
あと二回読みます。
本は、三色の色の線が引いてあることになります。

松崎先生に教えていただいた読み方を、
初めてやってみようと思います。

2010/04/21 11:13

投稿元:ブクログ

教育を語る際に欠かせないカギを説く【赤松正雄の読書録ブログ】

 「『優秀』で『巧なり名を遂げた人』である『自分』を基準として千数百万人の子どもたち全体のことを議論している」―「教育」を議論する際に陥りがちな落とし穴だ。

 今から十数年前に、著作権法改正が話題になった頃に、当時文部省の課長だった岡本薫さんと話す機会があった。きわめて優秀な官僚だったとの記憶が残っている。その彼から『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』という名の本を頂いていた。にもかかわらず本棚の片隅に放置していた。それをひょんなことから取り出して先日読んだ。またたくまに引きずり込まれた。1)目的・手段や原因・結果に関する論理的思考ができていない 2)すべての子どもたちに必要なこととそれ以外のことが区別されていない 3)みんなが同じ気持ちを共有できるはずという幻想のためにルールや契約が軽視されている―など5点に集約して、それぞれ7つの不思議な実例をあげている。一つひとつ見事なまでに当っている。外国人の目からみていかに日本の教育論議が不思議な誤りに陥っているかの実例が堪える。圧倒された。これを皆が読めば、日本の教育論議も様になるとの思いに駆られる。

 早速彼の居場所を探した。文部科学省の幹部にと思いきや、今は政策研究大学院大学の教授になっておられた。私の思いをメールで伝えた。すると、日本の政治・社会の前途を憂い、もはや後輩を育てるしかないと、役所を辞めて今のところに移ったとの返事を頂いた。新書を書かれては、などと余計なことを書いたところ、既に『日本を滅ぼす教育論議』との名で書き直して出版している、と。改めてこの本も読んでみたが、不思議なことに前者の方がかなり読みやすく分かり易い。

2010/09/06 00:54

投稿元:ブクログ

 日本人が議論をしていると、だんだん論点がずれていってしまうことが多い。それはそこここで言われていることだし、著者もそれを身をもって実感されたようだ。例えば「教育予算の増強は経済の発展につながる」というお題に対して「崇高な教育と俗な経済とを結びつけて考えるのはおかしい」という論点のずれた意見が出たり、学力低下の議論では「とにかくがんばること」という精神論的で何の解決策にもならない結論が導かれたりする。本書では、外国の事例や研究などを引き合いに出しながらそういう噛み合わない議論の事例を挙げ、ひたすら解説している。「あんなこともあったんだー、えーこんなことも−?」と思いながら読めたので、面白かったし、知識も増えたと思う。
 ただし、著者が、日本の教育がどうあるべきだと思っているのかは、いまいちわからない。ひたすら議論の失敗について述べることが軸になっていて、失敗した議論の結論が、次の章では正しかったことになって話が進んだりする。

2010/11/29 23:19

投稿元:ブクログ

[ 内容 ]
おそらくは、日本人の多くに共通する何らかの思考プロセスや、陥りがちな論理の陥穽のようなもの―が、日本における教育論議に「すれ違い」や「カラ回り」をもたらし、建設的な教育論議を妨げているのではないか、ということを、ずっと思い続けてきた。
以下、これまで漠然と感じてきたそのような「違和感」や「おかしなこと」の背景や構造を、分析・整理しつつ述べていきたい。

[ 目次 ]
序章 「マネジメント」の失敗
第1章 「現状」の認識に関する論議の失敗
第2章 「原因」の究明に関する論議の失敗
第3章 「目標」の設定に関する論議の失敗
第4章 「手段」の開発に関する論議の失敗
第5章 「集団意思形成」に関する論議の失敗

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

2014/03/30 22:03

投稿元:ブクログ

 一見すると、ごもっともなことが書いてあるよ。あるんだけどなー。ひとつひとつの内容には、肯けるトコもいっぱいあるのになー。なんでこんなに読んでてイライラするかなー。てなわけで、理由を考えてみた。

 まず、「おまえがゆーか」とつい思ってしまうこと。著者の経歴は、もと文科省の課長さまである。人ごとみたいに言うてはるが、それなりに「責任」があるポジションに、あんたいたはずでしょうと。すみません、オレのココロ、狭くって。「いや、イチ課長なんて吹けば飛ぶような存在ですから、いくら自分ひとり考えてたって蟷螂の斧です」というならしょがないけど、それならそう書いといてもらうともすこし落ち着くのに。
 次に、「教育論議」について語っていたはずなのに、いつのまにやら「日本人論」へと横滑りしていくこと。「同質性信仰」とか「ルール無視」とか「水戸黄門好き・権力者好き」とか「契約マインドがない」とか。具体的なデータに基づいて言ってない、ただの放言というのは、往々にして「だから日本はダメなんだ」式の論調に陥りがち。必要なのは、具体的に現状を把握して、問題の元凶を摘出することでしょう。アレ、似たようなこと、この本の中でも言ってなかったっけ?
 1,2章はまだマシなんだが、後半にいくにしたがって、「日本人の性質が、アメリカやヨーロッパと比べてどーこー」という論調になっていく。じゃあナニですか。解決策としては「日本人の性質を変えろ」ということですか。これこそ、具体性のない「教育論議」そのものなんでは。

 批判も具体的にやれ? 仕方ないな。この本でさいしょに「アレ?」と思ったのは、“「ゆとり」の実態”と題した一節。「ゆとり」をつくるために教育内容を三割削減したが、授業時間数も二割減ったので、実質「ゆとり」なんて生じなかった。だから「ゆとり教育の是非」などということを議論すること自体が無意味、という。
 でもさー。「ゆとり教育批判」ちゅうのは、「ゆとり」がどーたらじゃなくて、まさに「教育内容の削減」→「学力低下」を問題にしてたはずじゃん。実際、「学力低下」は2002年12月に文科省が発表した全国学力調査で明らかになったよね。なんか、批判のポイントずれてないか? 
 日本では、教育内容について「まず全員共通のミニマムを特定する」という発想がないとなげく節も、あれれれれ。だって「学習指導要領が最低基準」って、文科省も文部大臣も言ってたハズ。アレはいったいなんだつーの。

 こうやって見ていくと、オレの不満はやっぱり「文科省」がらみの記述かな。具体的な日本の「教育行政・教育制度・教育思想」を問題にするのではなく、有象無象の「教育論議」を批判しているのは……結局、官僚や政治家、ひいては「自分」への批判をしたくないからなんじゃないかと……ジト目で見ちゃうんですけど、どうですか。それはあまりにゲスの勘ぐりだとしても、「日本人の議論は論理的じゃない」とお経のように唱えたからと言って、日本の教育がマシになりますか。

 ウンコな論議ばかりというのは、そもそも教育言説に限った話じゃない。著者がウンコばかり拾ってくる気でいるのなら、���治論議だろうと芸術論議だろうとクソまみれにするのは簡単だ。
 似たようなタイトルで『なぜ教育論争は不毛なのか』(苅谷剛彦/中公新書ラクレ)という本が3年前に出ている。まさに「日本を滅ぼす教育論議」に出てきた内容が、あいまいな「日本人批判」に逃げることなく、問題点をきちんと指摘する形で提出されている。「教育論議」の中にも、ウンコじゃないものはあるのである。(もっともその苅谷が、この本を朝日の書評で書いていたから、手に取ったわけなんだが)
 各論としては非常に肯けるところがありながら、「あいまいな日本人批判」が気になって、どうにも居心地の悪い本だった。

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