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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.1
- 出版社: 新潮社
- サイズ:20cm/285p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-10-590052-8
紙の本
世界の果てのビートルズ (CREST BOOKS)
凍てつく川。薄明りの森。北の果ての村に響く下手くそなロック。笑えるほど最果ての村でぼくは育った。きこりの父たち、殴りあう兄たち、姉さんのプレーヤー、そして手作りのぼくのギ...
世界の果てのビートルズ (CREST BOOKS)
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商品説明
凍てつく川。薄明りの森。北の果ての村に響く下手くそなロック。笑えるほど最果ての村でぼくは育った。きこりの父たち、殴りあう兄たち、姉さんのプレーヤー、そして手作りのぼくのギター!世界20カ国以上で翻訳されたスウェーデンのベストセラー長篇。【「BOOK」データベースの商品解説】
笑えるほど最果ての村で僕は育った。きこりの父たち、殴りあう兄たち、姉さんのプレーヤー、そして手作りのぼくのギター…。とめどない笑いと、痛みにも似た郷愁。スウェーデン発のベストセラー傑作長篇。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ミカエル・ニエミ
- 略歴
- 〈ミカエル・ニエミ〉1959年スウェーデン生まれ。教師、青少年カウンセラー、出版社でのアルバイトなどさまざまな職を経て、詩集、戯曲、児童書、ノンフィクションなどを発表。
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紙の本
世界の果てでロスクンロールを叫ぶ
2006/03/26 22:46
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「いやぁ、嘘じゃないですよ。寒いと、本当に唇が鉄の戸だかに、くっついちゃうんですよ。」
フィンランドの現地ガイドはそう言った後、排泄物が極寒の中でどうなるかを、半ば笑い話めかして語ってくれた。でもその後に、ちょっと真面目な顔をして、ぼそっと、こうつけ加えた。
「ただ、北欧って自殺が多いんですよ。大きな声では言えないけど。やっぱり夏にいつまでも続く昼と、冬にやたら長い夜があるからかもしれませんね。」笑い話になる現実と、笑っていられない現実。
旅先で垣間みた、相反する二つの北欧。自伝的長編小説である本作の中にあったのは、まさにそれだった。
本編の主人公である少年達が住んでいるパヤラは、ちょっと日本語に訳するのは躊躇される地区「ヴィットライェンケ」にある。「本当はスウェーデンではないのだ。たまたまくっついているだけ(p55)」と見なされるような、本当に小さな村だ。同じスウェーデンでありながら、インテリアデザインを賞賛される首都ストックホルムとは、全然違う。住まう人も、「フィンランド人ではないのにフィンランド訛りで話し、スウェーデン人ではないのにスウェーデン訛りで話す(p56)」どこか中途半端な存在だ。そんな中で、彼等がアイデンティティを確立しようと思うなら、別の土地で生きる事を選択するしかない。それは、今まで慣れ親しんだ人も風景も、全てを捨てる事でもある。
但し、そんな厳しい現実は、マッティとニイラにはまだ遠い先の物語だ。意外な相手との初キス話、鼠取り作戦がとんでもない事件に発展する話など、「どこまでがフィクションなんだろう?」と想像するだにおかしい(いや、恐ろしい?)日常を生きている。
中でも、サウナに入ったマッティと父親のエピソードは印象深い。おもむろに「人生とか…人のこととか…おまえも少し大人になったから、知っておいたほうがいいと思う」と言い出した父親が続けたのは、祖父の艶話やら、キャピュレット家とモンタギュー家も真っ青の因縁話。念の入った事には、父親はこの後もうもうと湯気の立つサウナの中で、話した事のおさらいまでさせるのだ。この章を「こうしてぼくは、おとなの仲間入りをした」と結ぶ、著者のすました顔が目に浮かぶようだ。そして彼等のアイデンティティ確立への欲求と結びついたのは、何とビートルズ!世界中の若者を熱狂させた音楽は、パヤラの少年達に板きれとゴムひものギターを持たせ、新たな世界を切り開いた。村の因習を引きずらない素晴らしい先生や、やたら喧嘩と酒の強い少年との出会いを経て、気の弱かったマッティを、ステージの中央へと引きずり出す。
世界の果て・パオラで、ビートルズと共にあった自らの思春期を綴った作品は、いくばくかの哀惜と、たまらない懐かしさを感じさせる。
紙の本
北欧に対する見方が変わります
2006/04/27 22:07
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る
1960年代、フィンランドに限りなく近いスェーデンの小村が本書の舞台だ。主人公はちょうど思春期を迎えたばかりの少年。エルヴィス・プレスリーのレコードを彼が初めて聴いた時の感動が微笑ましい。「これが未来だ。未来っていうのは、こういう音がするんだ」。
国境に位置する辺鄙な村に暮らすがゆえに、自らのアイデンティティについて悩まざるをえない少年の成長物語だが、ただの成長譚ではない。あまり鹿爪らしく捉えないほうがいいタイプの小説で、登場人物たちの奇人変人ぶりや、読者を煙に巻くような語り口には度肝を抜かれる。たとえば、読み始めてすぐに次のような表現が出てくる。
—「ぼくらの住む地区は、地元ではフィンランド語でヴィットライェンケと呼ばれていた。『おまんこの沼』というような意味だ」
ここを読んだだけでも本書がきれいなだけの少年小説でないことが少しはお分かりいただけるだろうか。たびたび表れるオゲレツなユーモアには北欧そのものに対する見方まで変わってしまうほどだ。
本書の中で最も印象的なのは、春になって氷の河が解けて流れ出す場面だ。自然の偉大さを目の当たりにした少年の姿に愛しさがこみ上げてくる。
変化球ではあるが極上の成長物語だ。