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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2006.4
  • 出版社: 早川書房
  • サイズ:20cm/349p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-15-208719-6

紙の本

わたしを離さないで

著者 カズオ・イシグロ (著),土屋 政雄 (訳)

自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春の日々を送り、かたい絆で結ば...

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わたしを離さないで

税込 1,980 18pt

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商品説明

自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に…。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく—英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』に比肩すると評されたイシグロ文学の最高到達点。アレックス賞受賞作。【「BOOK」データベースの商品解説】

【アレックス賞】全寮制施設に生まれ育ったキャシーは、今は亡き友人との青春の日々を思い返していた。奇妙な授業内容、教師たちの不思議な態度、キャシーたちがたどった数奇で皮肉な運命。彼女の回想は施設の驚くべき真実を明かしていく…。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

カズオ・イシグロ

略歴
〈カズオ・イシグロ〉1954年長崎生まれ。60年父親の仕事の関係でイギリスに渡る。ソーシャル・ワーカーとして働きながら執筆活動を開始。著書にブッカー賞受賞作「日の名残り」など。

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評価内訳

紙の本

現代科学文明を批判した小説としてではなく、生きることに真摯であるかどうかを問いかける小説として読む

2006/12/09 15:21

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

1990年代末のイギリス。「介護人」を12年近く務めるキャシー・Hは31歳。彼女はヘールシャムで過ごした青春時代を思い返す。特に仲がよかった友達はルースとトミーの二人。彼女たち3人をはじめとする子供たちは「提供者」として生きるよう定められていた…。

 同じ設定をもった小説に、作家Michael M. Smithが今から十年以上も前に書いたフィルム・ノワール的なSF刑事物語「Spares」があります。そのダークでヘビーな題材に重苦しい読後感をもったことをよく覚えています。
 また近年公開されたアメリカ映画「アイランド」も同じ着想にもとづいて、華々しい冒険活劇が繰り広げられる作品です。

 しかしこれら先行作品に比べ、この「わたしを離さないで」の描写にはけれんみは微塵もなく、主人公たちは抗うこともなく自らの過酷な運命を静かに受け入れているかに見えます。SF的な設定をもつこの小説を遺伝子工学など医療技術が突き進んだ現代社会への警鐘ととらえようとする読者が多いかもしれませんが、ならばこそキャシーたちの意外なほどの無抵抗ぶりには得心がいかない思いが募るのではないでしょうか。

 私はこれを、科学文明に対する批評的メッセージをもった小説だとは考えません。キャシーたちのような「短命族」(と私はあえて呼びますが)と、彼らの犠牲のもとに生きる「長命族」(これもイシグロの言葉ではありません)とが対比された物語の中で私が強く感じるのは、命の優劣はその長短にはない、という至極当たり前のことです。

 おそらくイシグロ自身は、現代医学の明暗すべてを十把ひとからげにして、医療の<恩恵>そのものを否定的にとらえるような小説を書くつもりはなかったと思います。命は短ければ悪いわけではありません。その長短にかかわらず、命はいつかついえるものです。いかに短くとも充実した命を全うすることが出来るのであれば、その命はいたずらに長い人生よりは価値がある。だからこそ、イシグロは、その苛烈な運命に似つかわしくないほど抑制した文章で、キャシーやトミーたちに平凡な人生経験---ほろ苦い三角関係や激しく豊かなセックス---を与え、終わりの日に向けて彼らなりに濃密な人生を歩ませようとする、そう私には思えるのです。

 「長命族」のある人物がこの物語の終盤近くで、「短命族」のキャシーをかつて目にして涙したことを振り返ります。それは憐憫の涙でもあると同時に、自分たち「長命族」が失ってしまった「古い世界」「心の中では消えつつある世界」の美しさを見て流した涙でもあるのです。

 そう考えるとなおのこと、鬱々とした老年の日々を送っているかにみえる「長命族」よりも、彼らのために生きることをアプリオリに位置づけられた「短命族」のキャシーたちにこそ、輝く日々があると思えてなりません。その哀しいまでに美しい人生の果てが、文字通り最後の1ページに集約されていて、この場面は幾度読み返しても倦むことがありません。

 SF的設定はあくまで書割にすぎません。この小説の眼目はそこにはないのです。私たち読者が人生を深めようと日々どこまで努力しているか、それを問いただそうとしているのです。

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紙の本

教育のもつ、恐怖

2008/07/14 21:05

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:mayumi - この投稿者のレビュー一覧を見る

 特殊な環境で育った特殊な役割を負った子供たちの話。

 解説にもありませすが、へんにストーリーを聞くと、面白さが半減どころか台無しです。

 カズオ・イシグロは「日の名残り」でも思ったんだが、他愛のないところに潜む狂気を淡々と描いている。
 うん、今思い返すと「日の名残り」は結構怖い話なのだ。
 で、これもなんか薄ら怖い話。

 淡々としてるのが、怖い。

 特殊な生まれで、特殊な環境で育ったとしても、どうして彼女たちは打破するという方向にいかないのだろう。
 …これが、教育の力なのだろうか。
 自分の存在の意味を疑うこともせず、運命を受け入れることだけで生きている子供たち。そういう存在に作り上げたのは、あの閉鎖された学園なのだろう。

 これは、生まれと環境にプラスされ「教育」という部分があるからこその怖さであり、警鐘なのだろうか。

 にしても、やっぱ、イシグロは上手いね。
 村上春樹より、先にノーベル賞とっちゃうんだろう。

 …と、清水玲子の「輝夜姫」が、がぜん読みたくなったですよ。
 うむ。
 イシグロも、あれぐらいがっつり書き込んで欲しかったなぁ。
 って、書いちゃうとSFになって、それはそれで方向性が違うんだろうけど。

 カテゴリーっていうのは、時に不自由ですね。

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紙の本

SF的舞台装置は成功を収めた

2007/03/15 23:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は角田光代氏をはじめとして、2006年の優良書として賛辞を浴びた。実際、帯には角田氏のコメントが付いて売られている。
 とはいっても、小説としてはけっこう冒険的であったりする。それはSF的な舞台装置を用いていることであろう。これはともすると失敗に終わりかねない。なぜなら、SF小説はひとつのジャンルとして成り立っており、これらの傑作と比較すれば、なかなか勝ち目はない。
 ところが、本書が英米で非常に高い評価を受け、日本でも同様の評価を受けているように、成功していると言える。これは、何げない寮生活と学校での生活の描写に始まる静かな章から、読みすすむに連れてさまざまな秘密が明らかにされていく意外な展開に読者を引き込むからであろう。
 その秘密をここに書いてしまうと読み意味がなくなるので書かないが、まったく意外なところへと著者は連れていってくれるのだ。また、その筆致がとても静謐であり、何も奇をてらわず、ひたすら静かに物語が進んでいくのであるから著者の力量は確かである。
 このような舞台装置と静かな筆致がうまく合致しているところにこの小説の高い評価の原点があるのだと思う。
 SF小説では、スタニスワフ・レムの『ソラリス』を連想してしまった。これは映画化もされているが、こちらは謎に満ちている。小説の静かさは同じなのであるが。謎だらけのもどかしさにくらべて、小説の個性は相当なものである。
 『わたしを離さないで』は秘密を徐々に明らかにしてくれるので、明らかに読後感がよい。海外の翻訳ものを好む方にはおすすめできる。

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紙の本

「大きな小説」とすることを望まず、個人にとっての忘れがたい瞬間を慎重且つ繊細な手つきで大切に描き切る。大きな作家カズオ・イシグロの節度ある選択。

2006/05/12 00:19

15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「たましいが触れあう」というのは、そうしょっちゅうは一緒にいられない人、ある一定の距離を保った付き合いの人、あるいは二度と相まみえることのない人との間に一瞬の閃光のように去来する出来事だ。限られたわずかの人のなかには、その触れあいを生活のパートナーや仲間と分かち合いながら暮らしていける人もいるだろうが、慣れはおそらく触れあいを変質させる。良くも悪くも……。閃光のように瞬間にして感じる触れあいは、個人の生活や経歴を離脱したところ、虚空に浮く「疎通」である。「わたしはこの人と重なり合う背景は持っていないが、今確かに通じ合えた。『良い感じ』を分かち合えた」と確信できる瞬間。
 若いころ、旅先でよくそのような経験をした。たとえば、愚かにも預けたパスポートを忘れ、ホテルをチェックアウトしたことがある。若い娘ひとりで歩くにはちょっかいが多いイスラムの土地だ。バス停へ向かうわたしを追ってくれたフロント係は息せき切っていた。大げさに感謝を示すわたしに、彼は右手を胸に当て静かに軽いお辞儀をした。感極まったわたしも胸を鎮めそれに倣った。あとでそのホテルは日本の商社マンの常宿だと知る。紳士的なビジネスマンたちとの過去の交流への感謝もあり、わたしへ誠意を尽くしてくれたのだろう。地球の裏側で今も、名も知らない彼が確実な仕事をこなしている。そういう気がする。
 日本で生まれ、英国人として育った作家カズオ・イシグロは、ブッカー賞受賞後国際的な評価を高め、英米圏の文学を引っ張っていく存在となっている。その新作は、状況設定に科学技術に絡むものを取り込んだため、「イシグロがSFなのか」と意表を突く内容となった。だが、ここで扱われているのは、文学の題材としてはコンサーバティヴな「三角関係」である。三角関係ではあるが、書き尽くされたはずの題材を、こういう設定で新しい文学作品として書けるのかという驚きがあった。
 その1点だけを示して、この小説を称えることも可能であり、作家の今後に期待を寄せることもできる。今日的な文学の評価としては、妥当な方向性かもしれない。けれども、読み手1人ひとりが自分の読書体験のなかでの大切さを本小説に認めるとき、その中心にあるのは、上に書いた「たましいが触れあう」という喜び、幸福の瞬間がクライマックスにいくつか重要な要素として描かれたことなのかもしれない。作家特有の温かなまなざしと、情に流されない繊細で慎重な手つきにより……。
 描かれた人びとには、共有した過去がある。寄宿制の学園で多感な子ども時代を過ごした若い男女、彼らの生活を支えた保護的・指導的立場にあった女性たち。教え子たちの方には「生き方」を規定されているという悲劇があり、それは現代社会が向き合っている科学と倫理の問題にも抵触する。小説のなかで完結している小宇宙は、現代社会とは似て非なる社会の一部となっているが、実はその外に広がる全体はほとんど書かれていない。
 1人ひとりの喜びを大切に表現するとき、この小説は「大きな小説」と呼ばれるようになることを静かに拒んだのだろう。作家は、大きな小説や大きなSFならば背後にのぞかせておくべき「大きな宇宙」にはカーテンをかけてしまった。つまり、ヘールシャムという名の小宇宙である学園周辺の外に広がる「社会」、構造や制度、そこを支配する価値観について書く筆を留めてしまっている。
 もしかすると第二次世界大戦の戦勝国が違っていたらヘールシャムは
現行の社会により近しいものだったのかもしれない。大きな宇宙をもう少し書き込んでいけば、小説世界は読者をそのような想像へと運んでしまうのだろう。「大きな小説」を選択しなかった本作は、個人の内面に深く沿うことの方を尊重し、それにより読者とのあいだに閃光のような触れあいを期したのだろうか。

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紙の本

想像を絶する真実がひたひたと心に迫る

2006/12/09 19:20

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

読み終わった後に、しみじみと表紙を見ました。
読んでいる最中はなにかの機械の一部かと思っていましたが、
よくよく見るとそれはカセットテープでした。
不思議なことに、それまでに何度も表紙は目にしているはずなのに、
私にはカセットテープには見えなかったです。
この小説の重要なシーンで登場するカセットテープでした。

介護人として提供者と呼ばれる人を世話しているキャッシー、
そして提供者のルースやトミー。
今でこそ介護人と提供者という間柄だが、
彼らはかつては一緒の施設で育った仲間同士だった。
その施設の名前はへールシャム。
「いかに幸せだったかをしみじみ噛みしめました」
キャッシーはルースやトミーとへールシャムの思い出を語り合いながら、そう思う。
私にとって印象的だったのは、キャッシーが施設でなくしてしまった大切なカセットテープを、
トミーとキャッシーの二人がある中古品のお店で探し出す場面。 あるはずもないと思っていたのに、偶然にもそのテープを見つけるキャッシー。
「それなのか」
「そう、これがそう」
トミーは「君のために嬉しいよ。ただ、おれが見つけたかった」と少し残念がる。
そして「けど、買ってやることはできる」と言葉を続ける。
「買ってくれてありがとう、トミー。
わたしの感謝は同じよ。
あなたが探そうと言ってくれたから見つかったんだもの」
キャッシーですら忘れていたカセットテープの存在を
トミーが覚えていた。
そこが心に響いた。
   施設を出た仲間達を待ち受ける境遇、
そしてそもそもヘールシャムとはどういう存在なのか、
キャッシーの回想で、信じられない、想像を絶する真実が
語られる。
しかし、その語り口が実に淡々としていて、
その真実がひたひたと心に迫ってくる感じが
どうしようもなく辛かった。
しかしその辛い気持ちを抱えながらも、表紙のカセットテープを見ると、
なぜかしら心が温かくなる。
心と心を繋ぐもの、カセットテープに秘められたあらゆる想いが
湧き上がってくるからだろうか。
読み終わった今、キャッシーと共に強い風に吹かれながら、
最後の最後まで笑わせてくれたトミーのことを強く思わずにはいられませんでした。
凄い小説です。

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紙の本

私達が見ない振りをしているいくつかのこと

2008/05/23 23:09

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:さあちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 もし私が提供を受ける側にいるとしたらキャシー達のことを気にかけるだろうか?そんなことがふと心に浮かんだ。
 キャシーは優秀な介護人。提供者と呼ばれる人々の介護をしている。そんな彼女が産まれ育ったのは全寮制の施設ヘールシャム。そこは奇妙な場所だった。保護管と呼ばれる教師達により管理され部外者が訪れることはほとんどない。そして健康に異常に気を遣い授業は芸術活動に力が注がれる。親友であるルースとトミーも一緒に育った仲間だ。彼等が共に過ごした懐かしい日々の思い出がキャシーにより語られると共にヘールシャムの真実の姿が明かされていく。
 ヘールシャムで育った人々の未来は一つしかない。例外はない。その未来に向かって生きると言うこと。その姿は痛々しい。しかしキャシー達はその未来に疑問を持つこともない。嘆くこともない。ただ淡々と生きているように思える。その中で大事にしているのがヘールシャムで過ごした思い出だ。大事な大事な思い出。そうキャシーが持っているのはヘールシャムで過ごした仲間との思いでのみ。他には何もないのだ。仲間達が家族であり友達であり恋人であり人生のすべて。他には誰も彼女の存在すら知らない。抱きしめる人も抱きしめられる人もいない。そんな仲間とも別れなくてはならないという孤独。だからこそ彼女はその記憶を抱きしめるように大切にしているのだろう。空想することさえ許されない世界でただ一つ慈しむことができる物が愛する人との記憶なのだ。
 この物語の世界はいずれ私達が迎えるかもしれない世界だ。けっして空想ではないと思う。いや私達が知らないだけで現実におこっているのかもしれない。医学の発達によって昔は治療が不可能と思われていた病気も治る時代になってきた。自分や愛する人が病に倒れたときもし治療可能であればどんなことをしてでも治して欲しいと願うのは当たり前だろう。しかしその影でどんなことが行われているか知ったときに命と引換にしてそれを拒めるだろうか?
 この世界は私達の知らない色々な犠牲で成り立っていてそして私達はそれらを直視できずにいるのではないだろうか。そんなことを感じた。
 

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紙の本

文学の力と可能性

2008/04/27 18:24

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

本作については、すでに多くの賛辞が世上にある。また、巻末には柴田元幸氏の、やはり絶賛といってよい「解説」が付されてもいる。ちらりとインターネットをのぞけば、「静謐な…」「SF仕掛け…」「カズオ・イシグロの最高傑作…」といった言及がすぐにあがってくる。それでもなお、本作の核心は、やはり本作の中にしかない。仮に、それなりに大がかりといってよい「ネタ」を、読書前に知ってしまったとしても、やはり読書以前に思い描くイメージでは、この作品の核心にはふれたことにすらならないだろう。『わたしを離さないで』は、単なる謎解きを中心に据えた小説なのではなく、謎解きを表面的なプロットに据えながら、もう少し、いわくいいがたい本質的な何かを核心に抱え込んだ、深みのある小説なのである。もちろん、その本質的な何かを、容易に言葉にすることはできない。「人間性」ともいえようし、「愛」と呼ぶべきかもしれず、あるいは「倫理」、あるいは「悲しみ」…、そうした言葉でさしあたり表現されていることごとを本作に見いだすことはさして難しくはないのだが、しかし読書経験がもたらす、この小さな、しかし深みのある、そして止まらない心のふるえは、それと適切に指し示す言葉が見当たらず、だからカズオ・イシグロは小説を書いたのだし、そこにこそ『わたしを離さないで』のかけがえのない魅力と価値がある。本書は、現代小説にはめずらしく、複雑かつていねいに無数の「ひだ」が織り込まれた繊細この上ないつくりをしていて、だから、読む時にはぜいたくに時間をかけ、ゆっくりと読み進めていく必要がある。もちろん、自然体でのぞめば、その文体が、本書の核心にたどりつくための最良の導き手として、読者を誘ってくれるだろう。その誘いに体も心もあずけて時を経るならば、そこでいつの間にか手渡される本書の核心に、文学の力と可能性を思わないわけにはいかず、「マスターピース」という言葉がこの世に必要な理由も明らかになる。

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紙の本

なんていうか、ミステリやSFの手法を使ってはいるんですが、それが少しもらしくないんです。そしてなにより人間の業(ごう)を感じさせます。深く静かに淡々と。こんな様子の傑作には滅多にお目にかかれません

2006/07/02 21:28

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

得意の「いきなり脱線」ですが、石黒賢一郎という洋画家がいます。1967年生まれですから、画家としては中堅というよりは若手に分類される写実派の一人です。彼の作品はHPで見ることが出来ますが、ガチガチの写実、一歩間違えば「写真みたい」という声が聞こえてきそうなものです。
同じ世代でも、既に画集の出ている諏訪敦は、自ら写実派という枠に嵌められることに反発し、対象となる人間なり都市の歴史までをも描き出そうとしています。諏訪の物語性に対し、石黒は即物性で自らの存在を語っているといえるかもしれません。
で、私が画家のイシグロの作品に出会ったのが1994年の最初の個展のとき。で、ほぼ同じ頃、図書館の書棚で見かけたのがカズオ・イシグロの名前でした。で、私が抱いた印象は「イカガワシイ」。全部カタカナ表記の日本人名というのが、胡散臭い。それ以来、彼抜きの読書生活を過ごしてきたわけです。
で、『わたしを離さないで』になりますが、文中にも出てくるカセットを描いた装画は民野宏之。その柔らかなタッチは現代美術家として有名な小林孝宣を思わせます。その絵にタイトル、原題、著者名などを絶妙に配して端正にまとめた装幀は、坂川栄治+田中久子(坂川事務所)。
私の手にした本の奥付を見ますと4月30日初版発行で、5月25日には再版しています。これって凄いことじゃないか、こういう小説を評価できる読者がいるなんて、ハリポツ、セカチュー、バカカベ、ダヴィコーで愚かさを見せていた日本の読書界も捨てたもんじゃあないぞ、そう思いました。
カバーの文章を引用しましょう。
「自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設へールシャムの仲間も提供者だ。トモに青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーを愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に・・・・・・。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく
英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』に比肩されると評されたイシグロ文学の最高到達点。」
解説に柴田元幸の言葉があるので、一部を写しておきます。
「と、まずは漠然とした言い方で賞賛したあとは、内容をもう少し具体的に述べるのが解説の常道だろう。だがこの作品の場合、それは避けたい。なぜならこの小説は、ごく控え目に言ってもものすごく変わった小説であり、作品世界を成り立たせている要素一つひとつを、読者が自分で発見すべきだと思うからだ。」
「その達成度において、個人的には、現時点でのイシグロの最高傑作だと思う。」
「この稀有な作品が、『日の名残り』の名訳者・土屋政雄氏によって訳されたことは大変悦ばしい。」
これ以上内容に触れることはやめましょう。読み終わったときの、それこそため息をつきたくなるような思いは、涙を流すことができれば感動=名作、といった今流行りのメガヒット作品からは絶対に生まれてこないものです。
最後にハヤカワに一言。カバーの紹介の最後に「代表作『日の名残り』に比肩されると評されたイシグロ文学の最高到達点。」とあります。「比肩される」なら、「最高到達点」ではなく「凌ぐ」「越える」と書くべきでしょう。或は「比すべき傑作」なら分かります。勿論、私の評価は 最高傑作。
ちなみに、石黒賢一郎の現時点での最高傑作は、彼のHPのGALLERY 2001〜4に出ている最後の CONTADOR(P10)です。

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紙の本

この無慈悲な世界の中で、実を結んだのは何だったのか?

2006/11/19 20:20

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つな - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1990年代末のイギリス。
 十一歳だったキャシー・Hは、ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』に収められた「わたしを離さないで」を飽くことなく聴く。「ネバーレットミーゴー・・・・・・オー、ベイビー、ベイビー・・・・・・わたしを離さないで・・・・・・」。彼女が思い浮かべるイメージは、一人の女性。子供に恵まれなかったのに、奇跡的に授かった赤ちゃんを胸に抱きしめ歌うのだ・・・。勿論、ここで言う歌詞の「ベイビー」は、赤ちゃんを指すベイビーではない。しかしながら、キャシーにとっては、母親と赤ちゃんの曲だったのだ。
 三十一歳となった「介護人」のキャシー・Hは、「介護人」としての生活と、彼女が過ごした子供時代を語る。彼女が子供時代を過ごしたのは、ヘールシャムという施設。
 癇癪持ちだけれど、明るい気質を隠そうともしないトミー、いつも思わせぶりながら、多大な影響力を持つルース、他の子供たち・・・。厳格なエミリ先生、率直なルーシー先生、子供たちにとって少々不気味な存在でもあった「マダム」。教えるべきことをきっちりと押さえた丁寧な授業。異様に力を入れられる、「創造的な」図画工作の時間。詩作・・・。繰り返されたトミーへの苛め。毎週の健康診断。外部から遮断され、入念に保護された生活。一風変わった寄宿舎生活にも見える、この施設での生活の秘密が徐々に明かされる・・・。そして、ヘールシャムからの巣立ち。彼女たちは十六歳でこの施設から巣立つ。
 抑制の利いた筆致は最後まで崩れる事がないけれど、ここで語られ、やがて立ち上がってくるのは驚愕としか言いようがない世界。この世界の中で、ヘールシャムの子供たちはどう生きたのか? そして、その他の施設からやって来た「子供たち」の間にも根強かった、ある噂。噂は果たして真実なのか?
 抑制の利いた筆致は、しかし残酷で無慈悲な世界をきっちりと暴き出す。知りたがり屋のキャシーとトミー、それに反して信じたがり屋だったルース・・・。人にとって「最善」とは何なのか?
 面白くて読むのが止められなくなる本は、そう多くはないけれど、まぁ、それなりに数はある。しかしこれは、切実な意味で、読むのが止められなくなる本。抑制された筆致ながら、胸に迫り繰る切迫感は凄まじい。小説というものの威力を感じる一冊。

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紙の本

「予想外」の感動

2006/08/24 23:38

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ヒロクマ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 すごい小説を読んでしまった。参りました。
 そもそもこの作品を読んだきっかけは、1通のメールからだった。
 それはある友人からの久しぶりの便りだった。そのメールにはこの本について、こう書かれていた。
「どんな内容なのかというと…いうと…。これ、簡単な説明ですら、ある意味ネタバレになってしまうので言及できません。強いて言えば、『静かな、人間関係のはなし』です。書評を見てから読んだのですが、本当はまっさらな、全く作品に関する予備知識を持たないままで読みたかった。というわけでヒロクマさん、もし書店でこの本を手に取ったならば、裏表紙や帯に書いてある粗筋には一切目をくれずに、いきなり読み出すのが吉であります。」
 彼は本や映画については一家言持っている人物である。その彼がわざわざメールでここまで書いて送ってくるのだから、読まずにはいられないではないか!早速メールをもらった翌日、書店でこの本を買い、読み始めた。
 期待以上の読後感だった。何と表現していいのだろう?今風に言えば「予想外」の感動だ。確かにこれは内容について書くわけにはいかない。もちろんある程度予備知識を持って読み始めても、この作品のすばらしさが削がれることはない。でもやはり何の先入観も持たずに読めば、感動はより深まるだろう。
 あえて抽象的にこの本を語るなら、人間の感情と倫理と命に関わる話というべきか。
 最初から最後まで抑制の効いた静かな文体で語られる。始めのうちは何についての話か分からないかもしれない。大きな事件が起こるわけではない。だが物語の根底には非常に大きな問題が深く流れている。それは21世紀の我々が今まさに直面しようとしている問題と言える。
 しかし、読みにくい話ではない。ここで語られる物語は、ほとんどの人に共感を持って受け入れられるものだろう。だからこそ、物語の核心が見えたとき、切なさと感動がじわじわと押し寄せてくる。
 そう、この物語は号泣するようなものではない。砂にしみ込む雨のように、しっとりと確実に心のひだを埋めていくのだ。

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紙の本

クローン人間たちの葛藤物語に、人間らしい真摯な生き方を教わる

2023/08/26 18:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る

哺乳類体細胞から世界初のクローン(複製)羊ドリーが誕生したのは1997年。残念ながら六歳のドリーは病気で安楽死させられたが、倫理上の問題をクリアすれば、次はヒトのクローンだと話題になったのを覚えている。

クローン人間は既に「スターウォーズ」などのSF映画にわんさか登場し、珍しくはなかった。純文学作家のカズオ・イシグロが、三部構成の本作で1990年代末のイギリスを舞台に、第一部第7章で登場人物たちの「将来の重大事」が「臓器提供」だと明かす作品に手を染めたことが驚きだった。

キャリア十ニ年目で現在31歳の介護人キャシー・Hと名乗る女性が、ふた昔前を回顧し「ヘールシャム」での思い出を語る。冒頭から謎に満ちた言葉「提供者」「回復センター」「保護官」「ヘールシャム」「販売会」「交換会」「展示館」などが飛び交い、ただならぬ雰囲気を漂わせる。

子供時代には、甘酸っぱい思い出や思わず赤面したくなる出来事の一つや二つは、誰にでもある筈だ。仲良しのルース、ハナ、ローラたちと少女時代を過ごした施設「ヘールシャム」では「毎週のように健康診断」が実施された。ヘマをして仲間の嫌がらせを受けていた癇癪もちの男の子トミーも同学年の一人だ。

創作活動が奨励され、生徒が自作の絵や彫刻、焼き物、詩などを出品すれば、特典の交換切符で他生徒の展示物が買えたり、出品数が互いの評価に繋がる施設の様子はどうにも異様だ。「保護官」と呼ばれる先生方の生徒を恐れ、何か隠し事を苦にする様子が奇妙に映る。

「教わっているようで、実は教わっていない」実態を憂えたルーシー先生は、生徒たちの「無益な空想」を戒め、「決定済み」の将来の使命と真剣に向き合うように訴える。「あなた方に老年はありません」「みっともない人生にしない」で、と。

思春期から青年期に入り、卒業して「コテージ」に移ったキャシーとルースとトミーの関係も大きく変化する。「複製された存在」を自覚し、「親」に当たる「ポシブル」を探し、「前進し、成長し、ヘールシャムを乗り越えようと懸命に努力していた」ルース。タイトルさえうろ覚えの紛失テープを「イギリスのロストコーナー」ノーフォークで探し出そうとしてくれたトミー。

再会した親友二人との永遠の別離。「提供者」の生の証たる記憶という「宝物」を抱えて、Never Let Me Go. 耳朶にあの歌声が響くキャシーは短い人生でも勤めを果たすべく歩みを止めない。臓器提供して死ぬ役割のクローン(複製)人間たちの葛藤の物語から、真摯に生きるとはどういうことかを学び得た気がする。

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2006/12/07 00:35

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2007/03/13 22:16

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2006/07/16 22:37

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2006/07/05 18:58

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