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商品説明
本当になんにもしない女だった。炊事、洗濯、掃除はおろか、こちらが注意しないと、三日も風呂に入らないほどだった—。甘く、ときに苦く哀しい、“日本の美しい女たち”11人の物語。女の生態と男の心理をリアルに描く、著者会心のイレブン・ストーリーズ。【「BOOK」データベースの商品解説】
ルーズな女、がらっぱちな女、気前のいい女。甘く、時に苦く哀しい、美しい女たち…。「どしゃぶりの女」「自己破産の女」など、11人のショートストーリーを収めた短篇集。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
どしゃぶりの女 | 7-25 | |
---|---|---|
公衆電話の女 | 27-46 | |
自己破産の女 | 47-66 |
著者紹介
吉田 修一
- 略歴
- 〈吉田修一〉1968年長崎市生まれ。法政大学経営学部卒業。97年「最後の息子」で文學界新人賞を受賞し、作家デビュー。「パレード」で山本周五郎賞、「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞。
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紙の本
この作品集について居酒屋で女の子と語り合えたら楽しいだろう。それが12番目の物語となるであろうから・・・
2006/05/18 00:18
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『本当になんにもしない女だった。炊事、洗濯、掃除はおろか、こちらが注意しないと、三日も風呂に入らないほどだった。(本文より引用)』
「野生時代」に掲載された11本の短編を単行本化したもの。
吉田さんの特徴である都会に住む男女の機微を巧みに描いたショートストーリー。
“都会の今”を切り取って描かせたらこの人の右に出るものはいないだろう。
あまりにもリアルであって、ついそこの居酒屋やアパートで同じ光景が現在進行形で行われているような気がする。
どの短編にも個性的な女とちょっとだらしない男が登場する。
だらしない男は各編に共通していてまるで作者の分身のようでもある。
ジャンル的には一応恋愛小説ということになるであろうか。
ただし、他のどの作家の描く恋愛小説とも一線を画する。
通常、恋愛小説って言えば女性読者がターゲットとなって書かれている部分が多い
純愛系、幻想系、辛辣系、露骨系さまざまなジャンルがある。
本作は上記のどれにも当てはまらず常識を覆している。
男女どちらが読んでも同じぐらい楽しめる作品である。
私は敢えて“現実系”というジャンルを設定したいなと思う。
お洒落な短編集だが、どの男達もまるで古いアルバムから取り出すように過去を語っているように見受けられる。
まるで後ろめたさと懐かしさを噛み締めるようにして・・・
各編とも女性と距離を近づけることによって知ったこと。
それが語り手となっている男性側の想い出となっている。
作者は恋愛を達観しているのだろうか?
私はそういう疑念にとらわれながら読み進めていった。
このさめた視点はデザート感覚で読書出来た場合、すこぶる心地よいであろう。
もう少し美化してもいいような気もするが、そこが吉田さんの持ち味なんだな。
男性作家が描くと女性のしたたかさも可愛く思えるから不思議なものである。
吉田さんの男性主人公ってご多分に漏れずナイーブな人が多い。
本作においてもしかり。
個人的には中学の時の想い出を語る「最初の妻」がいちばんひねりも効いていてかつ切なく心に残ったかな。
でも本来はそういう読み方をすべき作品集ではないと思ったりする。
1編1編を味わうのじゃなくて、11編を読み終えて何かを感じ取る作品集だと思ったりする。
それでなければ物足りなく感じても仕方ないかもしれない。
最後まで読み終えて全体を思い返してみた。
やはり魅惑的な女性たちに賛辞を贈っているような気がしてならない。
11人の美しい女たちに。
まるで“女に男が必要な以上に男には女が必要である”と語っているかのようだ。
結局、吉田さんは何を言いたかったのか?
少し考えてみたいと思う。
まずタイトルの『女たちは二度遊ぶ』、お洒落で意味深なネーミング。
これはやはり11人の登場人物(女性です)に敬意を払った言葉であると解釈したい。
ひとつの結論として男性読者が読めば“女性の可愛さを再認識出来る”し、女性読者が読めば“男性の前で今まで以上に可愛く演じることが出来る”作品である。
少し余談であるが、11回なんでちょうど連ドラにどうかなと思うのは私だけであろうか?
毎回、旬の女優入れ替わりでやれば高視聴率間違いなし。
主演はイケメン男優“よっしゅう”さんに決定かな(笑)
現実になったりして・・・
活字中毒日記
紙の本
僕にとって、二作目の吉田修一、なかなか満足しました。
2009/09/05 21:58
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉田修一は、『悪人』を読んだことがある。『悪人』はなかなかよかった。それは「構造」によるのかもしれない、と今回思った。
この本はパラパラめくってみて、一つ一つが短かったので、読んでみた。
通して読んでみた感想だが、最後の二つ、「十一番目の女」と「ゴシップ雑誌を読む女」以外は、いいとは思えなかった。
最後の二つ以外の作品は、あまりにも通俗的で、かといって、短編として緊張感があるわけでもなく、かといって言葉のセンスを感じられるわけでもない。「そういえば、この作家は山本周五郎賞をとっているな」と、ふと思った。
ただ、「十一番目の女」はいい、と思った。それまでは、凡庸な一人称なのだが、この小説では、「彼」と呼ばれる男の客観的な視点で話が始まる。そして、様々な人の行動が一つの点に収束していく。思えば、『悪人』も凝った構造の物語だった。殺人事件の真相というものが最初は分からないで、物語の後半で明らかになっていく、という構造だった。「十一番目の女」も構造として似ている。サスペンスの効果で読者を前へ、前へ引っ張ることに両作品は成功している、と思う。
「ゴシップ雑誌を読む女」は一人称の話。一人称であることは「十一番目の女」以外のそれまでの話と同様なのだが、これは少し趣が違う。それまでの作品は主人公の男が、大学生や無職で、やりたいことも特になく、女をひっかけたり、という話が多かったのだが、この話では、主題は、「女」ではなく、主人公の男に移っている。「やりたいととがあるなら、やりなさいよ」と主人公はこの話の「女」に言われる。しかし主人公にやりたいことなどない。しかし主人公は最後に嘘をつく。それまでの話が女を引き立てるための男の主人公という感じだったのが、主人公の男自身が物語の主題だ、と思わせる。
途中までは、「通俗的な、あまりにも通俗的な」と思っていたけど、最後の二つの短編でなかなか満足させられた短編集だった。
今、購入して読むなら、文庫版をおすすめする。