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商品説明
中国革命に一身を捧げ、孫文に最も信頼された日本人・宮崎滔天は、豪傑ではなくデリケートな「知」の人だった…。渡辺京二における根本問題と、滔天の「落花」の人生が響きあう名評伝。〔初版:大和書房 1976年刊〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
渡辺 京二
- 略歴
- 〈渡辺京二〉1930年生まれ。「北一輝」で毎日出版文化賞、「逝きし世の面影」で和辻哲郎文化賞受賞。ほかの著書に「江戸という幻景」「渡辺京二評論集成」など。
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紙の本
アジア革命に命をかけて、忘れ去られた男。
2008/11/25 06:16
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
辛亥革命の孫文を支援し、信頼された男、として宮崎滔天は一般に評価されている。
こう読むと革命に命を掛けた大陸浪人の大親分という印象を受けるが、この評伝を読んでみると実のところロマンチストで茫洋とした人であったことがわかった。
もともと、宮崎滔天という人物の名前を知ったのは随分前に通った中国語会話の講師の話からだった。孫文の辛亥革命支援に関しては宮崎滔天だけではなく、犬養毅、頭山満、内田良平など、多くの日本人が関係している。そのなかで、宮崎滔天の存在がクローズアップされるのは、滔天の兄である宮崎弥蔵が中国革命に滔天を誘い、このことから宮崎滔天が孫文と知り合い、孫文を犬養毅、頭山満、内田良平につないだからである。
四民平等無我自由を標榜してアジア革命から世界革命に宮崎滔天の気持ちは邁進するのだが、自身も認めている女性のような心の持ち主の滔天は酒におぼれ、理想から遠のく心と身を病んでいく。領主のような存在の肥後熊本の郷士の家に生まれ、幼い頃から裕福な生活をし、末子として育てられたからだろうか。しかしながら、その両親の教育方針は国士として厳格な教育を施し、父の長蔵は被差別部落民である農民に農地を貸し与えて耕作させ、他の農民との差別を許さなかった。
その革命家の滔天は浪曲師として全国を公演することになるが、その当時において浪曲師という職業は賎民のする仕事であり、士としての教育を受けた滔天にとって屈辱のなにものでもなかった。周囲の猛反対を受けながら、あえて浪曲師になったのは社会の底辺に生きている人々の暮らしを実感するためだった。金銭を自分の手に乗せること、他人様に頭を下げることなどを知らずに育った人間が、金銭のために浪曲師になることなど正気ではない。
猛反対のなかで、宮崎滔天の浪曲師デビューに反対しなかったのは頭山満ただ一人だが、頭山自身も藩士という身分であったものの、薪売り、炭作りに励んだだけに滔天の気持ちが良く理解できたのではと思う。
朝鮮と日本とが合邦することに邁進した内田良平、孫文とともに中国革命に進んだ宮崎滔天、彼らが目指したのはアジアを蚕食するイギリス帝国主義の放逐であったが、その理想追求を日本政府の一部の人間、軍閥によって粉砕されたのは残念でしかたない。
一握りの人間の欲望のためにアジアの平和がかき乱され、無用な戦いが繰り広げられ、それがいまだに続いている現状を見て、宮崎滔天はどのように思うだろうか。
宮崎滔天は晩年、大本教から大宇宙教へと傾倒していった。大本教の「世の建て直し」というキャッチフレーズがアジア革命の前に果たさなければならなかった日本の大正維新に重なって見えたのかしれない。
ちなみに、辛亥革命の前にフィリッピン独立運動の資金、武器援助を画策した英雄として中村弥六がデータに残っていたりするが、実のところこの独立革命資金、武器代金を横領した人物である。これも、人間の欲望のなれの果てなのか。