紙の本
ひらかれた先駆的なオタク分析
2011/01/07 00:57
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
巻末に解説を書いている東浩紀によれば,この本は先駆的なオタク分析だという. マンガやアニメだけでなく,オタクへのインタビューやアウトサイダー・アーティストのヘンリー・ダーガーの紹介など,さまざまな内容をふくんでいる. ヘンリー・ダーガーをとりあげているのは彼をオタク文化の先駆者ととらえているからだ. 東も書いているように,この本は,こうしたさまざまな十分には整理されていない内容をふくんでいるがゆえに読者に対してさまざまな可能性をひらいていて,おもしろいということができる.
紙の本
オタクにもいろいろいるぞ。
2021/01/21 09:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雨宮司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の斉藤環はひきこもりの先駆的な専門家らしい。ラカンの精神分析に立脚して、日本のアニメ文化とオタクの関係性を読み解こうとしている。ヘンリー・ダーガーを持ち出すのは理解できる(おそらくは普遍性を主張したかったのだろう)のだが、日本のアニメの百花繚乱ぶりに較べると、やはり文化土壌が違うのかと思わざるをえない。マニアの方々の目配りには及ばないかもしれないが、戦闘美少女の系譜は労作。理論武装をせよとは言わないまでも、少なくともあれだけの作品群が存在するということは肝に銘じておいてほしい。私は楽しめたが、世界の事件とのリンクも必要な面があったのではないかと思う。
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060526購入/おたくの性的な面を重点的に分析してるのは珍しいかも。特に海外戦闘美少女事情がおもろかった。
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直視に耐えない!
オタク論は凡庸かつ冗長。ダーガーを導入するのはいいが、その手法も文体もコリン・ウィルソンの物まね。「戦闘少女」という概念を媒介してオタク・ひきこもり・アウトサイダーアートをブリッジするアイディアは良いが、奇をてらいすぎていて手段が目的化しているように思える。
そもそも何を目指した本なのだろうか?
これは大田出版の刊行したものを筑摩書房が文庫化したものだけれど、筑摩書房のカラーにあってないような。筑摩書房の読者としては騙された気分。
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表紙でわかるように、アニメなどに登場した戦う美少女たちの分析です。著者が自分でも言っていますが、かなり個人的趣味に走っていて分析が偏っており、そこがこの本の面白さなのですが、売ってしまいました。
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2000年に読んだので、オタク文化に精神分析の鋭いメスを入れる、っていうより、戦闘美少女の系譜を辿る、っていう印象ぐらいしか残ってない。読み返そう。
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むずかしいーーー。
斎藤環さん・・・きっと頭がよろしいんでしょうね。。。
面白かったですけど。
あと表紙がやたら好き。笑
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本人は、「萌え」もわからない、おたくとしてのメンタリティを持っていない人だそうです。
………。
嘘つけ(爆)
きっかけは、ヘンリー・ダーガーとかいっていますが、多分、セーラームーンあたりが気になっていたのではないかと。それで、ダーガーを知って「おー、芸術!」てな感じで、やっと、安心して語り出せたのではないかと。
この人って、今の地位や信頼をうしないたくない、そういう隠れおたくな感じがします。
ダーガーの話は、それなりに熱がはいっていておもしろいです。だから、ダーガーが好きなのは、多分、本当のことなのだと思います。が、それ以外の作品分析は、けっこう、いい加減だぞ。
まず、いろいろな人の説や考えをもってくるのですが、自分の感性に近くないものは、バッサリ感情で切り捨てています(笑)そのときのセリフが、
「わたしの専門的な経験からいえば……」
「わたしの感じた印象からいえば……」
みたいな感じの切り方です。
オイオイ、きみの感性は、そこまでシャープなのか(笑)
あと、解説でもつっこまれていますが、戦闘美少女を「日本的なもの」と位置づけながら、その存在を精神分析的に定義するというのは、あきらかに矛盾しています。
でも、「謎本」とか、「空想科学」たいな見方よりは、好きな見方ではあります。
戦闘美少女を語ることが、「自分語り」になっていくようなスタンスになってくれば、楽しいかも。
なにかを語りたいと思うとき、「好き」でも、「嫌い」でも、その対象になんらかの思いをこめているはずで、自分で選択して語りはじめた時点で、対象に対して冷静でなんかいられません。
だから、熱く語った、熱い文章が読みたいですね。
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戦闘美少女についてセクシュアリティという視点で考察している。
後半は難解なところだらけでほとんど理解できなかった。
精神分析の予備知識があったら少しは理解できたかもしれないが。自分は本書の言葉の意味(特にカタカナ語)からわからず、辞書を片手に苦労した。
自分としては、オタクの特性について新たに分かったところがあったので、苦労して読んでよかった。
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既読、売約済み。
半分以上がヘンリー・ダーガーの話で、正直あまり「戦うヒロイン」について言及する必要はなかったんじゃないかなあと思う。
ただ、二次創作を行う理由づけとしての「その対象を所有するため」というのと「虚像としてのヒロインに、自分の要求を詰め込むことで完成するヒロイン像」は何となく納得できた部分だった。
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日本アニメによく登場する「戦う少女」について、分析した本。
もともと欧米からきたイメージだろうと思っていたので、"欧米には「戦うヒロイン」はいても「戦う少女」はいない"という記述にハッとしました。
どうやら、魔法で何でもできるファンシーな魔法少女の系列から、より具体性をもつ戦うキャラクターへと派生してきたもののようです。
魔法少女は、日本独特の流れだと思いますが、そもそも『魔法使いサリー』はアメリカンホームドラマ『奥様は魔女』にヒントを得て制作されたというのは驚きでした。
全く関連性を感じませんが。そして、日本に取り込まれる段階で、主婦から少女に若年化しているのが、日本の特徴だそうです。
自分が子供のころは、戦う少女たちを「かっこいいな」「男の子キャラに負けてないな」と思って、単純に応援する気持ちで見ていましたが、男性はまたかなり違う目線でとらえていたことを知りました。
この本はとても深遠で哲学的で、ここまで論述化されることに驚きを感じます。
単純に言えば、日本の男性は、日本の戦う少女たちキャラクターに「けなげさ」「か弱さ」「いじらしさ」を見て愛好しているとのこと。
逆に、そうした需要の文脈は欧米圏にはほとんど見られない、日本独特の嗜好だそうです。
「戦う少女」といったら、つい少女が活躍する宮崎駿作品を連想しますが、彼の作品の中で、本格的な戦闘美少女ヒロインは、ナウシカともののけ姫のサンしかいないとのこと。
確かに、誰もが的にひるまない強い精神を持ってはいますが、実際に武器を取って戦っているわけではありません。
それでもナウシカやサンは、男性に頼らない独立的な存在がとても特徴的だと思います。
ヘンリー・ダーガーの作品分析に文字数を割き、広範なアニメ知識の上にラカン派精神分析やベルクソン、シニフィアン論を展開させており、どれほどまでに広がっていく論文なのかと思いますが、明確な結論には至らず、風呂敷を広げすぎて雑然とした印象が残ります。
「戦闘美少女の出現は、ヒステリーの症状が虚構空間において鏡像的に反転したもの」と言われても、まったくピンとこずに、首をひねるばかりでした。
さまざまなアニメが紹介され、著者の見方、とらえ方がわかったのはおもしろく感じましたが、タイトルにうたわれた「精神分析」本と見るにはどうかという感想。
今のアニメ全盛期以前に出版された本なので、こうした事象が問われる黎明期の書としての価値を見るべきものだと思います。
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2009/11/4(〜p105),5(〜p233),6(〜p366終)
「生き延びる為のラカン」著者である斉藤環しの1冊。
「生き延びる~」の中でも何度かこの本が紹介されており、すこ~し気になったので読んでみました。
これは大変おもしろかったというか、アニメ分類においての説明のところでは「おおおお」となるところがあって楽しめた。
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う〜ん、私には議論が高度すぎて結構読み飛ばしてしまいましたが・・・
象徴界とか想像界の違いがよく分からないよ〜
オタクに関する一般的な知識を得ることが出来たのはよかったかな。
たとえば、「やおい」がヤマなし・オチなし・イミなしを意味しているのは知らなかった。笑
考えてみれば、今でこそオタクは社会的認知度が高いけれど、この本の初版が出版された当時っていうのは
まだまだオタクは影のマジョリティであったと思うんですよね。その意味でやっぱりこの本は先駆けであったの
かしら。
読んでいてなるほどと思ったのは、欧米では、極端に言えば性器などセクシュアリティを象徴するようなイメージは
排斥されるが、日本ではその点ではかなり寛容であるという点。始めは逆なのではと思ったけれど、言われてみればそうかもと納得してしまいました。
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タイトルに惹かれて読んでみたけど。微妙。。。
まず、戦う女性に関しては2パターンに分けられる。
外国のアニメやストーリーに出てくる戦う女性は、過去になにかしらの
トラウマ等を持ち、戦う理由(EX.ナウシカに出てくるクシャナ)。
それに対し、戦闘美少女達(EX.ナウシカ)は戦う理由が不十分。ナウシカの場合、なぜあそこまで王蟲を愛するのか、谷で姫様と愛されて育ったはずの彼女の戦闘スキルがなぜあそこまで完成されているのか等々。
逆にその傷つけられない、空虚な存在であることこそが、虚構である物語(アニメ)の世界で絶対の存在となり、物語(アニメ)としてのリアリティを増長する。そして、それがオタクたちの。。。
といった感じで逆説に逆説がつながっていき、、、
とても読みにくかった。ところどころ面白い文章もあったけど。
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戦闘美少女に「あの日」はあるのか
その辺りのことは書いてなかった
戦闘美少女に「あの日」がないのだとすれば
惣流・アスカ・ラングレーは戦闘美少女失格である
式波さんのほうはどうであろうか
「Q」予告編のあの有り様を見るに、
ふつうの女の子が戦闘美少女になるための代償は
相当大きいものなのかもしれない
ううん