紙の本
饗宴というだけあってエロスを題材にしている
2003/04/24 21:26
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投稿者:風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
プラトニックラブの語源はそもそもプラトン的愛であることは
多くの人が知っている。
しかし、元々の意味は純愛などではなく同性愛のことを
プラトンは指していた。
かくのごとき、対話の世界が紀元前から既に存在させるとは
やはり有名であるだけはある。
ソクラテスなどのことも知りたいならば『パイドン』の併読をオススメする。
興味のある方は勿論、作家志望者や教養を身につけたいと思われている方は
これが紀元前5世紀に書かれた話であるということを踏まえた上で
奇を衒ったような素晴らしい世界をご賞味あれ。
紙の本
プラトニックラブの語源??
2001/08/15 23:28
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投稿者:クラリス - この投稿者のレビュー一覧を見る
云わずと知れた哲学者プラトン(プラトーン)。大学で哲学、社会学、心理学等々専攻すると、必ず一度は出会う本。しかし、読んだヒトは何人いるのだろうか?まあ、少し興味を持ってもらうためには、一つエピソードを…。
原始のヒトは男女の区別がなかったのだとさ(アンドロギュヌス)。ところがヒトは罪を犯して、怒った神様が真っ二つにしたのだとさ。そして、その時以来、ヒトには男女の区別が出来たとさ。ところがヒトは、原始のヒトの姿を懐かしみ、一つに戻ろうとして、男女が合体するように愛し合うようになったとさ。つまり、男女の性愛は、ヒトが原始の姿に戻ろうとする行為であり、性愛とは二つに分かれたヒトを本来の姿に還元する行為であるとさ(何とすばらしい解釈…)。
やはり、偉大な哲学者は考えることが違う。でも、ヒトは罪を許されず、一つになれずに彷徨うのか?
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古代ギリシャ式しゃっくりの
止め方は参考になりました。
いや、愛について、ソクラテスへの尊敬の念が熱く語られている名著なんだけどさ(^_^;)
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愛とはいったい何なのか?この永遠のテーマについて語られています。愛について悩んでいる人、説得力のある発言と言うのはいかなるものなのか勉強したい人、全ての人に勧めたい名著。
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プラトンの作品の中でも特に文学的な作品と言われているだけある。
話の持っていき方やアルキビアデスの登場などは戯曲的な臨場感に満ちており、ぐいぐいと作品の世界に引き込まれた。
『饗宴』は、悲劇詩人アガトーンの入賞を祝う酒席で、
五人の仲間たちが愛の神エロースを讃美する即席演説を試みた、
というのをソクラテスの付添いでその場にいたアリストデモスが話す報告形式の作品。
演説の順番は、
パイドロス→パウサニアース→エリュクシマコス→
アリストパネス→アガトーン→ソクラテス。
パイドロスは権威主義的に、
パウサニアースは相対主義的に、
エリュクシマコスは自然哲学的にエロースについて説く。
アリストパネースの話は純粋に物語のようで面白かった!
かなり要約すると、昔、人間は男・女・両性の3種類に分かれていた。
それらは二つの頭に4つずつの手足を持っていたが、神に謀反を働いたために半分にされてしまい今の男と女になった。
ゆえに現在の私たちは昔の片割れを求める気持ちから、男もしくは女を求めるのだ云々。
五人目の最後アガトーンは飾り立てた美辞麗句でエロースを讃美するが、直後にソクラテスの短い問答相手をさせられ否定される。
この否定っぷりが痛快!
ソクラテス自身は、ディオティーマという女性を引き出して、かつて彼女がソクラテスに教えたエロースについて話す。
そしてソクラテスが演説を終えた途端にアルキビアデスが登場するが、ここからが更に愉快!
エリュクシマコスが彼にも「エロース」を讃美する演説を進めるが、ソクラテスの前で彼以外を讃美なんてできない!と、「ソクラテス」を讃美し始める。
アルキビアデスの話から、ソクラテスが日常生活でどのように愛を実践していたかが垣間見える。
訳者である森進一の解説も丁寧で興味深かった。
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万物の初め、カオス生まれる。次に生まれるのは愛の神。
調和とは響和であり、響和とは一種の同和である。
対立の状態にあって、同和しようとしないものを調和に導くことはできない。
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(2013.08.09読了)(2004.10.30購入)
以前一度、岩波文庫版の「饗宴」を読んだのですが、よく分かりませんでした。
2013年7月のEテレ「100分de名著」で「饗宴」が取り上げられ、そのテキストを読んだついでにもう一度トライすることにして、今回は、新潮文庫版を選びました。
新潮文庫版の方が、岩波文庫版よりわかりやすかったように思います。
食事をとりながら、集まった人たちが、順にエロース(愛の神)を讃美するということです。
最後にソークラテースが述べるのですが、ソークラテースが自分の考えを述べているわけではなく、ディオティーマという女性から聞いた話を述べています。
その話は、エロースの讃美というよりは、人生の目的は、という話になってしまっているようです。「愛こそはすべて」なのかもしれません。
【見出し】
アポロドーロス、アガトーンの家で行われた饗宴に関し、聞きおよんだ次第を語る。
以下の全編は、アリストデーモスより聞いた話を、アポロドーロスが伝えたもの。ま
ず、アリストデーモスが、偶然ソークラテースに出逢い、饗宴におもむいた次第を。
エリュクシマコスが、愛の神の讃美を、饗宴の主題として提案した次第を。
パイドロスの話
パウサニアースの話
エリュクシマコスの話
アリストパネースの話
アガトーンの話
ソークラテース意見を述ぶ
ソークラテース、アガトーンと語る
ソークラテースの話
酩酊のアルキビアデース登場
アルキビアデース、ソークラテースを讃美す
注解
解説 森進一
●本来の姿(54頁)
昔の僕たちが、完全なる全体をなしていたからなのだ。そして、その完全なる全体への欲求、その追求こそ、愛という名がさずけられているのです。
●身に欠いているもの(72頁)
欲求するものはいつだって必ず、それが身に欠いているものを欲求するのではないかね? いや、言いかえれば、身に欠いていない場合には、欲求もしないのではないのかね?
●愛の神(エロース)(82頁)
愛の神は、策知の神ポロス、貧窮の女神ペニアーの間に生まれた息子であります
●幸福(86頁)
「善きものを自分のものにした人は、いったい何を手に入れることになるのか」
「その人は、幸福になりましょう」
●愛(89頁)
愛とは、善きものが、永久にわが身のものになることを、目的としているのです
●名誉(95頁)
名誉にかられた人びとときては、名誉を得るためなら、わが子のためにするにもまさって、ありとあらゆる危険を冒すこともいとわないし、財貨の浪費も、また、いかなる労苦も、あるいはそのために命を失うことも、いとわぬ、というありさまです。
●魂に宿る美(99頁)
魂に宿る美は、肉体に宿る美よりも尊いものと考えねばなりません
☆関連図書(既読)
「ソクラテスの弁明・クリトン」プラトン著・久保勉訳、岩波文庫、1927.07.03
「饗宴」プラトン著・久保勉訳、岩波文庫、1952.10.05
「ソクラテス」田中美知太郎著、岩波新書、1957.01.17
「プラトン『饗宴』」納富信留著、NHK出版、2013.07.01
(2013年8月10日・記)
内容紹介 amazon
なぜ、男は女を求め、女は男を求めるのか? 愛とは、いったい何なのか? 悲劇詩人アガトーンの第一位入賞を祝う酒席で、五人の仲間たちが愛の神エロースを讃美する即席演説を試みた。男女の肉体的な愛に始まり、最後は真打ち格のソークラテースによる美のイデアとしての愛に終る本書は、およそ考えうる限りの愛の姿を論じてプラトニック・ラヴの出典ともなった永遠の名著である。
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全く哲学は不勉強なのですがいきなりのトライ。愛とは、対象への向かい方によって美しくも醜くもなる、と。なるほど。
人物同士のやりとりや駆け引きもあり、物語としてもおもしろく読めました。今も昔も、男のひとは議論が好きだなあ。
なぜディオティーマのような架空の人物が出てくるのだろうと思ったのですが、賢いひとは常に自分の意見を別の立場から批判したり問答したりするそうなので、ソークラテースも頭の中でもう一人の自分と対話をしながら論を構築しているのかもしれない、と思いました。解釈の難しい部分もたくさんあったので、別訳でも読んでみたい。
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バッハオーフェンさんの「母権制」にマンティネイア出身のディオティーマという女性がソクラテスに語ったというお話しが出てきていたので読んでみた。
愛の神エロースは鬼神ダイモーンで、不死の神でもなく、死すべき人でもないその中間にある者。
知者は知を持っているから知を求めず、無知なる者は知を持っていないこともわからないから知を求めない。知者と無知者との中間にある者こそが知を求める。
ありゃりゃ~なんかここでも真ん中50ですね。
Mahalo
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ここ1年くらいプラトン対話篇を読んだり、読み直したりしている。
というなかで、なぜか順番が後の方になってしまったが、有名な「饗宴」を30年ぶりにくらいに読み直してみた。
おー、こういう話しだったのか!
アリストパーネスの「昔、人間は、球形で、男男、男女、女女が組合わさったものだったが、神が2つにわけた。それで、人間は切り分けられた分身を探して、愛するのだ」という有名な話し以外は完璧に忘れていた。
ソクラテスの語る「プロセスとしての愛」「傷みを伴う愛」「一定の方法論をもって修習すべき愛」みたいな概念は、個人的にはすごく響いた。ここには、固定的なイデア論ではなくて、理想を探求していくプロセスと心のマスタリーが重要ということ。
が、個人的に今回読んで一番衝撃であったのは、ソクラテスのスピーチのあとで、泥酔して会場に乱入してくるアルキビアーデスだ。この人の酔っぱらいながらも語る赤裸裸なソクラテスへの愛は、なんだか痛々しい。ソクラテスの語る愛の話しとシンクロしつつも、大きな違和感を物語に投じている。
あと、今回読んで驚いたのは、この饗宴を構成する入れ子状態の間接話法というか、伝聞の伝聞みたいな話しの構造だ。複雑、かつ劇的な構成と何重にも張り巡らされた伏線と隠喩。さまざまな読みが可能な感じがする。
やはりプラトンの対話篇のなかの白眉ということなんだろうなー。
と言いつつ、パラパラと流し読みしてしまったので、まだまだ十分に読み込めていない感じがするので、自分側の満足度としては★を一つさげて、4つにしておく。
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倉橋由美子「シュンポシオン」に誘われて長く書棚に眠っていたこの本に.
エロースの賛美を饗宴の 参加者が順におこなって行く趣向.まあどうでもいい話.最後に真打ちのソクラテスが出てきて美のイデアを語る.イデア論なんて聞いたのは高校の倫理社会以来か.そこにアルキビアデースという人物が酩酊して現れ,ソクラテスを賛美して終わる.
ろくな感想はないので以下雑談.
⚫︎この歳になって美のイデアと言われても困るなぁ.乾いた魂には憧れも起こらない.
⚫︎饗宴にはもっと身のある話題,あるいはバカバカしい話題を選ぶのがふさわしいのではないのかな.昔の人は真面目だったんだな.酒の席の話題が哲学だよ.
⚫︎解説を読むとギリシャ哲学とかは未来がないなぁ.あまりに過去の蓄積が大きすぎてなにか新しいことができるような気がしない.神経質な感じの訳注も,ご苦労様という感じ.
⚫︎読んでいて,そ、そ、ソクラテスかプラトンか,という昔の歌を思い出して苦笑いすることしきり.申し訳ない.
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宴会に集まった人々が、愛の神・エロースについて語りあったという設定のお話。
哲学的な議論から、愛の本質へ迫る内容ですが、今一つピンときませんでした。
あと、読んでいる途中で気づいたのですが、「少年愛」が前提となっているので、そこはどうにも理解ができませんでした。
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20190812
ソクラテスが出てくるプラトンの著作で、饗宴の中で愛=エロースについて語る作品。およそBC380年の著作。
設定は、饗宴に呼ばれたメンバーで酒を交わしながらエロースについて持論を展開する。アガートン達の一般メンバーは愛とは完璧なるもので、求めてしかるべきものと説くが、一方のソクラテスは、愛とは美しいものと醜いものの中間地点にあるものであり、中間であるがゆえにそれを求め、永遠に取り込みたい・得たいと思うものなのだと説いて説得する。
ソクラテスの議論方法がやはり面白い。相手の語った前提を一つ一つ繰り返しながら、矛盾を指摘し自分の議論に導いていく。弁論法の参考になる。
また、愛とはという今も昔も普遍なテーマをここまで掘り下げている点に知恵を感じた。どういう性質を持っているか、それに対して人はどう思うかといった観察眼と議論方法は今も参考にしたい。
//MEMO//
欧米諸国の哲学の基礎を作ったプラトン。
プラトンは国家のあるべき姿を解くといった、その時代の政治学者でもあったものだが、本書は愛というテーマで書いている。人間が昔から変わらない男女の営みについて、ヨーロッパ的な考え方や古代の人の考え方を学び、現代と比較して理解を深めたい。
・エロースの神
カオス、大地の次に愛が生まれた
・天上的な愛
徳
・地上的な愛
身体、金銭
天上的と地上的な愛の両面を節度を持って享受する
エロース=愛の美しさ→善美なるもの全ての原因となる
ソクラテスの弁明=以下の定義には反対
・愛は何かを対象とする
・愛はかけているものを対象とする
愛とは中間値にあるもの。(美しいものと美しくないもの)
愛とは、美しいものを、永久に、自分の中に取り込みたいと思うもの
不死なるものへの欲求
肉体的、精神的に善なるものを愛すること
物質ではなく、行為や行われ方に善美を感じる考え方
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プラトーン『饗宴』
再読。紀元前416年、アガトーンの悲劇コンクールの第一回優勝記念祝賀会で、6人が愛の神(エロース)を讃えるという内容である。
1. パイドロースは、エロースがカオスのつぎに生まれた最も古い神であり、もっとも高い誉れをもち、人間を徳と幸福の所有者にみちびくという。
2. パウサニアースは、エロースがアフロディーテ(美)と切り離しがたいといい、アフロディーテには二種あるという。天(ウラーノス)を父とする天上的な美と、地上的な美がある。地上の愛には非難があるが、徳をめざす愛が天上の女神に属する愛だという。
3.エリュクシマコスは医者だが、「身体のエロティカ(欲求現象)に関し、欲求を満たすべきか、満たさずに置くべきかを取り扱うもの」が医学だといい、「熱と冷、乾と湿などが相互の関係において、たまたま節度ある愛に触れ、調和、すなわち節度の保たれた混合をえる場合には、人間および他の動植物の上に繁栄健康をたずさえて君臨」するといい、「愛の神は最大の力を持ち、われわれに人間に幸福の一切を与え、……神々とも交わり、親しき友ともなりうるよう、計ってくれる」ものであるとする。また、アスクレーピオス(医術の神)やヘーラクレイトス(自然哲学者)の説として、熱と冷など相反するもの中に愛と調和を生ずる技が医学であるという。この点は中国医学にもみられる点である。
4.アリストパネースは、ソークラテースを風刺した『雲』という喜劇を書いた人物だが、『饗宴』では有名な「人間の完全体」の話をする。太古、人間は(現在の人間の)二人で一体であり、男男・女女・男女(両性具有)の三種類がいたが、ゼウスが傲慢をとがめて、半身に裂いたという。そして、むかしの半身をもとめるのが愛であるという。人間がこれ以上傲慢になれば一本足にされるともいう。大航海時代には一本足の人間というのがでてくるが、ここが出典かもしれない。
5.アガトーンは饗宴が行われた邸の主人で、悲劇のコンクールで優勝した詩人だが、「エロースが現れるまでは……アナンケー(必然)の神が支配していたため、いまわしいことのかずかず」が生まれたといい、「エロースが生まれるや、美しいものへの愛に導かれ、善いことの限りが、神々の間にも人間の間にも生まれた」とする。
6.ソークラテースは五人の讃美が美辞麗句にすぎず、真実を語らねばならないという。エロースが美や善をもっている神なら、それ以上、美や善をもとめないから、エロースは美や善をもつものではなく、「自分に欠けているものを対象にする」といい、ディオティーマ(おそらく架空)の女から聞いた「愛の奥義」の話をする。これによると、エロースはポロス(策知の神)とペニアー(貧窮の神)の子であり、神ではなくダイモーン(鬼神)で、神と人間の中間者、知と無知の中間者であるという。そして、「愛の奥義」は「出産」にあるという。これは死すべき人間が永遠につながる唯一の手段であり、「出産」には子供を生み育てることも、知恵や作品を生み出すこともふくまれる。
愛が中間のものであり、神と人、人と人の間をつなぐ渇望であるというのは、キリスト教の天使ににていると思う。
このように6人が語���終えたあと、よっぱらったアルキピアデスがやってくる。アルキピアデスは、ハンサムで頭がよく、金持ちで武勲もあったが、アテナイを敗北に導いた作戦の立案者で、スパルタにねがえった売国奴でもあり、道徳的には破綻していたが、へんな魅力があった。アルキピアデスはソークラテースの知性を讃美するのだが、「哲学者のもつ狂気」も知っていて、「この人のそばで、じっと坐ったまま、年をとったりしてはたいへん」だから「耳をふさぎ、この人から逃げ去る」のだという。「知を愛する」ことを愛せない、とても人間くさいひとである。ちなみに、このアルキピアデスと親しかったからソークラテースは告発されるんである。
最後は、開け放ちだった扉から酔っ払いが大勢乱入してきておしまいである。
愛は美へのベクトルであり、人にもあるし、宇宙全体にもある。そういう力のようなものかと思う。
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文学作品として味わうには素養が足りなかったが、心に響いたフレーズを一つ引用しておきたい。
「美しくないものを、ただちに醜い、とするとか、善でないものを、ただちに悪、とするとか、強引なことをしてはなりません」
0と1の間には無限のバリエーションがある。美を語る場合も例外ではないのだ。