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商品説明
アタシ生きていなくていい? 電話の向こうでエミはそう言った。眠ったようなおだやかな声だった…。異なる2人の少女そして1人の元少女の記録。地の漂流者が書き下ろす、あらたなる都市の伝説。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
藤原 新也
- 略歴
- 〈藤原新也〉1944年福岡県生まれ。東京芸術大学油絵科中退。木村伊兵衛写真賞、毎日芸術賞などを受賞。著書に「インド放浪」「千年少女」「花音女」など。
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紙の本
ここに一人の大人がいる
2006/06/23 14:47
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一気に読んでしまった。藤原新也さんが、等身大で少女たちと関わり合う。全く同年のオヤジとして、大丈夫かいなぁと思ったが、藤原さん自身の恥じらいも透けて見えて、それでもカメラを手に一歩踏み出す。実際にファインダーを覗かなくとも、著者自身が大きなカメラになっている。
ノンフィクションライター、エッセイスト、作家、カメラマンなど、何らかの冠をつけるのに迷ってしまい、藤原さんは冠なしの藤原新也でいいのではないか、でも、僕の心の中では理想のブロガーの一人と位置づけている。ホームページのShinya Talkは時として、僕を動揺させるようなベタな感動を与えることがある。
勿論、ブロガーシンヤなんて呼ぶと怒られるでしょう。しかし、学者、評論家の人たちのブログに啓発されることがあるが、身体ごと僕を動揺させることがない、本書を読んで感じることでもあるのですが、藤原さんは人と関わり合うときは賭金を払って当事者となるのだろうなぁと、でも、カメラを手放さない、藤原さんのテリトリー、被写体のテリトリーが交合する。レンズは藤原さんの言葉で、コミュニケーションのツールなのだ。
この本に登場する少女たちは、この本を飛び出して今現在も悩み生きている、身近にいる、そんな実感がある。藤原さんのブログにリアリティがあるという言い方はヘンかもしれないが、『渋谷』にはそのようなリアリティがある。運動性と言ってもいい、本書はブログに書かれたものが単行本になったわけでなく、あくまで、書き下ろしの作品ですが、どうしてもShinya Talkと地続きのものを感じる。
それは文体が今までの著者のものより一段とドライブ感があることからくるのかも知れない。一歩外れれば説教になりやすい、言葉が藤原節に聞こえても説教節にならないのは、安全地帯でもの申す他罰の構造とは無縁のところにある品性の人であるからであろう。自分を高見において自分たちに都合の良い若者論を垂れ流しにする未熟な大人たちとは無縁の人である。
あとがきにこんなことが書いてありましたね。電車の中の出来事なんですが、シートで著者を間に挟んで酔っぱらいが手を伸ばし隣の女の子の太股に触ったのですが、知り合いかと思ったら全くの赤の他人で女の子は怒って別の車両に去ったのですが、普通ならここで、終わりなのに、著者はいきなり立ち上がって、酔っぱらいにパンチを浴びせた。酔っぱらいも応酬し騒ぎが大きくなる。
そしてとうとう警察に一泊となるわけですが、あの優しい目が、怒りの光彩を放つ時は人の尊厳というか、そういうものが目の前で汚されたら、とても我慢が出来ない人なんでしょうね。自分自身を含めて尊厳が汚されたら反射的に身体が反応する。
それを掛け替えのない「流通仕切れない残余」としての「いのち」と命名してもいいが、存在は法に先行するもんだと、本書は少女たちの振る舞いを通して痛く語ってくれる。
社会の底が抜けた地点でモラルを語る大人が少なくなりましたが、藤原さんはそのような大人ですね、更新すべきものとして社会がある。そのような眼差しを共有出来れば、個々の特異点を保持しながら自他の壁は溶解出来る。そんな大文字めいたことも考えましたが、勿論、本書はそのような読解を要請してはいない、それぞれが、それぞれに楽しんで読める敷居の低い本に仕上がっています。
歩行と記憶