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紙の本
「関係の空気」「場の空気」 (講談社現代新書)
著者 冷泉 彰彦 (著)
日本社会では「空気」がすべてを支配し、その「空気」に対して、ひとりひとりは無力である。日本語の特性と現在の日本語に注目しながら空気との問題を解き明かし、コミュニケーション...
「関係の空気」「場の空気」 (講談社現代新書)
「関係の空気」「場の空気」
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商品説明
日本社会では「空気」がすべてを支配し、その「空気」に対して、ひとりひとりは無力である。日本語の特性と現在の日本語に注目しながら空気との問題を解き明かし、コミュニケーションツールとしての可能性を探る。【「TRC MARC」の商品解説】
なぜ上司と部下は話が通じないのか。キレる若者・息苦しい教室・無意味な会議・くだらない標語・リストラと自殺・女性の雇用と少子化問題・女子アナ人気・小泉劇場……、「なんか変だ」。
なぜ上司と部下は話が通じないのか
キレる若者・息苦しい教室・無意味な会議・くだらない標語・リストラと自殺・女性の雇用と少子化問題・女子アナ人気・小泉劇場……、「なんか変だ」
村上龍氏推薦!!
「日本語は、日本社会を映す鏡であり、駆動させる燃料でもある。NY在住の著者は『空気』というキーワードで『流通する日本語』を正確に検証している」
「空気」がすべてを決めていく……国際関係、少子化、高齢化、若年層の雇用、教育、財政赤字、消費税率、年金……。論点のそれぞれは深刻なのに、激しい対立もなければ現実的な妥協もない、それでいて何となく何かが決まっていく、あるいは先送りされていく、それが日本社会のようだ。そこでは「空気」がすべてを支配しているといってもよいだろう。論理や事実ではなく、「空気」が意思決定の主役になり、またその「空気」が風向きの変化によってよく変わるのだ。(中略)「空気」が支配しているのは、一国レベルの「世論」だけではない。個々の企業における「社内世論」や、学校のクラスにおける「先生ムカツク」とか「○○ちゃんウザい」というようなものも「空気」に他ならず、それぞれの小社会であたかも絶対権力を握っているかのようである。そして、この「空気」に対して、日本人の一人一人は無力である。「何ごともその場の空気によって決まる、というのは良いことではない。だが、その場の空気が濃くなればそれに対抗するのは難しいし何よりも損だろう」そんな感覚が日本の社会の隅々までを満たしている。――<「はじめに」より>【商品解説】
目次
- 第1章 関係の空気
- 第2章 日本語の窒息
- 第3章 場の空気~『「空気」の研究』から三十年
- 第4章 空気のメカニズムと日本語
- 第5章 日本語をどう使うか
著者紹介
冷泉 彰彦
- 略歴
- 〈冷泉彰彦〉1959年東京都生まれ。コロンビア大学大学院修了(修士、日本語教授法)。米国ニュージャージー州立ラトガース大学講師。プリンストン日本語学校高等部主任。著書に「トロイの木馬」ほか。
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紙の本
「山本学」の発展的継承
2006/07/08 11:20
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GAWA - この投稿者のレビュー一覧を見る
約三十年前、山本七平氏は「空気」を「発見」した。(「『空気』の研究」)
山本氏の盟友であった小室直樹氏は、これを日本社会を分析するための重要な社会学の専門用語としてpneuma「ニューマ」と呼ぶことを提起し、自身も日本社会の分析に駆使している。(たとえば「日本の『一九八四年』」など)
しかし、小室氏以外にこの「空気」概念を駆使して日本社会の分析を試みたのは、本書が初めてではないかと思う。
著者の冷泉氏は、自身がサラリーマン時代に体験したことや海外で日本語教師として日本語を教えた経験をもとに、「空気」概念を「関係の空気」と「場の空気」に発展させた。
「空気」に深く関与しているのは日本語であり、日本語には一対一の私的な「関係」においてコミュニケーション上の利点がある一方で、3人以上の公的な「場」においては正確な意思の伝達の障害となる面があるということをそれぞれ「関係の空気」「場の空気」という概念に整理している。
そして「関係の空気」「場の空気」という概念を駆使することで、現在の日本を覆うさまざまな社会問題について問題の本質を明らかにし、その対応策まで提言している。
個々の論点について、異論反論疑問等もたれる方があるかも知れないが、本書を通じて「山本学」の更なる発展があることを期待したい。
紙の本
日本語が足りない日本
2008/01/14 21:26
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今は「空気」の全盛期ではないだろうか。
2006年6月に発売された本書の帯の後ろには、「空気が全てを決めていく」
と書かれている。昨今の「KY」という言葉の凄まじいまでの広がりを
見ると、この日本では「空気が全てを決める」ことが、極点にまで達しつつ
あるのではないかと感じる。その社会を著者は、「日本語が窒息した」
社会だと喝破している。
毎年、流行語大賞があるような国は世界でも稀だという。
簡単で便利な言葉が作られては吐き捨てられ、その移り変わりに着いて
いけない人間は「KY」と言われて除け者にされる。相互理解を
深める道具であるはずの言葉が、欠乏し、窒息してしまっている。
その指摘は私たちの日常にも当たり前のように現前する。
日々飛び交う言葉を咀嚼できなかったり、複雑な状況を前にして
言葉が出てこないことは、しょっちゅうだ。
そんな日々では本当に呼吸だって浅くなっているに違いない。
不図した弾みで窒息したっておかしくない。
本書における著者の仮説はこうだ。
3人以上の場における空気のことを「場の空気」、1対1の会話における
空気を「関係の空気」と呼んで区別し、大雑把に「場の空気」が問題で
あって、「関係の空気」はむしろ必要なものとの前提に立っている。
どちらにも必要なものは、対等にコミュニケーションするための言葉で、
そのためには「です、ます」調で日本語をきちんと語り、敬語を使う
ことが重要だと説いている。
「です、ます」調や敬語は、ともすれば目上の人間や力の強いものの
支配をより強めてしまう印象があるが、実はそうではなく、立場の異なる
ものが、感情をむき出しにせずに対等に話すための話法なのだと著者は
主張する。そして最近頻繁に利用される、「だ、である」調と「です、
ます」調を会話において巧みに使い分ける「コードスイッチ話法」は
権力者や多数派にのみ許された話法で「下から上へ」は通じない言葉
なのだという。
これらの主張は、日本に住む人々が相互理解を深める上で、真に具体的で
実行可能なものだと思う。権力者やマジョリティが空気を利用して大衆を
扇動する裏では、少数派の人間がどこかで窒息している。空気にはなかなか
抗いがたい。しかし、空気が全てを決める世の中は、もろく、危うい。
空気を読み取る言葉を身に付け、空気に流されない言葉を獲得するのは、
至難の業だ。だが、窒息しそうな場の空気を、「です、ます」調の
穏やかで質感のある日本語が、ゆっくりと場を満たしていく光景を、
私は想像できる。空気の全盛期に必要なのは、そんな日本語だと思う。