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戦後大復興を遂げた1950年代のアメリカ社会において、これまでの経済学の通説に真っ向から疑問を呈し、現代資本主義の在り方に異議を唱え衝撃を与えた経済学者ガルブレイスの古典的名著。
生産性向上によるゆたかさを価値として追求された経済理論が直面したのは、現在における不平等、貧困、環境問題、格差社会という深刻な問題だった。
まさに、これからの日本と世界を考えるうえで、秀逸。
ガルブレイスの問題提起に対する答えをうやむやにしてはならないと感じた、時代のギャップを感じさせない古くて非常に新しい一冊。
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6章の平等の章だけ。格差はそもそも悪いものなのか?最近はそんな論争も薄れつつあるとのこと。懐疑的な視点をカバーしている。
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最初の出版は1958年。本書では生産量を経済の中心とする現代の経済学のあり方そのものを19世紀的な価値観に縛られた通念であると批判し、現代の消費は過剰生産によって依存的に生み出されたものなのだと指摘する。普段僕らが感じるあれが欲しい、これが欲しいという欲望は決して自分自身から生まれたものではなく、広告によって刷り込まれたものだという構造は現代でも全く変わっていないと思う。後半で触れられる新しい階級に対しては楽観的に肯定しているが、今も全員が望んだ仕事に就けるわけではないことを考えると悲劇的でもある。
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1958年に初版が、1969年に第二版が出ている。
50年経過して、ガルブレイスの説が、現実のものになった。
不平等、貧困の新しい地位が、アメリカの深刻な現実になった。
ゆたかな社会の曲がり角が、2008年の特徴だろう。
ガルブレイスを呼んでいた人たちが、判断を誤ったのはなぜだろう。
理論を軽んじたのだろうか、歴史から学ばなかったのだろうか、
現実に押されてしまったのだろうか。
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[ 内容 ]
「ゆたかさ」の増大と普及は何をもたらしたか。
現代資本主義の特質を明らかにした古典的名著の最終改訂版である本書では、インフレ論について第四版を大幅に修正した。
他方では、今回もマネタリズムの金融政策、環境問題、軍事支出などを批判的に考察し、政治的保守主義台頭の必然性を解明している。
二〇〇六年に九七歳で逝去した著者の代表作である。
[ 目次 ]
ゆたかな社会
通念というもの
経済学と絶望の伝統
不安な安心
アメリカの思潮
マルクス主義の暗影
不平等
経済的保障
生産の優位
消費需要の至上性
依存効果
生産における既得利益
集金人の到来
インフレーション
貨幣的幻想
生産と価格安定
社会的バランスの理論
投資のバランス
転換
生産と保障との分離
バランスの回復
貧困の地位
労働、余暇、新しい階級
安全保障と生存について
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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訳:鈴木哲太郎、原書名:THE AFFLUENT SOCIETY,New Edition(Galbraith,John Kenneth)
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知りたいこと
知りたい感覚
知りたい情報
感じたい次の考え
読み終えたあと何を考える私なのか
私自身のすべてを託している一冊です
今日アマゾンから届けていただきました
勉強の合間に読みます
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需要を所与としそれを充足するための生産という前提は大昔に崩壊していて、ゆたかな社会においては、欲望を満足させる過程が同時に欲望をつくりだしている。その積極的な例が生産者による宣伝や販売術である。
という内容の9-11章あたりが読みたくて読んだ。経済史的な章も多いのでその辺は飛ばしてもいいかと。
たまにパワーフレーズが出て来るのが好き。
11章
「近代企業の戦術においては、ある製品の製造費よりもその需要をつくり出すための費用の方が重要である。このようなことはすべていい古されたことであって、どんな三流大学の経営学部のいちばん成績の悪い学生にとっても初歩的な知識である。」
1章
「自己を誤解したゆたかな世界にとっての諸問題(この本の分析の対象)は深刻で、ゆたかさ自体を脅かすことにもなりかねないが、貧困な世界(文脈的にアフリカやアジアの貧しい地域)にあっては、差し迫った貧困があるというだけのことからして、誤解などというぜいたくなことはある筈がないが、同時に何の解決策もある筈がないからである。」
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ゆたかな社会では、プライベート(私)はどんどん豊かになる一方で、パブリック(公)への投資はどんどん遅れていく。豊かになった現代への警鐘の書。
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現代の経済学や社会における常識(通念)によって阻害されている、公共部門への投資、とりわけ教育への投資、ここがゆたかな社会に向かうための方法であると説いているように理解をした。
公共部門においては民間と違い投資することが奨励されにくい環境があるが、公私のバランスが欠いている場合、治安の悪化や環境などの問題につながっていく。
私の部門の状況は限界効用がどんどん逓減されており、宣伝術がないと欲望が発生しない状況がほとんどであることから、ゼロと位置付けている。それはある意味それほどまで極端な貧困はマイノリティになっていることを意味している。ここが19世紀との違いということ。
つまりは今は生産を行うことの過程において、同時に需要を無理やりつくり出している状態であるとのこと。過度な生産信仰の状態であり、すべてがその業績によってはかられていることに疑問を呈している。
そのような状態の中でアメリカにおいて貧困が存在していることが問題ということ。
経済学に求められることがまた初期のころのように広く社会の問題を取り扱う「政治経済学」に求められているのでは、ということを読んでいて感じた。過去においてはそれがマジョリティであったがゆえに、緊要性高く求められ、今はマジョリティであるからこそ、より問題は深刻であることを言っているような気がしている。
ここで不平等などの観点を取り込んだ理解をしなければいけないが、そこまでは理解が及んでいない。
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主流派経済学は、その起源からして貧困が当たり前の社会を前提としているのにその前提が変わったことを受け入れず理論武装に終始している。。という著者の憤り、もどかしさが伝わってくる
ゆたかな社会における貧困とその解決策、新たな階級、有名な依存効果など、現実に軸足を置いた「反主流派」本
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経済学の古典。
経済学を知らない人からすると、歴史を含めて学べる。
大半の人が貧しく衣食住さえ満足に得られなかった過去と比べて、余暇など衣食住以上のことに時間を費やすことができるようになったアメリカのゆたかな社会の構造や問題を解説している。
個人的に印象に残っているのは「限界効用逓減の法則」。この効用の対象は財貨だけでなく通貨も含む。つまり通貨でさえ効用が低減する。しかし、それによってまた別のものの効用が相対的に高まる。
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ガルブレイスの代表作ですが、読み応え十二分でした。「陰気な学問」と呼ばれる経済学、なぜそう呼ばれるかと言えば、リカード、マルサスに代表されるように、社会の困窮、貧困、モノの欠乏をいかに解決するかに経済学が取り組んできたからです。経済学の伝統的な関心は生産、不平等、経済保障の3つですが、そのなかでも「生産」が最重要トピックになります。なぜなら生産が増大すれば、不平等問題も覆い隠されますし、雇用と所得が生まれることで経済保障問題も解決するからです。
しかしここでガルブレイスは主流派経済学者に「目を覚ませ」というわけです。現代社会(20世紀アメリカ)を見ると物は豊かであふれている。いやむしろ不必要なもの(使用価値がゼロ、実質的な効用がゼロのもの)を生産し、過剰な広告宣伝を通じて販売している状況下において、経済学は依然として「生産極大化」「生産性の向上」から抜け出せていないと批判します。そして消費の良し悪しについてはあえて議論を避けてきたところに経済学の限界があると指摘します。またアメリカは「ゆたか」ではあるけれども非常に歪んでいる、それはあまりに貧素な公共サービス(ガタガタの道路など)と不必要なものまで生み出す民間サービスというアンバランスさを伴っているからです。
このような警鐘を鳴らすわけですが、それでも「生産」は雇用=所得を生み出すという意味で、経済保障と密接につながっていることは間違いありません。ですから生産は「やめたくてもやめられない」(ハムスターがいつまでもグルグル回し続ける回り車)ものであることには違いなく、そこでガルブレイスは現代的に言えばベーシックインカム的な案を提出するわけです。これは生産と経済保障のリンクを断ち切ればよい、つまりハムスターは回り車を回さなくても餌にありつけるんだということです。
足元の世界経済を見ると、リーマンショック後の「長期停滞の時代(ローレンス・サマーズ)」が、コロナ禍でダメを押された形になっています。GDP(生産)は落ち込み、まさにガルブレイスが述べているように、これまで高生産水準によって覆われていた不平等問題が姿を現し、さらに経済保障問題も浮上しているわけです。そして多くの主流派経済学者は「生産を増やせ!」と相変わらず叫びつつけているわけですが、「生産」は大いなる逆風に遭遇していると思います。そもそも国連が提唱するSDGsを実現したいのであれば、「生産極大化」理論は自然環境を制約条件にしなければならず、そうしたとたん、最適解は「生産を減らせ」となるからです。経済学は、ガルブレイスが主張するように、生産ではなく分配、あるいは支出に主眼を置く学問に転身しなければならないと本書を読んで強く感じました。