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「街的」ということ お好み焼き屋は街の学校だ (講談社現代新書)
著者 江 弘毅 (著)
情報に踊らされ消費するだけでは、ごきげんな時間は得られない。街とメディアの現場に身を置き、関西のオトナの街的文化を常にリードしてきた街の雑誌『ミーツ』前編集長が綴る、京阪...
「街的」ということ お好み焼き屋は街の学校だ (講談社現代新書)
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商品説明
情報に踊らされ消費するだけでは、ごきげんな時間は得られない。街とメディアの現場に身を置き、関西のオトナの街的文化を常にリードしてきた街の雑誌『ミーツ』前編集長が綴る、京阪神街場のたのしみとは?【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
江 弘毅
- 略歴
- 〈江弘毅〉1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部園芸農学科卒業。京阪神エルマガジン社退社後、編集集団(株)140Bを設立。著書に「岸和田だんじり祭だんじり若頭日記」など。
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イナカでもトーキョーでもない、「街的」な街は情報化され得ない生き物なのです。
2006/09/03 23:29
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間が言語を生んだのではなくて、言語が人間を生んだのでしょうか、人間とは関係性であって、言語は書き言葉、話言葉にとどまらず、メタファーとしての個々具体的な風景も言語であろう。
本書で作者の言う「街的」は分節され得ない、その中で生きてみせる、“そのことで立ち上がる”、カタログ化、情報誌的記号に発信出来得ないものなのだろう。
あとがきで、内田樹は「街的」とは江さん自身の「生活原理」であると言う。始めに言葉ありき、そう「街的」があるのです。そのフレーム、規矩を生きる。でも、それは抽象的なものではない、日々の実践を通じて具体的に立ち上がるものである。内田さんは九鬼周造の『「いき」の構造』の「いき」にもっとも近い概念として「街的」をあげているが、概念化され得ないものとして「街的」を措定している。
と、こんな風に書くと、えらい難しい哲学書かいなぁ…と思われるかもしれない、確かに巻末にある内田樹の『「街的」の構造』から読み始めるとそう感ずるかもしれない。ジャック・ラカンを持ち出しているんですもの、でも、それは内田先生特有のアクロバッティックな物言いなので、ゆめゆめ、あとがきから読む知的冒険はしない方が良いと思います。まっとうに頭から素直に読むことをお薦めします。
何かバターナリズム的な言い方ですが、良い店をみつけるには、まず“先輩”を見つけることだと作者は言う。真似ることでしか街を知ることが出来ない。だから、ちょいと僕もそのような言い方を真似てみたのです。
情報誌的カテゴリーから逸脱した記号で言い表せない“何か”は授業料を払って街を学ぶしかない。街でも店舗でも簡単に消費され得るものは、スクラップ&ビルドの繰り返し、「街の記憶」は抹消される。そうでなくて常に消費され得ない残余が、それは多分、気配であろうが、その街そのもの、その街角、その商店街のある店が周りの風景とともに立ち上がってくる匂い、そのリアルな質感が「街的」ということではないか、
本書でアメリカ村が誕生した経緯は日限萬理子さんの一つの小さなカフェ『ループ』の波紋から街が徐々に形をなしていった生き物めいたもので行政が指導したわけではない。
丁度、柴崎友香の『その街の今は』(新潮社)がもうじき発売されますが、僕は雑誌『新潮』で読んでおり、ミナミ周辺の街の記憶が、今とリンクして見事に描かれいるのです。本書を読んで江さんの「街的」はもう一つわかりにくかったですが、この小説のことを思い出したら、具体的に「街的」がイメージされましたね、
江さんは雑誌『ミーツ』の前編集長ですが、4,5年前、僕が東京から大阪に引っ越ししてこちらの本屋さんを覗いて驚いたのは、『ミーツ』という雑誌でした。どこの本屋さんでも平積み、面陳されており、新刊だけでなくバックもフェア的陳列がなされている。 何んだ、この雑誌は、たかが情報誌ではないか、つまんねぇとめくったら、何か微妙に違う、その街の記憶が立ち上がる気配があるのです。江さんは『岸和田だんじり祭だんじり若頭日記』を書いている人で今年編集長を辞めて、退社、140Bという編集集団を立ち上げたばかりなのですが、本格的に「街的」に拘って「街的」に生きるのでしょうか。
歩行と記憶