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飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信...
飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
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商品説明
孤独なジョニー、弱虫のウーリ、読書家ゼバスティアン、正義感の強いマルティン、いつも腹をすかせている腕っぷしの強いマティアス。同じ寄宿舎で生活する5人の少年が友情を育み、信頼を学び、大人たちに見守られながら成長していく感動的な物語。ドイツの国民作家ケストナーの代表作。【「BOOK」データベースの商品解説】
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紙の本
新訳の名に恥じない名訳。こんなに面白い作品だったのかと初めてわかった。
2007/02/06 23:39
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
素晴らしい!
ケストナーというのはわたしにとってどうにも微妙な名前であった。気にはなるのだが、面白さがよくわからないのだ。『エミールと探偵たち』『雪の中の三人男』『飛ぶ教室』……。
しらじらしい。という気もする。ユーモアや道徳がわざとらしい。ような気もする。だけど、それが楽しめない決定的な理由ではないような気もしていた。そんな本ならほかにもいくらでもあるのだから。
『飛ぶ教室』を読むのは今回で三度目(それぞれ違う訳本で)となる。これまでケストナーをいまいち楽しめなかったのは、翻訳が原因だったのか!と胸のつかえがすっきり取れた。
ですます調や直訳調がないだけでもずいぶん違う。テンポがよくて、もたもたとしないから、泣かせ所や落とし所がきちんと生きている。めりはりが利いているおかげで、実務学校生との決闘、ウーリとマティアスの友情、禁煙さんとの邂逅、ジョニーの涙、いろいろなシーンがキュッと締まって、わかっちゃいるのにじーんときてしまった。
子どもたちの台詞も、旧訳とくらべるとずいぶんよくなった。白々しいお利口ちゃんだった生徒たちが、洋画の名優たちくらいには生き生きとし始めた。(微妙な褒め方だけど、わたしは映画を通してしか外国の子どもを知らないのだから仕方がない。)
生き生きし始めたのは子どもたちだけじゃない。旧訳では、クロイツカム先生は風変わりでもなかったし、ベーク先生はいい人でもなかった。地の文でそう説明されていたからそうだとわかるだけで、文章から人柄が伝わってくることはなかったのだ。
たとえ原典が名作でも、日本語化された作品もそうであるとは限らない。名作『Das Fliegende Klassenzimmer』が、2006年になってようやく名作『飛ぶ教室』として日本に“初”紹介されました。
紙の本
子どもの領域を飛び出して、大人に迫り来るもの
2007/10/22 21:40
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つきこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れた傑作児童文学の改訳版です。二十年前のヒット曲などを聴くと、そのあまりにもゆっくりとしたメロディーに調子が狂ってしまうのですが、本書はその逆です。スピード感溢れる畳み掛けるような文章が、慣れ親しんだ物語とはいえ新鮮でした。何かにつけ気忙しい現代人にあわせた超訳かと思ったら、こっちがケストナーの地の文章だそうです。文科省推薦図書がラノベ風になって再登場とでもいいましょうか。児童文学はちょっと、という大人にも読みやすくなってます。
が、トリヤーの挿絵はありません(泣)
ケストナーといえばトリヤー。その作品にさらなる魅力を与えていた挿絵がないのは正直悲しい。そして高橋健二訳のケストナーに慣れ親しんできたせいで、こどもの本が持つ教え諭すような優しい響き。そんなものも若干薄れてしまったようで、大人とはいえ少々寂しくもあります。
とはいえその欠落を補って余りあるのが、末尾に寄せられた訳者による解説。名文です。
ケストナーは確かに子どものための本をたくさん書いた人だけれど、その視線の先には常に大人がいた。この飛ぶ教室が出版されたのはドイツにナチ政権が誕生した年。「何やってんだよ大人」多くの子どもがそう思っただろうなか、「大人ここにあり」の気概を見せた。そう、そうなんだよ。だから好きなんだよケストナー。大人になったが故にその真価に気付く。その魅力を余すことなく伝えてくれる解説から得るものは、本文に負けず劣らず多い。
酒場の勇者ばかり増えてもしょうがない。
「賢さのない勇気は乱暴に過ぎない、勇気のない賢さは冗談にすぎない」。どう考えても時局に喧嘩を売ったとしか思えない、ケストナーのこのカッコ良さ。久々に痺れると共に、もういい大人なんだけれど、いつまでたってもそうはなれない己の未熟さを反省せずにはいられない。
これはクリスマスの物語。勇気と賢さとその他諸々と。そんな色々なものを詰め込みながら、子どものそんな勇気と献身に対して、大人は正しく報いているだろうかと思わずにはいられない物語。子どもの時に読み損ねたより多くの人に届けばと、押し付けがましくも思う。
紙の本
大人に読んで欲しい子供の本。文庫になったので大人が手に取りやすいかも。
2007/03/07 11:30
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ケストナーの代表作といわれる「飛ぶ教室」。昔読んだ記憶は希薄であるが、大人になって読み直したら結構面白かった。子供にわかって欲しいこと、が書かれているけれど、大人がやっとわかるものもある、ということなのかもしれない。
クリスマス直前のドイツの寄宿学校を舞台に描かれる個性的な少年と先生の心温まる物語。題名はお話の中で少年たちが創作している劇のタイトルである。ケストナーは楽しませるポイントを心得ている。学校どうしのけんかの痛快な解決などのわくわくするたのしさだけでなく、大人だってじん、とくる場面が幾つもあるし、格言のような言葉も入っている。
子供向けの画の表紙などではない文庫であるので、大人がもう一度読むには良い体裁であると思う。弱い少年を篭に入れて教室に吊るしても、「いじめ」という騒ぎにならなかったのはなぜか、など現代の子供たちと比較して考え、子供と一緒に考えてみるのもよいかもしれない。教室で目の前に子供が吊るされていても、先生は軽くいなして「どんな迷惑行為も、それをやった者にだけ責任があるのではなく、それを止めなかった者にも責任がある」と書き取りをさせるのである。。。
「リア王」や「ちいさな王子」など、この古典新訳文庫にはよい新訳が多い。これも、と期待したが、少し前に読んだ「偕成社版の若松宣子訳」(2005)がかなり優れたものだったので、期待したほどではなかった。ソファに張ってあるのが「フラシ天」では現代訳では古すぎる気がするし、焼かれてしまった「ディクテーション・ノート」は「書き取りノート」ではいけないのだろうか。まだ「ディクテーション」はそれほど浸透していないと思う。ドイツ語から英語に訳したみたいでしっくり来なかった。衣裳を着けて行う劇の最終稽古が「ゲネプロ」というのも、これもあまり一般的な語ではないだろう。「通し稽古」でよいのでは、のように気になるところがいくつかあった。しかし、全体的にはテンポも良く、変に子供向けになっていないので気持ちよく読み進める。
大人に読んで欲しい子供の本。文庫になったのを機会に大人に読んで欲しい本である。