紙の本
ウォーターシップダウン”の”ウサギたち
2016/12/29 16:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:肋骨痛男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あっという間に読み終わりました。名作です。装丁が綺麗で長さも丁度よく、子どもにプレゼントしたくなります。
余談になりますが、背表紙をよく見てください。”ウォーターシップ・ダウンのウサギたち”という題名の中の”の”だけ青色インクになっています。遊び心ですかね。
投稿元:
レビューを見る
読んでいると本当のウサギ達がこんな物語を持っているのでは?と思わせた。今後野生のウサギ達を見た時に「あっシルフレイしているな」とこの本を思い出すかもしれない。物語の合間に語られるウサギ神話もウサギ達の生活スペックに基づいた死生観をよくシュミレートしていて、そんな迷信をウサギは信じているのか、、、と軽く考えるのもつかのま。人間も人間の生活スペックに基づいた死生観を抱いて自分を慰めていた事を思い出させた。ウサギを上から見てるつもりで、更なる視点から見下ろされているような読了感を得た。
投稿元:
レビューを見る
旅から戦局へヘイズルたちの幕営で甲冑を付けて軍議を行っている姿を思い浮かべる
追記 昭和55年当時の表紙の方が好きです。
投稿元:
レビューを見る
ヘイズルたちの新しい村に牝を連れてくる計画。それは、村を永続させるためり必須課題だ。ヘイズルはキハールが見つけてきた大きなうさぎの村エフラファから牝うさぎを分けてもらおうと考え、使節団を派遣する。だが、そこは独裁者ウンドワート将軍が支配する恐怖の軍事独裁国家だった。さあ、どうするヘイズル?
うさぎたちの勇敢で知略に富んだ冒険の後編。途中挿入される伝説のうさぎの王エル=アライラーの物語がこの冒険譚に緩急を添えている。狡猾で残忍なウンドウォート将軍をいかに出し抜くか。エル=アライラーの伝説がヘイズルたちを導く。
英国ハンプシャー州の豊かな自然、土や風のにおいまで伝わってくるような詳細な自然描写、なによりうさぎたちの生態を活写したリチャード・アダムズの筆遣いに引き込まれる。後編は手に汗握る展開で、結末を知っていても一気読み。そして、エピローグで涙。いくつになっても大好きな作品です。
おまけ。
久しぶりに本作を読んでみようと思ったのは、うさぎたちを擬人化してみたいと思ったから(笑)。読みながらビグウィグがかっこよすぎて、諏訪部順一の声でせりふを読んでいました。
投稿元:
レビューを見る
恐ろしいウーンドウォード将軍の率いるエフラファからも数羽の雌うさぎを脱走させることに成功し、これが引き金となってエフラファとの戦いが始まる。
投稿元:
レビューを見る
P43~P45
『しかし、最高幹部がだれだったかぐらい知っているだろう?』と、ラブスカトルがいった。
『連中と戦友なんてまっぴらだね』と若い牡はいった。『へーえ、あの白いひげのおいぼれたちのことか?ぼくたちが、彼らの何を知らなくちゃいけないんだい?』
『彼らの成し遂げたことを、だ』と、ラブスカトルがいった。
『あの戦争さわぎかい、じいさん?』と、はじめに口をきいた牡がいった。『ありゃ、もうすっかり終わっちまったよ。ぼくらとは何の関係もないね』
・・・
『腹を立てているのかね、エル-アライラー?』と、フリス様がたずねた。
『いいえ』と、エル-アライラーはこたえた。『腹など立ててはおりません。しかし、愛する者たちにあわれを感じるのは、彼らが苦しんでいるときだけではないことを学びました。先達の贈りものによってぶじに生きている現在をわきまえないウサギというものは、自分ではそう思っていなくても、ナメクジよりあわれなものです』
●祖父母の時代に戦争で人と人とが殺しあう世界で生きてきたこと、両親の時代に日々汗水垂らして働いて経済と科学の発展に貢献してきたこと。祖先の人々が懸命に生きたことによって、今、平和で豊かな暮らしがおくれていることを考えさせられた。
●生活の中で老人を敬い、感謝する機会が少なくなっていることを感じる。老人の身体能力は機敏さを失い、思考能力も衰えていることを不快に感じることすらある。そのことを恥ずかしく思った。
読了日:2011/03/02
投稿元:
レビューを見る
大変面白かった。
児童書だが、これは子供より大人が読んだ方が面白く、また学ぶことも多いかもしれない。
友人ファイバーの破滅の予知を信じたヘイズルに率いられ、新天地を求め旅立ち、やがて安住の地を得て持ち上がる問題にもひるまず立ち向かって行くうさぎ達の、なんと生き生きしたこと!
困難にぶつかり、頭を抱えることがあっても、仲間を、自身の心を信じ、生き抜いていく彼らの姿は本当にすがすがしく雄雄しい。
結果的に敵となるうさぎ達も勿論いるが、彼らをただの「悪役」として留めておらず、生きていくための方法として「そういうあり方をとった」ということが解るスタンスは実に良かったと思う。
最も手ごわい敵となるうさぎの1匹は、最後にはその猛々しさを持って、うさぎ達の守護者として伝説になった。
作者はこの物語を、「人を楽しませるため」だけに書いたそうで、そこになんの暗示も寓意も隠喩も含ませたつもりはないそうだ。
だから、この物語を読んで某かの暗示めいたものを感じたのなら、それは個々人が自身への戒めや教訓として、自主的に見出したものだということになる。
私は、腕っ節がことさら強いわけでもずば抜けて賢かったわけでも特別に素早かったわけでも不思議な力を持っていたわけでもないヘイズルが、群のうさぎ達の信頼を一心に浴びる優れた長となりえたのはなぜなのかと疑問に思う。
そしてヘイズルが、誰よりも諦めないうさぎであったことを思うのである。
旅の途中、疲れきり怪我をした小さなピプキンの命を、絶対に諦めようとしなかったのはヘイズルだ。
その諦めない態度が、賢いブラックベリに事態打破の妙案を思い浮かばせる時間を与えた。
要所要所でヘイズルは様々な決断を迫られるが、決して逃げてはいけない問題において、彼が諦めを示したことは無い。
諦めたくなるような土壇場でこそ、ヘイズルは諦めを嫌い、覚悟を決め誰より雄雄しく、危険に自ら飛び込む勇気を示すことの出来るうさぎだった。
この絶対に諦めない心は、うさぎ達の伝説の王エル・アライラーが持っていたそれと良く似ていた。
エル・アライラーは自身の一族であるうさぎ達のために、どのような困難にぶち当たっても絶対に諦めず、知恵をこらし、勇気を持って困難を打破した伝説を持つ。
うさぎ達が「フリス様」と呼ぶ絶対神もが認めたその不屈の精神が、うさぎ達を救い続け、発展を促してきたのだ。
ヘイズルはその諦めない心に更に加え、「自分は特別に優れたうさぎではない」という謙虚さを持っていたから、他者を侮ったり蔑んだりせずどんな意見でもきちんと聞き、他の動物まで救う寛容さを持ち合わせていた。
だからこそ“千の敵を持つ王”エル・アライラーをして「君の村には千の敵すら好意を寄せる」と言わしめたのだろうと思うのだ。
村の長としてヘイズル・ラーと呼ばれたその不屈のうさぎが、臨終の際にエル・アライラーの訪問を受けたのは当然ことだった。
そしてエル・アライラーが、自身に仕える幹部としてヘイズルを迎えたいと思ったのも、当然のことだったのだと思う。
エル・アライラーがそうであったように、ヘイズル・ラーも諦めを踏み越えて、様々な可能性を拓き、うさぎ達に素晴らしい恩恵を与えたのだから。
ヘイズルが越えてきた冒険や危機は、いつかうさぎ達の伝説となるのだろう。
その片鱗はもう物語の中に見えている。
語られる伝説は、ヘイズル・ラーではなくエル・アライラーの伝説として語り継がれるかもしれないが、それはヘイズルがエル・アライラーに匹敵する程の優れた指導者であったことの証明でもある。
ヘイズルに権力欲はなく、平穏と仲間をただ愛していたから、名前がすげ替わっても気になどしまい。
むしろ、大袈裟に語られ過ぎだと謙虚に笑うかもしれない。
人の世界に、ヘイズル程の優れた指導者はそうはいまいと、そんなことを思う。
そして指導者の在り方を考えさせられた時点で、これはただの児童書を越えた「大人の童話」だと私は感じた。
指導者とならずとも、諦めを踏み越えなければ成長が無いことを率直に示す物語に、学ぶことは少なくないのではないだろうか。
ヘイズル達が命をかけて困難に挑み手に入れた、ウォーターシップ・ダウンの美しいうさぎ村。
人がいまだ持たざる、ひとつの理想郷の姿かもしれない。
投稿元:
レビューを見る
新天地「ウォ-タ-シップ・ダウン(丘陵地)」で、生存をかけて孤軍奮闘するウサギたちの涙ぐましい努力、犠牲をいとわぬ友愛精神と寡黙な勇気、敵とも共存する包容力を目の当たりにして、敬愛の念を抱かざるを得ない愛と感動に包まれた物語でありました。慣れない《ウサギ語》には戸惑いますが、あきらめずに最終章まで読んで決して後悔のない、大人への最高の贈り物です。
投稿元:
レビューを見る
住居が出来、村が出来、次なる問題はお嫁さん、になったうさぎ達。
大きな村から平和的に連れて帰るのは無理になってしまったので
もうメス自体を説得させて連れて帰ってくるしかない…。
下巻はその計画を如何に実行し、どう追跡を振り切るか。
そんな内容になっています。
メスを連れて帰ってくるだけなのに、なぜこれほどまでに
苦労しなければならないのか…。
昔の日本もこんな感じだったな〜と思いつつ読んでました。
うさぎによる攻防戦も面白かったですが
これほどまでに色々策略を練るうさぎもすごいですね〜w
投稿元:
レビューを見る
かっこいい、かっこいいウサギ達の物語。
敵役さえもかっこいい。
かっこいいってのは、こういう事だ。
投稿元:
レビューを見る
下巻はハラハラドキドキの一大スペクタクルですよ。
軍国主義ばりばりなうさぎ村の追っ手から、無事めすたちを連れて逃げられるのか?
ラストはどうなるの?
手に汗握って、一気に読んでしまいました。
結果は・・・
最後の一ページまで、楽しく読ませていただきましたー。
上巻が「サクラソウはおわっていた。」で始まり、下巻が「森では、最初のサクラソウが花をひらきはじめていた」で終わるとこなんか対になってていいですね。
時折シェイクスピアをもじったセリフなんかも飛び出して、さすがイギリスのうさぎ、といったところでしょうか。
うさぎたちの間で語り継がれる、伝説のうさぎエル・アライアーの物語が随所にはさまれるのも効果を発し、読者を飽きさせないままに最後まで読ませていきます。
なんとなく手に取った一冊だったのですが、なかなかの掘り出しものでした。
こういう本は大事にしたいですね。
投稿元:
レビューを見る
上巻はこちら。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4566015009#comment
ウォーターシップダウンで新しい村を作るうさぎたち。
だがメスがいないので、どこからか子供を産めるメスを連れてこなければいけない。
村の長のヘイゼルが目をつけたのは、川の向こうで群れを作るエフラファーの集団だった。
ウンドワート将軍による恐怖独裁体制がひかれているエフラファーに、猪突猛進の戦士ピドウィクが潜入し、メスたちを連れて逃げ出す計画をたてる。
物語のかなりの部分はこの潜入したピドウィクのお話。
ピドウィクが連れて連れて逃げ出そうとしたのは、群れに不満を持つハイゼンスレイやセスシナングたち数匹のメスうさぎと、そしてかつて逃亡が失敗し酷いリンチを受けたオスうさぎのブラッカバーだった。
ピドウィクたちがエフラファーを逃亡し、待機していたヘイゼルたちと合流する。
このウンドワート将軍はとにかく怖くて強くてでも瞬時に状況を理解して部下たちに明確な指示を与えるという、戦時下の将軍としてはまさに有能。しかしこういうタイプって自分が年をとったらどうするつもりなんだろうと思うんだが。
それに対してピドウィクは明るい勇敢さを持っている。
ピドヴィクは本当に心身強いので、エフラファーのうさぎたちは当然彼がリーダーだと思っていたら、ピドヴィクが「村長から命令されたからおれはここを動かん!」と言うのを聞いて、「え、こいつより強いリーダーがいるの?」と焦ったりする。彼らがヘイゼルを見たらそんなに大きくないし、足も悪いヘイゼルを見くびるだろうけど、ヘイゼルの強さは臨機応変さや、弱いものも見捨てない、新しい考えを受け入れる、そしてなんかやたらに運がいいってことだからね。
そのヘイゼルや、弟で霊感うさぎのファイバー、頭脳派ブラックベリ、足の早い語り部ダンデライオン、そしてヘイゼルに助けられた恩返しをするユリカモメのキハールたちの勇敢さや機転や思慮深さで、エフラファー軍団の追撃を逃げ延びる。
この逃走劇は、うさぎが船に乗ったり、鳥が空から偵察したり攻撃したり、たまたま降った大雨や雷を利用したりとかなりワクワクするし、百戦錬磨のエフラファー軍団にしてもこんな連中を相手にしたのは初めてだろう、さすが主人公集団。
メスたちを無事にウォーターシップダウンに連れて帰り、子供も生まれてめでたし…かと思うんだが、まだ1/3くらい残ってるぞ?まだなにか起こるの?
…はい、あの恐ろしい恐ろしいウンドワート将軍が、一隊を引き連れてウォーターシップダウン襲撃計画をたてていました。
まともに戦ったら叶うわけのない相手に、ヘイゼルはとんでもない計画を思いつく。
留守を任されたピドウィクと、ウンドワート将軍の最後の戦い。
うさぎの知恵を超えたようなヘイゼルの計画とその後のこと。
そして差し込まれるうさぎ神話もおもしろいんですよ。神代の時代に、うさぎになりうさぎのために戦ったりいたずらしたり神と知恵比べしたり。
ラストは、戦いの終わった数年後。
ウォーターシップダウンと���フラファーの新たな関係。
そしてすでに老境に達していたヘイゼルのもとに、うさぎの神話の開祖であるエル・アライラーが迎えに来るのだった…。
投稿元:
レビューを見る
凄かった。
言葉では言い表せないけど、怖い、凄い、先が気になる、という三つの感覚で引っ張られて読んでいった。
ピプキンがキーパーソンになる、という私の予想はあっさりハズレて笑、下巻では、ビグウィグのカルト軍事村の潜入から始まり、カルト軍事村との撤退戦、迎撃戦、その後の世界が描かれている。
ビグウィグにだいたい持っていかれる。
死守シーン、、、もう泣ける。やめて。かっこよすぎ。
私のお気に入り、シルバーがキハールの存在を匂わせるシーン、かっこいいね。
ダンディライアンも、一番の俊足キャラとわかってびっくり。
ヒタヒタと敵が迫る迎撃シーンがすごく怖い。
農場に行って、攻撃力を借りるシーンで、ようやく上巻の農場エピソードはこのための伏線だったのかーと理解した。
なんでいきなりあんな話があるのか謎だったけど、これで納得できた。
エンディングでふわっと体を離れていくヘイズル、無駄のない筆と、神宮さんの切れのよい日本語で、浄化作用に包まれる。
ここまで随所に挟まれる、ウサギたちの伝承神話も効果的だった。
この世界では、物語や、詩が大きな力を持っている。
冬の穴ごもりなどで、ウサギたちのボードゲームを
楽しむ(想像するとかわいい)ほか、みんなでひとつの歴史神話物語をきくことは大きな意味を持つ。
団結し、魂の結び付きを強くし、過去の知恵を守り、種の保存に対して共通の歴史を持って当たっていこうとしているのだ。
ラストでここにヘイズルが加わることになる、と読者にも自然に納得がいく。
過不足ないストーリーに大満足。
いい本に出会えた。
訳者の後書きをみて、「上士」は本当に司馬遼太郎から来ていたとわかった。
以下は追記。
カルト集団、戦争と、残念ながら昨今の身近な話題がこの作品を通して目に入ってきて苦しい。民主主義とはなんだろう、とヘイズルの村の新設、運営シーンを見て、改めて考えさせられた。
そして、本作は、戦争経験者が書いた作品だなあと思った。
エルアライラーの言葉
「先達のおくりものによって、ぶじに生きている現在をわきまえないうさぎというものは、自分ではそう思っていなくても、ナメクジよりあわれなものです」
には深く考えさせられる。
雌は、うさぎの社会を持続するために絶対に必要なんだけど、それをよそから強奪するのではなく、カルト軍事村から脱出を望んでいた雌たちをうまく連れ出して仲間にできた、というストーリーなので読みやすかった。
雌を連れ出してきても、依然としてヘイズルの村では、雄の方が数が多いらしく、結婚のシーズンには、雌をめぐる戦いがいずれ起こるだろう、とみんなが心配しているシーンがあった。
味方同士の戦いは見たくないな、と思っていたら、そのシーンは省略されており、ファイバーの妻や子供の話だけが出てきてホッとした。
シルバーやビグウィグの子供は?と気になったけど、ビグウィグたちみんなで、みんなの子供を育てているシーンが代わりにあって、読んで優しい気持��になった。
全てのシーンで、自然の描写も素晴らしく、生き物が生きることを丁寧に描いている作品だった。
うさぎは可愛い生き物、という日本でのイメージはここには微塵もなく、ピーターラビット同様、イギリスの身近な生き物の如才なさと激しい生存競争が、見事に物語となっている。
(エフラファのカルト軍事村、なんだか既視感があるなと思ったのは、「墨攻」で墨家のカクリが作ろうとしていた城の様子に似ていたからだった。やっぱり怖かったけど)
投稿元:
レビューを見る
戦いから六週間後、ビグウィグが出てきたところでほっとして泣いた。やった、生きてたよこの人。しかもしっかり教育係がさまになってるよ。うおおん。
下巻は、上巻よりも格段に速く読んでしまった。ヘタなホラーの悪役よりよほど迫力のあるウンドワート将軍の圧倒的な恐怖に慄きながら、だれが殺されるのかとはらはらし通し。追われる恐怖って、やっぱり動物の感じられる恐怖でも根源的なものの一つだと思うのよ。読んでてヘイズルやビグウィグたちとともに野原を全力疾走した気分で、久々に手に汗握るという感覚を味わった。
そしてハッピーエンド。とてもよかった。
投稿元:
レビューを見る
英語圏で知らん人はいないほど有名なのも納得の傑作。日本でテレビアニメまで放映されているのに、これほどマイナーなのは勿体無い。後半の展開もウサギの習性を大きく逸脱しておらず、生態学的な興味も引かれるものとなっている。冒険譚としても、最後の戦いのシーンまでページをめくる手が止まらないほど楽しめた。外伝的な短編集もあるのに、本作がマイナーな故か日本語訳がないのは残念である。