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紅い花 他四篇 改版 (岩波文庫)
極度に研ぎ澄まされた鋭敏な感受性と正義感の持主であったロシアの作家ガルシンには、汚濁に満ちた浮き世の生はとうてい堪え得るものではなかった。紅いケシの花を社会悪の権化と思い...
紅い花 他四篇 改版 (岩波文庫)
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商品説明
極度に研ぎ澄まされた鋭敏な感受性と正義感の持主であったロシアの作家ガルシンには、汚濁に満ちた浮き世の生はとうてい堪え得るものではなかった。紅いケシの花を社会悪の権化と思いつめ、苦闘の果てに滅び去る一青年を描いた『紅い花』。他に、『四日間』『信号』『夢がたり』『アッタレーア・プリンケプス』を収録。【「BOOK」データベースの商品解説】
収録作品一覧
紅い花 | 5-38 | |
---|---|---|
四日間 | 39-67 | |
信号 | 69-92 |
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全く知らなかった作家ですが、100年以上たったとは思えない面白さ。こんな作家がいるんだ、岩波文庫の改版を見直そう
2006/12/25 19:30
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ガルシン、全く知りません。今までも岩波文庫では、読んだことのない作品に幾つも出会っていますが、作家名に記憶がない、っていうのはこれが初めてのことです、うう、ガルシン、エライ!ともかく、名前の響きがね、こう何て言うかロシアしてて、ガンダムみたいなところもあるし・・・
これ以上書くと、バカなのがばれちゃうので早速カバーの紹介文
極度に研ぎ澄まされた鋭敏な感受性と正義感の持主であったロシアの作家ガルシン(1855−1888)には、汚濁に満ちた浮き世の生はとうてい堪え得るものではなかった。紅いケシの花を社会悪の権化と思いつめ、苦闘の果てに滅び去る一青年を描いた『紅い花』。他に、『四日間』『信号』『夢がたり』『アッタレーア・プリンケプス』を収録。
だそうです。目次と収められた五つの物語の内容を簡単に書いておきましょう。
・紅い花 :癲狂院に戻ってきた男の目に留まったのは、庭に咲く芥子の花。密かにそれを手にしようとする男の狂気
・四日間 :トルコとの戦闘中に傷付き倒れた男の、朽ちていく死体と過ごす飢えと渇きの日々
・信号 :小さなことで上司に咎められた男の憎しみゆえの行動と、それに気付いた仲間の行為
・夢がたり:6月の天気のいい日に語り合う家畜、昆虫、爬虫類の身に起きた事故
・アッタレーア・プリンケプス:空を直に見たい、自然の空気に触れたいと熱望する植物園の温室の棕櫚
あとがき(神西清、1937年)
付録
・「神西さんの思い出(中村融)」(1958)
・「神西清略年譜」
です。あとがきが二つあるのは親切ですが、これに何故現代におけるガルシン、という一文を惜しむのか、正直、岩波の改版にあたる気持ちが知れません。私のようにガルシン、全く知らず、という人間に半世紀以上前の文で解説こと足れり、は乱暴ではないでしょうか。
ただし、話はどれも面白いです。「紅い花」こそ二度読み直して、初めて理解できたような部分はありますが、残りの作品ともども、とても100年以上前のものとは思えない面白さです。殆ど現代作家のミステリを読むような感じ、といったら分っていただけるでしょうか。
個人的に好きだったのは、『四日間』と『アッタレーア・プリンケプス』ですね。前者のラストの一文に、首こそ捻りはしたものの、ハラハラドキドキで読み終えましたし、後者の悲しい幕切れは、そこまで予想していなかっただけに、ショックでした。ショック、でいえば『夢がたり』の終りかたの残酷なこと。ズドン!ですからね。いや、グチャ、かな?『信号』についていえば、血の扱いが、なんていうかウソっぽいのですが、あれって本当なんでしょうか。
ともかく、一気に読める、今に生きる名作です。
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鉄道事故はむかしも今も
2009/12/15 18:00
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、帝政ロシアに一閃の光芒のごとくあらわれては消えた作家フセーヴォロト・ミハイロヴィッチ・ガルシンの短編、5編をおさめる。
表題作『紅い花』は世に名高いが、『信号』のほうが個人的には好みだ。
線路番、セミョーン・イヴァーノフが、故意にはずされたレールを発見し、ハンカチをふって驀進してきた列車を止める、という話だ。ごく単純なようにみえて、全編をつらぬく緊張感とそれに見合った密度の高い文体が、文庫でわずか30ページ弱を倍か三倍くらいの長さに感じさせる。ことに最後の数ページは、時計の針なら1分か2分、長くて3分くらいを動くつかのまの出来事にすぎないのに、1時間かもっと長い時間がたったような錯覚をおこさせる。それほど濃密な時間が流れる。
はずされたレールの発見。汽笛。刻々と近づく汽車。レールは規則正しい調子で震え出す。セミョーンは脳裏にひらめいた思いつきにしたがい、左腕の肘より少し高めのところを小刀で突いて、その血で木綿のハンカチを赤く染めて、そのハンカチを振る。汽車は100メートルの距離に近づく。あの距離では、もう止められない・・・・。激しい出血は眩暈をまねき、昏倒し、旗を取り落とした。
ぞくりとくる一瞬だ。
その直後に、万人を感動させる(はずの)場面が続く。
レールをはずした犯人が、セミョーンが落とした旗、つまりハンカチを彼に代わって高々と振りあげたのだ。
犯人は、ヴァシーリイ・スチュパーヌィッチであった。セミョーンの同僚で、やはり線路番の。一方の駅まで14キロ、他方の駅まで12キロ、その間の線路を二人が保守していたのだ。
線路番ヴァシーリイが、なぜ自分の仕事を破壊するような犯行に走るにいたったのか。
小説では深くは掘り下げられていない。官僚主義の一端がさりげなく描かれているから、、ヴァシーリイの不満がそれに由来するか、すくなくとも元々もっていた不満がお役所の掟によって増幅されたらしい。
小説は、二人の経歴、そこからくる人生や社会に対する態度の違い、あるいは性格の違いを描写することで、セミョーンの善良さ、そして愚直なまでの職務への忠実を強調する。
職業倫理は、守られなければならない。
ヴァシーリイは、断罪されなければならない。
JR福知山線脱線事故の責任者は、責任をとらなければならない。
ガルシンの同情はヴァシーリイに向けられていたのではないか、と思う。19世紀後半の専制主義ロシアにおいて、言論の自由はなかった。ガルシンが書けることは限られていた。
職務に従事する者の生活が守られていない点で、上意下達のJR西日本と、帝政ロシアの鉄道当局と、どう違うのか。
『信号』は、セミョーンの普遍的道徳を称揚する影に隠れがちだが、ヴァシーリイの抱える(当時も今も)今日的な問題をさりげなく挿入したのではないか。
ガルシンは、勃興するロシア・ナロードニキと同時代を生き、33歳で自決した。神の愛でし人であった。