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(2007.05.14読了)(2007.02.03購入)
新潮社の月刊PR誌『波』に日高さんは、「猫の目草」というエッセーの連載を書いています。2007年5月号が、136回となっていますので、12年ほど続いていることになります。
連載の一冊目の単行本は、「春の数えかた」でした。二冊目がこの本です。
三冊目の「セミたちと温暖化」が2007年4月に単行本として出版されたようです。
一冊目の「春の数えかた」は、しゃれた題名でしたが、二冊目は、「人間はどこまで動物か」というどこかで聞いたような題名で、あまり興味を引かない題名ですが、エッセーですので、専門の昆虫の話だけではなく、動物の話、大学と学問の話、地球環境の話、等いろんな話題が取り上げられています。
連載の40回分が収録されています。
「人間はどこまで動物か」
猫はどこまで動物か?というような問い方はされません。
人間はどこまで動物か?という問い方は、人間は動物ではない。動物とは違う何かがあってほしい、という願望が込められているのでしょう。
道具を使うとか、道具を作るとか、言葉を使ってコミュニケーションできるとか、文字で記録を残せるとか、色々差別化を試みてきました。
他の動物で、そのような事は行われていないのか確認を行ってきました。
チンパンジーやダーウィン・フィンチで、道具を使うとか、道具を作るということが確認されました。道具で、差別化できないことが分かってきました。
チンパンジーやニホンザルで、文化といえるようなものがあることもわかってきました。
鳴き声で、コミュニケーションしている動物が多数あることもわかってきました。
長い間の、進化の結果として、人類が誕生したことを認めた時点で、精神活動は、ヒトだけの物ではありえないという予想は、ついていたはずなのですが、いまだに、ヒトだけは他の動物と違うはずと思っている人々が大部分です。
もっと、生物学の研究成果を学び、ヒトも自然と離れては生きられないことを確認しましょう。(ここは、ちょっと脱線ですが)
「動物としての人間を、ヒトと呼びます。」(139頁)
「動物や植物の名前は漢字やひらがなでなく、カタカナで書くという習慣」(139頁)
☆日高敏隆さんの本(既読)
「動物にとって社会とはなにか」日高敏隆著、講談社学術文庫、1977.08.10
「昆虫という世界」日高敏隆著、朝日文庫、1992.12.01
「春の数えかた」日高敏隆著、新潮文庫、2005.02.01
著者 日高 敏隆
1930年 東京生れ
東京大学理学部動物学科卒業
東京農工大学、京都大学教授、滋賀県立大学学長を経て、総合地球環境学研究所所長
2001年 『春の数えかた』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞
(2007年5月21日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
ホタルが光り、蝉が鳴き、蚊柱が立つのはなぜ?―すべて、より効率的に配偶者と出会おうとする、彼らの合理的で賢い戦略なのです。生き物は皆、生き延びて子孫を残すというのが人生の大目標。動物行動学の第一人者が、一見不思議に見える自然界の営みを、ユーモアたっぷりに解き明かします。私たち人間も、しっかり自然を見据えれば、��当の生き方が見えてくるかもしれません。
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表紙の絵の素朴さに惹かれて購入。
生態系についての素朴な疑問をさらっとまとめたエッセイ集。こんなさわやかで面白いエッセイって最高。
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町の音
琵琶湖の風
ギフチョウ・カタクリ・カンアオイ
犬上川
ショウジョウバエの季節
八月の黒いアゲハたち
セミの声聞きくらべ
秋のチョウ
真冬のツチハンミョウ
冬の草たち
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この頃ちょっとハマっている日高先生の本です。
つくづく知らないこと多いなあ、と自分の無知にガッカリするばかりです。
表題のヒトはどこまで動物か?という問いは確かに人間ならでは、の問いですねえ。
猫はどこまで動物か、なんて誰も問わないでしょうから。(どう見ても動物ですしねえ…)
いわゆる環境問題、も大変興味深く読みました。人間にとって都合の良い自然環境だけを残しても
回り回って人間に跳ね返ってくる。そうですよねえ、難しい問題です。
ガーデニングブームも確かにちょっとおかしい。遠い異国の花や植物を珍重し、もともとあった日本古来の
植物を雑草扱いで引っこ抜く。そのために生態系が変わり、日本古来の動物が姿を消す。
かぶと虫もくわがたも外国産の虫をペアで売っていいのかなって思います。
もうすでに逃げ出した外国かぶとと国産かぶとのメスが繁殖したという話は聞いたことがあります。
環境問題も今、対応しないと大変なことになってしまうと思うのです。
いわゆる、でなくもっと大きな環境問題に専門家の意見を聴きながら
取り組まなくてはいけないんだろうな。そういう時期に来ているんだと思うのです。
道をコンクリートで舗装して、プラスチックの人工木を置いて小鳥の声の録音を流す。
そんな未来は嫌だなあ、と思うのです。
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動物行動学者によるエッセイ集。セミの泣き声や、秋に舞うチョウ、タヌキのオスの子育てといった生き物の行動の「なぜ」をユーモアを交えて解き明かしている。飽くことのない好奇心と観察者としての冷静な視点、それでいて観察対象である生き物への愛情を感じる。
気軽に読めて詩情のある文章なので、少し疲れた夜にゆっくりしたいときにお勧めです。
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ゆったりと上品な、日記のようなエッセイ。
語り口が優しいので読みやすい。
動物行動学の先生。
ときどき、学者さんでもわかりやすい言葉で説明できる人がいる。
こんな人の授業を受けたいと思う、そんな本。
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生き物、科学の面白さ、不思議、美しさを教えてくれる本。(私の中ではセンスオブワンダーな本にカテゴライズされる)
福岡伸一(生物と無生物の間の人)もですが、この人も追いかけたい。動物の話、昆虫の話、生態、生殖面白いなぁ。。
あと、滋賀県立大学の学長だったようで、その前を流れる犬上川の改修工事を生物の視点に立って、大学の環境学の教授陣と行政とで、綿密に交渉を重ねて、生物の視点に立ったものへとしたという取り組みに興味があります。
この本は、人に贈りたいな。
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次読んでみたい
●同著者の『春の数え方』
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続けて日高敏隆さんのエッセイ集。人間とヒト。生き物。生きることについてまた違った方向から考えさせてくれる御本でした。中で興味深かったのは、"農業は人類の原罪である"というお話。
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「春の数え方」に続いくエッセイ集。大学開学準備室の頃から目を配ってられた大学周辺の自然のこと、川の増水対策と生き物たちの棲息環境を守るために心配りをすべき視点が、ごもっとも、と頷きながら読みました。言われてみれば至極当たり前なことなのだけれど。
虫たちの観察について綴っておられる文章は、実に楽しそうですね。
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もと農工大・京大・滋賀県立大のせんせいが書いたエッセイ集。いまいち、実績からいえばもっとおもしろい話をかけそう、ざんねん・・・。
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題名が気になり購入しました。進化論に関する内容かと思いきや、この本は植物記であり昆虫記であり、人間を含む動物記です。紹介されているエピソードはとても楽しくて、先生の目線と考え方に感心させられつつも、遊び心が見え隠れするやわらかい文章から人柄と自然に対する敬愛が感じられ、いつもより噛み締めながらゆっくりと読んでしまいました。これぞエッセイという本を久しぶりに読んだ気がします。環境破壊を伴う開発などは影をひそめましたが、ヒステリックにエコを唱える人にも是非読んで欲しい、押し付けではない自然に寄り添う環境保護とはどういうモノかを教えられる一冊です。
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「人間はどこまで動物か」4
著者 日高敏隆
出版 新潮社
p195より引用
“情報はそれを求めているものにとってのみ情報なのである。
あらゆるデータを情報と呼ぶのは、やはり何か間違っていると思
えるのだが。”
動物行動学者である著者による、動物たちや人間について書か
れたエッセイ集。
町中の音についてからセミが何故鳴くのかまで、穏やかな文章で
綴られています。
上記の引用は、情報と信号について書かれた項の一文。
自分にとって本当はどうでもいいことであっても、どんどんと目
から耳から入ってくる御時勢なので、それらにふりまわされない
ように気を付けたいと思います。
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(推薦者コメント)
人間、つまり「ヒト」は、何が人間であって、何が動物なのか。「ヒト」という生物の種は、どこまで動物なのか、動物でないのか。そんなことを考えたことがある“ヒト”なら、おすすめできる本。
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普段、花を見ても虫を見てもなんとも思わない。そのなかでも蜂やゴキブリがいれば逃げるし、夏の暑い時期の蚊や蝉はとても鬱陶しく思う。
そんな思いでしか見ることのできなかった植物や動物、虫たちに対するきもちが、本書を読んで少し変わったように思う。
蝶の話し。 モンシロチョウの翅とアゲハチョウの翅の違いなんて、考えたこともない。この本を読まなければ、この先ずっと知りたいとも思わなかっただろうことがたくさん綴られている。そうだったのかと驚くことばかり。
人間には計り知れない、動植物、昆虫たちの生活や生き方が、筆者の自然に対する謙虚な姿勢と共に綴られたエッセイ集です。
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穏やかな筆致で動物たちの行動原理を説くとこによりヒトの生き方を鋭くえぐる。
ショウジョウバエの一節などは目が覚めた思いで読ませて頂いた。
グラスに小バエがとまった、という私なら「邪魔だ!シッシッ!」で終わる日常のひとコマを豊かに広く展開していく。
単に話が面白いにとどまらず、知性の意義を考えさせてくれた一冊。