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時間割 (河出文庫)
主人公のジャック・ルヴェルは、濃霧と煤煙につつまれた都市ブレストンを訪れる。現代の象徴ともいえるその底知れぬ暗鬱のなかに暮らした主人公の一年間の時間割を、記憶と回想の巨大...
時間割 (河出文庫)
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商品説明
主人公のジャック・ルヴェルは、濃霧と煤煙につつまれた都市ブレストンを訪れる。現代の象徴ともいえるその底知れぬ暗鬱のなかに暮らした主人公の一年間の時間割を、記憶と回想の巨大なカノンに響かせて再構成する。神話の枠組、土地の持つ魔力、時間の迷宮…鬼才ビュトールが、二重の殺人事件=推理小説のプロットを使い、人間の根源にひそむ暗黒を描いた現代文学の記念碑的傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】
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紙の本
断片のまま放置された記憶
2007/02/12 22:09
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終えたばかりのミシェル・ビュトール『時間割』の感想文でも書くかと思ったけれど、この五部構成の作品は記憶語り(過去の月日の浚渫作業、時間割の綿密な再構成)の五つの方法によるカノン(輪唱)の形式をとっていて、それらが錯綜していくにつれてそこで書いているのはルヴェルなのかブレストンなのか、書かれているのはルヴェルのブレストン滞在一年間の個人的な記憶なのかブレストンという中世都市の血塗られた歴史なのかが濁った牛乳まじりの陽光のようにしだいに曖昧になっていく──と思いついたところでそんなことはとっくに作者自身が自作解説のなかで明かしている(と訳者の解説に書いてあった)し、第一、小説の「時間構造」や作品世界の礎石のところにしつらえられた二つの神話(旧約聖書のカインとギリシャ神話のテセウスの物語)や作中にしつらえられた推理小説(『ブレストンの暗殺』)とのつながりの構造などを暴いてみせたところでそれはそれだけのことで、五つの記憶語りがオーバーラップする最終章はかなり難渋したものの総じて読み進めていくことの愉悦を与えてくれた(ゴダールの『勝手にしやがれ』のようなタッチで全編ルヴェルのモノローグつきの映画にしたら面白いだろうと思った)この作品の「時間構造」や構築された(あるいは断片のまま放置された)物語世界のなかでどういう体験をしたかを我と我が身を抉るようにして書いてみないと何も書いたことにはならない。
紙の本
知的であるということ。
2008/09/30 11:50
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
原題はL’Emploi du tempsといって、これは「時の用法」とも訳せ、まるで文法書のようにも読めるのだが、「小説についての小説」としてのこの作品の成立をうまくあらわしたタイトルだといえる。作家の伝記的事実からおそらくマンチェスターがモデルだと思われるイギリスの架空の都市ブレストンを舞台に、一年の契約で働きにきたフランス人ジャック・ルヴェルが、未知の都市で孤独な生活に押しひしがれたようになり、日記を付けることで町の圧力に抗し自己を取り戻そうとする話。『ブレストンの殺人』という推理小説が重要な小道具として登場し、彼を都市に近づけ、しかもその小説の物語が実際の事件をとりこんだものだったために彼の生活自身が推理小説的容貌を示し、人間関係の闇に取り込まれ、さらにそこに恋愛がからんで、と複雑な展開をするのだが、日記の記述がそもそも十月二日から九月三十日までの一年の滞在期間のなかば、五月一日に、十月二日のことを想起して書かれる、というはじまり方をするため、次第に思い出されている遠い過去の日付と思い出している当日の日付の記憶(記述)が前後、混淆し、さらには日記を読み返して思い出したことやその時に推理したこと、あるいは未来(の予測)などがどんどん書き加えられていくので、時間軸がどんどん折り重なって、事件の推理小説的迷宮性と、恋愛の心理的迷宮、さらに見知らぬ都市を彷徨い歩く迷宮性が時間の迷宮性と交錯してきわめて複雑な構造をつくりあげていく(文体的には、フランス語で書かれているというのを考慮に入れれば、かなり複雑で面白い時制の魔術的使用があったろうと想像され、改行さえもコンマで繋いでゆく長文のところなど、翻訳で読んでもそういう技の冴えは推察できる)。非常に丁寧に作り上げられていて、まあ正直先行する形式意識を充実させるための綿密な細部記述といった印象は拭い難く冗長であるのだが、まあいまとなってはほとんどエンターテイメント的によくできていて面白い(たとえば法月綸太郎などはとても強く影響を受け参考にしているんじゃないだろうか)。おそらくはジョイス(というかユリシーズを評したエリオット)を意識したのであろう物語の枠組みとしての神話(カインとテセウス)や、もっと後の、小説という形式を放棄した後の活動と直接関係するような美術、建築などに関する詳細で含蓄のある記述なども読みどころで、特に後者は観光と都市論の視点からも読むことが可能なものじゃないかとも思った。というか、この知の楽観主義はやはり良質な職業的知識人のもので、実は小説という形式にはそぐわないのじゃないかとさえ思う。