紙の本
暗い話ですが、それでも面白い。でも、思うのは学者先生たちの偉さ。この物語を再構成する努力には頭が・・・
2007/05/16 20:23
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
またまた学校の押し付けが嫌いで読んでこなかった名作と呼ばれる作品を、この歳になって「たまにはいいか」と読む気になったもの。文庫の新装、改版というのはこういうことがあるので、今後とも是非行なっていただきたいものです。カバー折り返しの内容紹介と目次は
上巻が
「斬新な手法と構成で、新しい文学表現に挑んだフォークナー(1897—19629の最初の代表作。語り手たちの内的世界のかなたに、アメリカ南部を舞台とした兄弟たちの愛と喪失の物語が浮かびあがる。フォークナー自身この作品をもっとも深く愛した。」
・一九二八年四月七日
・一九一〇年六月二日
訳注
・コンプソン家見取り図
・第一章主要出来事年表
・第一章場面転換表
・第二章主要出来事年表
・第二章場面転換表
クエンティン・ボストン移動地図
下巻は
「コンプソン家の現在を描き、物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」と言われるこの作品の成立によって、フォークナー独自の創造世界は大きく開花し、世界の文学に幅広く影響を与えた。のちに書かれた「付録」も収録。 (全二冊) 」
・一九二八年四月六日
・一九二八年四月八日
・「付録——コンプソン一族」
訳注
解説 平石貴樹、新納卓也
となっています。先に不満を書いておきます。前掲の目次を見てお気づきでしょうが、今回の本には章番号が振ってありません。無論、全体は大きく四つに分かれてはいます。1928年4月7日、1910年6月2日、1928年4月6日、1928年4月8日です。でも章番号はない。では、上巻の巻末の第一章主要出来事、或は第二章場面転換にある「第一章」「第二章」は具体的にどこを指すのでしょう。
実は、下巻の解説のなかでも平石貴樹、新納卓也は全く気にせず「(サートリス大佐も本作品第二章にチラリと登場する)」と書いています。繰り返しますが、この本には第二章の明記がありません。こんなこと、書評に書かせるなよ、岩波、ではありませんか・・・
しかも、障害児が登場する物語で、現代の若い読者が「物語にいっそうの奥行きを与える後半。「奇蹟が起きた」」という一文を読めば、必ずや「そうか、奇蹟によって彼は健常者になる、そういう素晴らしい物語だから、傑作と呼ばれるのだな」と勘違いをするかも知れません。私は、そう受けとめて、結局、イカン、と悟ったので、ここで断っておきます。このお話は、ただただ暗い、くらーい、一族の絶望的な物語です。
で、やっと本題。面白いです。ただし、その面白さは解説の一方的な「どんな解説も、これほどの傑作には必要がないのかもしれない」という決め付けや「一冊の小説が読者の人生を変える」といった大げさな言葉、先に写したカバーの文章からは想像もつかない種類のものです。まず、上巻と下巻の構成のあまりに大きな違いがあります。
上巻は、時制、語り手が自在に入れ替わります。しかも、それはある規則的な量(文章の長さ)によるものではなく、短いのもでは一文で変化します。私はこの手の手法には慣れていますが、ここまで極端なものには出会った経験がありません。私は法則性がない、と書きましたが、文学者というかオタクであればその変化に法則性を見出そうと挑みたくなる、その種類のものではあります。
それにしても学者というものは偉いものです。この一見無秩序なものを整理し、番号をつけ、場面転換表にして、どうしてもきちっとした流れを掴みたい人に理解できるようにしてくれます。しかも、このある意味曖昧な描写から舞台となっているコンプソン家の様子まで図にして示してくれるのです。その努力には頭がさがる、といっていいでしょう。
暗さを楽しむ、破滅の予感に怯える本として格好の一冊。翻訳の姿勢が立派。
紙の本
アブサロムよりは読み易いが・・・。
2023/10/21 13:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:通りすがり - この投稿者のレビュー一覧を見る
アブサロムよりは読み易かったですが、それでも難解な描写があります。
「意識の流れ」という文学的手法が使われてますが、要はこれは時系列がグチャグチャなんですよねw
巻末に詳しい解説があるのですが、これがなかったらチンプンカンプンな感じです(それでも訳がわからない;;)。
それでも内面描写や世界観が美しく描写されてて、さすがはアメリカ一の文豪という評価を受けてるだけはあります。
万人にお勧めできる作品ではないですが、文学の味を楽しみたい方には読んで損はない作品かなと思います。
投稿元:
レビューを見る
フォークナーの代表作であり、20世紀を代表する小説の一つ。ジョイスの影響を色濃く受けた「意識の流れ」叙述だが、読み難さは「ユリシーズ」ほどではない。
確かに自閉症のベンジャミンが一人称ナレーターをつとめる第一章は一読目では理解し難い個所が多いが、ジェイソンが語る第三章、三人称ナレーションの第四章は普通の小説で、バックグランドを理解した上で第一章を読み返せば、さほど難しいところもない。そういう意味では自殺直前のクエンティンが語る第二章が一番難解だが、いずれの章も個々の描写が活き活きとしているため、読み進むのに苦はない。
岩波文庫では、丁寧な訳注に加えて屋敷の間取り図、主要出来事年表、場面転換表まで掲載されていて、ありがたいと言えばありがたいのだが、これはさすがにやり過ぎ。研究書として別冊にするならともかく。
投稿元:
レビューを見る
あらすじを楽しまなくても面白い小説。一回読んだだけだと全てを理解することは出来ないけれど。この邦訳は巻末の解説が超親切。
投稿元:
レビューを見る
基本的にはアメリカ合衆国ミシガン州の想像上のまち、ジェファーソンに住む南部貴族コンプソン一家の没落を描いた話である。上巻には第一章と二章が入っている。第一章は精神薄弱のまま33歳になったベンジャミンの第一人称で一家の歷史がほのめかされていく。第二章は自殺したクェンティンの第一人称でハーヴァード大学の暮らしと妹キャディの処女喪失と結婚が想起されている。一章、二章とも意識の断片が自在に切り替わり、第一章では150ページのなかで100回程度、時間が切り替わっていく。第二章は200ページで250回程度、時間や妄想がきりかわり、非常に複雑な小説である。第二章でウェンティンは「近親相姦を犯した」といっているが、どうも嘘のようで、妹キャディの相手である男に負けた所から来ている逃避らしい。ベンジャミンは「木の匂い」に執着しており、クェンティンは時計や時間、「スイカズラの匂い」に執着している様子が書かれている。正直にいって、あまり好きな小説ではない。
投稿元:
レビューを見る
これは大学の講義で勧められ。
まだ上巻しか読んでないが、本の描写のされ方故
全然意味がわかっていない。
現在下巻を読んでいる。物語に深みが出てくることを願う。
ただ、そうだな。上巻の、クエンティンの過ごした日々の描写は、好きだな。
色んな小さな描写が、「読み終わること」によって徐々に浮き彫りになってくる感じが、面白い。
1月30日。
下巻読了なり。下巻は読みやすかった。
家に暗い影を落とし、少しずつ一家の歯車を狂わせていったそもそもの原因など、求めるべきではないのかもしれない。
うちには、老いの進んだ祖父がいる。
孫娘の私のことを、既に嫁いだ娘だと思い込み、
「何でお前は母さんの夕飯の支度を手伝わないんだ」
「何で結婚もせずに家にいるんだ」
(残業で遅くなると)「女がそんな時間まで働くことあるか。どこほっつき歩いてたんだ」
と、しばしば戦前的価値観で頭ごなしに怒られることがある。
うまくいなせるときは、我慢できる。
でも、どうしようもなく耐えられなくなることが、たまにある。
そんなとき、一人部屋にこもり、やり場のない怒りを(なんせ向こうは分かっていない)、声にならないうめきをあげ泣く自分の無様な姿は
「響きと怒り」に似たものが、あるのかも知れない、と思う。
やり場のない鬱屈を抱え、人は生きていく。
自分とは違う鬱屈を抱えているがゆえに、見ようによってはまるで屈託のないように見える他人を羨みながら。
不幸自慢なんて、キリがない。そう、分かっていながらも
出口の見えない自分の環境に、時々息切れしそうになる。
お前はいいよな、くらい言いたくなる気持ちが、
私には痛いほど分かる。
分かりたくなんてないんだよ。ほんとは。
自分ばっかりなんて、そんなことあるわけないって、分かってるんだもん。
自分の矮小さと残酷さと、行き場のない閉塞感を、
思い知らされるこの現実。
私には、この困難の先に何が残る?
響きと怒りをひた隠し、私は今日も生きる。
投稿元:
レビューを見る
斬新だけど、もうちょっと分かりやすく構成されてたら素直に読めたのにっていうのが正直な感想です。下巻と解説がないと意味がわからない。
個人的には、村上春樹が評価されるならこれも評価に値するだろうとは思う。抽象的な世界観をやや無責任に言い放っている意味で。
投稿元:
レビューを見る
(上下巻まとめての感想です)
アメリカ南部ヨクナパートファ州ジェファソンのコンプソン家は、かつては領地を持ち将軍と知事とを出した家柄だが、南北戦争を経て今では家族の屋敷と黒人使用人のみを所有していた。
最後のコンプソン一族となった兄弟たちの意識の流れが記される。
第1章はベンジーの章。
物語はベンジーが昔は屋敷の一部だった土地がゴルフ場になったのを眺めている場面から始まる。
”くるくる巻いた花たちのすきまから、柵の向こうでその人たちが打っているのをボクは見えることができた。”
どこか不安定な語り口。
読み続けるうちにどうやら彼は知的障害だと分かる。30歳の大柄な男だが、涎を垂らして叫ぶことしかできないらしい。
そのため第1章に流れているのは、ベンジーの考えたことをのものではなく、意識を言葉に記したものと言うことか。
ベンジーの意識はコロコロ変わる。現在の川をみて、子供の頃の川遊びを思いだすという感じ。
ベンジーが好きなものは、今ではゴルフ場になった土地と、姉のキャディ。キャディだけは心からベンジーを可愛がり面倒を見ていた。
匂いに敏感で、頭ではわからなくても匂いの変化で家の状況を感じ取る。
しかし第1章が説明もなしでいきなり知的障害者の意識を綴るとは、フォークナーは読者を待ってはくれない(笑)
私は解説を読みながら進んだので時系列など把握できたのですが、これは初めて状況を理解するのは無理。ベンベンジーの長兄と姪(キャディの娘)が同じ名前の”クエンティン”だなんて分からんでしょう。
余談なのですが、クエンティンって名前は女性にも使えるの??タランティーノしか知らないけど男性名かと思ってた。
第2章はコンプソン家長兄のクエンティンの意識を追う。
クエンティンは知的で繊細と思われるが、彼の意識もあちらこちらへと飛び、過去と今の時を行きつ戻りつ、想像と現実が入り混じる。
どうやらクエンティンは、妹キャディが複数の男たちと付き合い、妊娠し、それを隠して人格のよくない男と結婚することになったことを止めたがったが、なにも変えられないことに絶望し、学費期限の終わる学年で自殺を考えてきたらしい。
この章は自殺の日を迎えたクエンティンの錯乱しつつも的確に死の準備を行う精神を追っている。
妄想の中でクエンティンは父にキャディとの近親相姦を告白するが、あっさりといなされる。
私は「アブサロムアブサロム」でクエンティンが入水自殺してしまうことを知っていたのですが、でもこの2章を初めて読んだら「自殺当日の錯乱した精神状態」なんて読み取れないだろう。
クエンティンは「アブサロムアブサロム」でもオールドミスの話を聞き、考え、そしてどうにも変えられないという役回りでしたが、思慮深く神経が細やかな人格の持ち主のようですね。
他にもクエンティンの出てくる小説はあるようなので、他の彼を追ってみたいと思わせる人物像でした。
以上が上巻で、以下下巻。
第3章は次男のジェイソンの語り。彼は一家の中では一番現実的で、周りの人間に容赦ない。
まあ父はアル中、母は病床に就き人生をウジウジ嘆き過去をグダグダ振り返り現状にはグチグチ文句を言うだけ、学費を出してもらった兄は自殺、結婚式費用を出してもらった姉は淫行で家庭から縁を切られ、姉の不貞の結果である姪(キャディの兄と同じ名前の”クエンティン”なので第1章はややこしい)を引き取り、弟は重度の精神障害者…となったら現実的にならざるを得ないか。
ジェイソンの章はかなり分かり易い。彼が誰を嫌いか、誰の金をどのようにちょろまかしているか、かなり直接的に語られる。
第4章は俯瞰目線。ジェイソンの語りから2日後に起きた事件を通して、コンプソン家の決定的な終焉を仄めかして終わる。
巻末にはかなり丁寧な解説と、フォークナーが15年後に書いたコンプソン家の始まりから終わりまでが書かれている。
この小説はどう読むべきだったか。
私は事前に粗筋を呼んでいたり、巻末の解説を読みながらだったので、最初からベンジーは知的障害者だとかクエンティン自殺当日の記とか分かって読んだのですが、
全く先入観がなくそういうものを読み取って行き、そして分かった上で再読するのが本来の愉しみ方なのか。
語り手たちの意識は脈絡もなく飛び続けるが、小説の文体としてはかなり読みやすいのでそれはそれで驚く。時系列は飛び、同じ名前の人物たちが説明なく出てくる、妄想と現実とが入り乱れるのに入り込み易いなんて文体が存在するとは。
投稿元:
レビューを見る
何の予備知識もなく読むと最初は戸惑うかもしれない。
思考の流れを文字に表わそうとするとこのようになるのかと驚嘆した。
ある風景を見ている時に頭の中では記憶がフラッシュバックするということはよくあることである。
一度全体を読み、必要であれば解説に目を通し、再読するのがよいかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
『アブサロム、アブサロム!』以来久々のフォークナーだが、やはり彼は凄い。標準の字体とゴシック体を使い分け、ゴシック体の箇所は基本的に内面の描写に当てられているのだが、本作ではそれを意図的に脱臼させることによって時に内面の世界が現前化し、逆に現実が内面の世界の様に非現実化されている狂人の世界観を再現してしまっているのだ。一部では白痴のベンジー、二部では強烈なトラウマ体験を持つクウェンティンの視点によって記憶と現実が混濁した物語が紡がれていき、コンプソン家を襲った悲劇が徐々に輪郭を帯びていく。この勢いで下巻へ。
投稿元:
レビューを見る
津村のよみなおし世界文学の1冊。文体がそれぞれバラバラである。最初の幼いころは全て会話体であった。次の大学生の時は、一部が太字で一部が詩で句読点がない訳であった。
事件が起きない身近な出来事を描写しているような小説である。
投稿元:
レビューを見る
「アブサロム、アブサロム!」のクウェンティン君に惹かれ手に取ったものの……わーお……
にしてもフォークナーやっぱすげぇ。アブサロムで体験した高い壁、不動の巨岩をこの作品でもびんびん感じた。五感フル稼働してやっと上下読了。シャンディ然り、灯台へ然り、この種の「読みにくさ」とはイコール「『心理的肉薄』に対して抱く軽い目眩」なのではないだろうか?
投稿元:
レビューを見る
かつての若い時期の読書と異なり、詳細に「フォークナーの西暦、職歴、功績と作品群」を調べたうえで読み始めた。
決して読み易いとは言えない。
上下に分かれた1っ冊目は1章 白痴の次男ベンジャミンの妄想、内省、呟きと今でいう知的障害の33歳男性の等身大の姿が浮き上がる。
驚くのはわずか3日の出来事がこれほどに膨大な文章で表現されており、正常の精神でないことを前提としても10数年にわたるコンプソン一家の光と影がきっちり見えてくる事。
2章は長男クェンティンのモノローグ的な語り。
後に自死するとあって読んだ事も重なり、非常に昏く、鬱々とした自己中心の思考法で進んでいる。特に、精神的近親相姦?とでもいえそうなキャディとの兄妹の繋がりは狂気を感じる。
優秀なのだろうが病んでる狂気とでもいうのかハーヴァードと一族の事で自己完結している。
ギネスばりに長いセンテンス一種の詩劇と捉えて読むとちょっと嵌まる。
歴史が与えてくれたフォークナーの遺産を読める恍惚すら覚えた・・下巻へ
投稿元:
レビューを見る
半分くらいまでは、なんだか理解に苦しんだが、ひたすら読み進めてみた。後半に差し掛かってからは、引き込まれた。スイカズラの香が漂ようかのよう