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商品説明
なんで私はいつも「男」で間違っちゃうんだろう?迷走する恋愛の果てに射しこむひとすじの光。透明に深く輝く青春小説。【「BOOK」データベースの商品解説】
そこそこ美人。要領もいいし、頭だって悪くない。なのに、なんで私はいつも男の選択を間違っちゃうんだろう−。迷走する恋愛の果てに射しこむひとすじの光。透明に深く輝く青春小説。〔「あの日の僕らにさよなら」(新潮文庫 2013年刊)に改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
平山 瑞穂
- 略歴
- 〈平山瑞穂〉1968年東京生まれ。「ラス・マンチャス通信」で第16回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。他の著書に「忘れないと誓ったぼくがいた」など。
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紙の本
自分と他者の相互理解というファンタジー
2007/12/13 23:01
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:シノスケ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ラス・マンチャス通信』『忘れないと誓ったぼくがいた』では、過ぎ去ったことに対する諦めともとれるすがすがしさがあった。それは決して悔恨と苦渋ばかりの過去ではなく、諦めたことによる自らの肯定に他ならない。『冥王星パーティ』では、姿も中身も変わってしまった人物との意外な邂逅ではじまる。
原則として過ぎ去ってしまった過去をやり直すことはできない。自らの感情はともかく、物理的には不可能である。好意を抱いていたにもかかわらず、ちょっとしたすれ違いから自分たちの距離を再確認することで、そのまま二人の軌道上は遥か遠くへと遠ざかってしまう。別段珍しいことではないし、そもそも人間関係において人と人との間には絶対的な距離が存在する。それでも、ふとしたきっかけで二人の距離が接近することもあるし、二人の間に横たわる「アレ」を乗り越えて手を取り合うことだってできる。
『冥王星パーティ』は、決して淡い恋物語ではない。二人の人物が自らの心に存在する黒いしみを見つけ、相手の持っている「しみ」を認識したときに少しだけ距離が縮まる。作中で「本質的に評価しているのか」という問いかけがなされるが、それは本質的な関係をきずけるのかということでもある。都築祥子と桜川衛の関係は表面上うまくいっていたが、高校生活の1点において少なくとも桜川衛の持っていた日記という黒いしみによって、ずれてしまった。それに悔恨を見出した両者が再び交わるには歳月を必要とするが、少なくとも二人は高校時代の衛の日記を起点、終点として、それを認めることで自らの無理解を認識した。その生き方は決してスマートではないが、自ら苦渋と悔恨の道を選んだ二人の顔は晴れやかだ。
今までの作品は、いずれも舞台や筆致が異なるけれど、根本的な問いかけはおそらく同じだろう。次回作も楽しみ。