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裸婦の中の裸婦 (河出文庫)
「裸婦の中のもっともすぐれた裸婦、えらび抜かれた裸婦」をめぐつて交わされる十二の対話。作品にまつわる伝説や隠された意味が自由に語られる中で、次第に「見る」という行為の意味...
裸婦の中の裸婦 (河出文庫)
裸婦の中の裸婦
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商品説明
「裸婦の中のもっともすぐれた裸婦、えらび抜かれた裸婦」をめぐつて交わされる十二の対話。作品にまつわる伝説や隠された意味が自由に語られる中で、次第に「見る」という行為の意味が明らかになってくる。バルチュス、ベラスケス、クラナッハ、百武兼行、デルヴォーなど、古今東西の芸術作品を独自のスタイルで読み解く美術講義。【本の内容】
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没後20年を経ても一向に衰えることのない知の呼応
2007/04/27 17:33
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
裸婦を主題とした12の芸術作品について、ひとつひとつ著者とパートナーが対話形式でこれを論じていく。そして読者は自然にその作品の解説を聞くことになる、というしかけだ。
その解説の内容は、絵画論やイコノロジーを語るという表現ではまだ不足である。ディレッタントとも称された著者は、アカデミズムや美術評論家といった枠には決して当てはまらず、精神分析理論を使った絵解きにも頼らずに、それぞれの裸婦像を生みだした社会背景についてまで時代や国を超えて実際に見てきたように語り、常に渋澤独自の評論を繰り広げていく。
対話の相手として、作品ごとに中年男性と女子大生が交互に登場するのだが、さりげない会話から、この二人もまた相当の知識を持っている事が分かる。もちろん、この二人は言うまでもなく渋澤本人の分身なのであるが、その設定と会話の展開は偏ったところがなく、知の呼応とでも言えそうだ。
これは、某チャンネルのTV番組のように、無知の象徴のようなタレントや俳優を登場させて的外れな発言をしたり、高名な美術評論家の言葉にいちいち頷かせたりしているのとは訳が違う。無知と知の対比は一見分かりやすいようであるが、実に浅薄で残るものは少ない。
私は、本書を手に取った時、まず始めに巖谷國士による「あとがき」から目を通した。理由は、文春文庫版を既に読んでいたからなのだが、渋澤と巖谷との交流が切々と語られている箇所は何度も読み返してしまった。そして購入した後、帰宅するまでの間に一気に本編の全12編を読んでしまった。
かつて三島由紀夫は、「この人がいない世界は何と寂しいことだろう」と書いているが、渋澤が亡くなって今年で早くも20年目になることに改めて驚く。同時に、描かれている世界がどれも一向に光を失っていないことをすばらしいことだと思う。
この作品「裸婦の中の裸婦」は、最晩年の作品にあたるであろう。渋澤は、文藝春秋での連載を終えることなく、咽頭癌に倒れてしまったからだ。なお、12編のうち、最後の3編は病床の渋澤から直接「ぜひ頼みます」、「君以外にいない」と懇願されて、巖谷が書いたものである。実際には渋澤は癌の治療で声を失っていたので、このやり取りは筆談であった。
この二人の交流にも心打たれるものがある。