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商品説明
反日運動も、文化大革命も常識的に考えましょ! 私たちの理解を絶する中国人のさまざまな奇矯なふるまいが、「主観的には合理的」に映る思考システムがあるのです。日中関係の見方が変わる10講義。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
内田 樹
- 略歴
- 〈内田樹〉1950年東京生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。著書に「ためらいの倫理学」「下流志向」など。
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書店員レビュー
「中国問題の専門家が...
ジュンク堂書店大阪本店さん
「中国問題の専門家が一人もいない大学院生たち」に触発された、同じく専門外のウチダ先生が、眼前の騒動に囚われる事なく、また特別な情報源を持つ事なく、報道から得る情報と、中国が今迄積み上げて来た長い歴史的事実を元に、分かり難い大国・中国の思考原理を10のテーマから解き明かす。
仕事が出来るインテリジェンスオフィサーは、一発勝負で特ダネをすっぱ抜くのでは無く、ありふれた情報を積み上げて行く事で真相を掴むと云う。
本書で描き出される中国像ー「日本」カードが常に党内の権力抗争や国内統治の手法に利用されるのは、何より抗日戦の勝利が国民統合の唯一の成功体験として記憶されていることが大きいのでは…と推察する下りは、大袈裟かも知れないが、その好例と言えるのかも。
05年の大学院演習に基づいて07年に刊行された本書は、今現在(10年10月時点)の中国を巡る問題にも大いに役立つ「賞味期限の長い本」として有り続けている(近々増補改訂版が出る予定があるとか…)。
今尚、雨後の筍の様に出るエモーショナルで煽動的な中国本の顔色を無からしめる、中国論の白眉とも云うべき一冊。
人文新書担当:岡
紙の本
筆者の主著になりうる一冊
2007/06/21 16:51
15人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:一書生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年の活躍が目覚しい内田樹氏ですが、本書は氏のレヴィナス研究書、ユダヤ研究書などと並び、主著となろう一冊です(内田先生にとってはどれも甲乙つけがたいでしょうけど、一読者としての感想です)。ほとんどの(と断言します)日本人にとって、「なにがなんだかサッパリ」だったフランス現代思想を、ものすごく分かりやすく面白く書いたあの筆法で、現代中国を思いもかけぬ方向から照らし出していきます。これまでの中国論は「中国が好き/嫌い」で同じ前提で入っても結論がまったく逆という本ばかりでしたが、本書はきわめて公平に「熱くならずに」中国を語っていきます。中国が嫌い、という方にぜひ読んで欲しいです。
紙の本
内田の中国論
2007/07/10 14:41
28人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まったくレベルの低い本を出したものである。本書のキーワードは「街場」である。意味するところは「街場の『ふつう』の人だったら知っていそうなこと」だそうだが、その背景には「専門家不信」がある。専門家、インサイダーは常に何らかのバイアスを持っており信用できない。むしろ何も知らない「街場の感覚こそ、フェア」なんだそうで、この「街場の感覚」に基づいて、そこから「中国はどうしてこんなふうになったのか?」を推論しようというものらしい。だが残念ながら、内田の自画自賛とは裏腹に、その狙いは完全に失敗に終わっている。とにかく基本的な事実誤認が多すぎる。
例えば、「中国政治家の多くは大人(たいじん)であり、その代表例が周恩来で、周恩来は『以徳報怨』を合言葉に対日賠償請求の一切を放棄した」などと抜け抜けというが、以徳報怨を最初に言ったのは周恩来ではなく蒋介石である。しかも、周恩来は国交回復時最後まで対日賠償請求権放棄に応じようとしなかったので、交渉に当たった外務省条約局長の高島益郎から「当時の正当な中国政府だった中華民国は既に日本に対する賠償請求を放棄している。現在の共産党政府はその地位を継承したのだから、賠償請求放棄の立場も継承せねばならない」と国際法の常識を諭され「法匪」という政治家にあるまじき罵声を高島氏に投げつけたのは有名な話。
これだけではない。中国を論じるにあたり再三再四「王化政策」「中華思想」を振り回し、「中華思想に本来国境線という概念はなじまない。台湾問題にしろ、東シナ海ガス田問題にしろ、中国に対し国境線画定交渉などを持ちかけるのがそもそも中国四千年の思想を理解しないタワケモノがすることだ」みたいなことを内田は言うが、その中国自身がロシアとも、インドとも、国境線画定交渉を行い決着をつけている。ベトナムとも領海線確定交渉を行って決着を付けているのだ(ただし日本に対しては自分に有利な大陸棚論を主張しておきながら、ベトナムに対しては大陸棚論にすると全部ベトナムに持っていかれるので中間線論を持ち出して結局中間線で決着を付けるというご都合主義をやらかしているのだが)。
この他、アジアに儒教文明圏が出来つつあるみたいなことを内田は言うが(この手合いは昔からいるが)、司馬遼太郎がいみじくも言ったように中国・韓国の儒教と日本の儒教ではその概念がカソリックとプロテスタントのように大きく異なることくらい知っていて欲しい。中国・韓国儒教の中心は孝である。一方、日本の儒教の中心概念は公である。孝では身内への献身が全てに優先する。故に中国韓国では身内を養うが為、大々的な汚職が平然と行われるのである。日本ではこれは無い。つまり、日本と中国韓国では同じ儒教と言いながらその中身は氷炭相容れざるものなのである。
90年代に江沢民が行った悪辣な反日・愛国主義教育について日本政府の黙認があったなんて言い出すに及んでは、ほとんど妄想の世界に迷い込んでいるとしか思えない。 鳥居民『「反日」で生きのびる中国 江沢民の戦争』でも読んで少しは蒙を啓いて欲しい。
要するに内田は、日本のウヨクに昔から良くいるアジア主義者なのである。白人が嫌いでアメリカが嫌いで、現在の日本が「対米従属状態」にあるのが我慢できず、中国や韓国(それに北朝鮮)とも連帯して、白人をアジアから追い出して「真の平和をアジアに実現しよう」という願望の持ち主なのである。そこから逆算してすべてを導くから論たる論になっていない。これだけの間違いを犯しておきながら、それをもし「素人でござい、許せ」というなら、「わたしゃーしがない漫画家ですがな」と都合の良い時だけ漫画家を逃げ口上に使う小林よしのりと同じレベルだと指弾されても仕方あるまい。
紙の本
言論人としての見識を疑う
2007/09/12 02:20
17人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を出せば売れる、稀代の売れっ子学者が、やはり当代のホットイシューたる現代中国を論じる。意外性もあって、やはり相当の話題を集めているようだ。だがその内容はというと、はっきり言って全くお勧めできない代物である。
「儒教圏のすすめ」「専門知識の軽視」など、本書の核となる主張にも大いに首を傾げざるを得ないが、やはり看過できないのは事実関係についての記述の誤りだ。この本の中に具体的な歴史に関する記述はそれほど多くはないのだが、そのなかでも明らかにおかしい点がいくつもあり、読むと頭が混乱するので、中国に詳しくない人はまず読むべきではない。かといって中国に詳しい人間が読んでもそこから得られるものはほとんどないだろうけど。
最もひどいと感じたのは第二次世界大戦後の台湾に関する部分で、日本の敗戦から二.二八事件とその後戒厳令の発令を経て国共内戦の終結、さらにその後の白色テロ、という基本的な事実関係に関する知識があやふやなために、支離滅裂ともいうべき記述になっている。二.二八事件を「台湾人が国民党系の外省人を見つけ次第殺すというテロ」という事実とまったく逆の記述をしているのはその典型だ(194ページ)。内田氏はこのくだりを書くのに候孝賢の『悲情(本文では「非情」となっている)城市』を参考にしたようだが、他に関連書籍を全く当たっていないのではないだろうか。
また、39ページの「チベット紛争」という表現もおかしい。中国政府からすれば「チベット動乱」であり、チベット亡命政府はこれを「ラサ蜂起」と呼ぶ。もちろんこれを中越戦争や中印・中ソ国境紛争と同列に置くべきではない。さらに「独立の動きのある少数民族」の中に満州族(って満州国でも作るの?)と朝鮮族を入れている(220ページ)こと自体、中国の民族問題に関する著者の無理解を物語っている。江沢民の行った愛国主義教育が「反胡耀邦キャンペーン」だったというのも初耳である(218ページ)。このほか、具体的な誤りではないが、毛沢東時代の中国を語る際にソ連の存在が完全にスルーされているのは奇妙である。特に1972年の日中国交回復およびその前後の中国外交の展開を、ソ連との対立を無視して理解しようとするとそれこそ訳がわからなくなる。だから数年前の反日運動について、あれは周恩来らによる国交回復時からの深慮遠謀の結果だったのだ、といった荒唐無稽の解釈をせざるを得なくなるのだ。
まあ、とりあえず気がついたのはそんなところだが、これらの指摘には決して「専門知識」は必要ではなく、ちょっとネットを検索すれば誰でもおかしさに気付くことができる、ということは言っておきたい。それよりも問題だと思うのは、後書きに「自分はどうせ中国をメシの種にしていないのだからこの本の中に間違いがあるのは当然だ」といった言い訳とも開き直りともとれる発言があることだ。もちろん、自分のブログなどで好きなことを書く分には特に目くじらを立てる必要もないだろう。しかし彼はこれを大学院の講義として取り上げ、それをまとめて出版までしているのである。「メシの種じゃないから」などという言い訳が通用しないことは明らかである。中国論としてどうというより、言論人として不誠実な態度となじられても仕方がないだろう。