紙の本
シャイロックへの共感、シェイクスピアの深い視線。楽しく読めるが、深くも読める。やはり古典の名作である。
2007/10/11 16:38
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルからすれば金を借りる側のアントーニオやポーシャを見事射止めるバッサーニオの話が中心なのだろうが、どうしてもユダヤ人シャイロックについて考えてしまうこの戯曲「ヴェニスの商人」。愉快で楽しめるところと人間を深刻に考えさせるところとが、この作品には混じりあっている。
場面展開の速い劇であるが、軽快さのある訳でテンポ良く読み進めることができた。喜劇的要素も多いこの作品では、地口など、言葉の遊び風の部分も結構あって、その訳し方に現代性、翻訳者の創意が問われるところである。この翻訳は下品になりそうなところもさらりとこなし、無理がなく、わかりやすくて好感がもてる。物足りない、と思うかもしれないが、その分どたばたが抑えられ、シャイロックの加害者のような被害者のような立場にも目が行き届くのではないだろうか。さらりとした翻訳、というのは実際に舞台にかけられる際の演出や役者の力量の入る余地も充分ある、という点でも良い翻訳のひとつであると思う。
シャイロックは確かに金をあくどく扱うユダヤ人ではあろうが、キリスト教徒であるヴェニスの商人たちは正義の言葉の元にそれをさらにひどい言葉で批判するし、裁判の結末もシャイロックの気持ちになれば「ふんだりけったり」である。
シェイクスピアの時代にはキリスト教徒の側からみればユダヤ人はこういう扱いをうけるものだったのかもとも思う。しかし、シェイクスピアの人間を見る深い視線は、その中にすら、シャイロックの人格に対する人間的な扱いの必要性を描いている。
ユダヤ人としてのこれまでのひどい扱いに復讐を考えたシャイロック。しかし、結果的にはまた厳しい逆転判決を受ける。少々判官びいき的な性格の日本人はシャイロックに同情するかもしれない。宗教色の濃い争いがまだ続く現代でこれを読むと、シェイクスピアが意図したかどうかはわからないが、キリスト教の中にもある他宗教への残酷さのようなものもしっかりと書き込まれているようにも読める。
時代が変わると読み方も変わってくる。楽しく読めるが、深くも読める。やはり古典の名作である。
紙の本
シェイクスピア劇の醍醐味
2011/02/27 11:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ヴェニスの商人』を読んだ。
いつもはシェイクスピアはちくま文庫の松岡和子訳で読んでいるのだが、図書館になかったので、光文社古典新訳文庫の安西徹雄訳で読んだ。
ふとしたときに、「あ、あの本を読もう」と思い、2,3日のうちに読める今の図書館のシステムはありがたい。
『ヴェニスの商人』といえば、「借金が返せなかったら、肉1ポンドを切り取る」という内容が有名だが、それだけでなく豊かに肉付けされた登場人物たちが出てくるいかにもシェイクスピアらしい劇だった。
気の強い女性が口八丁で男をたじたじとさせる場面もシェイクスピア劇によく出てくる場面であり、それは今回も楽しめた。
解説も詳しくてよかったが、もうちょっと、キリスト教とユダヤ教という宗教面から見た『ヴェニスの商人』についての文章を読みたくなった。
投稿元:
レビューを見る
この物語も抄訳本ではあるものの、子供時代に最初に出会いました。 当時の KiKi がしていた大きな勘違いが2つあって、その1つは「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」と思い込んでいたんですよね。 そしてもう1つの大きな勘違い(というよりこれはシェイクスピア自身がそういう役回りを与えているという側面もある)が、シャイロックを文字通り「冷酷無比・極悪非道人」と思い込んでいたということがあげられます。
そして大学生になってこの物語を全訳本で再読した際に初めて、最初の勘違い「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」が間違いであったことに気が付きました。 タイトル・ロールはやたらと印象深いこの悪役ではなく、物語の中では自分の胸部の肉を担保に借金をしちゃったな~んていうショッキングな設定が与えられている割にはなぜか存在感の薄いアントニオだったんですよね~。
物語のプロットとしてはこのアントニオ、あんなとんでもない契約をしたばっかりに、そして事業の失敗という運の悪さ(後、それが誤った情報であることが伝えられる)も手伝ってあわや・・・・という状況に陥るわけですが、逆に言えばそれだけの存在とも言えるわけであまりにも存在感のあるシャイロックと比較すると影が薄いとしか言いようがありません。
それに対して物語全体を動かしているのはシャイロックからアントニオが借りた金を又借りした格好になっているバッサーニオとその借金の原因とも言えるポーシャのコンビ、そして悪役のシャイロックであることは明白です。 にも関わらずこの物語、どうしてタイトルが「ヴェニスの商人」なんでしょうか?? 実はコレ、KiKi の長年の疑問なんです(苦笑)
冒頭でも書いたけれど、子供時代はものすご~く素直に抄訳本に書かれた文言そのままにシャイロックのことを「冷酷無比・極悪非道の金貸し」といとも簡単に思い込んでしまって、この物語を勧善懲悪の物語と認識していた KiKi。 まあこれには復讐のために証文をたてに人肉を要求するという醜悪さも大いに影響を与えていたわけですけど・・・・・。
でも、大学生になってこの物語(全訳もの)を再読した際にはどちらかというとシャイロックの置かれている「ユダヤ人」という立場に妙に感情移入してしまいました。 「借金のかたに人肉を要求するのはさすがに行き過ぎではあるものの、アントニオだってかなり嫌なヤツじゃないか??(彼のユダヤ人迫害の様子はかなりエグイ)」 とか 「いやいやそれ以前にこのバッサーニオっていう男は何なんだ、外面を取り繕うために親友にあんな契約をさせてまでして借金するとは情けない。 そんな男に惚れるポーシャもポーシャだ!」とか感じちゃったのです。
と同時にヨーロッパ社会における根深い「ユダヤ人迫害」の実態を知り、こういう物語(というより演劇)が娯楽の少なかった時代に一般大衆に与えていた心理的なインパクトがどんなものだったのか等々あれこれと考えてしまいました。 そういう意味ではシャイロックの語るセリフ
「ユダヤ人には、目がないのか。 ユダヤ人には手��ないのか。 胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。 四肢五体も、感覚も、激情もないというのか。 同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病いで苦しみ、同じ手当てで治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。 何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。 針で突けば、わしらだって血が出るぞ。 くすぐられれば、笑いもする。 毒を盛られれば、死ぬではないか。 それならば、屈辱を加えられれば、どうして復讐をしないでいられる。 何であろうと、わしらがあんたらと同じであるなら、復讐することだって違いはない。 もし、ユダヤ人がキリスト教徒に辱めを加えたら、キリスト教徒は何をする? 右の頬を打たれたら、黙って左の頬を出したりするか? いいや、復讐だ。 もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする? キリスト教徒の忍従の例に倣って、ただ黙って耐え忍ぶのか? いいや、復讐だ。 悪いか? だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほかならぬ、あんたらじゃねえか。 わしはただ、その教えを実行するだけ。 見ておるがいい。 必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。」
にはキリスト教の欺瞞を暴く、ある種の真実が含まれているにも関わらず、この物語を「喜劇」と位置付けた「時代の精神」みたいなものを感じずにはいられません。
もちろんこの物語をホロコーストを経験したイマドキの感覚で読んじゃいけないと頭ではわかっている(つもり)んだけど、アントニオとその取り巻き連中の「キリスト教信者」であることをそのまま「正義」「差別する側」と位置付けているような傲慢さがどうにもこうにも気に入らないのも又事実です。 そして現代感覚丸出しの日本人の発言であることを百も承知の上で言うなら、最後の最後、あの大どんでん返しの裁判の後、「キリスト教への改宗」までもを余儀なくされちゃうというのはキリスト教の排他性の象徴としか感じられません。
それにしてもシャイロックは「身から出た錆」と片付けるにはあまりにも気の毒だなぁ・・・・と。 財産没収(社会的な抹殺)、キリスト教徒への改宗(精神的な抹殺)、さらには最愛の娘の裏切り & キリスト教徒にもっていかれる・・・・・では命だけは助けてもらったにしろこの物語のあと、どうやって「誇り」とか「アイデンティティ」を保って生きていったんでしょうか??
ま、てなことをつらつらと考えると尚更、この物語のタイトルが「ヴェニスの商人」であることがどうにもこうにも腑に落ちなくなってしまう KiKi なのです。
それにしてもシャイロックの悲劇の元凶ともいうべきあの「証文(≒ 契約書)」ですけど、これってイマドキの感覚からすると「公序良俗に反する契約内容」以外のナニモノでもないよなぁ。 こんな証文を公証人が作ることができちゃうっていうのも、恐ろしい世界だなぁ・・・・と。 そういう意味ではいい時代に生まれたことを感謝しなくちゃいけないのかもしれません。
と同時に、法律っていうやつはどこかしらに抜け道があるのが当たり前なのかもしれないなぁ・・・・と。
ま、それはさておき、何年か前に KiKi はこんなハリウッド映画を観ました。
ヴェニスの商人
ASIN: B000E5LIRK 監督:マイケル・ラドフォード 配役: アル・パチーノ、 ジェレミー・アイアンズ、 ジョセフ・ファインズ、 リン・コリンズ、 ズレイカ・ロビンソン
1596年、貿易の中枢として栄える運河の街ヴェニス。 無一文の情熱家バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)は愛する人ポーシャ(リン・コリンズ)に求婚するため、友人アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)に資金援助を頼み込む。 手持ちがない彼は宿敵の高利貸シャイロック(アル・パチーノ)から自らの身体の肉1ポンドとひきかえに借金をするが、全財産を載せた船が難破し期日までに返済ができなくなり、裁判にかけられることに。 シャイロックは借金返済の違約金代わりとして証文通りアントーニオの心臓に近い肉1ポンドを要求するのだが・・・・・ (DVDケースより転載)
この映画でもやっぱり光っていたのはアル・パチーノでした。 個人的にはジェレミー・アイアンズはか☆な☆り 好きな役者さんのはずなんだけど、ほとんど目が向かなかったなぁ・・・・・。
投稿元:
レビューを見る
面白い!ぜひとも舞台で見てみたいです。
主人公いいやつすぎるよ、慕われてるし。
そしてユダヤ人の強欲さぶりに乾杯w
投稿元:
レビューを見る
古典的な台本劇。
途上人物多すぎで、パニックになること請け合い。
合間合間の小話が面白い。
投稿元:
レビューを見る
肉片1ポンド」の話はよく知ってたけど、結婚の話がメインになってるとは知らんかったなぁ。
3つの箱の話は別のものだと思ってた。
それぞれの話を独立させても成り立つほど完成度が高いってことなのでしょうかね。
それにしてもバサーニオはそもそもなんでそんなに金がないのかが気になる。
ユダヤ人を悪人にする感覚がアジア人の自分にはイマイチつかめん。解題では単なる悪人にしていないところがシェイクスピアの深みらしい。なるほど。
投稿元:
レビューを見る
古典って差別用語が多いのねぇ〜
金、銀、鉛の箱を選んで婿を決めるというのは
童話『金の斧、銀の斧』を思い出してしまいました。
投稿元:
レビューを見る
2007.09.20
以下あとがきより
>外面的な行動から人物の内面へという、作者の関心の移動という現象は、 〜中略〜 結果的に、作品全体を支えるヴィジョンの複眼化、立体視化を生み出しているという点である。つまり、すべてが主役の単一の視点によって統括されるのではなく、複数の人物がそれぞれに作者(ひいては観客)の共感を誘引し、それぞれ多様な視点を打ち出すことを通じて、作品全体が、複眼的なパースペクティブを構成するという結果がもたらされていることだ。
投稿元:
レビューを見る
これはすごいぜ。面白いぜ。
名台詞も多く、ユダヤ人金貸しシャイロックはあまりに有名なこの作品。
主人公は商人アントーニオなんだよね?多分・・。
お姫様が求婚者に箱を選ばせたり、ちょっとかぐや姫的な展開もありつつ。
とにかく主人公とその親友ふたりの友情が濃い。
何かの論文読んだとき、アントーニオはバサーニオへの執着が、シャイロックは金への執着があまりに強すぎて主人公にはなれない、みたいなことが書かれていて、ああそういう分析もできるんだな、と思った次第です。
これたぶんアントーニオとバサーニオのホモセクシュアル的な分析とかもいける作品だよね。
ポーシャとの指輪をアントーニオのために渡してしまうとか、格好の小道具も場面もぱっと思いつくだけでも揃ってる。お金が性の代替品とか?いややらないけど。
この作品がいいなあ、と思うのは、王道を行ってくれるところ。
お姫様ポーシャが少年に扮して裁判官をやるシーンとか爽快すぎるよ。
シェイクスピア作品の中でもかなり好きなヒロインに入ります。
まあやっぱりスルーできない存在感のユダヤ人シャイロック。
これって当時のピューリタンの像にも重なるらしいね。金貸し。偽善的。口うるさい。
でもやっぱり気になるんだよね。もしかして本当にこの物語の「前」にこそ、シャイロックの物語があるんじゃないかって。
ユダヤ人だからって差別を受けて、そのなかでも努力してはいあがってきたシャイロックという男の物語があるからこそ、ここまでシャイロックはアントーニオを憎むんじゃないかなって。
悪役にもバックグラウンドがあるのがシェイクスピアのイイトコロ。
最後やっぱりアントーニオの財産無事でした、はご都合主義すぎてびっくりしたけどね。さすがに。
シャイロックのことを考えると、アントーニオたちが完全に正義なのかどうなのかとかわからなくなるのもまたこの作品の魅力です。面白い。
投稿元:
レビューを見る
アントニオもバサーニオもかっこいいよ。でも、僕はどうしてもシャイロックの視点が気になってしまうんだな。
投稿元:
レビューを見る
裕福な貴婦人ポーシャへの恋に悩む友人のため、貿易商アントニオはユダヤ人高利貸しのシャイロックから借金をしてしまう。担保は自身の肉1ポンド。商船が難破し全財産を失ったアントニオに、シャイロックはあくまでも証文どおりでの返済を迫るのだが・・・。夫の友人の危機を知ったポーシャは、少年の姿に扮して彼らの前に現れる。
シェイクスピアは悲劇で有名ですが、私は喜劇の方が好きです。やっぱりすかっと悪役が倒された方が読了感がいい。法律にしばられていては実際に懲らしめられるべき人が罰を受けないっていうのは、現代日本にも通じるところが多々あると感じます。正直自分自身がそれで報われない目にあったこともあるから余計に法律を信じられないっていうのもありますが。ポーシャみたいに機転をきかせられるような人が裁判官だったら素敵なのにね。
投稿元:
レビューを見る
あまりにも有名なシェイクスピア喜劇だけれど、内容を何も知らなかったので読んだ。シェイクスピアは現代の小説や舞台でも繰り返しモチーフとされることがあるので、いっそのこと、この一冊を読んだことをきっかけに一気読みしてやろうと思っている。
友人バサーニオの結婚のために、その費用をユダヤ人高利貸しのシャイロックから、自分の胸の肉を抵当にして金を借りる貿易商アントニオ。借金返済の期日が迫る中、彼の所有する貿易船がことごとく難破し、財産を失い、シャイロックに金を返すことができなくなり、アントニオはシャイロックに胸の肉を切り取らせることになる…… という筋書きであるが。
シャイロックというユダヤ人の高利貸しがあまりにも悪辣に書かれていて、これは当時、相当にユダヤ人が差別されていたのだと様子がうかがえる。さらにキリスト教徒の慈悲深さが強調されていて、この物語は人間ドラマというよりも、キリスト教の哀れみ深さを強調したドラマになっている。
とは言え、クライマックスのシャイロックとアントニオを巡る裁判の行方はサスペンスフルな展開で読ませる。そして、最後はやっぱりキリスト教徒っていい人たちなんだ!で終わる喜劇だった。
私には、シャイロックがかなり真っ当なことを言っているように思えてならない。彼が泣いているのが見える。
投稿元:
レビューを見る
■目的
古典を読む。
■見たもの・感じたもの(テーマ)
ストーリーは喜劇。
暗にあるテーマは、「ユダヤ人迫害・人種差別の歴史」、「個人の尊厳・女性の地位向上」。
■感想
当時の人々は、どのような思いでこの劇を観たのでしょうね。
舞台で繰り広げられるドタバタ劇に、大衆は笑いを交え楽しんだだけなのでしょうか。それもまた皮肉なものですね。
こんな一節があります。
「(中略)「愚かなる大衆」の意味ではないのか?愚かしくも、ただ目に見える外見以上は知ろうともせず、内実をさぐろうともせぬのが大衆。」(P90)
観劇しながら高笑いをしている人に鏡をかざしている、そんなシェイクスピアの意図を感じました。まぁ、これは風刺好みの私の希望的見方なのですが。
投稿元:
レビューを見る
中世ヨーロッパにおけるユダヤ人の存在を知りたくて読んでみた。けど知識不足からか、本当に法律で決められているのかユダヤ人だから差別されているのかなんだかよく分からなかった。
投稿元:
レビューを見る
友人のために悪徳金貸しから
自分の肉1ポンドを担保にお金を借りた主人公。
最後にキレイおさまる結末など
1時間くらいで読めるのに濃密な内容。