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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2007/07/01
  • 出版社: 筑摩書房
  • レーベル: ちくま学芸文庫
  • サイズ:15cm/222p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-480-09088-1
文庫

紙の本

ことわざの論理 (ちくま学芸文庫)

著者 外山 滋比古 (著)

ことわざの論理 (ちくま学芸文庫)

税込 924 8pt

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みんなのレビュー17件

みんなの評価3.9

評価内訳

紙の本

私の中の日本人。

2010/01/26 09:54

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

外山滋比古著「空気の教育」(福武文庫)。その文庫解説は森隆夫氏。その解説に「ことわざの論理」について語った箇所があるのでした。

「・・私自身、外山先生から多くの薫陶をうけているが、そのうち印象に残っていること・・
第一は、立派な先生には立派な恩師がいるということである。外山先生の本の中に『ことわざの論理』という本がある。それはT書籍のT選書と呼ばれているが、T選書は表紙に推薦のことばをのせる慣わしになっている。ところが、外山先生の『ことわざの論理』には推薦のことばがのっていないのである。私がそのことに気付いたのは、私の本もこの選書の一冊に加えてもらうことになったときである。編集の人が誰か推薦のことばをいただいて欲しいという。どうしても必要なのですかと聞いたところ、例外が一冊だけあって外山先生であるというのだが、その理由は、外山先生の恩師福原麟太郎先生が他界されていたため推薦のことばがもらえないからであるという。外山先生は私が推薦のことばを書いてもらいたい人は恩師福原麟太郎先生以外にはないとおっしゃったそうである。そのとき、もしどうしても推薦のことばが必要といわれるなら、本はださなくてもよいとまでおっしゃったそうである。恩師を尊敬してやまない外山先生の姿から福原先生の空気の教育の偉大さも察しられる。と、感心は出来るが、さすが外山先生と、私のような目下の者が、外山先生を賞める訳にはいかない。なぜなら、尊敬する人から賞められるのが本物だからである。・・・」

ちなみに、T書籍・T選書は東京書籍・東書選書(1979年)のこと。

そういえば、外山滋比古著「コンポジット氏四十年」(展望社)に、
「根本(外山氏ご自身のことをこう呼んでいる)は正統な師範教育を受けたから古典的教師像をいつしか胸にいだいていた。」(p61)という箇所があります。

つい、今朝思い浮かんだのは、河上徹太郎著「史伝と文芸批評」(作品社)にある文「私の中の日本人――福原麟太郎」でした。
せっかくですから、引用。

「福原氏の人柄の美しさは何といへばよいか、専門が英語だから英語学者又は英文学者といふのだろうが、もうここまで行くと英語でもなければ日本語でもなく、ただコトバといふものであつて、しかもコトバ即ち人格といふ所まで行きついた人である。
氏のコトバ観は一例としてその著書『文学と文明』から引用して見よう。
『つまり日本文学はこうして海外からの上げ潮にも直接に洗われて、成長したのであった。一葉が西洋文学を学ぶ青年たちに励まされて自分の文体を発見したことは象徴的であった。どこの国の文明にも時期がくればこうして一時に花が咲きコトバが繁る。
コトバというものを言の葉と書くのは西洋文学でも同じである。コトバが表現力を持つということが文学には根本的に必要なのだ。・・・そこで、吉田健一氏が言うように、明治の文学作品など一つも無くてもかまわない。コトバを残して置いてくれさえすれば、ということにもなる。必要なのはコトバとその表現力コトダマである』
ニイチェがフィロローゲンといふ言葉を使ふとかういふ意味になる。福原氏は英語の言葉に首をつき込んで頭を上げて見るとそこは国語の世界であつた。まがふことのない日本語の国であつた。コトバの世界の純潔をつきつめた『国際的』な探求から民族の雅を発見するとは、何と『日本的』なことであろう。それはもはや語学者といつた専門家ではなく、一人の『国士』の誕生である。私が大人といつたのはその意味で、その点で氏は『日本人』なのである。」(p179~181)

もうちょっと引用させてください。

「私は福原さんのことを書いてゐると、氏とかさんとかいふよりも、今まで時に書いて来たやうに、つい先生といふ敬称をつけたくなる。これは私が氏の・・・祝賀会の時のスピーチでいつたことだが、私がつい先生と呼びたくなる人が今まで三人ゐた。それは菊池寛、辰野隆、福原麟太郎の三氏である。三人とも文壇閥、学歴の上で私の先生ではない。しかもそれが口をついて出て来るのは、いふだけ野暮だが、親しみの加はつた尊敬の念からであらう。そしてその祝賀会での印象だが、福原先生が大勢の昔の弟子に囲まれて敬慕されてゐる情景は世にも美しいものであつた。岡倉先生の厳しさの中にもこんな温かさがあつたのだろう。もうこんな先生は今の時勢では出ないかも知れない。芝居を作るのが作者や役者ではなく観衆であるやうに、先生を作るのはお弟子である。今の学生にはそんな能力を失はれてゐるのである。さういへば吉田松陰が良師であつたのは、彼の資質もさることながら、久坂や高杉、殊に入江久一、品川弥二郎が良い弟子だつたからだともいへよう。」(p183~184)

ああ、ちっとも本文へと言及できませんでした(笑)。
さて、恩師に推薦の言葉を頂きたかったという、この本。
うん、まるっきり、とんちんかんな方角からでも、
まず、興味をもっていただけたら幸い。

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