紙の本
断絶の日々
2008/12/23 20:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はトロッコである。
前書きでドラッカー先生はそう語る。
未来はゲリラ戦であり、予期せぬことが走行を脱線させる。
トロッコは後続の列車のためにレール下の地雷を見つけるので
本書はゲリラ戦である未来において活躍する、という意味。
村上龍の『5分後の世界』に出てきそうなイントロだ。
本書が語る断絶は4つ。
1.新技術・新産業が生まれる。同時に今日の重要産業が陳腐化する。
2.世界経済が変わる。世界はひとつの市場となり、グローバルな
ショッピングセンターとなる。
3.社会と政治が変わる。いずれも多元化する。
4.最も重要なこととして、知識の性格が変わる。
2008年を毎日それなりに仕事していれば、解説の必要はないでしょう。
これが全て最初の3ページに書いてある。さらに4ページ目にはこうある。
「本書は趨勢を予測しない。非連続の断絶を見る。明日を予測はしない。
今日を見る。明日はどうなるかを問わない。明日のためにどう
取り組むかを問う。」
これが書かれたのはなんと1968年。それから40年。
ドラッカー先生曰く、断絶の時代は1960年代より緩やかに始まり、
60年余り続く。つまり今は2020年まで続く断絶の時代の最終局面に
あたるわけだ。私は気になることが書いてあると、ページの端を折る
ようにしているのだが、折ってある部分が多すぎて引用も解釈も
し切れない。ただ読んでひとまず飲み込んでみることが本書の最良の
読み方のように思える。
すでにあらゆるところで言及されているように、世界の中心は
知識へと移行している。金融資本主義が崩壊しても金融が亡くなる
わけではなく、自動車産業が没落しても生産活動がなくなるわけでも
なく、ましてや組織がなくなるわけでもなく、逆に組織を通じて
生産的であることが益々重要性を増してくるわけだが、その中心には
知識がある。知識とは詰まるところ、いまニンゲンと呼ばれている
ものの脳の中にある。それはいまはニンゲンだけが持っているように
思われている。もし仮にあらゆることに断絶があるなら、ニンゲンの
断絶がないと、どうして言い切れる?
最初に前書きを取り上げたので、書評としては反則かもしれないが
最後は後書きの一部で締めよう。
「もし人類が存続しえないのであれば、本書の関心事も人類とともに
消える。しかし、もし存続しうるのであれば、本書の関心事はわれわれに
とっての課題となる。
それは平凡な課題である。新しいアダムのための衣装のデザインでは
なく、文明の織物の繕いという課題である。それは今日の課題であって、
明日の課題ではない。」
われわれはどうやら、ニンゲンの文明が引き裂かれんばかりの断絶の
日々を生きているらしい。
投稿元:
レビューを見る
ビジネスマンのこれから求められる資質について書いてある。経営もしくは経済分野の本であるが、私にはかなり良質な自己啓発本に見える。社会人もしくは大学生必見の書である。
投稿元:
レビューを見る
1969年の著作。私の生まれる前(ほんのちょっとですが...)に書かれた本であることが驚きです。
白眉は第I部。次なる産業として、情報産業、海洋開発、素材産業、都市開発、を挙げています。殊にコンピュータの黎明期のこの時代における情報産業についての確信的な言明は、ここまで見通すことができるのかとある意味感動的です。
1969年と言えばインターネットの元になるARPANETが米国防総省の研究用ネットワークとして立ち上がった年で、Microsoftが設立されたのでさえ5年以上後の1975年という時代です。その時点で、「技術的には、電気が引かれているところならばどこでも情報を手に入れられるようにする装置を、テレビより安い値段で売る店が、明日にでも現れておかしくない」と指摘しています。さらに続いて「もちろん、最も欠けているものはハードウェアではない。情報という名のソフトウェアである」。全くもってその通りだと今の私たちなら言うことができるでしょう。
そしてさらには、「これらの電子メディアは物を伝える。経済を伝える。グローバルなショッピングセンターを生み出す。これもまた新しい現象である。しかも、それは新しいコミュニケーションを生み出す」。まるで現在のGoogle、eBay、Amazon、SNSなどを見てきた上で言っているようでもあります。
ドラッカーさんは言います。
「予測の危険は、起こらないことを予測することよりも重大な間違い、すなわち重要なことを予測しないという間違いにある。」
先に予測した中でも海洋開発については、言ったようには社会へ大きな影響を与えていないかもしれません。それでも情報社会、知識社会の到来を予告したことの価値を減じるものでは全くないのです。
「ビジョンは行動に先行する。ただし理解は行動よりも後に得られる」。ですよね。
1969年の時点で断絶はすでに起こったことであり、明日のために今日何をするべきかと問うドラッカー。その問いはもちろん今日でも有効です。
その他、グローバル社会、多元化社会、知識社会についての論説はいまも秀逸です。
やはり星5つ。
投稿元:
レビューを見る
私が始めて読んだP.F.ドラッカー。私は経営者でもなんでもないが彼の言葉には自分の生き方、人生に対して多分に影響を受けた。いままで読んだ全ての著書にすぐに役立つ言葉がいっぱいだが、「断絶の時代」で好きなのは、例えば「組織にとっての問題は独創性の欠如ではなく、すでに行なっていることの継続を迫る慣性にある」といった部分。人は今の安定をドラスティックに変えることを嫌がる、しかしそれでは結果組織は衰退してしまう。彼の言葉はいつ見ても新しい。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
グローバル化、知識社会、多元化…時代を予期した伝説の書。
[ 目次 ]
第1部 企業家の時代(継続の時代の終わり;新産業の誕生;方法論としての企業家精神;経済政策の転換)
第2部 グローバル化の時代(経済のグローバル化;途上国の貧困;経済学の無効)
第3部 組織社会の時代(多元化した社会;多元社会の理論;政府の病い;組織社会に生きる)
第4部 知識の時代(知識経済への移行;仕事の変化;教育革命の必然;問われる知識)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
ドラッカー氏、時代の流れを読むシリーズ。
とても1960年代後半に書かれたとは思えない先見性。
様々な事象の質的、構造的変化を大局的にとらえ、なおかつそれを組織の目的、マネジメント、人材の活用といったことに結び付けられるのは、ドラッカー氏を除いて他にはいないのではないでしょうか。
経済発展のために行うべきことは、貧しい人々に援助することではなく、資金の生産性、人の生産性を高めることだと氏は説いているところは納得感がありました。
そして、そのための機会を提供する最高の機関がグローバル企業だと。
2025年頃まで続く「断続の時代」。
グローバル社会の一員として、これから何ができるか?
今なお新鮮な気持ちで考えることができる大変貴重な一冊です。
投稿元:
レビューを見る
(読み方が偏っているので他の方と印象が異なるかもしれません。申し訳ありません)
どのような変遷を辿って今日があるのか。しかも今日をドラッカーはいつごろ予測していたのか。
何をきっかけに予測したのか。どのような環境にあったのか。
それらを考えれば、実は自分の職業の未来は普通の個人でもかなり予測可能に思う。まさに 温故知新。そのヒントが沢山書かれているように思う。
しかも有難い事にドラッカー没後、幾多もの、現在を踏まえて、さらにドラッカーのエッセンスも含まれた書籍が沢山出ている。それらを参考にして、自分3.0を定義しようと思った。というか作った(笑
投稿元:
レビューを見る
「コンピュータが現れなかったならば、情報とはエネルギーの一種であるということは理解されなかった。電気は、機会の仕事のための、最も安く最も豊富で最も使いやすいエネルギーである。これに対し情報は、頭の仕事のためのエネルギーである。これからはこの類いの仕事のためのエネルギーが最も必要となる。」
この本って1969年、ドラッカー59歳の時の著作ですよね。
「情報とはエネルギーの一種」っていうことを初めて聞いて驚いてしまいました。もっと掘り下げたいなと思います。
イノベーションの重視、それの土台となる知識の重視。これらにまつわる社会システムについての言及。マクロ的に様々な分野での言及はあるが、自分自身のこととなると自分で考えなければならない。答えを容易に提供している簡単なビジネス書とは違い、様々な示唆を与えてくれる。
投稿元:
レビューを見る
1969年の著書だが、今でも通じる変化について述べている。企業家は今も悩んでいるだろうが、グローバル化は確実に進んでいるし、組織の多元化も同様。卓見ということだろう。そして、色々な書籍で協調している、知識の重要性が増すことは確かにそのとおり。教育も含めて、知識は大切だと言うこと。
投稿元:
レビューを見る
これまでの社会の発展は、19世紀後半からの延長線上にあった。今、これまでとは異なった変化の兆候が見えている。その中でも最も大きな変化が、知識の価値の変化である。
1969年にこの本が書かれたことを考えると、社会は変化しているようで変化していない様な気がした。著者の観察力が素晴らしかったのだろうと思う。
テレビやラジオのコマーシャルは30秒で伝えたいことを伝えてくれるが、この本はたいへん長い。読むのに時間がかかる。でも、面白いので仕方ないのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
約半世紀前の1969年に書かれた、あまりにも有名なドラッカーの社会科学書。この著作名から「●●の時代」とその年を安易に名づけることが流行りましたね。
今読んでもこれが50年前にかかれたものかと驚くほど、的確に時代の流れを見据えています。当時まだ萌芽したばかりのコンピューターについても、今の時代が到来することを明白に予想しています。驚くばかりの先見の明には、知の巨人たるドラッカーの面目躍如たるものがあります。
本書あとがきにいみじくも「本書で述べたものはすでに起こった事実であるがゆえに消え去るものではない。解決すべき問題はますます重要性を増す。だが本書は何が起こるかは教えない。何に取り組まざるを得ないかを示した。同時に何が起こりそうもないかを示した。本書の意義は、これからの時代はいわゆる未来予測のいうところとは異なり、これまでの趨勢とは違うものになることを示したところにある」とエクスキューズ的にドラッカー自身が書いていますが、その取り組むべき事柄を明示したことこそ未来予測というものではないでしょうか。
以下印象に残った文章。
・政治、科学、世界観、慣習、芸術、戦争は変化した。しかし最大の変化があったとされている領域が、この半世紀最も変化しなかった。それが経済だった。確かに戦後の経済発展は急速だった。だがそれは、第一次世界大戦前の産業によるものだった。それまでの半世紀になされた発明を基盤とし、1913年頃すでに確立していた技術に基づいていた。
・売上げを増やし雇用をもたらすものは技術であると思われている。だが、技術は可能性を教えるにすぎない。可能性を顕在化させるものはマーケティングである。イノベーションとしてのマーケティングである。
・(高い目標の設定)一流の科学者と並みの科学者を分けるものは才能ではない。知識や努力でもない。ニュートンやファラディをはじめとする一流の科学者は、自らの知識、知能、エネルギーを本当に価値のあるものに集中した。まったく新しいものを創造しようとした。
・そもそも援助は、機会ではなく問題に注ぎ込まれる。成果の大きなところではなく、必要の大きなところへ向けられる。したがって依存を生み出す。少なくとも依存を続けさせる。外国援助でも国内援助でも同じである。
・経済発展とは、一人ひとりの人間とコミュニティの活力の問題である。活力はそこに住む人たちのイニシアチブと相乗効果によってのみ生まれる。
・金がなくとも人がいれば山を動かせるが、人がいなければ金があっても役には立たない。経済発展のためには人材の育成とその機会への登用が不可欠である。優れたリーダーとともに、そのリーダーのビジョンを現実のものにすることのできるフォロワーが必要である。
・何を捨てるのかという廃棄の決定ほど、重要でありながらなおざりにされているものはない。
・効率を重視する者は正しく行えば結果は自動的にもたらされるとして、手続きを重視する。これに対し、成果を重視するものは、人間社会の試みにおいては成果の80%は最初の20%の努力によっても���らされ、残りの80%の努力は20%の成果しか生まないとする。さらには最後の5%の成果を得るには95%もの努力を必要とするという。前者の考えでは努力が意味を持つ。後者では結果が意味を持つ。マネジメントのよしあしも、前者では秩序によって、後者では活力によって判断する。前者では、管理が組織の力を表す。後者では管理は後方支援にすぎず、腐敗を防ぐための必要悪にすぎない。
・いずれの組織も自らの目的を明確に規定するほど強くなる。自らの成果を評価する尺度と測定の方法を具体化できるほど、より大きな成果をあげる。
・今日に至っては、強い大統領や強い首相は強い政策を持つ者ではない。官僚というライオンを手なづけている者である。
・若者は操られることに抵抗する。しかし実は彼らが最も恐れているものが、意思決定の重荷である。そこで彼らは意思決定、選択、責任を避けるためにあえて落伍する。
・中世ヨーロッパの農奴制も、始めは農民が求める恩典から始まった。彼らは領主や修道院に保護を求めた。土地を守ってもらった。無法から守ってもらった。しかしわずか一世代の後には自由を奪われていた。最悪の足枷とは利己心を利用するものである。それこそ最も警戒すべきである。
・つまるところ、とるべき道はゼネラリストからスペシャリストではなく、その逆である。ゼネラリストたるためには経験との関連において専門知識を理解する能力、すなわち専門を一般に関連付ける能力が必要とされるからである。
投稿元:
レビューを見る
断絶の時代は、ドラッカー59歳、1969年の作品だが、信じられないほど正確な未来予測だ。
世界的な食糧危機を預言するがごとき先進国の農業省は、痴呆症にかかっているというしかほかない。p10
先進国に成長をもたらした原動力のひとつは自動車工業だった。途上国では人間と自動車との関係はこれから始まるところである。途上国でも特に若者が車に乗りたがる。しかし先進国のおとなにとって、自動車は情熱の対象というよりも、利便性の象徴である。必需品であるが、欲望や地位とは関係がない。自動車産業は今後南米、東南アジア、インド、パキスタンなどの途上国で成長する。 p11
今日自前の発電所をもつ工場がほとんどないように、20年後には自前の大型コンピュータをもつ会社はなくなる。情報はタイムシェアリングによって得られるようになり、情報のコストは急低下する。コンピュータの使用料は電気代並になる。情報技術はコンピュータ無しでも成立する。p16
情報コストが下がることによって最も影響をうけるのは教えることと学ぶことである。
海洋の開発、利用への移行が大きな変化をもたらす。7000前にエジプト人が成し遂げた二つの偉業はピラミッドの建設と鋤の発明だった。鋤は1,2世紀のうちに農業生産を20倍、50倍に引き上げた。 宇宙開発は現代のピラミッドであり、海洋開発は現代の鋤である。海洋は陸上に勝る資源の宝庫である。とこらが海洋についての知識はほとんどない。海洋の食糧資源、海底の鉱物資源への取り組みにより、新産業が生まれる。p18
巨大都市の在り方も変わる。かつての工業都市は工場労働者が中心だったが、巨大都市では情報と知識労働者が中心である。巨大都市には、大量輸送では不十分である。巨大都市は単一の中心どころか、複数の中心も持たない。電車や地下鉄を使うようによびかけても、皆が自動車を使いたがる。だから自動車のようにどこへでも行ける大量輸送システムだけが受け入れられる。輸送の問題は、人間が移動する代わりに、移動しなくてもよいことにすることで解決される。情報を人間のほうへ移動させればよい。p22
日本についても書かれている。経済には操作のきかない世界がある。操作ができず計画が不可能なのがグローバル経済だ。オランダ、スイス、スエーデンなどの小国はグローバル経済を最上位に位置付けて国内政策を定めた。しかし経済大国のなかで、グローバル経済を中心に据えたのは日本だけである。1940年代後半にイギリスと日本のいずれが経済的に発展するかを賭けたならば、誰もがイギリスに賭けた。20年後、日本は廃墟から発展し、イギリスは後れをとった。p56
特許についても書かれている。 あらゆる国が技術の輸入を必要とする。一企業、一産業、一国が自らの必要とする技術のすべてを自ら生み出すことはできない。長期的に見れば、技術の対価は自らの技術によって支払わなければならない。特許やライセンスの対価としうるものは、自らが開発した特許やライセンスである。しかも技術を売ることが市場をつくりだすことの最高の方法だ。技術収入には製品輸出の100倍の価値がある。海外投資は国際収支上の支払いが生じるが、技術輸出は国際収支上ただちに収入をもたらす。先進国にとっては新技術だけが今日の生活と経済を維持する手段である。p60
最も生産性の高い資源のコストが一国の生産コストを既定する。したがって、そのような資源を生産性の低い分野に投ずることは資源の無駄づかいである。競争力を維持するには、知識の生産性を向上させなければならない。知識と教育に最も投資しているアメリカは、知識を基盤とする新産業でリーダーシップをとらなければならない。
ドルについて。基軸通貨制とは、一国の通貨をグローバル経済全体の通貨とすることであるが、リカードが指摘するように、二つの機能は両立しえない。グローバル経済の発展は通貨と金融の増大を要求すr。基軸通貨の流通は常に増大しなければならない。グローバル経済が発展すれば、アメリカの国際収支はそれだけ赤字にならなければならない。さもなければ流動性の危機を生じるが、そのようなことはいつまでも続けられない。いかなる国も他国の通貨を受け取り続けることはできない。いずれアメリカに財政立て直しと国際収支の改善を要求する。これは、グローバル経済への通貨供給の削減を意味する。、すなわち、グローバル経済が発展すれば世界的なデフレとなる。 いずれ通貨金融システムが崩壊する危険を生じる。1928年、ポンドの過大評価から3年後、ポンドの大暴落を招
き、世界的な恐慌をもたらした。p73
シュンペーターは第一次大戦前に経済発展の要因としてイノベーションをあげ、その担い手として企業家をあげた。ケインズの経済学は、すべて今日の経済を明日に投射していた。明日の経済構造は今日のそれと同じであるとした。イノベーションによる経済構造の変化に場所はなかった。われわれは、経済政策の目的は、資源の配分ではなく、富を生み出す能力の変化であるとの前提からスタートする経済学を必要とする。すなわちイノベーションを当然のこととしてスタートとする経済学であるP133
特許法について、パネル討論に参加した(1960年代後半)。特許法の専門家たちは、技術の問題を論じていた。ところが問題は技術でないことがわかってきた。世の中が変わっているのに法律が変わっていないことが原因だった。法律は発明は個人や企業が行うものと前提としていた。研究開発費の実に4分の3が国から支給されるようになったという事実を考慮にいれていなかった。この法律がかろうじて機能しているのは、単に国に自ら発明する能力がなかったからにすぎない。発明の90%は民間で行われていた。政府支援の研究開発ほど実りの少ないものはない。しかし、特許法が現実には合わなくなっていることに変わりなかった。技術の問題を検討しても解決するはずはなかった。p179
45歳でやり直すことは恥ずかしいことではない。P304
投稿元:
レビューを見る
知的資本社会到来について主張した本。
ドラッカーといえば経営の神様として名を馳せているが、深く次代を洞察したこの本も秀逸。
投稿元:
レビューを見る
第2次世界大戦が終わった1960年代に著されたにも関わらず、現代にも通じる考えには驚かされた。
過去の産業・技術の発展だった20世紀前半、今後は過去の続きではなく新たな時代が訪れると筆者は語る。
そこには知的労働が大きな割合を占めていく。
現代、コロナ禍でよりオンラインツールが発達し、働き方改革が進み、知的労働が加速化すると思われる。
冗長に感じるところもあるが、筆者の視点はとても勉強になった。