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商品説明
「専門家」の権力追随と社会的責任への無自覚が、市民の命を奪い、人々の暮らしに被害を与え、社会に大きな災厄をもたらしている。反骨の学者が、大学、学問、教育、そして日本社会の知的退廃の状況の復元への道筋を示す。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
早川 和男
- 略歴
- 〈早川和男〉1931年奈良市生まれ。京都大学工学部卒業。神戸大学名誉教授。著書に「空間価値論」「居住福祉」など。
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紙の本
反骨の学者が「腐敗した社会」に贈る、警世の書
2007/08/29 22:08
16人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sheep - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ネットカフェ難民が5600人いる」という調査結果が報道されている。住所がないので、就職できない、という人々もいる。「美しい改革」の現実だ。それで思い出すのが、著者の「住宅貧乏物語」、あるいは『居住福祉』。マスコミの記事は、「収入格差」を言うが、大切なのは、生活基盤としての居住保障の視点だ。フローよりストック。
アメリカ産建材を輸入しやすい様に、住宅の耐震性能を緩和してしまった愚劣さは、あの「拒否できない日本」でも指摘されていた。マンション耐震偽装騒ぎでも、新潟地震後の住居問題を語る番組でも、パイオニアの著者はコメントを求められない。「住宅問題」は、エンゲルスの時代でなくとも、タブーのようだ。
建築研究所から神戸大学に赴任した当時の著者、市政について、マスコミから再三コメントを求められた。なぜ他の先輩教授方に聞かないのかと、記者に尋ねた著者、審議会に顔を出している先生がたから意見を聞けるはずがない、という答えをもらう。当時の神戸、議会は全与党だった。既成の権威とは無関係に、学問に基づいて、自説を述べるのでなければ、学者の意味はないと考える著者は、1985年9月、朝日新聞「論壇」に投稿する。いまだにこういう学者がいたのかという、激励の読者反応が大多数だった。
震災前に神戸の危うさを発言する学者もいたが行政幹部に無視された。迎合するばかりの学者だらけ。対抗する意見を明言する専門家の欠如が惨事を招いた一因だ。自治体や政府の審議会、まるでテレビ番組制作と同じ。まず筋を決め、それにあった発言をする教授(タレント)を選ぶ。我慢せずに辞任する良心派も皆無ではないがごく一部。
こうした罪深い教授・専門家を、ある教授は「海賊船のボイラーマン」と評した。巨大船の機関室で、懸命に釜に石炭をくべ、船を推進させる釜焚き人、その船が何であり、何処に行くのかに全く関心はないのだ。
ワイドショーで、したり顔で適当なことを言い、各種審議会に名前を出す人々の大半は「海賊船のボイラーマン」だ。決して「有名=正しい」わけではない。
大学法人化、あるいはCEOという制度の導入についても、著者は手厳しい。短期的に儲かる学問だけを追いかけて、学問の進歩、独立はありえまい。「都会集中、地方衰退」の大学版。
権力に盾をついていたので、著者の研究室は委託研究費をもらえず貧困だった。しかし、それゆえに、委託研究に振り回されず、学生たちに自分の頭で考えることを教えることができたという。恩師故西山卯三との昔の対話が、まるで現状を憂慮して語りあっているよう。
ところで、著者と同じ神戸大学の石橋教授も、「原発震災」に対する警鐘論文を朝日新聞「論壇」に投稿した。こちらはボツだった。1999年東海村臨界事故後のこと。今や状況は悪化するばかりに見える。
石橋教授、今回の中越沖地震で、柏崎刈羽原発は閉鎖すべしという声明(PDF)を出している。『大地動乱の時代』にある持論からすれば当然の正論。地震は防げない。耐震性能の強化も限界はある。根本的な対策はただ一つ。危険地域への建設、集中を避けること。「原発震災」の予防は立派な居住福祉策だ。
浅薄なニュースや外資生保コマーシャルを聞きながすより、こうした反骨学者の本にこそ時間を使いたいものだ。
紙の本
審議会で都合良く利用される研究者の姿が浮き彫りにされる好著
2007/12/25 01:46
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
政府の審議会を傍聴してみれば、だれでも一定のパターンが繰り返されることに気づくだろう。それは、審議会の委員がみな、事務局に頼りきりで、発言が精彩を欠いていることだ。それは、審議会の分厚い資料が前日や当日に届くので、各委員とも内容をほとんど理解しないまま臨むことに起因する。
委員はみな、事務局つまりは官僚の説明を聞くのに精一杯で、その場で「自分の考えを述べよ」と言われても事実上出来ないのである。そうした内幕を、学問の自由という視点から切り取って見せたのが本書である。
実のところ、政府の審議会は、本書に描かれているほどひどくはない。官僚の意見を支持する人たちばかりで固められているわけではなく、中には鋭い意見を具申する人もいる。それでも、座長には、一定の結論が事務局からあらかじめ伝えられているので、収まるところに収まるようになってはいるのであるが。
著者は、神戸に赴任して、地方の審議会のあまりのひどさに憤りを覚える。オール与党であり、反対意見を言おうものなら、行政からの委託研究がこなくなる実情は、読むものを唖然とさせる。神戸には、いまだに阪神大震災で受けた打撃から立ち直れない人が少なくないと言うのに、神戸空港という不必要な産物が出来上がったのも、こうした反対意見を述べることすらできない現実があるからだ。
行政の方針にイエスマンと化し、これを支持することで、翌年度の研究費を確保するのにはあきれかえるほかはない。さらに死後の叙勲のために黙って座っているだけの委員をいくつもこなすのには、研究者としての誇りもないかのごときである。
国公立大学が独立行政法人化して、競争的資金を獲得することに奔走しているために、研究現場にゆがみが生じているとの記述は正論ではあろう。しかし、競争なき時代に、果たして学問の現場が機能していたかと言えばそうとも言えず、著者の論理を全面的には支持しかねる。
業績をまったくあげることなく、同じ講義ノートにしたがって、安穏とした日々を送る教授がいる一方で、競争なき時代にも、新しい分野を切り開くパイオニア的教授がいたのも事実である。したがって、著者の言うとおりに、学問の自由がかつてのような形で確保されれば、国民の税金でまかなわれている大学が、本来の姿を取り戻すというのはやや牧歌的だろう。もっとも、著者は決して懐古趣味ではなく、あくまで正論を展開しているだけなので、その主張を読者が批判するところまではいかない。
つまるところ、競争的であろうとマイペースであろうと、行政べったりであろうとなかろうと、業績をあげる人はあげるのであり、そうでない人はうだつのあがらない日々を送るのみである。業績のあがる研究者でいるための心構えを記した章には傾聴すべきものがあり、著者は極めて良心的な研究者なのだと思わせる。
それにしても、行政の硬直化は中央よりも地方に行くほどひどくなると言うが、その典型例が神戸にあったとは。それも阪神大震災で、全国から支援を取り付けた神戸なのであるから暗澹たる思いがする。
神戸市役所は、株式会社神戸市ともてはやされてきたが、震災前に大阪市立大と京都大学の共同研究報告書によって、その地層の形状から大震災の危険性を指摘されておきながら、取り合わなかった神戸市の罪は大きい。
震災に際して、ボランティアで現地に入った人や義捐金を送った人は、その後の復興や神戸空港の無謀な建設に異議を申し立てる権利があると思われる。
こうしたことを、本書で勇気ある告発をした著者には敬服すると同時に、これが自由と自立を重んじる研究者の本来のあり方なのではないかと感じさせられた。