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走ることについて語るときに僕の語ること
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.3 293件
  • あなたの評価 評価して"My本棚"に追加 評価ありがとうございます。×
  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2007.10
  • 出版社: 文藝春秋
  • サイズ:20cm/241p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-16-369580-8
  • 国内送料無料

紙の本

走ることについて語るときに僕の語ること

著者 村上 春樹 (著)

1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアス...

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走ることについて語るときに僕の語ること

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商品説明

1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。【「BOOK」データベースの商品解説】

専業作家としての生活を始めて以来、世界各地で走り続ける村上春樹。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのか? 自分自身について真正面から綴った画期的書き下ろしメモワール。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー293件

みんなの評価4.3

評価内訳

紙の本

生きることについて語るときに村上春樹の語ること

2007/10/15 10:54

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:katu - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹が「走ること」についての本を出すらしいという話はずいぶん前から色々なところで目にしてきた。折に触れては、そういえば例の本なかなか出ないなと思っていた。それがこうして無事に一冊の本として結実したことは、いちファンとして嬉しい限りである。

しかも、前書きや後書きにも書かれているように、これは単なる「走ること」にまつわるエッセイではない。「走ることについて書くことは、僕という人間について(ある程度)正直に書くことでもあった」というように村上春樹の一種の個人史(メモワール)にもなっているのだ。

2005年8月のハワイ州カウアイ島滞在から始まり、見かけ上は、2005年の11月に行われるニューヨーク・シティー・マラソンに出場するために日々どのようにトレーニングを積んできたかという日記のような体裁がとられている。一方で、いつから自分は走り始めたのかを振り返るとともに、いつから自分は小説を書き始めたのかを振り返ってもいる。村上ファンであればおなじみの話も多いが、それでも村上春樹本人がここまで自分のことを振り返った文章を書いているのは珍しいのではないだろうか(ずいぶん昔に出た「村上春樹ブック」というムックに<自作を語りつくしたロング・トーク決定版>というのがあるが、これは聞き書の体裁をとっている)。

「1に足腰、2に文体」を標榜しているだけあって、村上春樹においては走ることと書くことが密接につながりあっている。走ることによって得られた経験則が書くことに応用され、人生哲学にまで敷延されてゆくのだ。走ることそして書くことは、すなわち生きることでもあり、結果としてこの本には村上春樹がどのように生きてきたのか(そして今後生きていくつもりなのか)が書かれている。この「生き方指南書」のような本にはいくつもの素晴らしいフレーズがある。例えばこんな一節。

「結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。」

私はこの文章にとても勇気づけられる。「文化的雪かき」のような仕事を日々コツコツこなしていく毎日だが、こういう文章を読むと何だか報われる気がする。自分のやっている(やってきた)ことは決して間違ってはいないんだと。
ランナーとしての村上春樹は必然的に年齢的な壁に突き当たる。具体的に言えば、フルマラソンのタイムが徐々に悪くなっていくのだ。しかし村上春樹は決して「老い」を否定的には捉えていない。この「老い」に対する考え方というか構え方も、中年以上の人たちにとって(私もそこに含まれる)有用な指針の一つになるだろう。

本書は一応書き下ろしであるが、ところどころに過去に発表した文章が挟み込まれている。また本書のタイトルは、もちろん、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を下敷きにしている。カーヴァー夫人のテス・ギャラガーの許可を得ているそうだ。カーヴァーの全作品を翻訳している村上春樹ならではのタイトルと言えるだろう。

k@tu hatena blog

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紙の本

走ることと書くこと

2007/11/05 10:12

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:カワイルカ - この投稿者のレビュー一覧を見る

村上春樹が毎日走り続けているのは有名な話しだ(ファンの間でということだが)。専業作家になってから小説を書くための体力を維持するためにはじめたというのが一応の理由である。しかし、どうもそれだけではないような気がする。この本を読んでますます強くそう感じた。趣味と実益を兼ねたというような軽いノリではないような気がするのだ。「一応の」と書いたのはそういう意味である。
 はじめてのフルマラソンの体験を読めばその過酷さがよくわかる。1983年に雑誌の企画でアテネ-マラトン間をたった一人で走ったときのことである。早朝にアテネを出発し、七分程度の力で、ちょうどいいペースを保ちながら余力を持って走っていたのだが、30キロを過ぎると疲労が襲いかかってくる。しかし、ほんとうに大変なのは35キロを過ぎてからだ。

 37キロあたりで、何もかもがつくづくいやになってしまう。(中略)からっぽのガソリンタンクを抱えて走り続ける自動車みたいな気分だ。(中略)喉は渇く。しかし水を飲むのにに必要なエネルギーさえ残ってはいない。そう思うとだんだん腹が立ちはじめる。道路脇の空き地に散らばって幸せそうに草を食べている羊たちにも、車の中からカメラのシャッターを切り続ける写真家に対しても腹が立ちはじめる。シャッターの音が大きすぎる。羊の数が多すぎる。シャッターを切るのは写真家の仕事だし、草を食べるのは羊の仕事なのだ。文句をつける筋合いはない。しかしそれでも無性に腹が立つ。(第3章「真夏のアテネで最初のフルマラソンを走る」)

 ユーモラスな表現に思わず笑ってしまうが、この過酷さは誇張ではないだろう。はじめてのフルマラソンだから特別きつかったというわけでもないらしい。フルマラソンを二十数回経験した今でも同じ心的プロセスを繰り返しているということである。
 その後曲折はあったけれども、村上さんは冬場にフルマラソンを走り、夏場にトライアスロンを走ることを続けている。最近はいくら入念に練習をしてもタイムは落ち続けているが、それでモチベーションが下がるわけではない。これはマラソンに興味のない(マラソンのテレビ中継を見ることはあるが、間違っても自分が参加しようとは思わない)私から見れば尋常とは思えない。体力を維持するというだけなら、毎日平均10キロも走る必要はないだろう。ここまでマラソンにのめり込む理由がわからない。
 ところが、読み終わって一日たつと、その理由がなんとなくわかる気がしてきた。マラソンを走ることは村上さんにとって長編小説を書きあげるようなものではないだろうか。長編小説を書き上げることは、肉体を酷使するだけでなく精神的な苦痛も伴うにちがいない。数をこなせば小説の書き方は上達しても、精神的に過酷だということは変わらないだろう。村上さんはマラソンを走ることで精神を鍛えているのではないだろうか。それは意識的ではないかもしれないし、「効率」とか「効能」という言葉で説明できるものではないかもしれない。しかし、小説を書き続けるためにはどうしても必要なことなのだろう。村上さんは小説を書ける間は走り続けるだろうし、走れる間は小説を書き続けるだろう。ファンとしては、それがいつまでも続いてほしいと思う。

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紙の本

村上が語る自分の「老い」

2007/11/06 12:19

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「走ること」について本を出すと村上春樹は十年以上前から宣言していた。村上春樹の影響で フルマラソンを六回走った僕は その長きを待ちわびてきたので勢い込んで読んだ。

 村上春樹を読み始めて二十年以上経つが これほど自分を語る村上は初めてである。そうして 村上が語る自分とは「老い」である。題材はマラソンとしているが これは村上が自分の「老い」を語った本なのだ。

 二十年前に「何かを学ぶ姿勢がある限り 年を取ることは苦痛ではない」と 小説の中で(ピンボールあたりだったか?)断言していた村上も きちんと年は取ってきたということなのだと思う。その自分の言葉に実に忠実に年齢を重ねてきたことは 二十年間リアルタイムで村上を読んできた僕には 良く分かる。

 遅くなっていく自分のマラソンのタイムを語る村上の視線の先には 今後の更なる「老い」と その先の「自分の死」が だんだんと見えてきているのだと思う。本書で 村上が自分の墓標を書いているのは 冗談のようで冗談ではないのだと思う。村上は笑って語っているが その目は笑っていないはずだ。

 
 村上は走ることで小説が書けて来たと言っている。多分そうなのだろう。但し 村上にとって走ることとは 自分に向き合うことであったこともひしひしと感じる。走るという行為で 村上は自分の肉体と会話をしてきたはずだ。そうして そんな自分の肉体が「村上さん あなたもちゃんと年を取ってきていますよ」と村上に語りかけてきているのだと思う。
 それをきちんと受け止め そこから「何かを学ぶ」ところが 村上の 人間としての真骨頂なのだと思う。

 本書は 真摯であり 爽やかであり そうして厳粛な本なのだと思う。読んでいて非常に為になった。

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紙の本

マラソンの黙々を、長篇小説家が料理する腕前。

2007/11/20 17:16

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

11月18日の東京国際女子マラソン。
野口みずき選手が優勝しましたね。
記録は2時間21分37秒で大会新。
途中だけですが、テレビで見ておりました。
そういえば、最近読んだ村上春樹のこの本のことが思い浮かんだのでした。 ここにこんな言葉が拾えました。「日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由なほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その『ほんの少しの理由』をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。」(p102~103)

大型トラックいっぱいぶんの理由は、しっかりと梱包されて、荷崩れせずに、ゴールしておりました。ひょっとすると、ここが村上春樹に対する好き嫌いのわかれるところかもしれませんね。
それについては、ご自身が語っておりました。
「『村上さんみたいに毎日、健康的な生活を送っていたら、そのうちに小説が書けなくなるんじゃありませんか?』みたいなことをときどき人に言われる。外国にいるときにはあまり言われないけれど、日本ではそういう意見を持つ人がけっこうたくさんいるようだ。」(p132)
そして、答えておりました。
「要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健全な、反社会的要素を内包したものなのだ。・・・しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。・・・」(p133)

あらためて、村上春樹はどんな人でしたっけ?

村上春樹著「若い読者のための短篇小説案内」(文春文庫)の文庫本のための序文に、村上氏は「僕は自分自身を、基本的には長篇小説作家であると見なしています。僕は数年に一冊のペースで長篇小説を書き(更に細かく分ければ、そこには長めの長篇と、短めの長篇の二種類がるわけですが)、ときどきまとめて短篇小説を書き、小説を書いていないときにはエッセイや雑文や旅行記のようなものを書き、その合間に英語の小説の翻訳をやっています。」(P7)

またしても、本書にもどって、村上氏の語りを引用してみます。

「長篇小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している。文章を書くこと自体はたぶん頭脳労働だ。しかし一冊のまとまった本を書きあげることは、むしろ肉体労働に近い。・・・机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生みだし、正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける・・・・小説家は『物語』というアウトフィットを身にまとって全身で思考するし、その作業は作家に対して、肉体能力をまんべんなく行使することを――多くの場合酷使することを――求めてくる。・・・」(p110~112)



それにしても、野口みずきさんの走りは素晴らしかったですね。
夜のニュースを見ながら、そう思っておりました。

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紙の本

村上春樹、走る

2008/01/27 21:28

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KOMSA - この投稿者のレビュー一覧を見る

少なくとも最後まで歩かなかった。

村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」は、
作家自身がはじめて自分自身について綴ったエッセイだ。

1982年秋、村上春樹は専業作家としての生活を開始した。
そして彼は心を決めて路上を走り始める。

フル・マラソンや、100キロ・マラソンやトライアスロン・レース。
25年にわたって世界各地で彼は路上の息吹と自分をシンクロさせる。

旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあったのだ。

走ることは彼自身の生き方をどのように変え、
彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう。

この作品はごく個人的な小説を書くランナーの覚え書きだ。

だが、日々路上に流された汗は、天分とは何かと作家に啓示を与える。

村上春樹にとっての走る行為とは、
少しでも有効に自分を燃焼させることであり、
それはまた生きることの、小説を書くことのメタファーなのである。

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紙の本

同時代の幸福

2008/02/24 22:03

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本は、走る小説家・村上春樹さんのメモワールである。
有名人としての村上春樹さんは書くことがまずあって、走ることは
書くために必要なこととして始められたという。何事も、始めの理由は
大事なもので、走ることをはじめたのは、肉体労働並にハードワークな
長編小説の執筆のため、つまりは良い小説のために走り始めたそうで、
その合理的な誠実さを知っただけでとてもラッキーな気分になる。

この本は要所要所にグッと来る言葉が散りばめられているのだけれど、
その中でもサラッと書かれたこの文章に触れたときは、村上春樹さんと
同時代に生きる(もしくは走る)幸福を最大限に味わうことが出来た。

「いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。
なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。
この次、自分のうちから出てくる小説がどんなものになるのか、それが
楽しみだからだ。」

最初の文章と次の文章が「なぜなら」でつながっていることがとても
気持ちいい。走り続けることが書くことになって、書くことで自分を
好きになって、そしてまた走る。タイムが落ちたって走っていれば
また書けるかもしれないし、書くことでまた走りたくもなるだろうし、
このいつまでも続いていく感覚は読者の幸福感と地続きになっている。

充実した日々を送るのに、必要なことはそんなに多くはない。
本当に好きなことが2つか、あるいは3つぐらいあれば、それで充分なのだ。
悟ってみせているわけではなく、たぶんそれは本当だ。
この本を読むときの幸福感は、それを充分に伝えてくれる。

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紙の本

1冊で3度おいしい。村上春樹ファン必読の書。

2008/06/11 00:16

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:悠々楽園 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は、村上春樹の愛読者にとってとても重要な本だと思う。さらに、あなたが、いつか42.195kmを完走したいと日々ランニングを続ける市民ランナーなら、この本はうってつけだ。手に取らない手はない。
 ご存じのように、村上春樹は、村上龍のようにメディアに登場することはほぼまったくない。だから、カフカ賞の授賞式で撮られた写真には少し驚きさえした。村上春樹も年をとるという当たり前のことを忘れていたからだ。
 それはともかく、自ら語っている通り、この本はこれまでのエッセイの内容とは一線を画す。村上春樹が自らと自らの小説について初めて語ったバイオグラフィ(村上春樹自身はメモワールという言い方をしている)であり、小説論=人生論でもある。私は村上春樹の生き方に少なからず謎を抱いていたが、どれにもきちんとした理由があり幸運があったということがわかって納得がいった。
 村上春樹がマラソンをサブフォー(3時間台)で走る市民ランナーであることは、これまでのエッセイなどからもよく知られているが、村上春樹にとって走ることが、作家としての彼の人生にこれほどまでにぺったりと密着して引き剥がしようのない関係にあるとは、少なくとも私は思っていなかった。
 第4章は文字通り「僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」というタイトルが付けられている。P.106の最終行では、「小説を書くことについて語ろう。」と小説家に必要な資質について語り始める。いの一番に挙げた「才能」は当然として、次にあげたのが“迷うことなく”「集中力」。それから「持続力」。
 村上春樹の言わんとするのは、その「集中力」と「持続力」がトレーニングによって後天的に獲得可能--すなわち努力によって身につけることができるものだということなのである。たとえばモーツァルトのように湯水の如く創造性があふれだすような天才(そんな天才は恐ろしく少ない)以外にとって、努力こそが大事だし、ときに退屈でけっこう辛い訓練の継続なくして、今の村上春樹はあり得なかった、ということなのだ。つまり、自らは才能に恵まれた作家ではないと村上春樹は言っているのである。村上春樹の獲得した名声から考えれば、おそろしく謙虚な態度と言っていいだろうと思うが、そういう自己分析に愛読者の一人として違和感はない。ただ、あまりはっきりそう言われると「いや、そんなに謙遜しなくてもいいんじゃない」と声をかけたくもなるが。ともかく、そうした訓練の大切さも、ちっぽけな1人の人間でしかないという謙虚さも、走ること・走り続けることを通じて学んできたと村上春樹は書いている。
 「ランニングを続ければ作家になれる」とは誰も思わないだろうが、試してみる価値がないとも言えない。そう思わせるくらい、走ることについて語る村上春樹の言葉には説得力がある。
 作家本人が語る村上春樹論であり、小説論であり、さらにはランニング・メソッドでもある本書は、まさに「1冊で3度おいしい」本だと思う。面白かったです。

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2009/03/24 22:46

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