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紙の本
臨床心理学における科学と疑似科学
著者 S.O.リリエンフェルド (編),S.J.リン (編),J.M.ロー (編),厳島 行雄 (監訳),横田 正夫 (監訳),齋藤 雅英 (監訳)
臨床心理学には、問題視される技法や妥当でない技法が蔓延している。臨床心理学の多様な療法的、評価的、診断的技法を検証し、科学的に支持された技法と、科学的に支持されていない技...
臨床心理学における科学と疑似科学
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商品説明
臨床心理学には、問題視される技法や妥当でない技法が蔓延している。臨床心理学の多様な療法的、評価的、診断的技法を検証し、科学的に支持された技法と、科学的に支持されていない技法とを区別する。【「TRC MARC」の商品解説】
臨床現場などの実務場面で,あるいは出版やTV番組,広告の中で,研究に基づいた確固たる基礎を持たないまま使用されている治療や心理技法が存在する。これらについて,実証主義的な科学的根拠に基づき公平なジャッジが下される。本書は,科学的に支持された技法から,そうでないものを区別するという重要な役割を果たす。【商品解説】
目次
- 緒言 科学者-実践家のギャップの広がり:架け橋からの視点
- 序文
- 第1章 臨床心理学における科学と疑似科学:思考の出発点,展開,改善策
- 科学者-実践家の溝とその源
- 過度の開明派と過度の懐疑派の間での妥協案
- なぜ疑似科学的な技法が害を与える可能性を持つのか
- 科学と疑似科学の差異:入門
- 問題を処理する建設的な努力
- 本書の到達点
著者紹介
S.O.リリエンフェルド
- 略歴
- 〈S.O.リリエンフェルド〉エモリー大学准教授。元臨床心理学の科学学会会長。1989年にデビッド・シャコー賞を受賞。
〈S.J.リン〉臨床心理学者。ニューヨーク州立大学ビンガムトン校教授。前アメリカ心理学会第30部会部長。
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紙の本
精神医学が医学であるために
2007/10/29 20:52
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:後藤和智 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大部である。然るに、本書は、心理学を生業としている大学の教員や院生、さらに言えば心理学が関わってくるであろう、社会学、経済学、医学などを学んでいるものにとっても、必読としか言いようがない。
本書は、怪しい「精神分析」がはびこる世の中に、科学の視点から検証していこうとする意欲作である。本書はあくまでも米国において出版されたものである。例えば、怪しい自助セラピーを煽るマスコミや、これまた怪しげな種々の民間療法などが、米国においてはびこっており、それらに対するある種の疑念が、編者らをして本書の執筆に向かわせたのだろう。然るに、我が国においても、おおよそ米国と同様の状況を見ることができる。例えば、「理解できない」少年犯罪が起こる度に動員される「精神科医」(小田晋、町沢静夫、香山リカなど)や、あるいは米国のニューエイジ・セラピーにも似た「スピリチュアル」カウンセラーの存在などがそれだ。
のっけから、本書においては、衝撃的な研究が紹介される(第2章)。曰く、名うての精神科医のカウンセリングの腕前(判断の正確さ)は、大学院の上級生のそれとの間で有意な差は、なんと認められていない。確かに精神科医(と大学院生)の腕前は素人(学部学生など)には勝るけれども、少なくとも専門的な訓練を受けた大学院生と臨床家の間ではそれほど有意な差がないのだ。
さらに、本書では、様々な精神疾患の診察や治療に関する手法が次々と科学のメスを受けることになる。依存症の治療、子供の注意欠陥・多動性障害などである。当初からその怪しさがいろいろなところで指摘されている、ロールシャッハ・テスト、ニューエイジ・セラピー、自助活動なども、その科学的な正当性を本書によって強く問い質される。
だが、これらの「心理療法」が、このような科学の洗礼を受けなければならないのは、それが「医療」を看板に掲げているからである。「医療」であるからこそ、それは科学に基づいていなければならない。故に、厳しい検証や批判、反論に耐えうる必要がある。少なくとも、その「効用」ばかり喧伝している俗流の「療法」が、それに耐えうるはずはない。精神医学が「心の医学」として、また精神科医が「心の医者」としての地位と威厳を保つためには、本書のような地味な研究に基づく取り組みこそが肝要なのだということを、本書は気づかせてくれる。もちろんこれは精神医学や臨床心理学だけの話ではないのだが。
本書第1章は、いわゆる「疑似科学」(ニセ科学)の見破り方に関する章である。少なくとも同書で採り上げられている特徴は、臨床心理学におけるニセ科学のみならず、様々な「科学」(社会科学も含む)の中からニセ科学を見破る主眼を与えてくれる。曰く、「自己訂正の欠如」「論破よりは確証の強調」「関連性の欠如」「境界条件の欠如」などなど。本書が終章ではなく第1章に据えられているのは、間違いなく本書の科学としてのスタンスを明確にしておくためだろう。
もちろん、本書で採り上げられている全ての心理療法が非科学的であると断罪されているのではなく、科学的に見て正当であるという評価が下されているものもある。本書を読むことによって、科学的に検討、批判され、なおかつそれに耐えうるものこそが、真に人を救うのに役に立つのだ、と夢想することは、楽観的すぎるだろうか。本書は、ともすれば科学という分野に関わる人なら絶対に目を通しておくべきと言うことができるくらい、科学的な誠実さに溢れているのだ。
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紙の本
最低限の翻訳の質を確保して出版すべきである
2008/02/28 00:12
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひさびさに心理学分野の翻訳書を読んだが、評価不能なほどにひどい訳書であった。伝統的に、この分野では翻訳の質が低い。それが、本書にもあてはまる。
心理学に科学的なメスを入れることは大切なことである。ともすれば、経験値に基づいて語られる学問であるので、科学的議論になじまないことがある。ただし、科学的に妥当かどうかを追究する姿勢は、心理学を学問として鍛えることにつながるので、意義がある。
その意味では、本書はすぐれた試みといえる。しかしながら、日本語版のそれは、完全なる失敗に終わっている。翻訳の拙劣さの前に。
訳者の名前が8人、巻末にあがっている。大学教授や准教授が自ら訳している暇はないので、研究室の大学院生に手分けして訳させたのであろう。
こうして、何を言っているのか分からない英文和訳の本が出来上がる。この日本語を理解できる人は、世の中にほとんどいないであろう。
本書は、英文の原書にて理解すべきである。100ページに達する前に投げ出してしまうほど、日本語がひどい。ある種、未知の外国語で記述されているようなくらいにひどい。
これを、学術書として出した教授たちは、恥ずかしく思うべきである。また、出版社も、このような翻訳があがってきたら、突き返してやり直させなくてはならない。そうでなくては、心理学の訳書は、引き続き、低レベルなものにとどまってしまう。
原書での価値とは別に、本書は意味不明な日本語で書かれているために無意味な出版物と化してしまった。本書は値段がとても高いので、読者は、こうしたものに、よほど気をつけなくてはいけない。