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鰐 ドストエフスキーユーモア小説集 (講談社文芸文庫)
著者 ドストエフスキー (著),沼野 充義 (編),小沼 文彦 (訳),工藤 精一郎 (訳),原 卓也 (訳)
怪しい色男を巡る、二人の紳士の空疎な手紙のやり取り。寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。鰐に呑み込まれた...
鰐 ドストエフスキーユーモア小説集 (講談社文芸文庫)
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商品説明
怪しい色男を巡る、二人の紳士の空疎な手紙のやり取り。寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。十九世紀半ばのロシア社会への鋭い批評と、ペテルブルグの街のゴシップを種にした、都会派作家ドストエフスキーの真骨頂、初期・中期のヴォードヴィル的ユーモア小説四篇を収録。【「BOOK」データベースの商品解説】
ドストエフスキーは最初から「ユーモア作家」だった!
怪しい色男を巡る、2人の紳士の空疎な手紙のやり取り。寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。19世紀半ばのロシア社会への鋭い批評と、ペテルブルグの街のゴシップを種にした、都会派作家ドストエフスキーの真骨頂、初期・中期のヴォードヴィル的ユーモア小説4篇を収録。
沼野充義
ここに収められた初期から中期のドストエフスキー作品の基調ともいうべきものは、延々と続く形而上的議論の底知れぬ深みに下りていく手前で踏みとどまり(いったん呑み込まれたら這い出すことができないような深みがあることはすでに予感されるとはいえ)、あえて表層で戯れ続けているような感じさえ与える過剰な言葉と自意識のドタバタ劇場であって、ドストエフスキーは明らかにユーモア作家でもあった。――<「解説」より>【商品解説】
収録作品一覧
九通の手紙からなる小説 | 小沼文彦 訳 | 7−35 |
---|---|---|
他人の妻とベッドの下の夫 | 小沼文彦 訳 | 37−138 |
いまわしい話 | 工藤精一郎 訳 | 139−236 |
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悪くはないけれど、これを傑作とは言いません。井上ひさしセンセーのユーモア、官僚批判には遠く及ばない。ま、「カラマゾフ」は凄いんでしょうが、未読だし。てなことで★4つが妥当かな・・・
2008/05/21 20:38
7人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
勝手に思い込んでいたんです、講談社文芸文庫って日本人作家だけを扱っているって。だからこの本も、てっきり光文社が出し始めたドストエフスキーの新訳の一冊かなって思っていました。デザインだって光文社、頑張っているし。でも、よく見ればカバーと本文の紙が違います。まず講談社のそれは薄い。そして小技。グラデーションの掛け方なんて地色と字色で逆にしたりして。おまけに上から3ミリくらいのところに細い横線。さすが菊池信義のデザインです。ま、光文社のものも好きですけど・・・
で、その灰色グラデーション、縁なし文字のタイトルの下に
ドストエフスキー
ユーモア
小説集
とあるんです。ドストエフスキーとユーモア?古典に親しんでいない私なんかは???くらいに思っちゃうんですが、どうも沼野充義の解説を読むと多くの人がそう思い込んでいるらしい。つまり晩年の作品を知っているがために、初期作品が霞んでいる。リアルタイムでドストエフスキーの作品を読んだ人はそう思わないけれど、後世の人間はどうしても結果から読む。それがドストエフスキー作品にあるユーモアを無視させたと。
ま、そこらへんのことはドーデモよくって、何せ『罪と罰』しか読んだことの無い私は、同じ読むならユーモアだよな、なんて読むことにしたわけです。まさに四十の手習。とりあえずカバー後の案内を写しておきましょう。
怪しい色男を巡る、二人の紳士の空疎な手紙のやり取り。
寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。
小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。
鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。
十九世紀半ばのロシア社会への鋭い批評と、ペテルブルグの
街のゴシップを種にした、都会派作家ドストエフスキーの真骨頂、
初期・中期のヴォードヴィル的ユーモア小説四篇を収録。
です。ちなみにこれは各話の上手な要約になっているので、それを当て嵌めてついでに初出などを補った目次を作れば
・九通の手紙からなる小説 小沼文彦訳(「同時代人」1847年1月第一号 著者26歳):怪しい色男を巡る、二人の紳士の空疎な手紙のやり取り。
・他人の妻とベッドの下の夫 小沼文彦訳(「祖国雑記」1848年第一号、十一号 著者27歳):寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。
・いまわしい話 工藤精一郎訳(「時代」1862年十一月号 著者44歳):小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。
・鰐 原 卓也訳(「世紀」1865年第二号 著者46歳):鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。
解説 沼野充義
年譜 小椋彩
翻訳作品 小椋彩
ということになります。どの話も釈然とした終わり方をしていません。閉じていない、というよりもどこか投げ出された感がするのは私だけでしょうか。そういう纏まり、という点だけから見れば「いまわしい話」が面白い。泥酔した男がどれほど始末に終えないか、お金がないことを言い出せない辛さもあわせて読めば、ふむふむと肯けます。
役人の愚かさ、というか仕事をしていなくても仕事にして給料を出せという噴飯物の、でも実は日本の現状のことではないか、と思えるのが「鰐」。ま、このお話の主眼は役人批判にはないのですが、官僚憎しの私は勝手にそう読む。ノーテンキな夫を他所に、離婚を口にするやや白痴的な若妻のほうが可愛らしい。
読みながら、わっかんないなあ、と首をひねったのが「他人の妻とベッドの下の夫」。なんで話が飛ぶ?あの話はどーなった?なんて疑問一杯で読みましたが、あとで解説を読んで納得。このお話、もとは二つのもの。それを一つにまとめたものなんだそうですが、果たしてそこで何処まで作者の手が入ったか。一つにするために全体の構成を変えたんじゃなく、殆ど調整なしにくっつけた気がします。
苛々するのが巻頭の「九通の手紙からなる小説」。これをミステリとして読むことも可能かと。ちなみに途中で脳裏を過ぎったのが「これは案外相手を間違っているお話?」「もしかして時間差があるお話?」なんて現代的な読みをしていました。勿論、全部空振り。で、全体としての印象は、お芝居。西欧文学のルーツは詩と戯曲というのが学問の世界の常識らしいのですが、ドストエフスキーの初期作品というのは、小説の形をとった戯曲ではないのか、そう思います。
ユーモアの質が井上ひさしの戯曲に似ている。ま、前後からいえばドスくんのほうが上なんでしょうが、私的にはまず井上センセーがいる。官僚批判、人間批判、俗物批判というかからかうというか。で、苦い。それは『表裏源内蛙合戦』から連綿としてあるんですが、特にこの20年くらいはそれが深く沈潜化して重い。それに似ている。
小説としては、さほど面白くないのですが、これを芝居でみたら笑うだろうな、少なくとも楽しむよな、って思えるものばかり。ま、積極的に笑おうって人には薦めませんが、世の中を斜めに見ている人には、ドスくんの暗いユーモアもいいかも。
カバー後の案内は
怪しい色男を巡る、二人の紳士の空疎な手紙のやり取り。
寝取られた亭主の滑稽かつ珍奇で懸命なドタバタ喜劇。
小心者で人目を気にする閣下の無様で哀しい失態の物語。
鰐に呑み込まれた男を取り巻く人々の不条理な論理と会話。
十九世紀半ばのロシア社会への鋭い批評と、ペテルブルグの
街のゴシップを種にした、都会派作家ドストエフスキーの真骨頂、
初期・中期のヴォードヴィル的ユーモア小説四篇を収録。
です。