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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2007.10
- 出版社: 朝日新聞社
- サイズ:20cm/310p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-02-250338-1
紙の本
森喜朗自民党と政権交代 (90年代の証言)
著者 森 喜朗 (著),五百旗頭 真 (編),伊藤 元重 (編),薬師寺 克行 (編)
安倍政権のキーパーソンとして存在感を増す森喜朗元首相。彼は今、将来に向けてどんな見取り図を描いているのか。連立政権時代の表裏を、現代政治の「語り部」が語り尽くす。【「TR...
森喜朗自民党と政権交代 (90年代の証言)
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商品説明
安倍政権のキーパーソンとして存在感を増す森喜朗元首相。彼は今、将来に向けてどんな見取り図を描いているのか。連立政権時代の表裏を、現代政治の「語り部」が語り尽くす。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
森 喜朗
- 略歴
- 〈森喜朗〉1937年石川県生まれ。早稲田大学商学部卒業。産経新聞社を経て衆院に当選。自民党幹事長、首相などを務める。
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紙の本
名著登場:現代史最高の語り部による自民党戦国時代史の表裏
2007/12/23 15:21
12人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の巻末の解題で編者の薬師寺克行氏が書いている通り森氏は現代最高の政治の語り部である。森氏には月刊誌「諸君!」連載の人気シリーズ「森の清談」があるが、同氏の魅力は薬師寺氏がいみじくも指摘している通り「この世界の出来事を、個人名含む固有名詞を頻繁に登場させながら、それがあたかも眼前で起きているかのように正確に再現してみせる能力」にあるのだと思う。実際、森氏の記憶力は抜群で、あとで薬師寺氏が資料を当たったところ30年前の出来事を日付まで含め正確に描写していたという。
本書の白眉は小沢一郎の策動により自民党が野党に転落した後、1年も経たずに政権政党に返り咲いた経緯の部分であろう。野党転落が決まった瞬間から自民党は森喜朗と亀井静香を中心に他党との連立をてこに与党復帰を目指して活動を開始する。ターゲットは日本社会党。社会党は40年に及ぶ何でも反対党で体質が腐りきっており、またその腐臭を嫌う小沢一郎から袖にされつつあり、不満を高ぶらせていた。自衛隊違憲も日米安保反対もすべてお題目に過ぎず、本音は国対政治の中で自民党からカネさえもらえれば満足というところまで社会党は実際腐っていた。だから社会党は村山富一を首相にするというエサにまんまと飛びつき自民党との連立を決断してしまうのである。これが決まった瞬間、自社連立の立役者亀井静香は人目も憚らずに男泣きに泣いたという。野党暮らしがあと1年続いていれば理念無き権力政党=自民党は崩壊していたといわれるから亀井静香は確かに自民党を救ったのであろう。
森が一貫して田中角栄流の金権政治に反感を覚え、反田中をバネにして政治活動を続けていたというのも発見だ。実際、田中角栄の政治は行き詰るべくして行き詰った。田中はイナカモノの怨念を燃料に壮大なるバラマキ政治によって票を買い、政治勢力を拡大していった。その本質は公共事業と許認可を活用し、組織的にその受益者たる土建業者、医師、放送業者、農協農民から金を吸い上げるというもので、これは裏を返せば合法的(非合法?)に税金を懐に入れるというシステムである。それでもこの仕組みは都市と地方に絶望的な格差があった昭和30年代、日本経済が二桁の高度成長を続けていた昭和40年代には、まだ一定の理由があるシステムであった。しかしこれが成功し過ぎ、日本経済が低成長になった昭和50年代後半以降も慣性の法則で走行を続けると、弊害のほうが目立つようになる。森は田中政治の打破に生涯を捧げ、その目標は森の弟子、天才政治家小泉純一郎によって達成されることになる。
あまり知られていないことだが、森は日本外交にも大いなる足跡を残している。首相在任中、森は低劣なマスコミのバッシングにあった。嫌気がさした森は盛んに外遊をし、ロシア、アフリカ、インド、東南アジアを渡り歩いた。これが大きな成果を生んだ。一般に低開発国では「偉大なる人間=偉大なる体格」ということで長身のデブを敬う風習があり、デブの森はこれらの国で無条件で尊敬され尊重された。その結果、プーチンは何度も日本を訪れ、インドと日本の交流のパイプは太くなり、アフリカ諸国と日本との関係は大きく前進した。TICADをつくり、始めたのは森喜朗である。先日、ロシアのサンクトペテルブルグでトヨタ自動車の一号車がラインオフしたが、トヨタのロシア進出の露払いをしたのも森である。日本は今も森が築いた外交の恩恵を享受し続けている。
それにしても低劣な日本のマスコミ報道は何とかならないか。判官びいきが過ぎる日本のマスコミには自民党を叩くためなら何でも許されるという悪弊がある。えひめ丸事件でゴルフをやめなかったとき、テンガロンハットを被った森の映像が繰り返し流されたが、あれは夏に箱根でゴルフを行なったときの映像であったという。「神の国」発言も「無党派層は寝ていて欲しい」も続く部分で、それを否定していたりして全体としては極めて穏当でマトモなことを言っているにもかかわらず、その部分を切って「こいつは異常だ」「こんなヤツを首相の座にとどめておいていいのか」といわんがための材料にされる。これでは日本の政治は悪くなる一方である。
人物評も面白い。小沢一郎については「結局、あの人は壊し屋さんでしかないんだなと切って捨てたあと、「小沢さんと小泉さんは驚くほど似ている。ある意味でそっくりといっていい。共に都会育ちの二世議員で、苦労知らず。他人の傷みがわからずわがまま」という。ただ違いは「小泉さんは内閣総理大臣という立場でやるので、小沢と同じことをいっても、かえってその発言が支持され批判されない。逆に魅力にさえなる」と正しく天才政治家小泉純一郎を評価している。あの永田メールの永田寿康を「偏差値教育の結果」と切って捨てる。幼少期から塾通いし、「日本の最高の秀才が目指す職場は霞ヶ関の財務省」と言われて育った子供たしが名門私立中学、東大法学部を経て霞ヶ関に就職してみると、憧れの秀才の上司達が、自分たちよりはるかに偏差値が低い政治家達の前で平グモのように這いつくばっている。毎日毎日安月給でこき使われ、徹夜は当たり前の長時間残業の成果がこれかよと官僚に見切りをつけた秀才たちは陸続と政治家を目指し、「先生」と頭を下げる立場から「先生」と呼ばれる立場への転進を図っている。こういう秀才コースを歩んだ連中について、森は「常識がない」と嘆息する。苦労したことが無く、運動部含む「余計なこと」は親にさせてもらえず、人生の最短コースを歩んできた連中に、人の痛みを分かれといっても無理だと森はいうのである。これはある意味、うなずける。秀才をクソミソにいう政治家も悪い。しかし、その一方で、もはや官僚が主導して国家の方向性を定めるようなキャッチアップの段階を日本は過ぎてしまっている。そうなると日本最高の秀才が霞ヶ関に集積してきて外国の知恵をコピーし日本に移植するという作業の重要性は低下するのである。日本最高の秀才が公益の為に尽くす公僕ではなく、外人の使い走りである外資系証券会社の日本支店に殺到してみたり、あるいは三百代言たる弁護士稼業に身をやつすのは少々淋しい気もするが、豊かになるということはこういうことなのでもあると私は思う。
紙の本
反面教師として読む本
2007/12/03 04:07
9人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「自民党的体質」「旧き時代の自民党」と言った言葉から何が連想されるだろうか。
それは、“金権体質”と“権力闘争”であろう。
自民党は、党内の派閥力学から、総裁選出のたびに激しい派閥闘争を繰り広げてきた。そのたびに乱れ飛ぶ札束と、腹黒い領袖たちの離合集散。
政治に対する理念や国民生活といった、本来この人たちが真っ先に考えるべきものは、常に放っておかれた。この党が、いかに有権者・国民をないがしろにしてきたか、党の歴史が象徴的に物語っている。
その数多い理念無き闘争の中でも、もっとも激しいものであったのが「角福戦争」と「40日抗争」であろう。前者は、田中角栄と福田赳夫の総裁争い、後者は裏に田中角栄を控えた大平正義とこれまた福田赳夫の総裁争いである。
乱れ飛んだお金の金額も、普通の生活者では決して手にできない莫大なものであったし、自民党政治家たちの駆け引きや裏切りの数々も一般人の常識をはるかに超えるものであった。
この両方の抗争に、福田赳夫の子飼いとして深く関わっているのが、本書の主役であり、後の首相となる森喜朗である。
若き時代にこのような抗争を身近に経験し、この人は「自民党らしい実力」を着実に身につけ、「自民党らしい成りあがり方」で党内の実力者となっていった。
近年、小泉・安倍の両総理大臣がなした罪は大きい。時代を一気に戦前に変え、せっかく築き上げてきたアジア諸国との信頼関係も潰した。国民生活の格差は拡大し、福祉はずたずたに切り裂かれた。
しかし、よくよく思い出してみると、その反動傾向は、その前の総理大臣である森時代に起こされたものであることに気付く。
非民主的に密室で選ばれた総裁選出過程。「神の国」という言葉に代表される時代錯誤の放言の数々。子飼いの中川官房長官が暴力団と通じていたことによる辞任。
とにかく、この人の動きの周辺は常に不明朗であり、きな臭い。
まだまだ前歴がある。ロッキードの灰色政治家の一人であり、不可解な連合であった自社連立政権時の中心人物の一人である。
この人のやってきたことを、少しづつでもあぶり出し、追及していくことが、「自民党の臭い部分」を正していく有効な方策であろう。
90年代の歴史の証言者にインタビューするという朝日新聞社「論座」の企画で、この人を登場させることは、その意味では絶好のチャンスであった・・・はずである。
しかし、本書には落胆させられた。福田、森といった派閥がいかにクリーンであるかを強調する森氏に対し、まったくそれ以上の追求がなされていない。森氏の宣伝媒体に成り下がったかのような朝日新聞は、やはり最近どうも信用がおけない。