紙の本
赤と黒(下)
2016/03/28 10:35
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投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
19世紀フランスの小説家・スタンダールの代表作の後半である。パリを代表する大貴族の知遇を得ることに成功し、社交界でそれなりに名前を知られるようになり、さらにはその大貴族の娘に求婚され、立身出世の会談を順調に歩んでいたジュリアン。ところがそんなある日、以前愛し合っていた夫人から届いた手紙がきっかけで、彼の運命は大きく狂い始める…。
この巻の読みどころは、ジュリアンに執拗に求婚する大貴族の娘である。ジュリアン相手に繰り広げられる恋愛の駆け引きは、ハラハラドキドキの展開でほほえましい。だがジュリアンが事件を起こして投獄されてからの彼女の動きは、はっきり言って狂気じみている。こんな行動をとられては、ジュリアンでなくてもひいてしまうだろう。最後の場面は、明らかに「サロメ」からヒントを得たに違いない。彼女は狂っているのか?イヤ、本当に狂ったのかも知れない。
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誤訳と騒がれた本書だが、ジュリヤン・ソレルの未熟な面が「僕」というおとなしめの語り口とものすごく調和している。新潮文庫の「おれ」だとすごく違和感がある。野崎訳を読んだ後に他の翻訳を読むのは、今のところ抵抗がある。
上巻の疾走感に比べ、下巻のなかばは、なかなか話が進まず中だるみしているように思えた。
けど、ラストに向けての展開は秀逸。
マチルドの異常さも際立っていて物語に引き込まれた。
七月革命前のフランスの雰囲気は、きっとこんなんだったろうと味わい深く楽しめた。
この時期のフランス小説は面白い。
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つわり中に読んだ。後半のお嬢ちゃんとの押し問答が若干メンドクセーって感じだったけど、最後さー主人公ないわ〜おじょうちゃんかわいそすぎるでしょ…お嬢ちゃんってあれね、お世話になった貴族の家のお嬢ちゃんね…名前忘れちゃった。さて今イギリスにおりますけど階級による差別の描写や会話内容の一部はかなり今に通じるものがある。この話フランスのではあるけど。
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面白くなくってあきらめました!(読解力が無いと言う)
再読します、いつか。とりあえず別のものを読みたいということで次にいきまーす。
2011年12月23日 21:49:23
--------追記----------------------------------------------------
2012年2月7日遂に完読。
昨年イヤー無理だわーと思ってあきらめかけたものの、
完読しないなんて、という意地で最後まで読みましたが、
面白くない、という印象よりは多少良くなったかも。
何故面白く思えなかったかというのは、ジュリアンの物語の冒頭で描かれる
キャラと、家庭教師になってすぐのキャラとで大きく違ってくるのだけれども、
それが農民出身の彼のコンプレックス、僻み、嫉み、妬みという感情を
加味したとしても、何故そんなに急に強気な出方が出来るのか、
何故そこまで去勢を張ることができるのか、腑に落ちなかったことがまず1つ。
それと、結局のところ、この話は
1.優しく美しいが他人への依存が強くお金持ちの夫人との不倫
2.若く魅力的だが傲慢でモラハラ気味なお金持ちのお嬢様との恋愛ごっこ
がほとんどで、前述のように、書物を読み漁って知識は伴わず
中身のない主人公がたとえ美しい青年であったとしても、
何故そこまで人を惹きつけるのか私には理解できなかったので。
ジュリアンは本文中自分は知識だけはあるものの、実際には何も成し遂げていない
というのを自分で自覚する部分がありましたけど。
ハングリー精神というか、過剰な野心を持っているのだけど、傲慢な令嬢と
結ばれることで成り上がるといった、消極的な野心の叶え方な気がする。
最後の方は物語が急展開するので、そのあたりについては面白く感じましたが、
それは今までの展開が全く興味をそそられなかったので、少しbetterになったのを
多少よい印象になったというだけなのかもしれません。
(不良が、たまたま人に良い行いをしているのを見たときに、不良に対する評価が過剰に上がってしまうといったような類の)
時代が異なること、欧州と日本で文化が違うこと、それらのことが
理面白く思えな買った理由なのかもしれません。
だって傲慢な令嬢は殺されかけたというのに幸福な気持ちから恍惚となったりするのですよ。
意味が分かりません!
そういった意味では面白いのだけども。
おお、と思ったのは最後の
「フーケはその悲しい取引に成功した。」という一文。
これが何を表すのかは、最後まで読んだ人だけが知るこの小説の結末。
解説がなんと50ページぐらいあるので、手がかりとしてゆっくりと読みたいと思います。
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心理描写があまりに素晴らしく、魅了され、ぐいぐいと引き込まれる様に読んでしまった。「性にまつわる描写が1行もないのに、なんというエロチズムの香りか・・・」と亀山郁夫さんが書いていたけれど、正にその通りだった。自分の頭で描いたジュリアンとレナール夫人を、現実の画像―映画の二人と比べてみたくて、写真を探した。1枚だけ、私の描く繊細なジュリアンに近いのを見付けた。赤は軍人、黒は聖職者を指しているのではないか、と言われているが、その時代背景と共に生きることの難しさ、それはいつの時代でも共通するものだと思った。淡く、甘く、優しく、悲しかった。
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上巻と出版社が違うのは、図書館で借りているからです。同じ出版社のものは誰か別の人が借りてました。
主人公ジュリヤンの隣からレナール夫人がいなくなり、彼はマチルダの美貌に興味はなく。色恋から離れたジュリヤンはこれから立身出世して行くのかと見守るが、なぜこのジュリヤンは秘書をしているのか。疑問。裏口の口利きで司祭目指してるのか。手段を選ばない性格ですね。
マチルダとの恋愛が始まった辺り、この二人の恋愛を見守るのがとても疲れました(面白くないという意味ではなく)。マチルダもジュリヤンも頭でっかち過ぎて、相手を振り回し相手に振り回され、どんどん焦燥して行って見える。それが読み手に乗り移る。
社交界の人物描写も面白い。その時代の社会風景なんて全くわからないし、名前覚えるのに苦労しましたが、外人の名前を覚えられないのはいつものこと。
途中で挟まった会議の存在意義はなんなのでしょう。疑問。
ラストまで来たら、主人公、出世よりも恋愛が大事になってしまっていて、期待していたオチは望めそうにないと判断。せっかく軍隊に入ったのに。
そして悲劇的な幕切れ。
端々でのぼった疑問は解説が拾ってくれていたのでありがたい。
ジュリヤンの姿は「俺ってばそのうちエライ奴になるんだからね!」とか言いつつ何者にもなれない現代若者の姿に通じるものがあって、これは自由主義が始まった当初から存在した問題なんだと思った。「ああ、19世紀よ!」という嘆きが好き。
下巻後半から、「自分は裁かれる義務がある」と感じだす主人公と、彼を救おうとするヒロインの姿に、罪と罰を思い出す。無駄に頭がよくて自尊心の高い人間は、自分を裁きたがる模様です。こういう系統の話が好きなのかなあ、自分。
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19世紀フランスの小説家・スタンダールの代表作の後半である。パリを代表する大貴族の知遇を得ることに成功し、社交界でそれなりに名前を知られるようになり、さらにはその大貴族の娘に求婚され、立身出世の会談を順調に歩んでいたジュリアン。ところがそんなある日、以前愛し合っていた夫人から届いた手紙がきっかけで、彼の運命は大きく狂い始める…。
この巻の読みどころは、ジュリアンに執拗に求婚する大貴族の娘である。ジュリアン相手に繰り広げられる恋愛の駆け引きは、ハラハラドキドキの展開でほほえましい。だがジュリアンが事件を起こして投獄されてからの彼女の動きは、はっきり言って狂気じみている。こんな行動をとられては、ジュリアンでなくてもひいてしまうだろう。最後の場面は、明らかに「サロメ」からヒントを得たに違いない。彼女は狂っているのか?イヤ、本当に狂ったのかも知れない。
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物語はいいけれども、この本
残念ながら誤訳が多いのです。
(しかも残念なことにこのレーベル
やたら誤訳が頻出します)
なので、読み直す本になっています。
野望に燃えた男、ジュリヤンの
栄光と挫折、そして死。
たといどんなに燃えるような情熱「赤」があったとしても、
やはり彼が抱く闇「黒」は消えはしなく
結局、死ぬまで彼を苦しめ続けました。
彼は確かに、自己中心的
人嫌い、何もいいところはないでしょう。
ただし、情熱だけは
取り柄だったでしょう。
しかし身分が卑しいゆえに
それがあらぬ方向に向ってしまったのです。
悲しむべくこと。
深いお話でした。
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登場人物が極端な人が多すぎるけど、人間の社会と感情をえぐり出した小説としてとても面白く読んだ。ジュリアンの中身のない暗さ、マチルドの狂気、レナール夫人の優しさ、それぞれがしかるべき道を通って破滅に導かれる。ジュリアンの恋愛の駆け引きは陰険だけどそれなりに今でも通用するだろう。
To the happy few
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19世紀フランス、主に復古王政期から七月王政期に活躍した作家スタンダール(1783-1842)の代表的長編小説、七月革命を挟んだ1830年に執筆・刊行。副題は当初は「一九世紀年代記」だったが、執筆中に七月革命が熾きたことから、作品とフランス社会史との同時代性をより強調するために「一八三〇年代記」と付け加えられたとされる。作家自身は、政治的である以上にロマン的であるが故に、共和主義者であったようだ。
フランス革命によって近代ブルジョア社会というものが本格的に立ち現れてしまった。如何な反動的な復古王政を以てしても、もはや旧体制へと時計の針を巻き戻すことはできない。人生は、個人のものとなった。それは支配階級/平民階級という身分=生まれによって決まってしまうのではなく、自己の才覚と行動次第によって階層間を上昇していくことができる社会だ。その象徴が一介の軍人から皇帝にまで上りつめたナポレオンだと云える。身分によって個人の生が固定されていた静的な社会から、能力によって階層移動が可能になった動的な社会へ。ロマン主義的な心性の持ち主であったスタンダールにとって、身分制によって惰眠が保証されているかの如き聖職者・貴族ら支配階級の俗物どもが跋扈する欺瞞と倦怠の裡に堕落した"社交界・サロン・上流社会"を軽蔑・嘲笑しながら自己の「立身出世」の踏み台にしていこうとする強かで情熱的なエネルギーを帯びた平民出の青年は、19世紀という新しい社会の英雄であったのだろう。作家は、そんな上昇への情熱と野心に憑かれた主人公ジュリヤン・ソレルを造形した。
然し、このジュリヤン・ソレルが志向したその上昇の先には何が在ったのか。彼は何処へ向かおうとしていたのか。それが物語を読んでいて全く判然としないのだ。彼の、現状からの脱却を目指す上昇志向には、現在の彼の生に対する彼自身が抱いている不全感があるのは間違いない。卑しい平民出身であることに対する強烈な劣等意識が貴族階級への憎悪となって、憑かれたように彼は上へ上へと走り続ける。上昇の為なら、信仰心など持ち合わせていなくても聖職者になろうとするのが彼である。まさに偽善者そのものと云っていい。彼はかのタルチュフを師と仰いでいる。目的達成の為には手段の道徳性を問わないマキャヴェリスト。初めから価値基準などというものを彼は持っていなかった。「利益」と「力」という即物的な無-価値観が、彼だけでなく、社会全体を支配するようになっていた、それが当時の時代状況である。ニヒリズムの到来だ。彼は「走る」。その行動それ自体に、スタンダールは英雄を視た。しかしジュリヤン・ソレルが上へ上へと向かうその「上」に終わりは無い、絶対的終結は無い、他者との比較に於いて相対的に位置が変位し続けるばかりだ。「上」の彼方のその無限遠にあるのは、虚無だ。何も無いところへ向かって彼は走っているのだ。内実無き上昇志向、即物的無思想。スタンダールとその時代は、幸いにもまだそのことに対する幻滅には到っていないであろうと、この作品からは読める。
19世紀という近代市民社会勃興期には時代を卓越する者で在り得たジュリヤン・ソレルこそ、新自由主義によって世界が覆い尽されてし��っている現代にあっては、最も凡庸な俗物だ。それが、21世紀に於けるこの物語のつまらなさとなるのであろう。何故なら、ニヒリズムの自覚と、その帰結としての即物への頽落が、現代という問題の始まりであるのだから。
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「ヴェリエールの町ですべてを握る決定的文句はこれである――「利益をもたらす」」
「ぼくの役割が終わるそのときまで、世の中はこういうものなんだろう。まわりは本物の敵ばかり。それにしてもつねに装いつづけなくてはいけないとは、何と大変なことなんだ」
「ああ、いったい何という違いだろう! ここにあるのは何だ? ぎすぎすした、高慢な虚栄心、あらゆる色合いのうぬぼれ、それだけじゃないか」
「凡々たる人生の焼けつく砂漠を、苦労して横断する身としては、渇きをいやしてくれる清冽な泉に出会ったようなものだ! ・・・。人生というエゴイズムの砂漠では、だれだって自分が大事なんだ」
「そういう法律ができる以前には、自然なものといったらライオンの力か、それとも腹がへったり寒かったりする人間の欲求があるばかり。つまり一言でいって欲求だ・・・・・・」
「ぼくは真実を愛したはずだが……真実はどこにある?・・・・・・どこもかしこも偽善ばかり、そうでなければいかさまか。・・・。だめだ、人間には人間が信用できない」
「死の間際になって、自分相手に話している時でさえ、僕はあいかわらず偽善者のままなんだ・・・・・・。ああ、十九世紀よ!」
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まさかの最後だった。
レナール夫人はあの手紙に書いたことを、真実として書いたのか、それとも・・・
主人公が穏やかな気分になれたことが、救いだと思った。
ナポレオン戦争に関する書物を読んで再読したい一冊。
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順調に、山を登るように少しずつ、成功に向かって前進するジュリアンだが、後半のあの2ページの急展開で全てが切り落とされる。作者の鮮やかな技を見た。そのあとの穏やかな空気も、それまでとはうって変って、静かに心にしみるようだった。
さすが名作…恐れ入りました。
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「恋と快楽に酔いながら、彼は我慢して口をきくまいとした。私に言わせれば、これこそは彼の性格でもっとも立派な点の一つである。自分をそこまで抑えられる人物は出世できるだろう、運命がそれを許すなら。」(下巻416頁)
翻訳者である野崎歓は、解説のなかで、主人公ジュリヤン・ソレルが作中で繰り返し「サンギュリエ singulier」と形容されていることに、注意を促している。このことばは、「特異な」「風変わりな」という異様さを表現すると同時に「単独の」「唯一の」個性といったポジティブな意味をもち、ジュリヤンはまさに二重の意味をもつ両義的な主人公なのだと評している(下巻603頁)。
私の育ちを同情するに足る部分を酌量しようともせずにhttps://booklog.jp/users/yutuki2tuki#、ひたすら私を罰したいと願う人たちがいることも私にはわかっています。そうすることで、下層階級に生まれ、いわば貧困によって虐げられながら、さいわい立派な教育を授けられて、金持ちたちが傲慢にも『社会〈ソシエテ〉』と呼んでいる社交界〈ソシエテ〉にあつかましく入りこもうとする若者たちを、とことん意気阻喪させてやろうと考えているのです。(下巻536頁)
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ジュリアンとラ・モール嬢との恋の駆け引きは、まるで小学生同士の小競り合いのように滑稽でおもしろかった。身分の違いは人の心に思いがけない光を宿らせる。
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上巻であれだけ読むのに苦労したので、下巻はその分厚さに、読む前から尻込みしていた。
ところがである。面白い。下巻に入った途端、私のこの本への評価が一変してしまった。
舞台は、地方都市から大都会・パリの社交界へ。すると、それまでまどろっこしかったスタンダールの筆が、人が変わったように生き生きと感じられた。躍動感に溢れ、個性的で、したたか。フランスの歴史や当時の時代背景は全くわからないけれど、人間模様の面白さで惹きつけられる。
そして、侯爵令嬢マチルドとの、あまりに熾烈で、同時に凍りつくような恋。
主人公・ジュリヤンのあまりにも「感じやすい」激情と、マチルドの「高慢すぎる」退屈が、とんとん拍子に進むわけがない。駆け引きと打算、プライドと欲求、読んでいるこちらの方がひやひやする危なっかしさだ。
二人はお互いの中に恋を求めながらも、その中に自分しか見ていないのだと思う。だから恐ろしく計算的でありながら、同時に主観的だ。その相反する感情に引き裂かれながらも、ただただ自らの身を焼き尽くそうとするかのような二人の恋に、私はひどく同情してしまった。彼らを哀れだと思ったのである。
・・・というわけで、私はこの本は下巻の前半三分の二くらいをとても面白く読み、その評価を☆5にしたいくらいなのだが・・・
最後の最後の終わり方が意外にもあっさりしたものであったこと、レナール夫人の魅力がどうにも最後までしっくり来ず、いまいちその部分が納得できないこと、などを考えると、やっぱり☆4かなぁ、と思う。
けれど、前半であれほどげんなりしたのに下巻でこんなにスリリングな読書ができたので、途中で放り投げないでよかったなあ、とも思った。