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紙の本
パンの耳の丸かじり (文春文庫)
著者 東海林 さだお (著)
あの“耳”はやむをえないのか?トーストを食べるときに誰もが直面する「食パンの耳問題」。カップ麺「フタプラプラ問題」。おにぎり「最初の一口おかずなし問題」、クラッカー「5セ...
パンの耳の丸かじり (文春文庫)
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商品説明
あの“耳”はやむをえないのか?トーストを食べるときに誰もが直面する「食パンの耳問題」。カップ麺「フタプラプラ問題」。おにぎり「最初の一口おかずなし問題」、クラッカー「5センチ角問題」、餃子スタジアム「入場料300円とられて暗がりで立ち食い問題」…ああ、ショージ君の深遠なる悩みは今日も続くのだ。【「BOOK」データベースの商品解説】
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紙の本
どんなときでもあれが食べたいしこれも食べたいのです
2008/04/29 00:58
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ポカ - この投稿者のレビュー一覧を見る
彼は、なぜにこんなに食べ物について書くことができるのだろう。
パンの耳をどうするか、とか
いちご大福がどうだ、とか
かけそばとうどんがどうだ、とか。
なぜそんなに食べるということを書き続けられるのだろう。
いつもそう思いながら
ついついまた手にとって読んでしまうのでした。
読んでみれば、またまた食べ物についての考察が目白押しで
今回もついつい夢中になって読んでしまうのです。
人は「食べる」ということを避けては生きられない。
だったら、食べることを楽しんでみようよ、ということだろうか。
しかしながら、単なる楽しむ、というにとどまらないように思えるのです。
あんなことやこんなこと、
ちょっと考えすぎのような気もするほどの食への考察。
観察とか実験的のような気配もある。
それが面白い。
読みはじめれば、
はぁ~、ほぅ~、へぇ~などと感心して、
その次には、
あー、カレー食べたい、そば食いたい
あれも食べたい、これも食いたい、
ってな感じになってしまっているのでした。
こんなに食べることについて考え続け、追求し続けるなんて、
これは、モノ好きなどというのにとどまらず、
これこそ「プロ」といえるのでしょう。
どちらかというとどうでもいいようなことなのだけれど、
云われてみればなるほど面白いことで、
社会問題とかの問題定義とかの視点ではなく、
どんなときでも
美味い、不味い、面白いということで、食べることを書き続けること、
こういう一貫性をプロというのではないかと、
本当にスゴイなぁと思うのです。
難しいことをしかめっ面で並べ立てられるよりも、
うまい、食いたい、と食べ物をこんなにずらりと並べられれば
イヤでも食について考えてしまうような気がします。
いつまでも美味しいものたべていたいし、
食べることを楽しみたいと思いますからね。
さあ、今日は何を食べましょうか。
紙の本
もし、「丸かじり」なかりせば。
2009/11/01 11:25
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書に収められている、「わたくし玉ねぎのファンです」という文章のなかに、「もし、玉ねぎなかりせば」という言葉が出てきた。
なんという深い問いかけだろう。
「なかりせば」。
この言葉だけで、私はなくなったときのことを考え、落ち着かなくなくなり、どうしようかとスーパーの前を行ったり来たりして、これはもしかしたら親兄弟叔父さん叔母さんにも知らしめた方がいいかと電話の前を行ったり来たりしてしまうのであります。
「なかりせば」。
ああ、やめてください。
人類はどうなるのでしょう。
地球はどうなるのでしょう。
そこで、こんな設問はいかがでしょうか。
と、いうわけで、ここから身の毛もよだつ設問を書こうとしているわけですが、けっしてこれから先は読まないでくださいなんて書けば、困るので、どんどん読んでください。
でも、その前に身体中の体毛を剃りとってしまうことをオススメします。
書きますよ。
「もし、東海林さだおさんの「丸かじり」がなかりせば」。
いやーん、書いちゃった。
自分で書いてなんですが、この光景を想像するだけで、息が苦しくなってきました、本屋さんの店頭に走って、「丸かじり」シリーズを今のうちに買占めようかと迷い、そのための資金が必要だからと銀行に走り、しかし、世間に流通している「丸かじり」が何冊あるかもわからず、これはもしかして親兄弟叔父さん叔母さん、そしていとこにはとこまで知らしめたほうがいいかと電話の前を行ったり来たりしてしまうのであります。
「もし、東海林さだおさんの「丸かじり」がなかりせば」。
まず、食事がおいしくなくなります。
おいしくないから、食がすすまない。
「お願いだからごはんを食べておくれや、さだおちゃん」と、母親は頼むでしょうが、「「丸かじり」がないといやだーい」とごねる子どもが増加する。
これは学校、地域の教育委員会、さらには文部科学省の重要案件に発展し、時の首相が「友愛の心をもって「丸かじり」問題に対処しまし」と答えるにちがいない。
「もし、東海林さだおさんの「丸かじり」なかりせば」。
笑いがこの世界から消えてしまう。
みなさん、おこってどうするの、というくらい、機嫌がわるくなる。
漫才とプロレスの区別がつかなくなるし、世界の国のミサイル発射台がごごーっと動き出す。
これはあぶない。国連の緊急審議となって、オバマ大統領が「世界「丸かじり」緊急宣言」を提案するのいたる。
もうそのくらい、この世から「丸かじり」がなくなるなんてことは大変なことなのです。
もし、「丸かじり」がなかりせば。
それでも、あなたは生きていけますか。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。