紙の本
圧倒的な情報量
2022/07/15 00:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:TAROLEB - この投稿者のレビュー一覧を見る
上下巻で1000ページ超という大作、買ったはいいがずっと積んだままにしてましたが、もっと早く読めばよかったと思ってます。タイトルからだと天正の少年使節がメインかと思いますが、それは一部分だけであり、16世紀半ばから17世紀半ばまでの80余年という短い期間で如何にキリスト教が流布し、迫害されていったか、それを凄まじく大量の資料から読み取っています。臨場感あり、裏付けもあり、たまに筆者の考えに?となる部分もありましたが、本当に素晴らしい作品でした。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
楠木建『戦略読書日記』で知った一冊。
天正遣欧少年使節団の話と思いきや、彼らはなかなか登場せず、全575ページの中の519ページ目でようやく出航。それまでは派遣に至る経緯や時代背景が綿々とつづられるわけなのだけれど、幾多の史料を紐解いて書かれたこの内容が抜群に面白い。この上巻だけで独立した一冊の本(タイトルは『イエズス会と日本』あたりか)になっても何らおかしくないほど。布教への苦労やイエズス会の内幕がぎっしり詰まって、575ページの中にムダはなし。腹いっぱいで下巻へ。
紙の本
大航海からローマを歩く4人が見える
2009/03/24 11:39
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
大航海時代の真っただ中、1582(天正10)年、イエズス会の巡察師に率いられた4人の少年使節が、ちっぽけな帆船に乗りこんで、ローマをめざして日本を発った。大洋をきりわけイベリア半島をわたり2年を要してついにローマに至る。袴をはいて刀を差し晴れがましい様子で少年たちは教皇に拝謁する。
この壮大な計画をたてて実行したのは、イエズス会巡察師のイタリア人ヴァリニャーノである。ヴァリニャーノは日本と中国を西欧とは異なっているものの同じように高い文明をもった国として尊敬していた。東西の文明の相互理解をめざしたのがこの使節派遣の大きな目的だった。
出発から8年後に彼らは日本に帰り、西欧の知識・文物と印刷技術を日本にもたらす。しかし、当時絶頂を誇りキリスト教を保護した信長も今は亡く、時代は急変する。迫害のなか、4人は運命に翻弄される。病死する者、殉教に倒れる者、棄教した者もいる。物語は、少年使節のひとり(すでに60歳になっていた)の苛烈な死と、マタイ伝からの引用句で終わる。感動的だ。
著者の若桑みどりさんはイタリア美術史が専門でもある。惜しくも2007年に亡くなっている。単行本は2003年に刊行されており、今思えば壮大な遺書だったのか。若桑さんは、ローマの輝く空の下にいた4人の少年のことを書くことは、まるで私の人生を書くような思いであったという。彼らは、描かれたばかりのミケランジェロの祭壇画を仰ぎ見、青年カラヴァッジョが歩いた町を歩いたのだ。
大航海時代以降の世界では、一国の歴史がもはや一国史ではとらえることができなくなった。世界経済と世界布教というふたつの大きな波が16世紀の戦国時代の日本にも怒濤のように押し寄せてきた。イエズス会のザビエルが鹿児島に上陸した1549年から、江戸幕府が第1次鎖国令を出す1633年までの八十余年、日本はまさに「キリスト教の世紀」を迎えていた。そのときほど日本が世界的であったことは明治以前にはなかった。そのシンボルとして少年使節の派遣があった。
SMARTはこちら
紙の本
天正遣欧少年使節
2019/12/04 20:13
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
天正遣欧少年使節。そういえば、あの時代にヨーロッパまで行くって大変だったろうと思い興味を持ちました。
投稿元:
レビューを見る
若桑みどりさんの代表作といえるでしょう。
4人の少年とは天正少年使節のこと。
送り出されて4ヶ月後にはキリスト教に好意的だった信長が暗殺されたとも知らず、8年後に帰国した時には秀吉によって宣教師が追放された後。世界の動きと大名の動向がありありとわかり、宣教師にも出身や性格の違いがあったこと、宣教師達の見た信長・秀吉像も面白い。
少年達のその後もさまざま。
東洋の一国・日本から船に乗ってイタリア・ルネサンスの研究に行っていた若い頃からの作者の思いも含めて、感動的です。
投稿元:
レビューを見る
OPCWの人から薦めていただいた本。
アマゾンで購入し、プロローグだけ読んだ。
とても面白そうな本だと思う。
これを読んだ後に、家にある漫画「日本の歴史」を読んでみるとさらに興奮するかも。
投稿元:
レビューを見る
安土桃山時代の「天正少年使節団」をテーマにした学術書。「学術書」といってしまうと堅くなってしまうので、「ノンフィクション」と言い換えてしまいましょうか。ちょっと違うかな。
1549年、鹿児島にフランシスコ・ザビエルが渡来し、有史上初めて日本にキリスト教が伝来しました。このザビエルはポルトガル人。で、使節団を推進したキーパーソンであるアレッサンドロ・ヴァリニャーノはイタリア人。同じカトリックであることに起因して日本に辿りついた宣教師たちではありますが、どうやらその布教活動は、一枚岩ではなかったようです。新たに洗礼を受けた日本人キリシタンを、ポルトガル人宣教師たちが極めて西洋的な尺度で「同化」しようとしたのに対し、ヴァリアーノを初めとするイタリア人宣教師たちは「われわれは彼らの国に
住んでいる」として、キリスト教の教えに加えて、日本国固有の文化についても教育を施していきました。「われわれは彼らの国に住んでいる」という言説は、西洋人にとって未開の地であった日本に高度な文明が存在し、キリスト教の本義を理解できるほどの知性と聡明さを備えた「日本人」という国民がいる、という意味を包含しています。結果としてヴァリアーノは一定の成果を収め、カトリックの総本山、ローマ教皇の元に「使節団」を派遣しようと計画。選抜された少年たちが、当地でどのように迎えられたか、あるいは日本に帰国後、どのような運命を辿っていくことになるのか。そういった興味深い記述が細部にわたって描かれています。
上・下巻で都合1000ページ近い分量ですが、好きな人にはたまらない作品です。「使節団」の派遣を企図したイエズス会の真の狙い、四人の少年使節団のうちなぜローマ教皇に三人しか謁見できなかったのか、時の権力者であった織田信長、豊臣秀吉らと宣教師との遣り取り、少年たちの棄教と殉教、等々。日本という国と西洋との距離が、互いに初めて認識された時代の話。著者が本作を仕上げるために用いた一次資料が今もって大量にヴァチカンに保管されているという事実が、「少年使節団」の意義を物語っています。
投稿元:
レビューを見る
●構成
第一章 マカオから大きな船がやってくる
第二章 われわれは彼らの国に住んでいる
第三章 信長と世界帝国
第四章 遥かに海を行く四人の少年
--
戦国時代における、イエズス会による日本でのキリスト教布教活動は、困難をきわめた。豊臣秀吉および徳川家康による相次ぐ禁教令でついに西洋からの布教者が退去するまでの短い間、彼らは様々な手段で日本にキリスト教の種を蒔くことに力を注いだ。
その中で、最も壮大で、またイエズス会の業績の最たるものである、天正遣欧少年使節は、キリスト教史だけでなく日欧の交流史としても、西洋人の日本観と日本人の西洋観の研究においても、非常に注目される。
本書は、数多くなされてきた天正遣欧少年使節の研究成果をふんだんに取り込み、また幾つかの点では従来の研究と異なる著者自身の仮説を交え、歴史ノンフィクションとして読み応えのある本である。上巻では、フランシスコ・ザビエルによる最初期の布教活動から、織田信長と接近し日本での立場を強化しながら信徒を増やしていくイエズス会全盛期の様子を述べ、使節のリスボン到着とマドリードへの移動までを描く。特にイエズス会の日本での活動の様子は、会の中でも布教方針の対立が見られることや、布教基盤の強化のために時の権力者である織田信長とどのように関わり合っていくかを詳述する。
著者の自分語りがところどころ出てくるのはご愛嬌だろう。さほど気にならずに、物語に引き込まれてゆく。
投稿元:
レビューを見る
もっと小説っぽいものを期待して読みはじめてしまったのでかなり苦戦。物語ではなく、どちらかというと論文に近い雰囲気です。(論文としてみればかなり一般向けに読みやすいものですが)
日本におけるキリスト教の状況や、大名たちの事情なんかもかなり詳しく書かれていて、それだけにちょっぴり難解。かなり気合を入れて読まないとワケが分からなくなります。「分かりやすく伝える・楽しんでもらう」というよりはどちらかというと「正確な史実を伝える」ことを主眼においている印象。手ごわい相手ではありますが、興味深いところではありますし、頑張る価値は大いにある作品だと思います。
投稿元:
レビューを見る
天正少年使節を軸に、戦国時代末期から安土桃山期の日本と世界の出会いを詳細に描いた大著。
少年使節は、それまでのどの時代よりも日本が世界に開かれた時期に祖国を発ち、世界の覇権をうかがう西欧を見聞し、ローマ教皇との謁見の栄誉に浴した。しかし彼らが帰国した時、日本は急速に世界との扉を閉じようとしていた。
信長や秀吉、戦国大名たちがどのようにキリスト教宣教師とその背後の西欧に向き合ったのか、宣教師たちが見た日本はどのようなものだったのかが詳述されている。
著者は「私は一枚の史料よりも、その人間の行為や言動の総合によって判断する。(中略)人間よりも一枚の紙や一個の印鑑を信じるのが歴史家ならば、私は自分が歴史家でないことに確信をもっている。史料ではなく、人間を読む歴史家だと言いかえてもいい」と語っている。
著者の視線は、歴史の流れ以上に、歴史の中で生きた一人一人に注がれ、天下人も宣教師も使節の少年たちも同じ人間として生き生きと描かれているのが、非常に好ましく感じる。
本書は、病死、亡命、棄教、殉教に分かれた4人の少年使節の最期で結ばれる。学術書ながら、著者が描く4人の人生の結末は文学的な感動をもって迫ってくる。
投稿元:
レビューを見る
1580年頃に、日本から欧州に派遣された天正青年使節にまつわる話。
もの凄い細かい歴史的背景、人物紹介などを含めた少年使節が派遣されるに至る経緯を、膨大な文献を証拠に紐解いている。
当時戦国時代だった日本では海外との折衝が多くあり、その中でキリスト教の布教が日本に与えた影響は大きかった。キリスト教の布教には、スペイン国王、ボルトガル商、イエズス会、日本の戦国武将など、多くの人物が絡んでいる。その中でも、ヴァリニャーノというイエズス会巡祭祀を中心として、キリスト教の日本への布教と、天正少年使節の派遣との関係をときながら、展開が進む。
投稿元:
レビューを見る
★私たちはいま500年単位で歴史を考えるときがきている
クアトロ・ラガッツィというのは「4人の少年」というイタリア語で、九州のキリシタン大名3人が戦国時代末期にローマ教皇庁へ派遣した日本の少年4人、伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノのこと。
世界史的にはちょうど大航海時代のど真ん中、織田信長の命を受けて天正10(1582)年にイエズス会に率いられた4人の少年使節が、小さな帆船でローマめざして日本をいざ出発。大海原をものともせず2年かけて到着を果たし、少年たちは袴姿に刀を差して晴れがましくローマ教皇に拝謁したのでした。こんなとてつもない計画立案・実行をしたのは、イエズス会の伊太利亜人ヴァリニャーノで、彼は日本や中国を西欧とは違うが同等の高度な文明をもつ国として尊敬していて、この使節派遣も東西文明の相互理解を目的としたものでした。出発して8年を経て、彼らは帰国して西欧で得た知識や文物そして印刷技術を伝えました。でも、あれほど絶頂期でキリスト教保護に熱心だった織田信長もすでにこの世になく時代は急変して、四人は迫害のなかで病死したり、殉教に倒れたり、棄教したりする者もいるというなんとも最悪の末路でした。最後は、60歳になったかつての少年使節のひとりの苛烈な死とマタイ伝の引用で幕が降ります。
初めて読んだ若桑みどりは、『戦争がつくる女性像 第二次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』(筑摩書房1995年、後にちくま学芸文庫2000年)だと思っていましたが、ひょっとして別かも知れないと、今回いろいろ調べてみるとやっと判明しました。それより1年前の生意気盛りの中1の時に読んだ、雑誌『夜想5』(1992年)に載っている論文というかエッセイが最初なのでした。
それは「屍体 幻想へのテロル」という特集の中で、「屍体のメタモルフォーズ」というもので、どういう内容のものなのかは、今すぐその雑誌が見つかりませんので不明ですが、同誌には他に、由良君美の「Necrophagia考」とか、中野美代子の「屍体幻想」、深作光貞の「全身木乃伊の生と死」や、中井英夫の「屍体透視」、寺山修司の「屍体の告白」などそうそうたるメンバーが執筆しています。
1992年といえば彼女は57歳、まだ千葉大教授でしたが、こういう変わった嗜好の雑誌に堂々と書いていたということに驚きます。
◆レビュー日:2008年03月23日
◆推敲(更新)日:2012年11月21日
投稿元:
レビューを見る
2年かけてようやく読破。
クアトロ・ラガッツィとは日本語で
4人の少年ということで、戦国時代に
ローマ法王に謁見した天正遣欧使節を
通して、ザビエルから始まるキリスト教の
伝来と鎖国までを記載した評論です。
-ハンセン病医療施設の付設
-スペインやポルトガルなどの国家権力と
バチカンの関係
-カトリック教会内の問題
-キリシタン大名の秀吉政権での立場
-宣教師から見た日本の風俗や為政者の性格など
などが記載されていてまあまあ勉強になった。
でも、これは大学院生とか退職したおじさんとかが読むよんだね。全530Pで1Pが2段になっている
なんてつらすぎました。
投稿元:
レビューを見る
日本におけるキリスト教の布教について、そしてその時代の日本について。
世界との対比の中で書かれている。明日の我が身がわからない時代。文化の成熟って何だろう。。
投稿元:
レビューを見る
4人の少年がローマで教皇に謁見するにいたるカトリック、日本の事情を当事者の日記、手紙などの資料をもとに解説。
旅の記録、4人それぞれのその後の人生まで丁寧に記述している。
なかでも使節団の企画者、イエズス会宣教師ヴァリニャーノのエピソードは興味深い。
イエズス会というと「剛」のイメージが強かったのだけど、彼の柔軟性、開明性、適応性はホントにすごいと思う。フェルディナンド2世の家庭教師が彼だったら30年戦争もなかったろうに・・・