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商品説明
佐藤雅彦が編んだ本。名作12篇。【「BOOK」データベースの商品解説】
誰もがかつて手にしたことのある国語教科書。その中から一味違った「名作」を、著者が独自の視点でセレクト。「とんかつ」「ある夜」「少年の夏」「父の列車」「雛」など、短編も含めて全12篇の小説と物語を収録する。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
とんかつ | 三浦哲郎 著 | 9−22 |
---|---|---|
出口入口 | 永井龍男 著 | 23−40 |
絵本 | 松下竜一 著 | 41−64 |
著者紹介
佐藤 雅彦
- 略歴
- 〈佐藤雅彦〉1954年静岡県生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科教授、慶應義塾大学環境情報学部客員教授。著書に「佐藤雅彦全仕事」「クリック」「砂浜」など。
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紙の本
「面+白い」とはこういうことか。佐藤雅彦氏が編んだ12篇の小説。一篇、一篇を堪能。たのしめること、請け合い。
2008/06/13 05:06
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:月乃春水 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの佐藤雅彦氏が編んだ本。
これは、なにかあるにちがいない…とことばにするまでもなく
もうこれは読まねば、と反射的に手にとりました。
高校や中学の国語の教科書に載った小説が12篇。
収録作品一覧
わたしはこれまでに、どの小説にも出会っていません。
『まずは読み始めていただきたいと思う。』と「はじめに」にあったので、その通りに。
2日にわたり、じっくりと堪能しました。
どの作品も、「はっ」と、息を呑む瞬間が、必ずあります。
『「面+白い」とは、こういうことか。』
これは帯に書かれたことばですが、12篇、それぞれちがった面白さ。
『「「面+白い」というのは、新しい事象や関係性を発見することによって、目の前がぱっと明るく開ける状態を語源としている。悲しい物語なのに希望が感じられたり、救いようのない現実が我々の身近に存在することに気づいたり、そんな新しい面白さがこの本の小説を読み進むに従って姿を現してくる。』(「はじめに」より)
わたしにとって、「面白い」とは、「はっ」と息を呑む瞬間があること。
そんなことにも気づかされました。
「面白い」小説にはいままでも出会ってきていると思うのですが、
これまでの感覚とはなにかがちがう。
「面白い」といっても、かなり奥深いということなのか…?
なぜ、佐藤氏が、このような「教科書に載った小説」という特殊な編み方をしたのか。
「あとがき」に書かれているのですが、小学生時代のある出来事に起因しています。
そのときの状況が目に浮かぶようで…いい話聞いたな、そんな気持ちになりました。
有名で、多くの人に読まれた、というわけではない作品。
教科書に載ったこれらの小説群の立ち位置について、佐藤氏が感じ、
言語化するのは難しい、といいつつ書かれていることにも「はっ」としました。
小説の一篇、一篇、さらにこの本が編まれた背景も含めて、たのしめること、請け合いです。
紙の本
また異なる視点に気づく
2012/04/24 19:20
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
確か、学生時代は「国語」という教科について「苦手」ではなかったと記憶している。実はその当時よりも今の方が本を読んでいるんだけど、それは「教科書」という本に対する嫌悪感から、かもしれない。半ば「押しつけ」感のある教科書というものではなくて、「自分で選ぶ」本というのがその興味関心をひきたてるのだろう。そこには、「自分でカネを出しているのでモトを取らねば...」という貧乏性もあるけれど。
たとえば、「大人」になってから歴史に興味を持ち始めて、改めて高校時代の歴史の教科書を見たことがあるが、これは悲惨なものだった。小説や、「勝って読んでもらう」ために工夫を凝らされた歴史の本と、教科書の「クリエイティブ」が圧倒的に違うのだ。イチ個人として見た場合も、「これでは歴史の教科書、ひいては授業が面白いわけがない」と結論づけることができるほど。
だが、国語の教科書に載せられた小説は事情が異なるだろう。小説は「オリジナル」であり、教科書用に編集されたものではない。「教育」という視点から選ばれ、そして一部を切り抜いたものであるけれども、原作は少なくとも「一部分」よりも面白いはずだ。
本書は、昭和40年代から平成18年ごろまでに教科書に乗せられた小説を集めたアンソロジー。「あー、これ読んだなあ」というノスタルジーは感じられず(記憶があるものがなかった)だったが、深みのある「文学」の香りがするものが並ぶ。「多分」選りすぐりの作品が教科書に載せられ、さらに選りすぐりのものが本書に載せられているのだろう。「多分」の理由は、自分のとって「難しい」と感じたから。純文学を味わえないレベルの技量しかもたない自分の不足のせいであることは自覚の上、だが、「わかりやすく面白い」というよりは「なんとなく深みのある味わい深い」というものが多かったような印象。これを学生時分に読んでいたらどのような感想を抱くのだろう。そこは興味があるが、自分一人の中でそれを単純比較はできない。
編者は、本が近くにない少年時代を過ごし、「教科書に載った小説」を読んで、「本を読む」楽しさに触れたという。そういう環境にいる少年少女は今も少なくないだろうと思う(能動的に本を探さない、という意味も含めて)。そんな子どもたちに「きっかけ」を与えてあげられるような教科書であって欲しいと思う。だって、本を読むのは、世界観を味わうのは楽しいことだからさ。
【ことば】とにかくわたしは目のあたりに、わたしと少しも変わらない父をみたのでございますから、めめしい、...そのくせおごそかな父をみたのでございますから。
最も印象に残ったのは、芥川の『雛』。名作はいつになっても名作であるが故に名作である。短い小説の中に、娘を想う、昔を思う父親の姿が痛々しくも、人間らしく描かれる。「教科書に載った」ものであるが、今は「父親」目線で読んでいる自分を見つけた。
紙の本
懐かしかった
2017/05/30 04:48
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:CORE - この投稿者のレビュー一覧を見る
『ベンチ』リヒター
これだけ、教科書で読んだことがある。タイトルを見ただけでは、思い出せなかったが、 読み進めていくと、ちゃんと頭の記憶に残っていて、当時と同じ複雑で悲しい気持ちになってしまった。現在の教科書にも載ってるかわからないが、大人になってからでなく、 子供時代に読んでほしい小説だ。