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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.4 3件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2008.5
  • 出版社: 国書刊行会
  • サイズ:19cm/344p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-336-05023-6

紙の本

瞼の母 (長谷川伸傑作選)

著者 長谷川 伸 (著)

番場の忠太郎は、5つの時に生き別れた母親をたずねる旅をつづけていた−。不朽の名作「瞼の母」のほか、「沓掛時次郎」「一本刀土俵入」「雪の渡り鳥」など傑作戯曲を全7篇収録。【...

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瞼の母 (長谷川伸傑作選)

税込 2,090 19pt

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商品説明

番場の忠太郎は、5つの時に生き別れた母親をたずねる旅をつづけていた−。不朽の名作「瞼の母」のほか、「沓掛時次郎」「一本刀土俵入」「雪の渡り鳥」など傑作戯曲を全7篇収録。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

瞼の母 7−56
沓掛時次郎 57−97
一本刀土俵入 99−145

著者紹介

長谷川 伸

略歴
〈長谷川伸〉1884〜1963年。横浜生まれ。横浜新聞社に入社、都新聞に転じ、かたわら創作を開始。菊池寛に認められ「夜もすがら検校」によって文壇の地位を築く。著書に「荒木又右衛門」など。

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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.4

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

長谷川伸を初めて読む

2011/06/11 10:47

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 長谷川伸の戯曲をもとにした加藤泰の映画『瞼の母』はやはり素晴らしかった。以前観たとき以上に、そう感じた。その素晴らしさを成立させているものの大きなひとつは、原作にそなわっている骨組みに違いない。映画はそうした核ともいうべきものを監督が揺るがせることなく、とらえているように思えた。
 中村錦之助扮する番場の忠太郎は長いあいだ捜し求めていた母親おはま(小暮実千代が適役)とようやく対面する。入念に準備され(短い撮影期間でと断わろう)、演出された長回しのショットが原作の舞台に通じると同時に、母親と思えた当人が自分を金目当ての「這い込み」(という言葉が使われる)と見なした瞬間、画面はさっと忠太郎のクローズアップになり、『瞼の母』がまさに映画に他ならないことを観るものにさとらせる。
 ところで私が原作を読もうとしたのは、この映画を観終わって、ラストのシークエンスに、あるひっかかりを感じたためであった。
 映画の最後は、江戸を出ようとし、跳ね橋にさしかかった忠太郎の眼の前に何人ものやくざが現れ、道をふさぐ。忠太郎は彼らを一人残らずたたっ斬る。と、そこに忠太郎を追って、母親、妹たちがやってくる。彼女たちの忠太郎を呼ぶ声を、忠太郎はものかげに隠れてやりすごす。追ってきた母親たちがいなくなってから忠太郎が橋を渡るところを、やや遠景でとらえて映画は閉じる。
 観終わった映画のラストを反芻してなんとなく変だと思ったのは、橋のところで斬りあい、死体がころがっているだろうところに母親たちがかけつけてきて、それに全く気づかないように思えたことだった。私は長谷川伸『瞼の母』に眼を通してみて、なるほどと感心した。
 原作戯曲では映画と異なり、忠太郎の行く手に立ちはだかるのは、おはまの財産を狙う金五郎と彼にやとわれた浪人・鳥羽田の二人だけであり、最初に浪人が忠太郎に斬られるのだが、その死体は「芒むらに遮られて眼に入らぬ」というト書きが入っている。そこに母親おはまと妹お登世がやってくるが(遠くまで駕籠で行ったその帰りという設定)、ひとりだけの草むらにかくれた死体に気づかないのは当然である。
 原作戯曲では、ものかげで母親たちをやりすごした忠太郎が、母子を見送ったあと、隠れていた金五郎と対決し、斬りたおし、股旅の旅に踏み出すところで終わる。
 ところで念のため、もう一度、映画のラスト・シークエンスを観たところ、私は大きな勘違いに気づいた。
 映画では、しつこく追うやくざと雇われた浪人が忠太郎を呼び止め、さらに跳ね橋が向こうから開けられると何人ものやくざがいるショットから一転して水しぶきが見える河原でのダイナミックな斬り合いシーンに変わっていたのだ。つまり敵味方双方は橋の下の広い河原に移動して斬り合い(河原に移動するような説明シーンはない)、やくざは残らず斬られる。暗い夜で、橋の下のほうにころがる死体に母子が気づかなくても、それほど不自然ではない。
 また斬られる敵が舞台にくらべて多いのも、たんにチャンバラ映画の娯楽性に依拠したものではないように思う。「親はねえんだな、子はねえんだな」という悲痛な言葉とともに忠太郎がやくざたちを斬り殺してしまった後、その大量の殺人が、より一層、主人公を親や妹の世界から遠ざけさせている。母親と妹が自分を呼ぶ声を聴きながら、もはや彼女たちの世界に戻りえないことを忠太郎が知るのは、今犯してしまった何人もの殺人が大きく作用しているであろうことを、映画を観るものは悟らずにいない。
 原作戯曲には、忠太郎が母親たちの呼ぶ声に応え、「双方、手を執り合う」異本も書かれている(それも本書に載っている)。加藤泰は荻昌弘による『週刊朝日』上の「インスタント映画」という故のない批判に強くいきどおり、萩を恥じ入らせたに違いない反批判を後にしたためたが、そのなかで次のように書いている。
 《私達はインスタントであろうがなかろうが、寒かろうが暑かろうが、セットの数がどうあろうが、いくら製作日数にあおられようが、真面目に真剣に「瞼の母」に取組んだ。長谷川伸氏の戯曲の一字一字を読み尽し、氏が書き残された二ツの終幕を果してどちらが本当に氏の心にあったものかと考へ考へあれを作ったのです。》
 脚本は以前に加藤泰自身が書いたものだったが、引用の最後の言葉とはうらはらに、おそらく当初から彼の終幕のイメージは決まっていたと思う。

 私は『瞼の母』をかなり以前に放映されたもののビデオテープ録画で観たのだが、それが勘違いを誘発させた一原因かもしれない。その録画は画面の両端がややカットされており、完全なものではないが、そのこと以上にテレビ画面というものが、映画の全体をくまなく自然に見ることを妨げるのだ。長谷川伸を読むきっかけになったとしても、そうした単純な誤認を恥じるしかない。
 なお本書は近年刊行された全3冊の「長谷川伸傑作選」の1冊で、名高い戯曲7編を収録している。加藤泰の傑作『遊侠一匹』の原作『沓掛時次郎』も当然入っているし、「鯉名の銀平」が主人公の『雪の渡り鳥』、観てはいないが映画化されている『中山七里』もある。だが山下耕作による映画版が見事な『関の弥太ッぺ』がもれているのは残念である。
 戦前に書かれたこれらの戯曲は大きな劇場でくりかえし上演されたようだが、私はなんとなく長谷川伸のドラマはそうした晴れがましいところが似合わないような気がしてならない。独特のセリフを読みながらイメージしていたのは、いかにも大衆的な、たとえば旅回りの舞台だった。


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紙の本

な。な。(歩く)(本書p.97、『沓掛時次郎』大詰より)

2008/11/12 22:45

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る

 壊れかけた空調のパイプを眺めながら、「オールレーズン」を買い求め、セブンスターを一服。紙コップのコーヒーに冷たい手を温めて、錦之助さんやら、健さんの低いつぶやき、時には悠長なイタリア語が、漏れ聞こえてくる、重い扉を開ける。

 そんな名画座巡りの中で、中村(萬屋)錦之助氏主演、渥美清氏の特筆すべき名脇役ぶりで知られる加藤泰監督の『沓掛時次郎』に出会ったのはもう前世紀。

 伝え聞くところによると、加藤泰監督の諸作品を最初期に評価したのは、若き日の水野晴郎氏であったという。引き揚げ経験を持つ、彼にとっての『シベリア超特急』=満鉄あじあ号。結果はともかく、やはり余人には知り得ない、真摯な思いから出発していたのかもしれぬ。

 唯一浅草の流れをかすかにとどめたNHK、70年代の『お笑いオンステージ』(三波伸介氏・東八郎氏<東MAXの父>・ポール牧氏・中村メイコ氏)→90年代の『お江戸でござる』(伊東四朗氏・桜金造氏:杉浦日向子氏)の流れの諸番組中の寸劇で、断片的ではあれ、多くの視聴者が「長谷川伸」的なものに触れているはずである。
 あるいは『ガンバの大冒険』、『ど根性ガエル』など、東京ムービー(新社)系の諸アニメ作品などで。
 
 忠太郎―(母子を見送る。急にくるりと反対の方に向い歩き出す)俺あ厭だ―厭だ―厭だ―だれが会ってやるものか。(ひがみと反抗心が募り、母妹の嘆きが却って痛快に感じられる、しかもうしろ髪ひかれる未練が出る)俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ―それでいいんだ。(歩く)逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。(永久に母子に会うまじと歩く)
(本書p.53、『瞼の母』大詰より、全文ママ)

 かつて、小林信彦氏の『唐獅子株式会社』(新潮文庫)シリーズ中の傑作、『唐獅子放送協会』で、「組長」の気まぐれで買い取った、TV局の番組制作に関わる羽目になった主人公黒田。
 「しゃばだぞ、しゃばだわ」(11PMのあのメロディーで)のテーマに乗って華やかなスタジオに引っ張り出された、出所者達の訥々とした「平凡」な語りに、「ギョーカイ」目線で不満を漏らした「舎弟」に、彼は、「ワンパターンでしか語れない真実もある」と諭していたように記憶している。

 余りにも日本国中、広く長く普及し、舞台、映画、TV、バラエティー、アニメにまで、じんわり染み渡った、逆に言えば、それだけ日本人に広く共有される地盤から何かを汲み上げ、それゆえに固有名詞でさえなくなった、長谷川伸氏の諸作品。未読ではあるが、佐藤忠男氏による『長谷川伸論』(岩波現代文庫)など、論じられる機会も決してなかった訳ではない。

 しかし、肝心の長谷川伸氏の諸作品が長らく絶版であった。
 
 大衆演劇の現場では毎日のように「眼をつぶろうよ」と、「忠次郎」たちが立ちつくしていたはずなのだが。

 本シリーズの出版元、国書刊行会の英断に、ただただ、感謝したい。

 今年は、渡辺えり(子)氏演出、草なぎ剛氏、大竹しのぶ氏主演での、『瞼の母』舞台上演も実現、好評を博したという。

 直八 遠くはなれりゃ会う場所は、夢という世界があるばッかり。
 (本書、p.291、『直八子供旅』より)

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