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紙の本
読んでこれだけ楽しめるんですから、芝居をみたらもっと面白いんだろうな、って思います。やっぱり悲劇より喜劇が好きなんですね、わたし。でも、このじゃじゃ馬、あまりにも簡単に馴らされるのが予想と違っていました
2008/09/11 20:52
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
シェイクスピア、初挑戦です。ま、私がシェイクスピアを読まずにきたのは、その多くに見られる悲劇性にもありますが、戯曲というものは読むものではなく、あくまで芝居を演じるためのもの、だからシェイクスピアを楽しむなら芝居を観るのが一番、だと思ってきたからというのと、なにより「名作」と他人が決め付けるものに対する嫌悪があります。
それと私の文藝偉さランキングが、小説(エンタメ>純文学)>ノンフィクション>エッセイ>戯曲>詩歌となっていることにも依ります。戯曲読んでる時間なんかない!ま例外も当然あるわけで、井上ひさし、筒井康隆だけは読みますが、筒井センセーは戯曲が少ないので、結局、井上センセーだけというのが実際。でも、井上戯曲だって笑いの要素が無いものは積読。
ですから、今回、この本を手にしたのは案内文の最後の言葉にあります。カバー折返しには
パデュアの富豪の二人の娘は好対照。求婚者
に囲まれたビアンカと、だれ一人言い寄る者
ない勝ち気なキャタリーナ。そこへ現れた一
人の若者、金持ならばどんな女でも結構と言
い放ち、奇想天外な方法で「じゃじゃ馬馴ら
し」に乗り出した・・・・。軽妙な言葉の応酬が
冴える、傑作喜劇。
とあります。「傑作喜劇」、いいじゃありませんか。ま、カバーからはそういうムードが漂うことはありません。そんなカバーは中野達彦、カバーカットはGeorge Romney. (Lady Hamilton as Circe, c.1782)とあります。カバーの美女は、どうも Lady Hamilton らしいのですが、じゃあ Circe とは一体何?と思ってしまいます。
しかもです、この本の巻末についている解説は無署名。ときたま岩波文庫に見られる現象ですが、文責を負いたくないという表明でしょうか。カバー画についても説明不足というか説明する気はなさそうですが、それに数行裂いたからといって本の定価に影響するとも思えません。老舗としての誇りがあるなら、こういう部分での手抜きはやめて欲しいものです。さて構成ですが
目次
凡例
じゃじゃ馬馴らし
補注
解説
となっています。正直、序章と本幕の繋がりが良く分かりません。おまけに名前が分かり難い。頁をめくるたびに巻頭の登場人物一覧を見るわけです。特にルーセンシオとホーテンシオ、グルーミオとグレミオがグチャグチャ。無論、翻訳のせいではまったくありません。ついでに書けば、セックスに関する会話が多いのも原作ゆえで訳者に関係はありません。
そういえば井上ひさしの『天保十二年のシェイクスピア』、戯曲を読んだのは二昔も前ですが、芝居の放送を家族で見たのは数年前。あまりの卑語の連発に当時高校生と中学生だった娘たちは笑うより顔赤らめることのほうが多かった。それも井上がシェイクスピアに倣ったせいなんでしょう、なんてことが今回初めて分かりました。
このお話も、実際に芝居で見れば何の疑問も抱かず楽しんでしまうことは間違いないでしょう。
最後になりますが、ケイトことキャタリーナというじゃじゃ馬を馴らすのがペトルーチオ、ヴェローナの紳士です。でも、何故舞台がイタリア?こんな初歩的なことも解説して欲しかったな、って思います。岩波さん、お高くとまっていないで、現代の読者レベルまで下りてきてみては如何でしょう。出版というのはサービス業だと思うんですよ、私。