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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2008.8
- 出版社: 太田出版
- サイズ:20cm/356p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-7783-1125-4
- フィルムコート不可
紙の本
東京
東京に生まれ育ち、雑誌『東京人』の編集者となり、その後、書き手として東京に言及し続けてきた著者が、少年時代からニート時代、そして現在、それぞれの時代の東京を描く。思い出の...
東京
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商品説明
東京に生まれ育ち、雑誌『東京人』の編集者となり、その後、書き手として東京に言及し続けてきた著者が、少年時代からニート時代、そして現在、それぞれの時代の東京を描く。思い出の風景。人生のある時交差した忘れられない人々。歩き、触れ、見た、体感的東京二十四景。北島敬三がゼロ年代の東京を撮り下ろす。【「BOOK」データベースの商品解説】
東京に生まれ育ち、雑誌『東京人』の編集者となり、その後、書き手として東京に言及し続けてきた著者が、少年時代からニート時代、そして現在、それぞれの時代の東京を描く自伝青春譜。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
坪内 祐三
- 略歴
- 〈坪内祐三〉1958年東京都生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。雑誌編集者を経て文芸評論家。
〈北島敬三〉1954年長野県生まれ。自主運営ギャラリー「photographers’gallery」を開設。
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紙の本
君の住む美し都
2008/11/04 12:55
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
思い出のメロディーというのは日本の音楽が歌謡曲と呼ばれていた時代のものだと思っていたが、いつの間にか自分の若かりし日々の唄がそこにはいっているのには、ほとほと年を感じてしまう。
マイペースが歌った「東京」(1974年)もそのひとつである。
たまたま自分が好きだった女の子が東京に行ってしまったあとだったので、がなりたてるように何度もひとり歌った思い出が苦い。
「東京へはもう何度も行きましたね(本当は全然行ったことなんかないのに)/君の住む美し都」
私にとっての「東京」は、「君の住む美し都」だった。
坪内祐三氏の、一連の<昔話>が好きである。
生まれた地はまったく違う(坪内氏は東京世田谷、私は大阪の地方都市)のだが、年代が近い(坪内氏は1958年、私は1955年)せいか、あるいは多感な青春期を同じ東京で過ごしたせいか、坪内氏の書く街の表情や映画の話や雑誌のことどもに、いつも共感してしまう。
坪内氏のそのような作品に批評性がなろうとなかろうと、あの時代の東京の空気そのものが私にとっては今でも夢のようなものなのだ。(もっとも坪内氏がマイペースの「東京」の世界を理解できたかはわからないが)
この本では雑誌「東京人」の編集者をやめるまでの青春期の坪内氏とそれらの日々で関わった東京の二十四の街が「スケッチ」として描かれている。そのうちのいくつかで、もしかしたら少しおデブの坪内少年とニアミスしていたかもしれない。そう思うのも楽しい。
私は「彼女」を追いかけるようにして東京の大学にはいって初めて住んだ街が世田谷池尻だった。高級住宅地に住んだのではなく、そこに学生寮があったからだ。だから当時の渋谷はよく利用した街である。
「彼女」と東京で初めて会ったのが銀座(田舎からきた人間にとって東京の繁華街は銀座しか知らなかった)。
「彼女」にふられたのが高田馬場の(たぶん)<白鳥>という喫茶店。
でも、なんとなくあきらめきれずに「彼女」の住んでいた新井薬師にある下宿に越したのは東京に来て三年目の春だった。そして、こちらの思惑どおりというか、「彼女」と新井薬師の駅前で偶然(?)にも再会したが、見事に無視されてしまう。
こんなはずではなかったのに。
大学といえば坪内氏の本にもちょこっと登場する高田馬場の駅横のパチンコ屋にいりびたりで、当時(1975年頃)まだ椅子席ではなく立ちながら遊戯をしてズボンの後ろのしまっていた財布を盗まれてしまったこともある。
六本木の近くで学習塾のアルバイトをしていたこともある。<アマンド>という響きがなつかしい。
池袋の文芸地下(映画館)に行くのも緊張して歩いた(これはたぶん五木寛之氏の『青春の門』の影響だと思う)田舎者にとって、東京とは「花の都」でもなく、どこか切ない町のあれこれだった。
大学をでて一旦大阪に戻ったあと、仕事の都合でまた東京にくることになるが、もうあの頃の東京ではなくなっていた。
何が変わったのか。街ではなく、自分自身が変わったのだ。
「君の住む美し都」だった東京は、私にとってやはり青春の街だった。
太宰治は作品『東京八景』の中で「東京八景。私はそれを、青春への訣別の辞として、誰にも媚びずに書きたかった」と書いているが、本書は五十歳の坪内氏にとっても「青春への訣別の辞」だったのかもしれない。
そう思うと、やはり切なくなる、一冊である。