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紙の本
不可能性の時代 (岩波新書 新赤版)
著者 大澤 真幸 (著)
「現実から逃避」するのではなく、「現実へと逃避」する者たち。彼らはいったい何を求めているのか。95年を境に迎えたこの特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会におけ...
不可能性の時代 (岩波新書 新赤版)
不可能性の時代
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商品説明
「現実から逃避」するのではなく、「現実へと逃避」する者たち。彼らはいったい何を求めているのか。95年を境に迎えたこの特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 序 「現実」への逃避
- Ⅰ 理想の時代
- 1 敗戦という断絶=連続
- 2 理想の時代
- 3 死者の来訪
- Ⅱ 虚構の時代
- 1 二つの少年犯罪
- 2 虚構の時代
著者紹介
大澤 真幸
- 略歴
- 〈大澤真幸〉1958年長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。社会学博士。「ナショナリズムの由来」で毎日出版文化賞受賞。
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紙の本
語り部としての大澤の才気
2008/08/30 20:15
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
概して面白く読めたが その「面白さ」はあくまで著者が本書で語る「物語」の面白さであり それが本当なのかどうかについては 留保が必要ではないかと感じた。
例えば著者は「酒鬼薔薇聖斗事件」「地下鉄サリン事件」などに 時代を読み込もうとしている。
著者が読み込んだ「物語」は読んでいて説得力には満ちている。しかし一方 それらの事件が 果たして時代を代表するような出来事であったかどうかに関しては 同時代に生きた僕としては説得されなかった。
事件にまとわりつく「記号」を分析する知性には感心しても その記号はそもそも特殊ではないかという印象が最後まで残った。
ましてや松本清張のサスペンス小説「砂の器」を取り上げ 主人公の本浦を 「本裏」=「裏日本」と読み込んでしまう著者の「深読み」を考えてしまうと それ以外の著者の読み込みも もしかしたら同レベルに「面白く」かつ「深読み」ではないかと感じてしまうのだ。
その上でオタクを巡って 現代を読み込む手法に関しては 「そもそもオタクがこの時代を切りとる正しい切り口なのか」という前提を押えるという手続きに欠けている気がした。
現代の日本社会を分析するにあたり オタクという「特殊な記号」が どれほど有効なのかが僕には説得的ではなかった。
「オタク文化を読み解くことの面白さ」は本書でも十分に感じさせられるが それが 現代の日本のすべてとは思えない。今の日本を高齢化社会だと考えると その高齢者たちが オタクだとも思えず 従い 日本のある一定以上の人たちを外した日本論の有効性が ぴんとこないのだ。その意味でも前記の手続きがほしいと思った。
著者の博覧強記と 語り部としての才気はすさまじい。それがある意味で裏目に出ている気もした次第だ。繰り返すが 大変面白い本ではあるのだ。
紙の本
どうして不可能性の時代とよぶのか,わからない
2008/05/22 22:53
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本からえられるものはおおいが,論理に飛躍がおおいため,消化不良のままでおわってしまう.本のタイトルの「不可能性の時代」については
「虚構の時代の後に,現実を秩序づける準拠点となっているのは,この認識と実践から逃れゆく「不可能なもの」である.[中略] われわれが今,その入り口にいる時代は,「不可能性の時代」と呼ぶのが適切だ」と書いているが,これで「不可能」が適切な呼び名であるとは到底,納得できない.
紙の本
風通しのよい見取り図と真摯な実践的課題
2008/05/16 17:49
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代社会に対して、建設的な理論的貢献のできる数少ない社会学者の1人として、大澤真幸の名があげられるが、本書はその大澤氏による、戦後日本社会の分析的検証と展望をまとめたものである。「現実からの逃避」ならぬ「現実への逃避」(端的な例は、リストカット)を現代の徴候と読み取る大澤氏は、そのような現代がどのような歴史的過程を経て構築されてきたものなのか、まずは風通しのよい見取り図を描き出してみせる。そこで援用されるのは、師である見田宗介の『現代日本の感覚と思想』・『社会学入門』である。大澤は、見田が示した戦後の区分──「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」──について、その時々のティピカルな事例を用いながら概説し、さらに現代を「不可能性の時代」として配置する。
幅広いジャンルから、時代の徴候を読み取りながら性格づけるという作業を緻密に展開した大澤氏は、当然のことながら、現代の「閉塞」へと突き当たる。しかし、大澤氏はそこでもなお、思考の速度をゆるめることはしない。むしろ、それまで具体的な事例を取り上げつつも理論的な思考を展開してきた筆致の守備範囲を一挙に広げ、具体的な現実へと降り立ちながら、2人の人物の実践活動を参照することで、この現在における民主主義に希望を見出してさえみせる。ここで特権的に参照される2人の人物とは、アフガニスタンで活躍する医師中村哲氏と、松本サリン事件被害者の河野義行氏とである。詳しくは本書を読むのがベストだが、その2人の実践を、実現可能な思考のモデルとして組み込み切り開かれる未来への希望は、この「不可能性の時代」にあって「救済」となるだろう。