紙の本
「赦す」苦しみ
2023/01/12 15:46
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投稿者:302 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アーミッシュの方々は、キリストに従うという強い信仰心から「赦す」ことをしている(しようとしている)。
それは簡単にできることではなく、口では「赦す」と言っても心の中では葛藤している場合も多いだろうと思う。
「赦す」ことが絶対的に正しいと簡単には言えないが、赦すことで怒りの感情を手放すことや、自分も赦される側になる可能性が常にあること。または、こういう考え方もあるのだと認めることで、世の中今より少しは平和になるんじゃないかな。
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非常に興味深い事例だと思う。
ただ、アーミッシュ研究者によるものだけに、アーミッシュ寄りにすぎるところがある。
たしかにアメリカの対抗文化としてのアーミッシュという側面をきちんと取り上げ、表面的に「赦し」を絶賛するようなことがないので良心的な本だとは思うのだが。
アーミッシュの集団主義的価値観にはやはり疑問を感じたし、そのことに対する批判も、作中では十分とは言えないだろう。
あと、付録の「北米のアーミッシュ」に、「アーミッシュの理想はテクノロジーの奴隷になるより主人になるということである」とあるが、彼らによる現代テクノロジーの利用に関する取捨選択を見る限り、集団主義や教会の威信をまもることが第一義であるように思われ、著者に同意はできない。
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事件について,その事件の起こした犯人とその家族をなぜアーミッシュが赦したのかを,アーミッシュの側に立って書かれた本です。
宗教について興味がない私ですので,赦すということがどうして出来るのか,読み終えた今でも不可解ですが・・・。
その意味は難しいですが,分かりやすい言葉でアーミッシュの赦しを説明しているので読みやすいと思いました。
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件が起こったのは2006年10月2日。テクノロジーを極力排し、伝統的な
生活を営むアーミッシュのコミュティの学校で、部外者による銃乱射事件
が起った。
牧歌的ともいえるアーミッシュのコミュティで、こんな凄惨な事件が起きる
とは誰も思っていなかった。自身の子供が生後間もなく亡くなったことで
「神を恨んでいる」という男の犯行だった。
男が立て篭もった学校で、少女たちが犠牲になった。事件そのものも
センセーショナルであったが、それ以上に人々を驚愕させたのは
アーミッシュの人々が犯人とその家族に対して示した「赦し」だった。
「私たちの赦しに大きな影響を与えているのは、主の祈りです。
赦さなければ、私たちも赦されません」。アーミッシュの農夫は
そう語る。
「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」
アーミッシュの信仰でどんな時にでも唱えられる「主の祈り」が
彼らの宗教生活の根本にある。それが、彼らが憎むべき犯人を
赦し、その家族に示した思いやりの発露でもあった。
自分に対して、自分の親しき者に対して、罪を犯した者を赦す。
「罪を憎んで人を憎まず」とは言うけれど、難しい問題だと思う。
勿論、アーミッシュの人々にも喪失感や哀しみ、葛藤はある。
しかし、彼らにとって人を「赦す」ことは当たり前のことなのだ。
人を憎み続けるにはエネルギーがいる。そして、人を赦すこと
にもまたエネルギーがいるのではないか。
誰もがアーミッシュの人たちのように慣れる訳ではない。だが、
罪を犯した人に対し、自分に仇をなした人に対し、どのように
接すればいいのか。少しはヒントが掴めるかもしれない。
そもそも、犯罪なんて起らないに越したことがないんだけどさ。
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20220122のアド街ック天国にてテレビ東京の片渕茜アナウンサーが愛読書として紹介していたので読んでみた。
この本を読むことで、アーミッシュと呼ばれる人たちの考え方を知ることができる。が、私には賛成できないし、美徳とも感じられなかった。むしろ、統一教会の2世問題が報じられている昨今において、子供の頃からアーミッシュ社会で教育を受ける子どもたちは幸せなのだろうかと疑問を感じる。
「赦し」は罰を与えないことではない、とあったように思う。それならば、まだ良いが、全てが赦されてしまうのであれば悪の蔓延る社会になってしまわないか。
犯罪者の家族に対して、あなたたちも被害者だと言って赦すのは賛成。
教義に従い、無理に赦そうとする話も出てくるが、時間の経過に任せれば良いのではなかろうか。
否定はしない。様々な考え方があって良いと思う。その考え方に同調しない人たちに迷惑をかけなければ。
宗教の研究者など理解を深めたい人には薦めるが、そうでない人には、面白いとは思えない作品。アーミッシュの人たちも注目されることは避けたいのではなかろうか。
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この本に取り上げられている、アーミッシュの視点は、次世代の貧困のない世界を創造するために大切だと思う。自分の娘を殺されても、犯人を赦し、抱きしめることができることは衝撃であり、心を揺さぶられる。
この本は、アーミッシュの赦しについて、その背景や思想を、具体的な事例と、インタビューから明らかにしている。これからの、道徳の話をするためには、知っておくべき思想だ。
アーミッシュとは、オールドオーダーに従い、テレビやインターネットや車などのテクノロジーを拒否して、イエスの教えに忠実に、昔ながらの生活をしている人達であり、主に北米に全体で、20万人ほどいる。
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昔ながらの生活をするアーミッシュに興味があり読んでみたけど、内容は「赦し」の学術的(とまではいわないが、、、)な論議であった。
なぜアーミッシュは「赦し」を宗教的に大切にしているのか、最後まで読むのはなかなか辛かった。が、誰かを恨んでいる限りその誰かに自分が「支配」され続け、心が侵食されてしまうが、一方、「赦し」は、そんな呪縛から自分を解放することができる、という一文は心に落ちるものがあった。
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学校にたてこもり銃を乱射して少女たちを殺した犯人とその家族をすぐに赦したというアーミッシュコミュニティの人々の考え方と、伝統的な背景、今日的な意味についての書。
この場合の許すという行為は、宗教的な意味合いがあるため「赦し」という漢字を当てる。彼らの慎ましやかさや、他人への思いやりなどは、宗教の枠を越えた人間性の本質を考えさせるものがある。強固な意志は、当然宗教やコミュニティの結びつきに裏打ちされたものであるには違いないが・・。
現代的テクノロジーを取り入れず、車を持たず、農業を主とし、高校・大学という高等教育を受けないという暮らしぶりは、現代のわれわれの生活に一石を投じる。
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赦しとは復讐する権利の放棄。闘いであり、果ての見えない道だ。
和解ではない。赦しを罪の赦免と混同してはいけない。
赦しはあくまで個人的なもの。自らが赦されるため、怒りや恨みで人生が支配されないために赦すのだ。
赦すということは、「被害者としての一生を送る気はない」という誓いだ。
赦しが希望になって欲しい。
ロバート・D・エンライト『ゆるしの選択』
エヴァレット・L・ワージントン・ジュニア
エベレット・L・ワージントン
「決意された赦し」
「心からの赦し」
感情をコントロールできない時でも行動はコントロールできる。
行動をコントロールすれば、感情も行動に促され変わっていく。
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. 読了メモ。D.B.クレイビル:S.M.ノルト:D.L.ウィーバー‐ザーカー『アーミッシュの赦し』。プロテスタントの一派であるアーミッシュ。そのコミュニティで外部の人が起こした殺人。その犯人を赦すとしたアーミッシュの人々。事件の詳細、習慣を通して、私達の生活や関係に疑問を投げる。
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2006年10月2日
アーミッシュの学校で 銃乱射事件が起きた。
女生徒5人死亡、5人重症。
衝撃的なニュースだったが
それよりも 人々が驚いたのは
その事件を起こして 自殺した 犯人を
アーミッシュの人達が赦した事だったそうです。
アーミッシュという人々は 私は見たことがありませんが映画とかで(ハリソンフォードが出てた?)
黒い服を着て 帽子をかぶって ひげを伸ばして
馬車に乗ってるという のを 見ただけですので
詳しくはわからないので 読んでみました。
彼らにとって 相手を赦すというのは イエスの教えに従って 行う事なので そんなに凄いことではないそうだ。
とは言っても やはり 葛藤はあるようです。
でも、この事件のように アーミッシュじゃない人からの 行為に対しては 赦すことは アーミッシュ同士の赦しあいよりやりやすいそうだ。
相手を赦すということが 第一。
そして 自分も赦される。
そういう考えの人達らしい。
目立つことを嫌い つつましく暮らすのが良いと考えている。
雨乞いはしなくて 降るまで待つ。
そして降ったら感謝をする。
赦す人は 赦さない人よりも 幸福で健康な生活を送れる。
というのも、憎しみに支配されると幸福ではなくなってしまうから。
何か 大きな試練があっても 癒しと希望を持って生きれば乗り越えられる。
このような 教えが 子供の頃から生活の場で常に目の当たりにして身に沁みていく人達。
だからこそ、子供を殺された親たちは 犯人や 犯人の家族に対して赦しをして、犯人の家族に対しては 寄り添ってあげるという 行為ができたようです。
すごい人達です。
確かに 罪を憎んで 人を恨まずというような言葉もありますよね。
そうそう、アーミッシュの人達は 犯人や罪は赦すけど 忘れる訳じゃないんです。こういう事件があったという事は 心に刻むそうです。
最後の付録部分に アーミッシュの暮らしについての記述がありました。
運転はしないけど 普段は馬車でも タクシーとかには 乗るのですよ~~
不思議ですよね~~
どうやら 自分らで 運転とか出来ると遠くへ行きやすくなると 地元の結びつきが薄くなるのが 好ましくないと みなしているそうです。
全て自給自足しているのかと思ったら 一応電気とか(バッテリーからの電源だけどね)も使ってるようなので なんとなく そんなに 私たちとかけ離れていないのだなぁと 思いました
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赦しって、教えって、コミュニティって・・・自分が知らないだけ、いや、みんなもそうでしょうそんななかでも、様々に気付き知ることが出来れば・・・
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おもしろかった。アーミッシュの小学校で銃の乱射事件があり、複数の子どもたちが殺された。何人かは重症をおい、生死をさまよっている。しかし、間をおかずして、アーミッシュからは「犯人を赦します」という声明が出された。「赦す」とはどういうことなのか、どうしてアーミッシュは子どもを殺されたのに間をおかずして「赦す」と言えたのか?感情の抑圧は不健全なのではないか?といった。ことや、そもそもアーミッシュの信仰や生活はどういうものかということが書かれている。「赦す」ことは簡単なことではないが、相手を赦さなければ自分も赦されないという考え方がアーミッシュにはある。また、子どものころからアーミッシュは赦しについて叩き込まれている。そのあたりが、今回の「赦し」を可能にしたのだろう。個人の利益よりも、共同体の利益を優先するからこそ、「赦す」「赦される」ということが重要になってくるのだろう。赦せないよりは赦せた方がいいとは思うし、精神面でも伊のだろうが、なかなか感情のコントロールが難しい。赦しがいのない人間がいるとすればやってられないと私は思ってしまうが、人間は変われるということを信じているのだろうと思った。
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実際に起きたアーミッシュの学校銃撃事件のその後を書いたノンフィクション。
アーミッシュのライフスタイルをとりあげた本は多いけど、こういう観点で取り上げている本は初めて読んで、とても興味深かった。
自分の家族を殺した人やその家族を即座に赦せるか?
赦すことは愛なのか、情緒的に不健全なことなのか。
答えのない問いだけど、ひとつの視点を見せてもらった感じ。
自分が見習えるかどうかとかいうことではなくて、これもひとつの真実。
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『赦し(す)』という事がアーミッシュの方達にはどういう物なのか?読む前には1ミリも考え及ばない理由だった。そして読みだしてから知った事件の詳細とその後。にも驚きなのか感動なのか自分でも判別できない気持ちになり、読み進めていくとそこに見えてきた理由と伝統、そして個人個人のグラデーションのリアルさと共に少しは納得できたが全てを理解できたとは思っていない。またいつか読むような気がする