紙の本
罪悪感を吹き飛ばせ
2009/01/27 13:29
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野棘かな - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はこの本を読んでギャンブルへの罪悪感が吹っ飛びました。
(正確に言うと、植島啓司著一連の本を読んで)
「賭ける魂」は、著者の生の生き方と経験値、豊富な情報、多くの引用で紡ぎだすギャンブルへの思いが読みやすい文章で綴られているので軽く読めるしとてもわかりやすい。
ギャンブルに対する真摯な気持ちというと、ほとんどの人が真摯は当てはまらないと思うかもしれないが、著者のスタイルは一貫して一心なのだ。
一心にギャンブルを楽しむスタイル。
すごく楽しそう、そして、楽しむ自分を楽しみ、幸せそうだ。
死ぬまで戦い、遊び続けていくという著者に軽い嫉妬を覚えた。
紙の本
無頼派の大学の先生、ギャンブルを語る。
2012/01/29 20:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Pinchan - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者生年1947年ということは今年2008年だから61歳におなりになるはずなのに、表紙カバー裏の写真はどう見ても20代じゃないっすか?そりゃ、ご本人でしょうけど。いえ、ちょっと気になったものですから。著者は宗教人類学者という、文系の学者。少し前に「高学歴ワーキングプア」という本で「院卒に職がない」現状を読みましたが、この著者の学生・院生時代から既にそうだったそうです。著者は機会を逃し、捉え、海外を放浪し、あげくに日本で大学の先生になり、同時に内外で博打三昧の日々を過ごし(例えば「(学生時代のある日以来)馬券を買わなかった日は一日もない」とおっしゃる)、学者でギャンブラー(競馬誌での連載も持ったり)だから、テレビにも出演したり、と、堅気のサラリーマンの私からは、想像を絶する自らの人生を衒いなく語られます。数々の博打の話も面白いですが、「どうして、ブラックジャックで、何も考えない親に、考える子が勝てないのか?」という素朴な疑問は、非常に奥が深いというか、同感です。なんでだろう。
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賭けまくってる大学教授が著者。基本的に人生は下降線。勝ちすぎてもいけないし、運とうまくつきあわなくてはいけない。
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今まで多少なりともギャンブルをやってきたが、あぁなるほどと。
「信じるということの大切さ」だろうか。
当たると思っていても、当たらないかもしれないが、
当たらないと思ったら、当たらない。
どうせ自分は負ける と思ったら、なぜか勝てない。
なんか今日は勝てないな、、、そう勝てないのだ。
ギャンブルの経験、人生の伏線(複線)となりうるのか、いやしてみせる。
まぁ多少なりとも人と違った経験をしてきたことといえば、ここくらいしか思い当たらない。
だからこそ、そこに何か意味だの教訓だの、今後のヒントだのを求めるのでしょう。
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勝ち組、負け組、それは人間が考えたことで、本来そのようなものは存在しない。勝ちばかり目指そうとすると逆に離れていく。人間の意志が介在するものは、法則に合致していかないのだ。勝ちも負けもないわけだから、負けを恐れることなく、自分の今の状態を知る努力をすべき。
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実力は減るけど運は減らない、
なんてギャンブルに精通していなければ言えないセリフだ。
赤瀬川原平さんや南伸坊氏らに
共同で馬券購入させようと口説き落とすシーンで、
冗談に流れていくのを必死に軌道修正していくのに爆笑。
しかも誰も結果を聞きに来ないというのがさもありなんw
http://takoashiattack.blog8.fc2.com/blog-entry-1316.html
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[ 内容 ]
競馬・カジノ・麻雀…長年のギャンブル経験から得た不確実な時代を生き抜く知恵とは。
[ 目次 ]
1 人間は自分以外の力を必要とする(サマルカンドの死神 ギャンブルと経済とゲームは同じ ほか)
2 自分のことはわからない(わからない 羽生名人「将棋の手はほとんどが悪手である」 ほか)
3 賭ければパラダイス(競馬の快楽 賭博師の破滅 ほか)
4 われわれはどこへ行くのか(運は一方的に下降する ドストエフスキー『賭博者』 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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最近書いてなかったので、書いてみよう。
タイトルからもわかるとおり、賭けるってどういうことって話。
要するにギャンブルね。
まあ俺は賭け事とか好きやから、おもろくてスラスラ読めた。
内容も軽めで読みやすかった。
ギャンブルっていうと、あんまよくないイメージを持つ人も多いかもしれないけど、ぶっちゃけ賭け事のひとつやふたつもできないような人はあんまおもしろみがないね。
アメリカやとすぐWanna bet?と会話にでてくるが、日本人との会話ではあまり、賭ける?って聞かない。健全っちゃ健全なのかもしれない。
のくせにパチンコ業界とかがここまで発展してるっていう。
俺はパチンコはギャンブルやないと思う。あんなものは、宝くじと同じ。
ほんとうのギャンブルは人と人とのぶつかり、心理戦、読みあいとかそういうものがないと。何より、自己と向き合い自分の弱さと戦う行為やと思う。
そういう意味では、スポーツやらなんやらの全ての勝負に通じること。
またベガス行きたい。
って、本からちょっと反れてしまった。
作者は東大出て、大学院行って、シカゴにも留学してる。
宗教人類学者らしい。
なのに競馬とカジノが好きなんだなーこの人って感じの内容。
運とは、偶然とは、とかも語ってて、おもしろい。
またヘミングウェイ、ドストエフスキーなどにも触れてて興味深い。
まあサクっと読めるのでおすすめ。
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何ら学術的根拠に基づかない、著者が標本数1としての経験と研究もどきから導き出した妄想が内容の全てである本。つまりゴミ。こんなのはブログか日記に書くべきであって、出版して金を取るなど言語道断である(ただし小説としてなら許されるかもしれない)。
著者が本当にこのような妄想を信じて生きているのかはわからない。本当ならば救い様がないし、そうでなければ学者としての倫理観に欠けている。どちらにせよ、この本は学問としての宗教人類学の看板に傷を付けるものであると思われるので、次回作は自重されたい。
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5月は色々な理由があって、読書を一ヶ月やめてみようと思っていたので、6月になって久しぶりに本を読みました。
再読だけど、植島啓司さんの「賭ける魂」にしたのは、
たまたま手を伸ばした先にあったから。
全くの偶然です。
と、いうような不確実性(単純な意味で)ものの中にこそ、確実なものはあるのでは、
言い換えると、確実に不確実なのであれば、それは確実では?というような理論になっているようななっていないような内容の本です。
植島さんの文章は凄くシンプルなんですが、これは推敲を重ねたというよりも、僕にはただ「めんどくさい」ように見えて、
それも凄く好きな理由です。
人間は何かと結びついているという意識(意味付け?)なしには生きていけなくて、
そのためにはギャンブルにする事で強いコミットを生んでいくという方法もある、
というギャンブル依存症の言い訳と取るか、
宗教人類学者の深い一言ととるかで
評価のまっぷたつになりそうな事をさらっと書くのも凄く好きです。
読む前はいつも忘れてるんだけど、
読むといつも、僕は小学生の頃とかは植島さんみたいな
人になりたかったんだよな…と思い出します。
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パチンコや競馬、カジノなどのギャンブルで賭けるものは「お金」
それに対して人生で賭けているものは「時間」
恋愛で賭けるものは「プライド」かもしれない。
あらゆる場面で僕らは「賭け」を行うタイミングに遭遇する。
そんなとき、僕らが一番やっちゃいけないことは「負ける」ことではなく「賭けない」ことではないか。
最近そう感じ始めた。
例えば、この先日本国内でも「英語」ができなければ働けなくなるかもしれない。
そのために英語を勉強しようと考えたとき、僕らは手持ちの「時間」を賭けて「英語」を勉強する。
その結果、賭けた「時間」と「英語」を習得して得られる効用がイコールではないかもしれない。
結局英語なんて勉強しなくても十分生活できるかもしれない。
賭けた分以上の対価が得られないことを「負け」とするならば、この英語の勉強は「負け」であろう。
ただ、「賭けを行った結果負けた」のと「賭けなかった」ことでは、「英語による効用が得られていない」ということでは一緒かもしれないが、意味合いが全く異なる。
人生は偶然がものを言う世界。今は役立たなくても5年後10年後は分からない。
もしかしたら無駄になるかもしれないことに対し、時間を賭けることは勇気がいる。
負けることを怖がっていたら決して賭けを行うことなどできない。
だけど人生には最も大切な「時間」を賭けなければならない瞬間がいくつもあると思う。
そんなとき怖がらず賭けを行うには、常に「賭ける」ことの敷居を低くしておく必要があると思う。
その格好の練習場として、ギャンブル場というものが存在するのではないか。
人生で最も大切な「時間」は二度と手に入らないが、お金なら働けば手に入る。
人生で負けることは許されないが、ギャンブルであれば負けることは許される。
「負ける」ことへの恐怖心を和らげ、人生において自分が「やっておいたほうが良いと思うもの」へ躊躇なく時間を賭けられるように態勢を整えておく。
ギャンブルというものはそういった側面も持ち合わせていることを忘れてはならない。
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無頼派学者のギャンブルエッセー集。競馬もカジノも全く縁がないせいか、書かれていることがピンと来ない。ギャンブルをテーマにもう少し掘り下げたものがあるかと思ったが、それもほとんどない。
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ギャンブルに関する新書というよりは、植島氏のギャンブル人生のエッセイといったものである。が、私はなかなか楽しめた。いかにして遊んで暮らすか。私もそれを考えているけれど、ギャンブルでは楽しく遊べなさそう。だけれど、お金なんて紙切れだとは思う。
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たいして勉強もしてない自分ではあるが、植島先生のことはめちゃ×2尊敬しているのである。到底、あの境地には達しえないが、私のアイドルだ。とにかく、モテるんだよなぁ。
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ギャンブル好きな人なら、共感したり、あるある、と感じるところが多いのではないだろうか。
筆者のギャンブルとの関わり方、これまでのエピソードも面白かったが、仕事をするためではなく、どうやったら遊ぶ時間が確保されるかは人生最大のテーマだった、という文があったが、自分でも常々そう思っているだけに、一冊読み終えても印象に残っている。