紙の本
1919年に発表されたイギリスの小説家サマーセット・モームの代表作です!
2020/05/09 11:16
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、イギリスの小説家であり、劇作家であったサマーセット・モーム氏の小説です。1919年に出版され、同作で注目を浴び、一躍モーム氏の名は有名になりました。 同書は、画家のポール・ゴーギャンをモデルに絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で書かれています。出だしのあらすじは、作家である「私」が、ストリックランド夫人のパーティーに招かれたことからチャールズ・ストリックランドと知り合ったところから始まります。ストリックランドはイギリスの証券会社で働いていたのですが、ある日突然家族を残して消えてしまいました。私は夫人に頼まれ、ストリックランドがいるというパリへ向います。私がストリックランドのもとへ向かうと、駆け落ちしたといわれていた女性の姿はなく、一人で貧しい生活を送っていました。話を聞くと絵を描くために生活を捨てたというではありませんか。私は彼を批判したのですが、彼はそれをものともしません。夫人は私からそのことを聞くと悲しんだのですが、やがてタイピストの仕事を始めて自立していきました。モームの代表作をぜひ、味わってみてください。
電子書籍
言わずと知れた名作の新訳
2020/09/17 02:15
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投稿者:Tok - この投稿者のレビュー一覧を見る
言わずと知れたモームの不朽の名作、「月と六ペンス」
の光文社古典新訳文庫です。
モームと言えば、ひと昔まえ(いや、もっとまえ?)は
大学入試の英語の長文問題にも非常によく出題さ
れたそうです。
紙の本
モームって、いいですね
2019/01/23 22:39
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
月と6ペンスという、モームの作品のタイトルと同じ名前の喫茶店が丸太町にある。会話禁止、パソコン禁止の静かな空間で素敵な時間を読書家にあたえてくれる。オーナーにどうして喫茶店の名前をこれにしたのかと聞いたことはないのだが、このモームの作品を読んでみると何となくわかったような気がする。ストリックランドという全く社交性のない偏屈で気ままな絵描き(タヒチを愛したという設定はもちろんゴーギャンがモデルだ)の姿に、あの静かな空間を創出した自分を重ね合わせているのではないかと勝手に想像している。モームは通俗的だと当時は批判されたということだが、通俗的で何が悪いのかさっぱりわからない。イギリスの作家は通俗的なのが売りではないのかと個人的には思っているほどだ
紙の本
ポールゴーギャン
2022/04/27 00:10
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
月と6ペンスというと、ポールゴーギャン。そして、あのひまわりのゴッホを思い出しました。前から、一度読みたいと思って、なかなか、読めずにいたのですが……期待しすぎました……というのが読後感
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話が激しく展開していくのとは裏腹に、読みながらゆったりまどろむような気持ちになって、まるで童話のようだった。
男女の機微が随分ミステリアスに描かれていてかわいいなあ、と思っていたのですが最後の解説を見て腑に落ちました。まあそんなの抜きにしてもオトコとオンナのことは第三者が見てわけわかんないくらいの方が素敵だと思います。恋や愛を言葉で説明したってしょうがないや。
しかしこの登場人物と読み手の間の絶妙な距離感はなんだろう。冗談でも「あーわかるわかる」なんて言えない彼らのシンプルな神々しさは。
どの登場人物をとっても「このひとはきっとどこで何しててもこういう風にしか生きられなかったろうな」と思わせる凄みがあって、人はそれを生命力と言うのかもしれないし、使命とも宿命とも、あるいは呪いの様にも見えるんだけど不思議と恐怖も嫌悪も感じなくて、ただ愛おしい。或いはもしかしたら、羨ましい。
その性格の頑固は、多くの人にはきっと滑稽だったろうけれども本人たちはなかなか満足そうだし私みたいな他人はなにも言えませんのである…。
でもせつないなあ。寂しいなあ。
こっそり言うけど。
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言わずと知れたゴーギャンをモデルにした小説。
ちなみにフィクションであるが故か、モデル本人のダメダメさ加減に比べたら主人公まだマトモ(私比)だと思う。
前半だけの話にはなるけど(しかも感想じゃないし、物語的にはそこじゃないんだけど)ストリックランドがストルーブ氏にかけた迷惑なんて、ゴーギャンがシュフネッケルにかけたはた迷惑を考えりゃ……お金の無心をされても、何度もお家に転がり込まれても、奥さん寝取られても、それでもゴーギャン見捨てられなかったシュフネッケルも大概あれだなぁというか。(もっとも「手紙を送らないシュフ」だの「家を飛び出すゴーギャン」だのと、ケンカは細々ときどき大々的に繰り返してるようだけどね)(つーかシュフが甘やかしたからあーなったんとちゃうのか?)
つまり事実は小説より奇なり(自己完結)
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勝手に詩だと思ってました。普通の小説だったのね。
割と名作と言われてるので、とりあえず読んだら思ったより面白くてビックリ。
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購入した本。
読み方によっては、タヒチの素晴らしさ紹介とも。
面白くないわけではないのだけれど、心を揺さぶられるって
ほどでもなかった。
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衝撃でござる。
こんなにたくさんのメッセージを作品に込められる作家がいるんだなあ。
ストーリーどうのというよりは、ひたすらメッセージ。
でもストーリーもそれなりに引き込まれるように書かれていてすらすら読める。
主題とはあまり関係ないけど、ゲイ小説の空気感。
解説読んで納得。
ブランチの死後のストリックランドと主人公の会話が一番すき。
「女ってのは、愛したら相手の魂を所有するまで満足せんのだ。」p.266
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モームのストーリーテリングがうますぎて一気に読んでしまった。
ザ・強者。強者の理論を振りまきまくる人間全然好きじゃないけどここまで強いと美しい。
「それに、夫に戻ってほしいと言うのが愛情ゆえなのか、世間の噂を恐れるからなのか、その辺の判断もつきかねる。夫人の心は破れ、傷ついた。だが、その心の中で、裏切られた愛の苦しみが、傷ついた見栄と混じり合っているのではないかと思うと、私の心中も穏やかではなかった。人間性がいかに矛盾したものかを当時の私はまだ知らず、見栄など醜いだけのものと思っていた。誠実さにどれだけのポーズが含まれ、高貴にどれだけの野卑が含まれ、自堕落にどれだけの善良さが含まれているかを、私はまだ知らなかった」
「ストリックランドはにやりとして、『エイミーの馬鹿め』と言うと、一転、苦虫を噛み潰したような軽蔑の表情に変わった。『女ってのはそんなことしか考えつかんのか。愛・愛・愛! 逃げるのはいつもほかの女のためだと思ってやがる。おい、おれが女のためにパリくんだりまで逃げてくると思うか』」
「世の中に、他人にどう思われようと少しも気にしないと公言する人は多い。だが、そのほとんどは嘘だと思う。実際は、自分がきまぐれにやることなど世間は知らないし、知っても気にしないと高を括っているだけだ。それか、少数の取り巻きにちやほやされ、それを頼りに世間の大多数の意見に逆らってみているか、だ。たとえ世間的に非常識なことでも、それを常識だと言ってくれる仲間がいれば、強引に押し通すこともさほど難しくない。そして、そんなことができる自分をすばらしいとさえ思える。身に危険が及ばないところではいくらでも大胆になれる――その見本のようなものだ。だが、文明人の心の奥底には、実は他者に認められたいという強い願いがある。それは最も根深い本能と言えるかもしれない」
「絶えず傷つきながらも、相手に悪意を抱けない善人。毒蛇に何度咬まれてもその経験から学べず、咬み傷の痛みが治まると、また毒蛇をそっと胸元に抱き寄せる。その人生は、どたばた喜劇に仕立てた悲劇のようだ」
「『言いましょうか。きっと、数ヶ月間はこれっぽっちも頭に浮かばなかったでしょう。自由になった、これでようやく自分の魂が自分のものになった。そう喜んだでしょう。もう、天にも昇る心地だったかもしれません。ところが、です。突然、我慢できなくなります。ふと足元を見ると、天に昇ったどころか、ずっと泥の中を歩いていたことに気づきます。その泥の中を転げ回りたいという衝動が押し寄せます。たまらず、女を探します。粗野で、下品な女。思い切り下卑た女。目をそむけたくなるようなセックスを売り物にする女をね。そして、けだもののように襲いかかり、そのあと、目が見えなくなるほどの怒りの中で飲んだくれるんです』
ストリックランドは身じろぎもせず、私をずっと見つめていた。私はその視線を受け止め、ゆっくりと言葉をつづけた。
『これから申し上げることは、ご本人にも不思議としか思えないでしょう。飲んだくれたあと、酔いからさめると常になく清らかな感じがします。肉体から解き放たれ、��そのものとなったかのようで、手を伸ばせば美の実体に触れられそうです。そよ風とも、芽吹く木々とも、虹色に流れる川とも親しく会話できるような気がします。一言で言えば、神になった感じでしょうか。そのときの気持ちを私に話してくれませんか』」
「いや、ブランチに限らず、ほとんどの女性がそうだ。だが、実際には、どのような対象にもなびく受け身の感情にすぎない。言わば、どんな形状の木にも巻きつく蔓だ。身の安泰からもたらされる安心感。財産を持つことの誇り、望まれることの喜び、家庭を営むことの充足感が合わさった感情――そこにいかにも精神的価値があるかのように思い込むのは、女の女らしい虚栄心のなせる業に違いない」
『この世は厳しくて、残酷だ。なぜここにいて、どこへ行くのか、誰も知らない。人間は謙虚でなくてはね。静けさの中に美を見つけなくてはならない。悲運に目をつけられないよう、人生をひっそりと生き抜かねばならない。単純素朴、無知な人々に愛されるのがいい。その人々の無知は、ぼくらの知識のすべてよりまさっているから。その人々にならって、ぼくらも口を閉じるべきなんだ。謙虚で、穏やかで、与えられた片隅で満足する。それこそが人生の知恵だと思う』
『女ってのは、愛すること以外に何もできんのだな。滑稽なほど愛を大きなものだと思い込んでる。愛こそ人生のすべてだなんてぬかして、男を説得しようとする。実際はどうでもいいものよ。肉欲ならわかる。それは正常で、健康的だ。対して、愛は病気だ』
「真鍮の塔に閉じ込められていて、他者とは合図でしか意思を通じ合えない。しかも、その合図の意味づけは人ごとに異なるのだから、伝えられる意思は常に曖昧で不確かになる。伝える側は、心に抱く宝物を他者にもわかってもらおうと痛々しいほどの努力をするが、他者にはそれを受取る力がない」
「タヒチ島は高い山をいただく緑の島だ。深い山襞は緑が濃く、そこに目をこらせば、薄暗さの中に神秘を宿した静かな谷が見て取れる。その谷間をさらさら、ぴちゃぴちゃと冷たい小川が流れ落ちる。その光景と音は、太古からこの木陰で営まれてきた無数の生を思わせ、見る者を深い感慨に引きずり込む。この地でも、やはり悲しむべき何か、恐れるべきことどもが起ってきたのか……。だが、そんな感傷は一瞬で消え去り、反動で、いまこの瞬間の喜びがいっそう強く、大きく感じられる」
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ある日突然家庭を捨て仕事も辞めてパリへ行ってしまうストリックランドを連れ戻すように頼まれる「私」。
理由を聞くと絵を描くためにすべてを捨てたのだという。そしてそのことに何の罪悪感も抱かない。
落書き同然と言われていたストリックランドの絵は後に天才と呼ばれ高額で取引されることになる。
ストリックランドの人生を小説家の「私」が振り返ってまとめた…という形の小説。
解説によるとポール・ゴーギャンをモデルにしたと言われているが相違点の方が多く、著者の創作の可能性の方が高いらしい。
おもしろかったな。タヒチに行きたいと思った。
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物語の展開が、ものすごくドラマチックな小説だと思った。
この小説のストーリーテリングの巧みさは、最初から最後まで見事だった。そもそも、「月と六ペンス」というタイトルの付け方からしてスゴい。
モームは、現代であれば名うての構成作家になるような人だったのだと思う。
自伝的小説でありながら、本人の手による記録ではなく、それを観察する「私」の視点からの描写になっていることで、とても客観的にストリックランドという人物の特異性が浮かび上がるようになっている。
「私」の考え方は、常識的で、大衆的で、大きく偏ったところがほとんどない。いわば、当時のヨーロッパの社会通念そのものを代表する立場として、ホームズを見る時のワトソンのように、純粋な観察者として存在している。
それは、「凡人」と「天才」を対比するための媒体でもある。この物語の中には様々な人が登場するけれど、ストリックランドの天才性の前では皆、強力な磁石の傍に置かれた方位磁針のように、自分自身のアイデンティティーを完全に失ってしまう。
ストリックランドは、破天荒なキャラクターではあるけれど、単純なヒールとしての役割ではなく、「荒ぶる神」のように、人格というものを超越した存在なんじゃないかと思う。
40歳を過ぎた男が、いきなり夢を追いかけて、それまでに築いたすべての生活を投げ捨てるというところは、どことなく神がかり的な感じもする。
作品の中で、タヒチに住む船長も言っていたことだけれど、これはもう、自分の意思でどうなるものでもない、天啓ともいうべき衝動なのだろうと思う。
道徳にしばられるキリスト教的価値観や、仁義礼にしばられる儒教的価値観からしたら、あり得ないストリックランドの言動も、タヒチという別天地に来てみれば、それがいかにも自然な姿として現地に馴染んでしまうところが面白い。
物語の中に現れる、人と人との結びつきも、当人の思惑や理性を完全に超えたつながりが思わぬところで発生していて、そこがこの小説で表現されている、人生の味わいなんだと思う。モームという人は、本当に、この妙味をよく理解している人なんだろうという気がする。
「来訪の光栄に浴する理由は?」
「奥様のことでお訪ねしました」
「ふむ。君ももう少し年をとれば、他人のことに首を突っ込まないだけの分別ができると思うぞ。さて、面倒かもしれんが、頭を少し左に向けてみてくれないか。ドアが見えるか?じゃ、ご苦労さん」(p.62)
「何が何でも描かねばならん」ストリックランドは繰り返した。
「結果的にせいぜい三流にしかなれなかったら?それでもすべてを投げ出す価値がありますか。ほかの職業なら、一流かどうかは大した問題になりません。並みの能力があれば、けっこうやっていけるでしょう。でも、絵の世界ではそうはいきません」
「君はあきれた馬鹿だな」
「なぜ?当然のことを言うのが馬鹿げていますか」
「描かねばならんと言ったろうが。自分でもどうしようもないんだ。水に落ちたら、泳ぎがうまかろうがまずかろうが関係ない。とにかく這い上がらねば溺れる」(p.89)
「みながあなたみたいに振舞ったら、この世は成り立ちませんよ」「馬鹿を言うな。みんながみんな、おれみたいにするわけがなかろうが。ほとんどの人間は、普通のことをやって満足してるんだ」
また、嫌味も言ってみた。
「己の行動のすべてが普遍的規範となるよう行動せよ−−こういう言葉がありますが、どうです、賛成できそうですか」
「聞いたこともないが、くだらんな」
「でも、カントの言葉ですよ」
「誰の言葉だって、くだらんものはくだらんさ」(p.100)
「ぼくが間違ったことがあるかい?」とストルーブが言った。「天才だよ。確信がある。百年後、仮に君やぼくの名前が世に残るとしたら、それはチャールズ・ストリックランドの知り合いとして残る」(p.132)
「美は、この世で最も貴重なものだ。浜辺に転がっている石ころとは違う。通りがかりの人が何気なく拾い上げるようなものじゃない。美というのはね、不思議ですばらしいもの、芸術家が心で苦しみ抜いて、この世の混沌の中から生み出すものなんだよ。でもね、生み出されたからと言って、誰もが見て、すぐに美だとわかるわけじゃない。それが美だとわかるためには、芸術家の苦しみを自分の心でも繰り返さなくちゃ・・。」(p.134)
「君は正気じゃない。いったいどうしてしまったんだ」
ブランチは肩をすくめた。「行っていいかしら」
「いや、あと一秒だけ」
ストルーブは疲れた目でアトリエを見渡した。愛する場所だ。だが、それはブランチがいて、明るい家庭にしてくれていたからだ。一瞬目を閉じ、それから妻の姿を脳裏に焼き付けるように、長い間ブランチを見つめていた。やがて、立ち上がり、帽子をとった。(p.196)
「ぼくはね、子供のころ、隣家の馬具職人の娘と結婚すると宣言していたんだ。青い目の小さな女の子で、亜麻色の髪をお下げにしていた。あの子なら、母に劣らず家をぴかぴかに磨いてくれただろうし、ぼくの仕事を継ぐ息子も生んでくれただろう」
ストルーブは小さく溜息をつき、黙り込んだ。いま、ありえたはずの人生を思い、その細部をさまざまに描き込んでいる。かつて拒否したのは安心の生活・・その思いが郷愁を呼んでいる。
「この世は厳しくて、残酷だ。なぜここにいて、どこへ行くのか、誰も知らない。人間は謙虚でなくてはね。静けさの中に美を見つけなくてはならない。悲運に目をつけられないよう、人生をひっそりと生き抜かねばならない。単純素朴、無知な人々に愛されるのがいい。その人々の無知は、ぼくらの知識のすべてよりまさっているから。その人々にならって、ぼくらも口を閉じるべきなんだ。謙虚で、穏やかで、与えられた片隅で満足する。それこそが人生の知恵だと思う」
ストルーブの失意がしゃべらせている、と私は思った。こんな諦念には大いに反論したいところだが、ここは口をつぐむことにした。
エイブラハムははたして一生を台無しにしたのだろうか。一番したいことをする。居心地の良い場所で心安らかに暮らす。それが一生を台無しにしたことになるのだろうか。外科医として名を上げ、年収一万ポンドを稼ぎ、美人の妻を持つことが成功だろうか。結局は、人生をどう意味づけるかによる。社会から個人への要求と、個人から社会への要求をどう認識するかによる。だが、ここでも私は黙っていた。ナイト爵位を授かった男に、私とごときが反論してどうなるだろう。(p.337)
ヨーロッパでは大の鼻つまみだったストリックランドが、この遠隔の地ではそうではない。思いやりの心で迎えられ、奇行や気まぐれを寛容に受け止めてもらっている。この地でもやはり変わり者とみられているのは同じだが、それはあくまでも変わり者の一人という意味だ。世界は変人でいっぱいで、変人は変なことをする。それが当然だと受け止められている。人はなりたいものになるのではなく、ならざるをえないものになる−−ここの人はたぶんそう思っている。(p.357)
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2020年8冊目。
道徳を超えた衝動。道理をわきまえない情熱。危険であるとわかりながら、それを選ばずにはいられない人間のpassion(情熱/受難)を、ここまで見事に描いた作品が他にあるのだろうかと思う。
この本に表れている人間の心情の機微は、一字一句逃さずに浸りたいと思わされる。他の翻訳版も何度も読んできたけれど、何度読んでも「読み終えた」という気がしない。僕にとって、一生気になり続ける作品なのだと思う。
本屋さんの棚に一冊差さっていたこの物語。タイトルだけに惹かれて衝動買いしたかつての自分に感謝するしかない。
▼角川版感想
https://booklog.jp/users/fantasista10/archives/1/4042973027
▼新潮版感想
https://booklog.jp/users/fantasista10/archives/1/4102130276
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最初から最後まで全部ゴーギャンをありのままに書いていると勘違いして、心底最悪な人だわー、と思っていたのだけど、そういう訳でもないようです。あくまでも作者の創作。
様々な芸術家とそのまわりの人々それぞれの特徴が、これぞ人間それぞれの個性かな、実際居るだろうなーこういう人、と感じさせる描写です。
(いたら絶対友達になりたくない人物も多々居ますが。)
主人公のストリックランドは本当に社会の一要素として信じられない位最低な人間だけど、やはりそこまでいくか!というほど自分勝手な芸術家って、かっこいいな、と思えてしまう。
こんなに次々ページを捲りたくなる作品だと思わなかった。
あーあ面白かった・ω・
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証券取引所に勤め、芸術好きの美しい妻と
可愛らしい2人の子どもと暮らす
平凡で幸せな生活に満足しているように見えた。
しかしストリックランドはある日突然パリに失踪した。
夫を捜して欲しいと夫人に頼まれた私が見たのは
安っぽいホテルで身なりも乱れ、絵に向かう彼の姿だった。
その後親切にしてくれた三流絵描きのストルーブ夫妻の生活を
めちゃくちゃにして乞食同然の暮らしを送り、
彼はバリに向かうのだった。
装画:望月通陽 装丁:木佐塔一郎
人間の持つ多面性が描かれた作品だと感じました。
善良な市民であり荒々しい絵描きであるストリックランド、
芸術好きの妻からキャリアウーマンに転進したエイミー、
審美眼を持ちながら自分の絵は優れないストルーブ、
従順な妻であったはずが情熱に身を焦がしたブランチ。
彼らの理不尽な姿が物語を一筋縄ではいかせません。
これに対して語り手である「私」の設定が曖昧だったのですが
最後の解説でモームがゲイであったという背景を受けて
そういう意味もこめられた作品だったのかと驚きました。