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時計じかけのオレンジ 完全版
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 100件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2008.9
  • 出版社: 早川書房
  • サイズ:16cm/318p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-15-120052-6
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫)

著者 アントニイ・バージェス (著),乾 信一郎 (訳)

近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは超暴力。仲間とともに夜の街をさまよい、盗み、破壊、...

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時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫)

799(税込)

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商品説明

近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは超暴力。仲間とともに夜の街をさまよい、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰りかえす。だがやがて、国家の手が少年に迫る—スタンリー・キューブリック監督映画原作にして、英国の二十世紀文学を代表するベスト・クラシック。幻の最終章を付加した完全版。【「BOOK」データベースの商品解説】

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みんなのレビュー100件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

不良少年の成長物語

2015/09/12 14:08

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けy - この投稿者のレビュー一覧を見る

腐った社会でやりたい放題やってるアレックスが主人公の物語。少年は因果応報を知り、大人になる。読了感の良い作品。

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紙の本

後半が面白い

2015/09/27 08:37

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:わん - この投稿者のレビュー一覧を見る

もっと難解な小説かと思っていたが、休日に1日で読めた。犯罪者である主人公は一種の洗脳による矯正がなされる。知らずに洗脳を受ける様子は読んでいて恐怖を感じる。

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紙の本

群れを作らないと悪い事できない子供は復讐される

2015/10/10 15:55

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る

キューブリック監督の映画がとても有名な小説ですが、原作からして
もう、強烈でした。
15歳のアレックスが語り手となりますが、スラブ語系のティーンエイジ
スラングが頻繁に出て来て最初は戸惑いますが、だんだん文章に
疾走感を与えているということに気がつきます。

暴力沙汰ばかり起こす非行少年ですが、グループで行動しています。
アレックスは親分肌。
群れを作らないと、子分がいないと悪い事ができない不良が
矯正されて世の中に戻っても、そこにあるのは復讐のみ。

決して頭の悪い子供ではないのですが、怖ろしく頭の回転が速いからこそ
できる悪知恵の数々。
アレックスは「悪行」を自ら選んだのであって、政府が実験的に
行う精神的矯正もまたアレックスが「刑務所を出られる」と自ら
選んだ事。

何かを選択するときによく考えないと怖い事になる、という事を
思いました。
原作は宗教的なものを含んでいるのでしょうが、そこら辺まで
深くはわからなかったけれど、それでも、悪い奴と思いつつも
目が離せない、疾走するような小説でした。

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紙の本

アレックスはどこへいくのか

2015/12/23 10:20

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る

スタンリー・キューブリック監督の映画の表紙が印象的な旧版に、ながらく親しんできた。このたび完全版の21章を初めて読んだ。最終章があるかないかで物語の結末が正反対になってしまう。主人公は欲望のままにもどっていくのか、それとも暴力を卒業するのか、読んだ人がそれぞれ想像するしかないだろう。

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紙の本

それは「蛇足」だと判断されたから、本体から切り落とされた。しかし、もし本体が「蛇」ではなかったのだとしたら……

2008/09/18 20:58

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:峰形 五介 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 無数のキューブで構成された謎の建築物――そこに閉じ込められた人々の脱出行(と内輪もめ)を描いた『CUBE』という映画があった。その作品の登場人物と同じように『時計じかけのオレンジ』の読み手たちも囚われている。キューブではなく、キューブリックという牢獄に。
 ……のっけから寒いダジャレをかましてしまったが、言わんとすることは判っていただけるだろう。キューブリックの『時計じかけのオレンジ』を頭から消し去り、真っ白な状態でバージェスの『時計じかけのオレンジ』を読める(また、語れる)人は多くないということだ。

 本書は『時計じかけのオレンジ』の完全版(英国版)である。旧版(米国版)との違いは幻の最終章が収録されていること(※1)。そして、それはキューブリックの牢獄――映画版『時計じかけのオレンジ』との違いでもある。
 我らが看守キューブリックは最終章を蛇足と見做していたという。今回、完全版を読んでみて、彼の判断が正しかったことを確信した。そこにあるのは〈みなさまのつつましき語り手〉の開き直りにも似た更生、後の世代への共感混じりの諦観、醜悪かつ甘美な寓話をつまらない訓話に変えてしまう寒々しい大団円。読み終えた後、アレックスが最後に放ったのと同じ言葉を叫んでしまいそうになった。
「くそくらえだ!」
 とはいえ、作品は作者のものである。どのような感想を抱こうと読者の勝手だが、作者の意図は尊重すべき……と、自分を納得させたのも束の間、巻末にある柳下毅一郎(※2)の解説を読んで驚いた。なんと当のバージェスも最終章の扱いについて迷っていた(かもしれない)のだという。現金なもので、それを知った途端、最終章に対する印象が変わった。蛇足だという思いに変わりはないが、「くそくらえ」と叫びたい衝動は消え去った。

 小説というものは文章だけで形作られているわけではない。バージェスが抱いていたかもしれない迷いも小説の一部だ。たとえ、それが本編に記されていなくとも。もしかしたら、完全版を完全版たらしめているのは最終章ではなく、その「迷い」なのかもしれない。
 なんにせよ、「不完全版」支持者も完全版を読むべきだ。何度も読み返せば、キューブリックの牢獄から解放されるだろう。
 ……え? そう言うおまえは解放されたのかって? 判りきったことを訊かないでくださいよ。牢獄から解放された人間がこんな書評を書くわけないでしょうが。



※1:ただし、旧版にあったスタンリイ・E・ハイマンの解説と訳者のあとがきは収録されていない。
※2:ちなみに柳下の生涯のベストムービーは『時計じかけのオレンジ』だという(『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁』より)。

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紙の本

悪の限りを尽くす、15歳の少年アレックスのやりたい放題の暴力の強烈さ。そして、彼の自由意思を奪い悪を封じ込めようとする管理体制側の暴力。自由と管理の問題を極限まで突き詰めて問う、20世紀ならではの衝撃的文学作品。

2009/01/24 15:02

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 キューブリック監督の映画「時計じかけのオレンジ」には、陽気に実行されてしまう暴力がこんなにも魅力的でいいものなのかと、悪魔に誘われる感じでドキドキさせられた。
 その印象の強烈さは、やはり映像だから、主演マルコム・マクドウェルの三白眼にファッション、暴力の舞台となるセンス良い空間、エロティックな演出などの視覚的要素の効果によるところ大であった。また、ここぞとばかりに鳴り響く選ばれた音楽や悲鳴による耳底への刺激で、記憶は琥珀のように幻想的に閉じ込められている。見て気分の良くなる映画ではないが、確実にハイになれる――それはそれで素晴らしい鑑賞の体験であった。

 その強烈さも、幸いにして30年近く昔に刻まれたものだ。良い按配に薄まったところで、映画とは異なる結末が加えられた完全版を読む。今度は言葉の技で、悪の限りが横行する近未来を脳内に構築していく。
 これまた、心ほかほか楽しくなれるという幸福な鑑賞ではないのだが、おばけが出る暗幕の向こうをのぞかずにはいられないという品の悪さに応え、十分に欲を満たしてくれる。貴重な鑑賞体験なのであった。
「映画以上」「映画と同等」という比較にはさほど意味がなく、本には本ならではの気の狂わせ方がある。毒は、人の寝静まった深夜に一気に打つも一興、日常茶飯事のあいだに細切れに打つも一興。

 映画では、堂々たる成人たちが徒党を組んで、悪夢のような非道の限り――殴打、強姦、殺人、器物損壊を尽くすわけだが、この原作では「そうか、そうなのか。アレックスは15歳という設定か」とドン引き。
 ローティーンの子を持つ親としては、読書適齢期が来るまでどこに隠しておいたものかと困るような1冊ではある。だが、猟奇事件が数年に一度程度の社会から、子どもが主犯となる事件までまま有る状態になってしまった現代において、「近未来の高度管理社会、そこにおける悪夢」という設定は、裏通りに置き去りにされた色あせた看板のように物悲しささえ誘う。これが本当に、近未来の高度管理社会内だけの出来事ならば、どれだけ良かっただろうに……。

 ディストピアを、現実社会から遠く離れたところに蜃気楼のようにぽっかり浮かばせるようにして作家が構築できた。それは、成長と向上が実感できた20世紀だからこそ可能であった創作なのかもしれない。悲観的に捉えれば、ディストピアに踏み込みつつある今、それを描く価値はもう既に意味を失いつつある。
「よう、これからどうする?」――第1部から第3部まで、書き出しはすべて、このアレックスの問いかけだ。そして、同じ問いかけで始まる第4部が今の社会だとしたなら、新奇なディストピアを新しい文学として提示することは非常に難しいのではないか。だから、幻と言われるSF名作の数々が今になって翻訳されたり復刊されたりするのだろうか。
「よくできるてるなあ、この未来予測」と『時計じかけのオレンジ』を読むとき、「今起こっている事件やまずい状況なんか、自分には縁がない。だから、傷みなど何もない。自分が安泰なら良い」という感覚の人が、もしやバージェスの造型したアレックスそのものなのかもしれないとも思える。

 さて、横行する暴力に注目して、そのことばかりについて書いてしまったが、本題は違う。
 アレックスがやりたい放題なのは第1部である。第2部ではアレックスの刑務所生活、それにつづく療法による矯正が描写されていて、その療法がもう1つの暴力として表されている。
 アレックスの属する高度管理社会は、合理化が究極的に推し進められた世界だ。合理化自体は私たちが知るように、共産主義社会でも進められ、テーラーシステムのような形で資本主義の生産現場、組織的行為を中心に推し進められた。いずれの場合にせよ、無駄を排除するため個人の意思が疎外され、自由を奪われるに至ることが問題である。そうなればシステムが暴力を行使しているということになる。
 好き放題の暴力を楽しんでいたアレックスが、今度はシステムの振るう暴力により自由意思を奪われて行く。おそらくバージェスの最大の問題提起はここにあるのだと思う。つまり、近代化は個人の自由意思を尊重する過程をたどり、その尊厳が守られるように法や制度を整えてきたわけだが、それは理念通りに進んだのか。それと共に、自由意思は、たとえどのようなものであっても尊重されるべきなのか。
 犯行時の精神状態次第で責任能力があったかどうかが裁判で白黒をつけられる。それにより無罪となったり、軽い刑で済んだりした人が再び同じ犯罪を起こす。そういうことがしばしばある。アレックスのような決定的な「悪」ではないにせよ、人の自由意思をいかに尊重すべきかは大きな問題である。

 この完全版が出る前の邦訳版で、最終章が削られてしまっていた。そもそも米国において削られたバージョンで出版がなされ、さらにそれが映画化されたことが議論の的になっていたという。上のように自由意思について考えてきたとき、私は、この最終章の復元はあってしかるべきだったと感ずる。
 最終章には、自分の暴力の限りを「昔のこと」と自覚するアレックスが描かれる。これがあるからこそ、成人ではない15歳という、自由意思の責任を問われない年齢の設定がされたのだろう。15歳という動物であった彼は無我夢中、暴力に取り憑かれていたのだ。
 最終章で、自分の人としての成長を意識する彼がいるからこそ、暴力が「絶対悪」という魔物や邪鬼のような代物ではなく、人間の意思に伴う行為として高みから引き摺り下ろされる。
 したがって、このアレックスの独り語りがどこかの国のおとぎ話などではなく、「よう、これからどうする?」と、第4部の現実世界で考えてみるよう、こちらへ投げかけられるのである。そこに作者が込めたリアリティを受け止めるならば、この物語は読み手の力で単なる娯楽小説に別の価値を加えることになる。悪を客観的に捉える意思がある限り、社会がいかに管理化されたり乱されたりしていこうとも、絶対的なディストピアは成立しないのである。 

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2012/05/15 15:44

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2012/07/23 22:27

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2014/11/22 21:31

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2013/03/30 08:50

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2009/05/28 22:44

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2009/08/31 20:34

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2009/06/26 17:27

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2011/08/03 01:06

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2009/02/10 00:57

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