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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 5件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2008.8
  • 出版社: 河出書房新社
  • サイズ:20cm/118p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-309-01879-9

紙の本

眼と太陽

著者 磯崎 憲一郎 (著)

そこには、聖書の時代から変わらぬ太陽が輝いていた。小説に偏在する、啓示の瞬間…注目の才能による、新しい世界文学の誕生。第139回芥川賞候補作。【「BOOK」データベースの...

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眼と太陽

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商品説明

そこには、聖書の時代から変わらぬ太陽が輝いていた。小説に偏在する、啓示の瞬間…注目の才能による、新しい世界文学の誕生。第139回芥川賞候補作。【「BOOK」データベースの商品解説】

あの日、デトロイトのクラブで出会った、アメリカ人の女・トーリ。射抜くような大きな瞳の女性との時間。そこには、聖書の時代から変わらぬ太陽が輝いていた−。啓示の瞬間が遍在する新しい小説。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

磯崎 憲一郎

略歴
〈磯崎憲一郎〉1965年千葉県生まれ。早稲田大学商学部卒業。2007年「肝心の子供」で第44回文藝賞を受賞。

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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.2

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (2件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

「眼と太陽」2千年前と同じ光を浴びている

2009/11/29 19:30

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る

この作品は磯崎憲一郎の「肝心の子供」に次ぐ2作目、
早くも芥川賞候補となった。
著者は4作目の「終の住処」で芥川賞を受賞した。


「ブッダの次はアメリカ中西部で暮らす
日本人商社マンが主人公、
仕事仲間との付き合いや、
出合った女性と過ごす時間を描いている」


不思議な小説だ、
仕事上の上司との話を書いているかと思うと
突然別の短い話が「挿入」され、
どこかへ行き着くわけでもなく、
また別の話へと脈絡無く続いていく。

深読みというわけじゃないけど、
自分達の毎日もこんなものかもしれない、
もちろん自分自身はひとつの時間軸で
過ごしているけれど、
誰かと話しているとき、自分の話も
相手の話も別の時間をどんどん取り込んでいくわけだし、
でもこんなふうに小説のなかに
突然現れると、どうしても関係性について
考えてしまい、そのあたりが作者の意図なのかどうか、
不思議と感じる部分だ。

印象に残ったのは
いつもいく日本食堂で上司から
「気をつけろよ」と眼もあわせずに言われたことに
驚き、不愉快になって立ち去るというシーン、
これは出会った女性がバツイチの子持ちで
そういう深みにはまるなよということだと思うが、
自分でも整理できていない関係を、
簡単に知ったようなこと言われたくなかっただろうな、
特に事情を知っていると思ってる人には。

タイトルの太陽の描写も印象的だ、
2千年前と同じ太陽の光を浴び、
その光の中では全てが混ざり合い、
眼で見た瞬間、それらの区別が曖昧になる、
太陽を背にしたシルエットをイメージすると
その輪郭だけで表情の見えない映像が
サッと広がる、誰にでも経験があるが
それほど気にもしていない一瞬だ。

でもこの小説は一体何を言おうとしているのかは
1作目同様、簡単に文章から見つけることが出来ない、だからだろう、この小説に感激して
涙が出るとか心が震えるということは無い、
でもなんか気になる作品だ。

きっとこの書かない部分をどう読むかが
今度は読み手の作業なのだろうが、
最近は答えまで書いてくれる本が多いので、
解答がどこかにないだろうかと、
どうしても求めてしまう、
本読みの快楽とも言えるけれど、
もっと胸のここらへんをグラングラン揺り動かすものは
まだここにも見つけられない。



さて、ラストにこの小説が好きかどうかと聞かれたら
答えるだろう、「特に好きじゃない」と。

★100点満点で70点★
http://yaplog.jp/sora2001/

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紙の本

太陽が二つ、眼の物語

2009/07/18 12:02

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

冒頭、一筆書きで一気に吐き出した呼気が風を呼び、作者のグルーブ感に乗せられて読み始めると長い改行の文体に時として息苦しくなるが、ゆっくりと噛めば噛むほど風景がどこまでも広がって行く。
出足の力強いイメージは離陸するために最小限必要なものなのだろう。
《日本に帰るまえに、どうにかしてアメリカの女と寝ておかなければならない。当時の私はそんなことを考えていた。そんなときに出会ってしまったのがトーリだった。人間は無防備な状態であればあるだけ、自分でも気づかぬうちに既知のものを引き寄せている、ということらしい。》
トーリの青い眼に射抜かれてか、いや、そうでないだろう、ただ、聖書の時代から変わらぬ太陽の光と影にまぐわってか、娘のミアともども飛行機に搭乗して男は日本に飛び立つ。
磯崎の小説は自意識過剰な<私小説>とは無縁のもので一人称が溶けて他称と混じり合う至福がある。
刻一刻ゆらぐ色彩のカタチと層が読み手を犯す、「意識の流れ」と言った浸潤が毛穴に入り込む。
いつしか僕も作者とは違う「意識の流れ」が駆動されて、僕自身の物語を編んでいる。
磯崎のデビュー作『肝心の子供』、芥川賞受賞作品『終の住処』でも、読了した途端に眼を閉じたくなる。磯崎の作品によって無意識の奥深いところから何やら意識の織り糸が紡ぎ出せられ、僕なりの夢が始まる。そんな駆動力が磯崎の作品にはある。
昨日は京都で祇園祭があったが、素晴らしい作品とは祇園さんの山鉾のようなものでしょう。
「こちら」と「あちら」を往還する依り代。
『世紀の発見』に収録されている短編『絵画』にこんなパラグラフがありました。
《「じつは太陽というのは、その誕生以来ずっと明るくなり続けています。温度も圧力も上昇し、発生するエネルギーがだんだん増えているのに、太陽そのものの大きさは変わらないために、明るくなり続けているのです。太陽が明るくなると、地球への入射光量も増え、気温も上昇しますが、じっさいには地球は太陽の明るさが増した分だけ大気中の二酸化炭素量を減らして熱を宇宙へ逃がすメカニズムを持っているために、地表の温度は安定しているのです。太陽が明るくなったぶん、地球の二酸化炭素もどんどん減り続けています。現在の大気中の二酸化炭素量はじつは地球が誕生して以来最低のレベルです。このまま二酸化炭素が減り続けて、いまの十分の一ぐらいになれば光合成生物、つまり植物は生きられなくなります。植物がなくなれば他の生物もみな死に絶えるほかありません。いずれ地球上から生物が消滅する日が来ます。いまから五億年後に、その日は確実にやってきます」》p139
だが、『眼と太陽』の一日の黄昏時にこんなパラグラフが世界を覆う。
《太陽はいよいよまもなく沈む。いまこの場所にいる彼らはみな聖書の登場人物めいて見えたが、じっさい彼らが浴びているのは二千年前の人々が浴びたのとまさに同一の太陽から発せられた光に違いなかった。(中略)地上に残されたすべてのものがオレンジ色に染まり、それ自身の内部から強い光を放っている。子どもたちでさえも光の塊が動いているように見える。と、次の瞬間、太陽はあっさりと、ずっと以前から無きもののように、黒い影のなかに隠れてしまった。すると工場の建物も、車も、地面も、すべてがもとの色に戻ってしまった。いや、もとの色ではない。強い光がつくった残像なのか、太陽が地上に残した痕跡なのか、かすかに青味がかかっている。西の空はまだ十分に明るかったが、芝生のうえの子供たちももはや光を放っていなかった。それとも、あの子供たちはーーそこではじめて我に返ったように、駐車場に停めた車のなかの私は気づくのだがーーもしかしたら、あのピンクのTシャツの女の子の方は、トーリの娘なのではないだろうか?》p23

HereとThere(此岸と彼岸)の(あいだ)の揺らぎを作者の筆は捉えようとしているのでしょうか。
二つの太陽。眼はもう一つの太陽なのか…。
葉っぱのBlog

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2011/08/24 15:01

投稿元:ブクログ

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2012/08/19 12:51

投稿元:ブクログ

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2012/09/13 19:19

投稿元:ブクログ

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