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なんかすんげーこと起きればいいのにと思ったけ良く考えたらどじんわりした気持ち悪さがこの人の持ち味だったような気がします。そしてイライラする人も出てくる。
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我らがシャーリイ・ジャクスンの新訳(もとの邦題は「たたり」)。
薄幸なエレーナがふとしたきっかけで丘の屋敷と呼ばれる奇妙な屋敷に行くことになるのだが・・・。エレーナが徐々に(ほんとに徐々に)狂っていくのが恐ろしく怖い。読者はエレーナにとり憑かれるのだ。
あと、モンタギュー夫人の悪役ぶりったらない。もう、気持ちいいほどの悪役でケチョンケチョン。交霊術とか出てくるけど、そんなオカルティックなものはバッサリ切り捨て御免。そこいらが幻想とホラー(オカルト)の違いなんですね。ちなみにこの作品は幻想怪奇が根底にある幻想耽美です、私の勝手な分け方によると・・・。
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『たたり』より改題して送る、スティーブン・キング絶賛のゴーストストーリーの古典。
この美しい表紙と、私の好きな作家さんが複数言及していたのが相まって、ずっと気になっていた本。しかし、『たたり』じゃなんか手に取りにくいなぁ、とためらっていたら、なんと最近改題された!
で、読んでみても、改題はよかったんじゃないかと思う。雰囲気が損なわれているわけでもないし、前の題だとやはり言葉のイメージが強すぎる。
内容のほうも、おどろおどろしい感じがなくて、本当に・・・幻想的で、嫌らしいところがなくて、でもしっかり怖い、とキングが絶賛したのも頷ける作品だった。
前半ぐらいまでは朗らかと言ってもいいぐらいで、よくありがちな登場人物同士のぎすぎすした不和もないし。
けれど、胸のどこか奥のほうでは、小さな疼きを感じる書かれ方をしている。その疼きは、表面に露出することはなく、むしろ甘やかに秘められたまま、最後の最後で、”幸せ”という形で表現されてしまう――そこが凄い。
そして、その幸福感が何より怖いのだ。
直接的でも、大げさでもないからこそ、感情の余地が効いている。
大きな幸福感の奥に疼く、一抹の不安。
おお、くわばらくわばら。
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80年前に建てられた〝丘の屋敷〟と呼ばれる家は、これまで何人もの人が借りて住んだものの、いずれも短期間で出て行ってしまうという、いわくつきの屋敷でした。そんな建物に興味を持ったのが、怪異な現象の謎を解き明かそうとするモンタギュー博士。博士はこの屋敷を借り受け、調査の手助けになると思われる何人もの人物に招待状を出しますが、その招きに応じたのが、屋敷の持ち主の甥にあたるルーク、透視能力を持つと思われるセオドラ、そして物語のヒロインであるエレーナの3人でした。モンタギュー博士は、先入観に囚われない学術的見地から調査にあたろうとしますが、4人は次々に不可思議な現象に見舞われます。ところが彼らは、怯えながらも平静を装い、その振る舞いには陽気さえ感じられます。
エレーナは青春時代のほとんどを、病弱な母親の介護についやし、30歳を超えていまだ独身の女性です。彼女は母親が亡くなり、〝丘の屋敷〟の招待に応じることで、はじめて開放感をおぼえていました。屋敷で生活するうちに、そんな彼女の内側で何かが変化していきます。その様子が心理描写を通じて表現されています。
ひとがほんとうに怖れるのは、自分の胸の奥底を覗き見て、そこにあるものに気づかされることなのかもしれません。ヒロインの孤独が痛々しく、とても哀しい物語でした。
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「レベッカ」「ねじの回転」みたいな味わいの古典恐怖小説。上品なのに深いところでじわじわと怖さを感じさせる。もっと評価されてもいいよね、シャーリイ・ジャクスン。「シャイニング」にも影響を与えてるそう。
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スティーヴンキングが『ねじの回転』と並べ「過去百年の怪奇小説のなかで最も素晴らしい作品」と讃え、『シャイニング』にも影響を与えたとされる本書。怪奇現象もさる事ながら、この屋敷の歪みと、その歪みに心を侵食され、壊れていくヒロインの描写が堪らなく怖い。あらゆる負の感情を餌に、ふてぶてしく増幅していくかのような丘の屋敷。人生に鬱屈をかかえていたエレーナはこの穢れた屋敷に次第に安らぎを見出していく。「旅は愛するものとの出逢いで終わる」作中何度もエレーナは呟く。確かに彼女は愛する対象を見つけ、旅は終る。
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2/13 読了。
心霊現象を研究しているモンタギュー博士は、<丘の屋敷>と呼ばれる幽霊屋敷の噂を検証するため、触媒となる霊能力の持ち主たちを招待する。32歳のエレーナは11年にも渡る母の介護を終えたばかり。居候先の姉夫婦とも折が合わず、逃げるようにして屋敷へやってきた。対して、奔放なセオドラは同居している友人と大喧嘩をして止むを得ず屋敷へ。そこに将来屋敷の所有権を継ぐのだという有閑貴族のルークをくわえた四人で、ひと夏の共同生活が始まる。内気なエレーナは豪気なセオドラとまるで従姉妹のように仲良くなるが、段々と歪んだ屋敷に意識が飲み込まれ、疑心暗鬼に陥っていく。
小さな猜疑心が他人への不信感を強めてしまう。不安や恐怖を隠すため、言葉で自己正当化をして他人を傷つけてしまう。そういう人間の弱さ、特に「自分は弱者である」と常日頃感じている人間の闇を見事に描いた怖すぎる小説。エレーナに同情=同調するうちに、自分も<丘の屋敷>に飲み込まれていく感覚になった。
『ずっとお城で暮らしてる』でも素晴らしかった、居心地の悪い会話を書くスキルがこれでもか!と存分に発揮されており、「絶対ここに居たくない;」という皮膚感覚の再現度が高すぎる。読んでる間じゅう本当に薄ら寒い(笑)。屋敷自体も呪われた物語を内包しているのだけど、この物語の怖さはそういう分かりやすい陰惨な事件にあるのではない。自分が人生の主役だと思えない日々を送ってきた女の虚栄心、逆に他人の人生にまで入り込んで主役として振る舞うことに慣れた女の傲慢、ニュートラルを気取った男の優柔不断。誰もが胸にチクリと痛みを感じるような小さな「弱さ」が、歪んだ屋敷によって増幅され、取り返しのつかない事態を招く。登場人物の誰に対しても優しくない結末に、はぁーっと溜め息をつくので精一杯だが、この「居心地の悪さがドライブしていく感覚」は不思議と快感。小説の中だけでしか味わいたくないけど(笑)。
関連本:シャーリィ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』、アガサ・クリスティ『ねじれた家』、恩田陸『私の家では何も起こらない』
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夜は読めないほど怖かった。『シャーリィ・ジャクスンはオカルティズムに関心が深く、魔女を自称していたこともあった』とあるが、エレーナと彼女がダブるところがまた怖い。読書中の夜、怖い夢を見たほど怖い。それくらい想像力を広げてくれる本に出会えたことに感謝と敬意を表します。
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初めましての作家さん。
読友のMirokuさんに頂ました。
心霊学者モンタギュー博士は心霊現象の謎を解明しようと
丘の上の屋敷:通称幽霊屋敷に集められた3人の男女。
皆が集まる場所を決めたて良い雰囲気でいたのだが、
激しい怪奇現象が起こり始める。
何が嫌って、現象だけがあって、その原因も解決もない。
これは気持ち悪い。
そして壊れていくエレーナ。
これは憑依か?
色々と想像を膨らませると、解決が無いだけに
変な怖さだけがずっと囁いてるみたいで嫌だぁ~
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古典的な怖さのある小説。
直接的ではなく、得体のしれないものにじわじわと後ろから近づかれているような怖さ。距離が縮まるにつれて息遣いがはっきりと聞こえるようになり、いつそれが自分の首筋に吹きかけられるのか。
振り向く勇気のない者は、想像し怯えながら、ただ立ち尽くすことしかできない。
80年前に建てられた『丘の屋敷』。幾人か借り手は現れるものの、数日で引き払ってしまう。今となってはもう誰もその屋敷には近づかない。
心霊学研究者のモンタギュー博士はその屋敷の調査のために、心霊に関係する経験や能力を持っていると思われる人に協力を求め、コンタクトをとる。丘の屋敷に滞在し、そこで起こる現象を論文にして発表しようと考えているのだ。集まったのはポルターガイストの経験を持つエレーナと、透視能力を持つセオドラ、その屋敷の持ち主の甥のルーク、そして博士の4人。
到着してその屋敷を目にした途端、誰もが得体の知れない嫌な気配を感じた。2日目の夜にいよいよ『それ』は明確に存在を現し始める。屋敷の中にある図書館、不気味な顔が飾られている子供部屋、少しずつ位置をずらして作られている奇妙な部屋の配置、不気味な存在感のある灰色の塔。何度開けても、知らず知らずに閉まってしまうすべてのドア。
形がバラバラの小さな石をひとつひとつ積み上げていくような、そんな不安定な気持ちになるこの小説は、『それ』の存在がなんだったのかを解明する話ではない。彼らのうちのひとり、エレーナがこの屋敷に共鳴し、心を囚われ、自覚のないままやがてすべてを飲み込まれていく怖さを描いたものだ。
物語の始まりと終わりが全く同じであるのも怖い。一言一句違わない。
それは、丘の上の屋敷は何十年経っても変わらずあの場所にあり、そして永遠に叶うことのない願いのためにまた誰をとりこもうと待っていることを表しているに違いないとわたしは思う。
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丘の屋敷
著作者:シャーリィ・ジャクスン
発行者:東京創元社
タイムライン
http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
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幼いころや若いころ頃に読んで興奮したミステリアスな物語のパターンは、「古い広大な屋敷に数々の部屋があり」「その屋敷の家政を取り仕切っている怖い女管理人(女中頭とか)が居て」「ヒロインはどこかひねくれて孤独の女性」だったのです。
つまりバーネット『秘密の花園』は伯父さんの大きなお屋敷、怖い女中頭のメドロックさん、わがままで気難しい孤児のメアリが主人公。デュ・モーリア『レベッカ』では結婚したマキシム所有のお城のようなマンダレイ屋敷、使用人の得体が知れない意地悪なデンバース夫人、ヒロインの質素で孤独な独身女性「わたし」という構成なのです。
ここでも丘の上の屋敷、エレーナという孤独なヒロイン女性と厳格で頑固な管理人料理人のダドリー夫人が登場します。
ただ、大きく違うのは、『秘密の花園』が荒涼としたムーアの風が吹くに屋敷の中で子供らしく探検するのと、『レベッカ』がツツジの花の香りと霧にまかれてそくそくと謎めいていくのにたいして、『丘の屋敷』は湿った寒い空気に触れられて、ぞおっとする超常現象が起こるのですが、それをどう理解するのかで違ってくるのです。ええーっこんなこと信じられない!ではだめなんです、正直わたしは途中まではそうでしたけどね。
しかし、シャーリィ・ジャクスンの『お城で暮らしている』でも描いていますが、ヒロインの女性の個性・気質・属性がなんとも真に迫っていて、読み終わったときにはこちらが鬱々としてしまうのであります。
この物語冒頭の
「この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい」
という言葉が恐ろしくなります。
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次々人が残虐に死んでいくかと思っていたけど
その様なことはなく、じわじわくる怖さ。
屋敷についての元凶はっきり分かるわけではないし、なぜ?なんで?と疑問も残るけど
読みやすく、すらすら読んでしまってた。
ネルの孤独さも伝わってくる、いつのまにかその孤独さが屋敷に取り込まれていく。
セオドラと一緒に帰れたら良かったのになぁ。
誰も彼女のことを嫌ってもいなかったのに。
最後は屋敷に取り込まれて
洗脳のように自分で死を選んで、でも死ぬ直前は自分に戻っている、なぜこんなことしてるんだろうって。
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読んでいて小説の中で辻褄が合わないこと、意味不明な言葉が当然飛び出してきて不安を覚えては心がざわつく。
気が狂いそうだった。
幽霊が出てくる描写等は特に無いのに堪らなく怖くてもう勘弁してくれと思っていたらあの結末で地獄を見た。
途中からとある人物の精神が蝕まれ、おかしくなっていく描写が見事過ぎて本当に怖い。
そしてそんな彼女が一瞬だけ正気に戻る、そのタイミングが絶妙に最悪過ぎて呻く。
ラストの後、丘の屋敷は壊されることも浄化されることもなくどんどん呪いを集めて住人を増やしていくんだろうな。
Netflixで絶賛配信中のドラマ、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を観た後に本作を読んだため端から端まで面白かったが、こんな凄まじい小説を現代的に解釈したマイク・フラナガン監督があまりにも天才すぎて何も言えない。
『丘の屋敷』を読んだ今だからこそ、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス 』の結末があれでベストだったと思ったし、あの結末にしようって決めたその姿勢が本当に素晴らしい。
『丘の屋敷』を見事に再構築した『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス 』も併せて観て欲しい。
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おもしろかった。訳も違和感なく読めてとてもよい。エレーナがどんどん取り込まれていく様子がよくわかる。59年の作か〜。