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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2008.12
- 出版社: 臨川書店
- サイズ:20cm/214p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-653-03996-9
紙の本
趙州 飄々と禅を生きた達人の鮮かな風光 (唐代の禅僧)
著者 沖本 克己 (著),田中 良昭 (監修),椎名 宏雄 (監修),石井 修道 (監修)
「喫茶去」「狗子仏性」「栢樹子」…。後に著名な公案となる数々の言葉を残した趙州は、「口脣皮禅」と評される巧みな弁舌で一世を風靡した。「北の趙州、南の雪峰」と並び称された達...
趙州 飄々と禅を生きた達人の鮮かな風光 (唐代の禅僧)
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商品説明
「喫茶去」「狗子仏性」「栢樹子」…。後に著名な公案となる数々の言葉を残した趙州は、「口脣皮禅」と評される巧みな弁舌で一世を風靡した。「北の趙州、南の雪峰」と並び称された達人の生涯と言葉を、独自の視点で読み解く。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
沖本 克己
- 略歴
- 〈沖本克己〉1943年生まれ。臨済宗自肯院住職。花園大学名誉教授。著書に「泥と蓮 白隠禅師を読む」など。
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紙の本
傍系禅僧の趙州禅師を丸裸にした研究書
2021/12/07 17:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
四家嗣法の系統(馬祖道一 ⇒ 百丈懐海 ⇒ 黄檗希運 ⇒ 臨済義玄)から外れた傍系禅匠南泉普願の弟子の趙州禅師だが、非常に興味を惹く存在である。
本書は、唐代に「口唇皮禅」(くしんぴぜん)の達人として名を馳せた趙州禅師の生い立ちから修業時代を辿り、やがて禅匠として立ってからの接化の特色を余すところなく捉えた研究書である。
長命(百二十歳)故に師匠南泉禅師の遷化後、文字どおり人生半ばの六十歳で二度目の行脚修行に出るや、百丈禅師、薬山禅師、*い山禅師、雪峰禅師、臨済禅師、洞山禅師など錚々たる禅匠たちに相見したという。なかでも投子禅師とは年齢の差を超えて、すっかり肝胆相照らす仲となったらしい。
*【注】 人名の「い」山の「い」は、サンズイ偏に為の漢字だが、更新できない(使用を許さない)システム制約のため、已む無く平仮名で表記する。
『趙州録』に載る蓮の花に因む頌(禅詩)に、趙州禅師の悪戦苦闘の結果得られた大安心の境涯が窺える。
「奇異根苗帯雪鮮、不知何代別西天。淤泥深浅人不識、出水方知是白蓮。」
(奇異なり根苗(こんびょう)雪を帯びて鮮やかなり、知らず何れの代にか西天に別れしを。汚泥(おでい)の深浅、人識らず、水を出でて方(まさ)に知る、是れ白蓮なることを。)
おおよそ現世を離れ悟りさえも忘れた「覚」と呼ばれる境地、彼岸の彼方(極楽浄土)に到った趙州禅師から見れば、名の通った師匠連中にも中途半端な教えを垂れる者が散見されたようだ。況して修行中の雲水であれば、参禅に際して未熟さの粗ばかりが見えたに違いない。「喫茶去(きっさこ)」(目を覚まして来い)の説話は、院主という役付きの古参弟子へのまさに叱責でもあった。
八十歳でやっと中国東北部河北省趙州の観音院に定着し、来訪者からの似たような質問に手を変え品を替えて相手をする(商量問答を交わす)趙州老師の飄々たる応対ぶりに、禅の匠(師家)たる禅師の厳しい役割と優しい心根を垣間見た気がした。